お話の、あるところ。

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『夢見る病気』豊原ね子

投稿作品『夢見る病気』〈8〉 著者:豊原ね子

第二章 Reginita(第十二枝 春) 第一話――1/2
  
 第一話 風の季節

  ―1―

 陽光を抱いて草原を駆るは春風のならいである。
 木々は芽吹き、大地は緑となった。みなよ、春を物語れよとあの鳥たちは鳴き交わすか。
 否。
 天地の掟が情緒であらば、かくも醜悪な化け物を世に送りこみはしなかっただろう。
 生ぬるい風が吹いた。草も動物も悉く窒息させようかという脂くささだった。草原を走る青年が、少しだけ眼を細めた。
 片マントが風を抱き、青年の背になびく。剣の鞘が見えた。青年は腰にサーベルを佩いていた。
 人々の悲鳴を、丘の向こうから風が運んできた。その声に青年が目を見開き、叫ぶ。
「キセリタ! 状況を!」
 張り詰めた、よく通る声だった。
『手負いの油狗(ユク)が一体。怒り狂っているわ』
 呼び声に応えたのは、腰のサーベルだった。女の声だった。
『ミナシキ、くれぐれも油断しないで!』
 シロツメクサを蹴散らして、丘の上にのぼり立つ。
 そこに男が倒れていた。両足がひしゃげ、仰向けのまま顔をしかめて呻いている。垢じみた顔には脂汗が光っている。傍らにしゃがみこんでも、気配に気付きもしなかった。肩をつかみ、「おい」、と呼びかけた。男は一層顔をぐしゃぐしゃにした。汗が皺を走った。
「しっかりしろ、もうすぐ救援がくる!」
 男は自分の服の胸を握り締めながら、しきりに頷いた。
 ミナシキと呼ばれた青年は、立ち上がり、濃紺の瞳を眼下に向ける。
 草原は血でまだらに染まっていた。消え残った硝煙が鼻を刺す。そして悪臭の原因が、返り血を浴びてのたくっていた。
 カタツムリだ。
 林の木々より高い殻は、獣の体毛に覆われている。
 その油ぎった体毛が、油狗の俗称の所以である。長い腹足を振り回すたび、大地が振動する。それに押しつぶされ、振り払われた人間の死体がそこかしこに転がっていた。七、八人取り残されていたはずだが、もはや戦える者はなかった。
「目も当てられないな……」
 油狗の、長い触角の先の目が、ミナシキを振り向いた。
 双方が睨み合った。
 目を離さぬまま足を右に動かす。油狗が首を伸ばす。
 少しずつ右に歩み、油狗の首が動きを追う。立ち止まり儀礼銃を抜く。それが合図だった。
 油狗が凄まじい勢いで丘を這い登ってくる。蟲の中では動作の遅い部類だが、これだけの巨体が迫ると相当な威圧感がある。その上、殻はもとより、この軟体に普通の銃弾は通用しない。
 触角の下の口を開いて、油狗がミナシキを呑みこもうとした。大地が影に染まる。とび退くと背後で重々しく肉がぶつかり合う音をたて、油狗の口が閉まる。
 振り向きながら、両手に白銀色の儀礼銃を構える。至近距離でトリガーを絞った。純白の光線が放たれ、殻の上部を照射する。獣毛が縮れて煙を上げた。左手で銃身を支えながら、銃口のエキスパンダーを開いた。光線が太くなる。一気に斜め下に光を薙ぎ、殻を切り開いた。
 黒煙が立ちこめる。タンパク質の焼ける臭いと共に、油狗の緑色の脳がとろけて零れ落ちてきた。
 暴れまわっていた腹足が、微かに痙攣するのみとなる。
 油狗はまだ、最後に口を開けてミナシキを食おうとしたが、地響きを立てて首を倒した。あたりの草はえぐれ、土が剥き出しになっていた。首を這わせてもがいていたが、ついに動かなくなった。ミナシキは腕を下ろし、息をついて武器をおさめた。
 儀礼銃さえあれば、大抵の蟲は一人でも倒せる。だがここで死んでいる人間たちは、そんなものは持たない。
『これはひどい』
 サーベルが呟いた。
「訓練の最中だったか。ただでさえコイツら、銃器の扱いにまだ不慣れだったからな」
 背を向ける。歩み去ろうとした。
 冷たい気配が背中を一撫でした。
 呼ばれた気がして足を止める。
 それは言葉ではなかったが、呼ばれた、と思った。
『どうなさったの?』
 振り向いた。そこに油狗の二つの目がごろんと転がっていた。
 甲高い耳鳴りが、左右の耳を貫いた。その衝撃に一瞬よろめき、目を閉じた。
 ――帰りたい。
 唐突に、耳鳴りの中から言葉が聞こえた。
 ――あの町に帰りたい……。
 目を開ける。
 視界が真っ暗だった。ただ転がる油狗の目だけが見えた。油狗の声だ。どうして蟲の声が聞こえるか分からなかった。
 ――殺さないでくれ。
「無理だ」
 その目に向けて答えた。
「おまえは助からない」
 油狗の目が片方、撃たれた殻に向けて動き、己の身に起きたことを確認した。そして……
 ――いやだ!!
 凄まじい咆哮、悲しみの叫びが油狗の体から迸り、増幅された耳鳴りが意識と視界を白く染めた。

「おい!」
 いきなり頬を叩かれた。次に肩を揺すられた。咄嗟に振り払おうとしたが、自由が利かなかった。どうやら地面に倒れているらしい。手首を振ってみせた。肩にかかる力が緩んだ。
 目を開けると、日光をさえぎる形で二人の人間が覗きこんでいた。
 真っ黒に日焼けした巨体を持つ男。黄色い長い髪の少女。
「大丈夫か?」
 草地から背中を引き剥がした。額がいやに痛む。右手を当て、うなだれた。
「シキ、頭打ったの? 痛む?」
「いや……」
 油狗を振り返った。それはもう、完全に死んでいた。
「大丈夫だ、それより被害状況は」
「確認中だ。負傷者を優先的に回収してる。おまえも来い」
「俺は歩ける」
 ミナシキは立ち上がり、湿った土を払う。昏倒していた時間はそう長くはないようだ。死傷者を回収する仲間の声が、方々から聞こえてくる。しかし何故、自分が倒れたのか、それが分からなかった。額の痛みは次第にひき、今はもうほとんど無い。胸の高さにある油狗の眼を、無言で見下ろした。
 俺は、コイツの声を聞いただろうか?
 いいや。胸のうちで自問自答する。
 そのようなことがある筈ない。あるはずが無いのだ。
 風が黒髪をなぶる。天空を仰いだ。体に不調はなかった。遠くの空を白く霞める雲に、無数の尖塔が突き刺さっている。

  ―2―

 歴史の節目ごと分岐して、枝葉を広げる人間世界。その様相は世界樹という概念で表される。最も力を持つ枝は第七枝。最初に蟲の侵略が確認された枝。右下の枝は第一枝。つい最近まで蟲にも人にも認知されておらず、いまだ分岐した多世界の存在を知らぬ枝。そしてここは一番左下の枝、第十二枝。
 一つの枝の中に分節があり、分節ごとに葉が生えている。その葉こそがそれぞれ人間が暮らす世界であり、分節の総ての葉に自分のコピーが存在する、或いはしたという。人間たちは〈穴〉を通じて技術や情報を交換し、蟲たちに対抗してきた。ただし自分のコピーには干渉出来ない為、同じ分節の葉には移動できない。
 ここは第十二枝最後に残った分節、通称レギニータ。
 本来は都市の名である。あの尖塔、『輪廻の鯨』を取り巻いて展開する結界防御国家の名前だ。
 この世界に、人が住める場所はレギニータの他ない。
 だからレギニータは第十二枝そのものを指す言葉でもある。

 夜は朝日に殺されるまで、通奏低音を鳴らしている。
 おそらく誰にでも聞こえる音ではないのだろう。しかし暗い部屋で、目を閉じていると、それはだんだんと頭の後ろの高いところから聞こえてくるのだ。音に意識を合わせれば、次第に身の内の鼓動や、血の走りが鮮明になり、手足が微かに痺れてくる。
 ミナシキは目を閉じて、ギターを抱えていた。この夜の音が何なのか、幻聴の一種なのか、よく分からない。幻聴でもいい。夜に向かってアルペジオを奏でる時間が好きだった。
 ひとたび指を止めると、遠くから酒におぼれた人間たちの喧騒が聞こえてくる。薄目を開け、顔を上げた。薄暗い寝室に月の光が差しこんでいる。月光が一番よく当たる場所には姿見が置かれていた。
 姿見にはサーベルが立てかけられている。だが姿見はサーベルではなく、若い女の姿を映し出していた。長い茶褐色の髪。鋭角的な白い顔。眼鏡をかけている。
「あなたも皆と弾けばよろしいのに」
 ミナシキは鏡の中の女に、首を振った。
「それは出来ない……分かってるだろ、キセリタ」
 ギターを置いて、キセリタに歩み寄った。キセリタが、鏡の向こうから指を伸ばしてきた。ミナシキも指を伸ばす。
 そこにあるのは、ただ鏡の冷たい質感だけだった。それでも二人は、ほんの少しの笑みを互いに見せた。手を離す。キセリタも指を下ろす。彼女はもう笑っていなかった。
「昼間は何があったんです?」
「何も」
「何もないのにいきなり倒れるなんて事がありますか」
「昼寝の時間だった」
「馬鹿を言うんじゃありません!」キセリタが怒った。「どれだけ心配したと思ってるの!」
「言ったら笑う」
「笑いません。私があなたを笑った事がありますか?」
 ミナシキは、キセリタに、油狗の声が聞こえたことを話した。彼女は約束どおり笑わなかった。鏡の中の瞳には、安堵と呆れとが共存している。
「あなたは疲れが溜まってるのよ。だからそんな事を」
「疲れてない。何も無理などしていないぞ」
 キセリタが、聞こえよがしに、大きなため息をついた。
 ミナシキは重いガラスの窓を開けた。夜風は露のしずくの匂いがした。
 はるか遠くに、夜空に向かって伸びる光の柱がある。
 第十二枝再生機構、巨塔『輪廻の鯨』。それを取り巻く塔やエレベータ。林立する塔を、ぶ厚い城壁都市が守護している。ここからでは見えないが、壁は一般市民の居住区だ。四角い渦巻き模様に巻かれ、内側に行くほど階級が高い。
「あそこにはあなたの母君がいるのでしょう」
 ミナシキは巨塔に目を凝らした。その頂点は雲に紛れ、見ること叶わない。眩しかった。ほころび始めた結界の果ての、この草原にいても。
「こんなところで――」
 廊下を足音が近付いてきて、キセリタが言葉をやめた。最後まで言われなくとも、言わんとすることは分かっていた。「あなたはこんな所で斃れるわけにいかないのよ」。足音が止まり、寝室の戸が開いた。キセリタは姿を消していた。
「おう、居たか」
 戸を開けたのは、ヨセギだった。草原でミナシキを起こした色の黒い男だ。
「何してんだ?」
「夜風に当たっていた」
「具合はどうだ」
 ミナシキは窓を閉めた。途端に部屋が狭くなったような圧迫感を覚える。ヨセギが入り口に立っているからだろう。
「問題ない」
「心配しただろうが。寝てなくていいのか?」
「問題ないと言っているだろう」
 ミナシキはガウンを羽織り、共に廊下に出た。

 救護室には死臭が立ちこめていた。
 一番手前のベッドの男は既に息絶えていた。顔を見ると、油狗のもとに辿りついた時、最初に見つけた男だった。表情は苦痛で歪み、布団のふくらみが腰の辺りで消えている。
 布団を顔まで上げてやった。
「ひでぇもんだろ?」
 しゃがれた声がミナシキに話しかけた。顔を上げると、部屋の奥からラーネッドが歩いてきた。ヨセギが露骨に顔を背けた。誰もこの男を好きではない。
 右腕が剣。
 左腕が三叉の槍。
 肩の肉が完全に溶けて、それらの武器と癒着している。
 この男の精神のありようも、怪奇な見た目と大差ない。そしてこうなってしまった彼を哀れむ者は、誰一人としていない。ミナシキもだ。皺だらけの茶色い顔を見るに、五十前後と思われるが、年長者らしい言動など見たことがなかった。
「全滅だ。油狗にやられた奴全員」
「まさか」
「ああ、もう一人も生きちゃいねぇよ。危ないとこだったな兄ちゃん」
「酷いな。ここまでとは……」
「怪我だけじゃねえ。あの油がなきゃあ、何人かは助かってたかもなぁ」
 ラーネッドが右手の剣で隣のベッドの布団を剥いだ。油狗の獣毛と同じ悪臭が鼻を衝き、思わず身を引いた。
 あらわになった遺体を見て、ミナシキは声を失う。
 胸と、腹の肉がなくなっていた。黄色い肋骨が剥き出しになっている。骨に抱かれた内臓は爛れ、くっつきあっている。それらが黒ずんで見えるのは、血のせいだろうか。
「油狗の油だ。肉を溶かし、骨を細らせ、人間を喰い殺す。こいつぁ頭から引っかぶったみてぇだな」
「行こうぜ」
 ヨセギが服を引っ張った。ラーネッドが歯を見せて嘲笑った。狡猾な猿の顔に似ていた。
「逃げるのかい」
「るせぇよ、気違いジジィ」
「目ぇそらしたところで何も変わるまいに。油狗に襲われたらこうなるんだ。少し間違ってりゃおめぇもこうなってた。えっ? 兄ちゃん」
 ミナシキはラーネッドに背を向けたが、彼は喋り続けた。
「今頃別の葉じゃ、兄ちゃんとおめぇがこうなってんだぜ? ハッ!」
「てめーもだろうがよ!」
 ヨセギが怒鳴り返す。
 救護室を後にした。たしかに。事象に応じて世界に新しい葉が増えるのならば、自分がああして死んでいる世界があっても何ら不思議はない。ただ不愉快な想像であるという、それだけのことだ。

 別棟に移った。別棟には食堂がある。屋外まで騒ぎ声が漏れ聞こえていた。扉を開けると一層やかましかった。酒が香っている。彼ら流の服喪だ。彼らは死んでしまった仲間がここにいると信じている。少なくとも、決して行けない他の世界で、この世界の死者は楽しんでいる。
 彼らは死者と杯をかわす。永劫に会うことのない生者と。
「お前も飲めよ。メシは? 食ったか?」
「いや……」
 いきなり後ろから抱きつかれた。少女の長い髪が首筋に当たる。相手の息はとんでもなく酒臭い。
「シキ、心配したよ!」
「離れろ。酒臭いぞ、ガキのくせに」
「固いこと言いっこ無しだよ」
 振りほどくとあっさり身を離した。ツインテールの黄色い髪を振り回して小躍りしている。
「シキが無事でよかったよかったぁ」
 ヨセギと一緒に草原にいた、そばかす顔の少女だ。名をレーゼという。まだ十七か八かそこらだ。
「ホントに心配したんだからね」
「ああ、そうかそうか」
 真っ赤な顔して絡みついてくる。
「つれないなあ、人がこんなに話しかけてんのに」
「そりゃそうだレーゼ。いきなりコイツが愛想よくなったら、そっちのが重症だな」
 グラスを片手にジェノーが割りこんでくる。
「なあ、シキ」
「心配させてゴメンぐらい言えないの?」
「死ぬ時に言ってやる」
 また首にしがみつこうとするので、レーゼの額を掌で押して遠ざけた。
「そうだシキ、大佐が呼んでたぜ」
 ジェノーが助けた。
「本当か?」
「ああ。ここにシキが来たら部屋に来させろってよ」
「分かった」
 レーゼを押し付けた。
「コイツを頼む」
「逃げんの? 逃げんの?」
 泥酔した彼女の腕を、ジェノーが引っ張った。二人は喚きあい、食堂を更に賑わせた。出るとき、「いてぇ!」とジェノーが叫ぶのが聞こえた。

  ―3―

 打ち捨てられた外界観測施設の倉庫。ここでは霊子変換装置が絶えず作動し、結界から引いたエネルギーを電気に変換してる。これがなければ暖も取れず、施設は闇に落ちる。
 ガウンの前をしっかり合わせ、倉庫の外扉へと急ぐ。空を見上げた。薄く黒く色付いた雲が、満月を隠した。
「ウーヴェー大佐、参りました」
「シキか」
 変換機の起動音に混じって、重い声が答えた。
「入りなさい」
 倉庫は明るさに満ちている。過剰な明るさだ。部屋の白さに目を細めた。この明るさは滅びの化身だ、地球は滅ぶのだ――と思う。
 だが大佐は違う。彼にしてみれば、うるさい上に入りにくく、密談するにはもってこいだ。それに彼は重機が好きなのだ。
 狭い部屋の真ん中に、タンク型の機械が座っている。その前に、男が立っている。浅黒い肥満体型を、輪廻の鯨の軍服で包んでいる。髪がすっかり後退した頭には電気が照っている。
「油狗との戦いの様子を聞いたぞ。具合はどうだ」
「は。私はこの通り、支障ございません」
「頭を打ったと聞いたが?」
「軽傷ですゆえ、ご心配には及びません」
「ならいいんだ。気をつけてくれよ。まだ君を失うわけにはいかんからな」
 大佐は腕組みした。その太い腕は傷だらけだ。おそらく、体じゅうのどこも。彼は昔は本当にレギニータの軍属だった。今では、みなに『大佐』と呼ばせているが、ただのレジスタンスの長だ。国賊。ミナシキも。
「そろそろだと思うのだが」
 と、ウーヴェー大佐が言った。眉をしかめた為に、眉間の傷が肉に埋もれた。ミナシキは黙ってその顔を見返した。何のことかは分かっている。ミナシキが分かっているかを試す、いつものやり方だ。
「いつまでもここには居れん」
 大佐が深く頷く。
「冬は過ぎた。雪は解け我々が凍えることもなくなった。この施設はもう役目を終えただろう」
「いかにも。我々が流用する霊子の量は、結界の規模を鑑みれば微々たるものです。ですが確実に力を弱めている。蟲に突破されて手勢を減らされるのみならず、近く輪廻の鯨の気を引くこととなりましょう」
 ミナシキは、彼が一番欲しがっている言葉を言った。
「移動が必要です。やはりレギニータ北面、夜区間の別組織と手を組むことが宜しかろうと思います。夜区間の長の存在は見過ごせません」
 大佐は黙っている。黙っているが、満足しているはずだ。
 だが、ぶ厚い唇が開いたとき、思いもしない言葉が出てきた。いや、違う。言うのではないかと予想していた。言わないだろうという予想に負けていたのだ。
「大聖堂(カテドラル)を強襲する」
 鼓動が跳ねる。
「何故。こちらの手勢を徒に減らすだけです。万一大聖堂を襲撃してそれに見合う利益が見こめるとは思えません」
「夜区間に向かうには大陸橋を通過しなければなるまい。大聖堂の神官兵との挟撃を受けては厄介だ」
 夜区間は、都市レギニータの北面外側を指す地区の俗称だ。
 塔と城壁都市の陰に隠れ、年間通して光の差さぬ地域。もともと人の住む土地ではなかった。貧しい者追われた者が最後にたどり着く土地。朝日が拝め、草木が芽吹く南東のこの草原とは、比較にならない厳しい世界。
 南北は長さ二百余キロメートルの陸橋で結ばれる。
 その陸橋付近、レギニータ城壁の南東の門に、大聖堂と呼ばれる教会がある。
 暁の僕(しもべ)教会。
 王家の血を引く神官が、司祭の地位に就いている。
「……大佐はあの司祭を?」
 火器の移動という問題もあるが、どうにもならぬ事ではない。大聖堂を刺激しないよう避けて通ることだって出来るのだ。
 大佐は黙っている。この男、王族憎しで頭に血が上っているのか。いや。単純だがそこまで馬鹿ではないはずだ。一時は掃滅機関にいたくらいなのだから。もっとも、この器では大佐までの出世は難しいだろうが。
「秋に入れた人員を実戦慣れさせねばなるまい。夜区間への手土産も必要だ」
「夜区間の情勢はどうですか?」
「変わりない」
「大聖堂から奪った資金で、大陸橋周辺で住民を雇いましょう。彼らは日照権をめぐる争いで、教会に恨みを抱いていたはず。話を付けられましょう」
「うむ」
「大聖堂を攻めたら、その勢いで大陸橋を突破しなければなりません。騒ぐだけ騒いで袋叩きにあう事態だけは避けなければ」
 ミナシキは言った。
「隊を分けましょう。まず少人数が大陸橋を通過して、あちらと話をつけさせる。その間に本隊は大聖堂を落とす」
「それで行こう」
「嵐を待ちましょう」
 大佐の太い眉毛が動いた。
「半端な真似はできますまい」

 食堂は、一人減り、二人減り、深まりゆく夜の静けさを取り戻しつつある。テーブルに突っ伏して寝ている者もいる。
「遅ぇな、シキ」
 一隅でジェノーとヨセギが額を寄せ合っている。レーゼも酔いがさめたようで、眠たげな顔で不機嫌に俯いている。ヨセギが答えた。
「話がこみいってんだろうな。こんだけ掛かるってことは、やっぱ移動か闘争か……」
「闘争? どこに仕掛けんだよ」
「そろそろ金を掴まにゃならんからな。ガミガミ言われやしねえが、ほれ」
 グラスの酒の臭いを嗅ぐ真似をしてみせた。水臭い。ジェノーは顔をしかめた。
「金のためか。どうよそれ」
「金は大事だぜ。俺の血筋はもともと他の枝の傭兵だ。形は違えど、金のために人を殺そうってえのには違ぇねえわな」
「シキはどうなんだろうな」
 レーゼの緑の目玉が動いて、ジェノーの顔を見た。
「何つーかよぉ……あいつ、こんな所で参謀やらせとくには惜しい気がするんだよな」
「だったら何だよ!」
「いや別に、ただ――」
「仕掛けるとしたら大聖堂か?」
 さえぎる形でヨセギは言った。
「あそこの司祭は大佐の大ッ嫌ぇな王族筋だからな」
「大佐はどうしてそんなに王族が憎いの? あたしらとは何か、ケタが違うよ」
「知らねぇのか?」
 ヨセギはさも意外そうだ。
「……レギニータの掃滅機関の存在は知ってるだろう」
「うん」
「大佐は昔そこに居たんだ」
 レーゼが眠い目を見開く。
「ウソ」
「戦闘集団の中でも選りすぐりの人員しか入れない。だけど大佐のいた課が全滅して……大佐だけ生き残ったとか何とか……なんか人体実験? みたいのがあったそうで」
 言葉を切って頷いた。
「まあそういうこったな! うん。俺も詳しくは知らん!」
「全滅したんじゃねぇよ。謀反を起こしたその課の生き残りが大佐しかいないって話だ」
「謀反? なんで?」
 ジェノーも黙りこんだ。
「……分からん」
「変なの。変だよ。リーダーが何で集団にいるのか理由がはっきりしないなんて」
「そうだな。ただ王族を憎んでいる。これだけは間違いない。シキのあのサーベル……あれは王族殺しの証だ。アレを引っさげて現れたから、大佐も最初から目をかけていた。いや。それだけじゃねえ。儀礼銃まで。ここに来るまで何処で何をしてたんだろうな」
 ジェノーは小指で耳の穴を掻き始めた。
 風が窓を鳴らしている。
 嵐が来る。必ず。
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