お話の、あるところ。

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『夢見る病気』豊原ね子

投稿作品『夢見る病気』〈14〉 著者:豊原ね子

第二章 Reginita(第十二枝 春) 第三話――1/5
 
   第三話 戦場にギターはいらない

  ―1―

 暗がりの底に明かりが動き、その後ろを、人の形が四人分続いた。四人のはるか頭上の空が少しだけ明るい。
「シキ、あの空の明るいのはなに?」
 ライトを持つミナシキが、隣のレーゼを見た。道には大小の瓦礫が散乱し、歩きづらいことこの上ない。
「壁の上のほうに町があるんだ」
「星が見えないのはなんで? マーテルが隠してるの?」
「レーゼ、今は昼だ」
 ここは夜区間。レーゼにそれを思い出させ、黙る。
「少しぐらい、光が見えてもいいのに。大気が汚いからかな? ねえ? 本当の夜になったら星が見えるのかな?」
「それだ」
 ヨセギが口を挟む。
「なに?」
「それだ。明かりが見えない」
 四人は立ち止まった。リコリスがふわりと座りこむ。
「ヨセギ、近くの町までどれくらいだ」
「かなり近い。もう明かりが見えてもいい筈なんだがな」
「霊子統制か?」
「にしても、もっと人の気配があるはずだぜ?」
 ミナシキは行く先に目を凝らす。暗いだけだ。
「リコリスを頼む。様子を見てくる」
「ひとりで? 無茶だよ! あぶないって」
「当たり前だ、おまえも俺と来るんだ」
 緊張で強張りながらもすぐに承諾した。彼女はいじましいほどミナシキに嫌われまいと、いつも努力しているのだ。
 行く道の、左手は壁、右は荒れ野。草の生えていない僅かな筋が人間の通り道。二人はずっと歩く。十分にヨセギたちから遠ざかってからレーゼが横手に並ぶ。
「なんだ、周りを警戒しろ」
「シキ、あの神官どうする気だよ?」
 すると目の前に回ってきて、ミナシキの歩調に合わせて後ろ向きに歩き始めた。
「何してるんだ。危ないぞ」
「いいから答えてよ。どうするの? このままずーと連れてくの? 内壁や輪廻の鯨まで?」
「ではどこに放りだせと言うんだ」
「分かってるよ。シキは連れてくんでしょ? しばらくあいつの好きにさせてみようって、それも面白そうだって思うんでしょ? いいよ。シキがその気だってわかってるからあたしもアイツに絡むのやめたじゃん。逆らわないし意見も無い。でも結局役に立たないじゃん! 足手まといじゃん、あいつ」
「お前が嫌っているだけだろう」
「そうだよ。そりゃそうだよ! 生まれた時から内壁にいてさ、しかも金持ちのいーとこのお嬢さんに生まれてさ、何が革命だよ。何が不満だよ。ふざけんなよ! 死ね!」
「そんな言葉を気安く言うな。殺すでもないんだろう」
「殺すなんて言ってねーじゃん! 死ねっつってんじゃん! 死ねばいいのに」
「くだらない理屈をこねるな……怒るぞ」
 レーゼが口をつぐみ、立ち止まる。彼女を追い抜くと、小走りについて来た。
「シキだって分かるだろ、ねえ」
 それでもまだ彼女は言う。
「革命って誰のためだよ。あたしたちの為じゃないだろ? 恵まれた奴が少しだけ恵まれない奴のためにやるんだ。あたしはその少しだけ恵まれない奴になろうってんだよ。あたしはみんなと普通に暮らせればいいんだ。なんで生きるか? 生きなきゃいけないか? 知るかよ。やってろよ! 嫌なら死ね! ふざけんな」
 ミナシキは彼女の出自を思い出す。
 レーゼは外壁西面、太陽が沈む黄昏区間からやって来た。彼女の望みはただ内壁に住むことだ。故郷の人々をそこに住めるようにしてほしいだけだ。何かを破壊したいわけではない。王族を殺したいのでもない。
「……シキ、怒ったの?」
「いいや」
「怒ってるよ。声、怖いよ」
「怒ってないから周りを見ろ」
「くさい!」
 壁が左に折れ、壁の続きと道の間の隙間を埋めるように、木箱のような粗末な住居が立ち並ぶ。
「くさいよ! 死体の臭いがする!」
「分かってる。静かに」
 腐臭とレーゼの声に対して眉間に皺をよせた。粘り気のある甘く饐えた臭いがまとわりつく。寒いのに湿気た空気だ。
 やがて開け放たれたドアから、死者が上半身を出しているのをライトの輪がとらえた。
 そこいら中で折り重なって人が倒れていた。
 みな慌てて着の身着のまま外に飛び出してきたようで、何も持たず、靴も履いていなかった。窓から飛び出し、窓枠から外へ体を折っている者もいた。腐敗の進度は遅い。照らし出されたある死者の顔を見て、さしものレーゼも声を失う。
 眼球を飛び出さんばかりに目を見開いている。何か叫ぼうとしてそのまま絶命したようだ。外傷はない。眠るような顔で死んだ者もおり、死の原因を体感できず、ミナシキは戸惑う。
 プロペラ音が降ってきた。暗天を見上げ、音が近付いてくるのを確認し、レーゼの腕をつかんだ。子を抱く女の死体をまたぎ、一部屋しかない家に飛びこむ。窓辺に身を潜める。プロペラ音が間近に迫り、白い粉が降ってきた。
「毒だ!」
 飛び出そうとするレーゼの腕をつかんで放さない。
「馬鹿ぬかせ、この上毒を撒いてどうするんだ。消毒薬だな。殺虫剤も入ってる」
 姿勢を崩さずに、言った。
「夜区間のものか……鉢合わせしなくてよかった」
 消毒薬は執拗に撒かれた。十分以上も経ってから、ようやく引き上げて行った。
「戻るぞ、もう無駄口を叩くな」
 薄い白に変じた地面に足あとを刻み、二人は走った。
 ヨセギは別れた地点で待っていた。失敬した警備兵の私服に着替えたリコリスは、まだ壁にもたれて蹲っている。
「離れよう。話は後だ。壁の上にいけるな」
「ああ」
「リコリスはどうだ」
「熱がひどい」
「背負えるか」
「問題ない」
「よし。交代で行こう」
 屈んで背中をみせたヨセギに、リコリスは反応した。促され、ぶ厚い肩に手をかけた。背負い上げられてから、ミナシキの目の高さから、訊いた。
「わたしを、どうするの?」
「どうなりたい?」
「大陸橋で、最初に列車に乗ったときに用は済んだんでしょう? 私を殺すの?」
「いまさら殺すほどの用もない。休んでから考えろ。自分で考えるんだ。俺がお前を殺そうとしたら勝手に逃げるがいい」
 ミナシキが引き続き先頭を務める。リコリスも引き止めてまで話そうとはせず、黙って目を閉じた。

 壁に沿う階段をひたすら上ってゆく。壁の内側には廊下があり、折り返しの度に柱の向こうに廊下が見える。小型の、おそろしく旧式のヘリコプターがたびたび飛んできた。その時だけ廊下に身を隠した。
「何だかんだでお人よしだよな、お前も」
 リコリスを背負いながら、ヨセギが疲れた声で言った。
「何がだ」
「リコリスだよ」
 ミナシキはいつもの言葉で答える「馬鹿ぬかせ」。散々連れまわして脅して後のことは自分で考えろと言う。無責任な話だ。だがそれはリコリスの問題だ。彼女が死のうと生きようと、今のところミナシキの生死に関係ない。生きて、またも自分たちを売ろうというのならともかく。
「シキよう、お前どうしたいんだ」
「寝たい」
「いや、そうじゃなくて」
 ヨセギが背中に迫る。
「わざと言ってるだろ」
「リコリスから聞きだせる話は多い。みすみす手放すこともないだろう。そいつは輪廻の鯨で教育を受けた。政治にも詳しかろう。だが今のそいつには話せん。どこかで落ち着かないと。そういうわけで急いでる。俺だって寝たいんだ」
 だから黙って歩け、という意味を目線にこめて振り向く。するとレーゼが「ああっ」と声をあげた。
「今度はなんだ」
「やなこと思い出しちゃったよぉ」
「関係ない話じゃないだろうな」
「あるよ! 大アリだよ。さっきの光景見て思い出しちゃったよ。人がたくさん死んで蟲になっちゃうんだ。わさわさわさーっ! て。見えない大きな手に人間が大勢ひねり殺されて、それが蟲になっちゃうんだよぅ」
「なんの話だ」
「『オルガン国(オルガレータ)へようこそ』っていう小説」
「関係ない話じゃないかっ!」
 聞いたことのあるタイトルだ。そう、キセリタが話していた。自由意志を持つ機械が出てくる話だと言っていた。そんなに有名な小説なのか。レーゼは基礎教養すら覚束ない、外壁生まれの少女にすぎない。文学に関して彼女が知っていて自分が知らないことがあるとは思いもしなかった。
 悔やしいので聞かないことにした。
「関係なくないよ、怖かったんだよ! ああーっ、あたし絶対寝れないよ」
「元気か、元気だな、おまえ。次リコリス背負うか? どうだ?」
「やだよぉう」
「ぜひ代わってくれ」
 ヨセギが言う。ミナシキは足を止めた。あと数段で階段の中継ぎに出る。
「よし。次で休憩にしよう」
 石柱に手をかけて、壁の中の廊下に入る。レーゼの手を引き、次に、リコリスを預かる。服越しにも彼女の体は熱く、震えているのがわかった。目を開けてミナシキを見たが、何も言わずに閉じた。ヨセギも廊下に入る。
 マントを脱ぎ、その上にリコリスを座らせた。もちろんとうに乾いているし、裏にレンシディの顔が張り付いてもいない。ミナシキも目を閉じた。疲労の重力が意識を混沌へ引きずりこもうとする。
 耳の底に硬く響く音が届いた。
 つま先に蹴られた小石。それが階段を落ちていく音。続いて忍び足で階段を駆け下りる足音。
 壁を睨みつける。
 ヨセギもレーゼも壁を見ている。機関拳銃を抜いた。マガジンは装填済み。三点バーストをセット。
 多人数は危険だ。
 ハンドシグナルで二人に伝える。
 この廊下を守れ。一人で行く。十分待て。
 シグナルが返ってくる。了解の意。
 壁に手を当てて廊下を進む。先で壁が切れ、階段を発見する。微かに動き回る人間の気配が闇から上ってくる。
 足を下ろす。そこからは、気配の探りあいだった。闇の中、ミナシキは手足に神経を集中させる。トラップはないか、物が撒かれていないか。
 階段の下を誰か歩いている。明かりもつけず、静かに。慎重な足運びは分かるが、足音を消しきれていない。
 壁に張り付く。その誰かが、今正にミナシキがいる階段を窺う気配。上がってくる。
 すれ違ったその直後、壁から背を離す。口の辺りに目星をつけ、押さえこむ。押さえながら額に銃口を突きつけた。掌の下でうめく。鬚の生えた男だ。
「声を出すな」
 鋭く警告を放つ。
「動くな。撃つぞ」
 相手の呼吸が大きくなってくる。口元を緩める。
「誰だ?」
「聞いているのは俺だ。答えろ」
「東面の人間だな」
 男が答える。
「黙れ」
 腕の力を慌てて強める。
「来るのが遅かったな」男は落ち着きを取り戻して続けて言った。「おかげで前の迎えがやられた。黙るのはお前だ、客人。銃を下ろしたほうがいい」
 まばゆい光に照らされ、ミナシキは目をつぶる。
 階段の下から差す光だ。三本の光。三人。

 ―2―

 幌トラックの天井近くに細長い窓がある。光が流れていくのをレーゼが必死に見つめる。ここは内壁。北部最底辺の劣悪な環境だが、彼女にとっては始めての、憧れの内壁。他の者は目を濁らせて俯いている。首や手などで、目を使わずに警戒をしている。
 ミナシキたちをトラックに乗せたのは、階段で出会った四人だった。本当は下の町で出迎えるつもりだった、と彼らは言った。以前に他のチームが寄越されていたが、連絡が無い。彼らが出向いたときにはもうあの有り様だったという。
 真っ先に考えられるのは、鯨が町に対して行った、紛れこんだレジスタンスの掃討。だがその為だけにあそこまでの殺戮行為には出られまい。多くの人々が家の外に飛び出し、そこで息絶えていた。逆なら分かる。侵略者から生き延びようと家の中に隠れ、そこで死んだというのなら。
 食い入るような視線を浴びてミナシキは顔を上げる。
 真向かいの男が白々しくそっぽを向く。
 四人の迎えの代表者、ゲルトと名乗った男だ。さっきから度々ミナシキを注視しては首をかしげたりしている。
 目が合う。 
 あっ! とゲルトが叫んだ。
 するとトラックがトンネルに入り、走行音に圧迫感が混じる。
「いや」慌ててゲルトが目をそらす。「なんでもない」
 なんでもないはずが無いだろう。運転手を除く、あとの三人の迎えたちの関係が緊張で結ばれる。それから弾き出される形でミナシキは取り残される。レーゼはもう外を見ていなかった。
「降りてくれ」
 広い駐車場についた。
「病人はこっちで部屋を用意する。あんた、代表者、来てくれ。すぐにこちらの代表に会えるようにする」
「準備はいいのか?」
「あたしは?」
 ミナシキとレーゼが、ほぼ同時。
「来い」
 ミナシキが、ゲルトらに口を挟む暇を与えず、即答した。

 ごく普通の会議室に通された。壁沿いに長机が向き合い、奥に演壇とスクリーンがある。
「待っててくれ。今来る」
 スーツ姿の女性が紅茶を運んできて、丁寧に一礼すると直ちに出て行った。レーゼが珍しい服装を凝視するが、気にするそぶりもない。結局彼らのリーダーより早く、ヨセギとリコリスを案内していたはずの人員が来て、迎えの四人が揃う。無言で待つこと数分。会議室のドアが開いた。
 ついさっきまで寝ていたような顔の男が入ってきた。肩にかかる髪は乱れ、スーツを着ている。目もとは眠たげに垂れ下がり、口元に意図不明の微笑を浮かべている。
 その微笑でミナシキを見た。
 肉付きはいいが、引き締まってはいない。色白だから余計大きな顔に見える。三十すぎくらいだろう。
 四人が一斉に立った。ミナシキと、遅れてレーゼも起立する。
「どうも」スクリーンの前に着席し、男は言った。「座ってくれて構わない。きみがシキ君だね。会うのは初めてだ」
「お初にお目にかかります。北面対軍部抵抗組織首領、エグバート様」
「いまさら、そう堅苦しくなる必要はないよ」
 会話だけなら、何度かしたことがある。大佐は何度もこの男の助けを受けている。食えない男だ。しかし会議室に通されてスーツで面会されるとは思わなかった。ミナシキの戸惑いを見抜いたように、エグバートはゲルトを呼んだ。
「待たせている間にお茶が冷めてしまったね。事務員を呼んで取り替えてくれないか」
 ゲルトが、かしこまりました、と答えて内線に手を伸ばす。
「予想外かな?」首領がミナシキに言った。「もっと剣呑な場所を覚悟して来たんじゃないかい?」
「ええ、少々……」
 事務員はすぐに来て、紅茶を取り替えていった。
「ああいう、一般構成員には制服を与えている。一応教育はいきわたらせているつもりだ。気に入ってもらえるかな」
 落ち着きなく目を動かすレーゼの膝を、机の下で叩いた。
「エグバート様、私どものリーダーより親書を預かって参りました」
「ああ、そうだね。本題に入ろう。ウーヴェー君は元気かい?」
「はい。変わりありません」
「あいかわらず大佐を自称してるの?」
「はい」封書を手渡す。初めてエグバートが声を出し笑った。
「それは、変わりないな」
 席に戻るミナシキをよそに、封を切り、紅茶を飲みながら目を通す。「ほう。ほお、なるほどね」。すぐに読み終わった。
「手土産に神官まで連れてくるとは、恐れ入ったよ。いや、心配したよ」
 書状を伏せてから、最初にそう言った。
「大聖堂襲撃の予告と共に連絡が途絶えてたからね。もちろん奇襲成功の情報は届いていたけど」
「襲撃以前の拠点は完全に破壊しました。以降の動向は必要があらば私の口からお伝えします」
「じゃあ、いずれ。それで大佐くんは僕たちの手を借りて夜区間に来たいと。輪廻の鯨に対して共闘したいということだね」
 大仰に肩を竦め、エグバートはミナシキを見ている。続きを待っていると、元通り手を机に下ろした。
「……きみたちの戦い方は知っている。組織をあらわす名も持たず、拠点すら定めない。南、西、東、それぞれの住民に周到に馴染んでから奇襲を挑む遊撃部隊」
「間違いはございません」
「彼とは長いからね。……なるほど」
 人差し指で机を叩く。鍵盤楽器のように。そして深く頷いた。
「特殊ルートを開放する。彼らを案内しよう。僕が責任者として必ず連れてくる」今までとは違う芯のある声で言った。「だがこちらも手伝ってもらう。なに、彼なら請わずとも喜んで協力するだろう」
 立ち上がり、演壇から棒を取った。その棒でスクリーンを打つと、鈍銀を基調とした静止画が映し出された。
 銀色の物体は蟲だ。それが銀色の壁の部屋にいる。見たことない蟲だ。ひとめで機械と分かる。
「着色前だしいささか不恰好だが、輪廻の鯨の新型巨虫兵だ。シキ君、きみは知っているだろう」
 隣のレーゼは画面に目が釘付けで、次に、ミナシキの顔を困惑して窺う。何度か画面とミナシキを見比べていた。
「蟲をもって蟲を制すだ、レーゼ」次にエグバートに答えた。「結界の外に新たに人が住む町を造るのならば、まずはびこる蟲を殲滅しなければならない。そのため鯨は専門機関を設け、蟲の体の構造を何年にも渡って調査しています。巨虫兵はその成果ですね」
「その通り。インカーネイトはその名の通り、第十二枝の人類再生機構だ。いつまでも殻の中に人間を保護しているだけでは、いずれ人間同士で潰しあうのがオチだからね。失敬。これは先王の時代から続いている研究だ。鯨は第二の都市を建築し、そのための兵器を作る。そして実戦投入前に動作実験をしたい。問題はどこでそれを行うかだ」
 もったいぶって言葉をとめ、大仰に指を組みかえる。
「……鯨にとっては幸いなことに、ちょっと背中を振り向けば、べつに死んでもいい人間がごまんと居るわけだ」
「外壁のすぐ下の町、あれは」
「分からないな。何があったのか本当に分からない。勿体つけてるわけじゃないんだ。鯨の兵器が通って僕らが気付かないはずがない。きみ達の迎えに寄越していた者たちには通信機を持たせていた。なのに何の連絡も寄越さず死んだ。怖いね。まったく。おそろしい。それにひとつ気味が悪いことがある。鯨が、夜区間からの移民を募っている」
「移民? ……陽のあたる場所で暮らせると?」
「そう」
「その後の行き先は?」
「いろいろだ。輪廻の鯨のお膝元の学芸都市や鉄工街。いろいろ。抽選で割り振られる」
「あり得ない」レーゼが口を挟んだ。「そんな所普通市民でもなかなか入れないっていうじゃん」
「応じたものがいるのですか?」
「動揺が広がっている。鯨は夜区間を軍拡のために作り変える気だろう。それにしても邪魔者に与える餌としては大きすぎる。既に何組かの家族がついていったよ。その後の知らせはない」
 エグバートは指をほどき、拳に作り変えた。
「だが巨虫兵が運びこまれることを、残った夜区間の住民は望まない。僕としては協力者がいてくれると、これほど心強いことはないんだ」
 嘘だ。
「喜んで協力します」
 ミナシキは応じた。
「新兵器の実験台として死ぬのはごめんです」
「よし。迎えを組織しよう」
 ミナシキは深く頭を下げた。レーゼも慌てて倣う。
 彼らは第十一枝へ抜ける『穴』を隠し持っているのだ。
 彼らは外貨を持っている。それを内壁に横流ししている。彼らは第十一枝の銃器を持っている。第十二枝での戦利品を売りさばいて得たものだ。
 彼らは儲けている。武器を売買し、壊した敵の兵器を解体し、作り変え、よそで売る。第十二枝でしか取れない金属は、そのままでも高く売れる。
 それが悪いという気はさらさらないが、夜区間の住民の保護が、それにさきがけて大切だとは毛ほども思っておるまい。
 特殊ルートか。もしかしたら大佐たちは目隠しをされて、第十一枝を経由してくるかもしれない。
 この男の表情一つで、会議室の妙な緊張が緩む。
「ところでシキ君。この件とは別に、大佐には今後僕たちと共に夜区間で戦ってくれる意志はあるだろうか」
「難しいでしょう」
 この男は何を言っているんだ、という目でレーゼがミナシキを見る。予想済みの質問だ。この男は大佐と、ミナシキを含む彼の部下たちを吸収しようと考えているのだ。共闘などとあたりのいい言葉を使っているが、本気でそれを考えてなどいない。
「我々のリーダーは本気で輪廻の鯨を打ち倒すやりかたを画策しています。あなた方にその意志がない限り、いっときの共闘はあれどそれ以上は望まれますまい」
「僕は輪廻の鯨にいく気はないよ」
 エグバートは頬杖をつき、あまった手で肩を竦めた。
「今の王政は近々終わる。別にきみたちが攻めこまずとも、インカーネイトとレンシディの『王』ではこれ以上国がもたないからね」
「……なぜ、そのような」
「そう。きみに是非見せたいものがあったんだ。この件は今は保留しよう。ゲルト、あれを出して」
「はい、リーダー」
 画面が切り替わる。今度は細かい活字が映し出された。
「論文だ。騒乱罪の容疑で投獄されたメイニィ派神官の論文が拘束前に流出した。あるいは意図的に流したものかもしれない。次の紅茶を用意しようか」
「いえ、構いません」
「この論文は主にマーテルがレギニータの治安に与える影響と、インカーネイトによる統治の不完全性を、機械に対し人間が負う義務と責任という共通の論点で書いたものだ。その中にインカーネイトとマーテルの関係に関する興味深い記述があってね。一年前のことだ。およそ一年前、マーテルに第二枝から新しいマンティスのデータが送られてきた。事実を輪廻の鯨のマーテル機関室が明らかにしたのは三ヶ月も経ってからだが」
 目つきが鋭くなるのをこらえ、平然を装う。
「一年前といえば、王の不自然な沈黙が始まった時期だ。王婿殿下をはじめとする者たちの施政で目立った混乱は起きていないが、今まで王政を保ってきたレギニータにとっては未曾有の事態。ゲルト、王とはなんだ?」
「はい。レギニータ全機構を統括するインカーネイトと人間の代表者レンシディの複合体をさす名称です」
「そうだ」
「王の沈黙には、その新しいマンティスが関係している、と?」
「シキ君は王の沈黙に関する噂を聞いたことがあるかい?」
「私は、恥ずかしながら内壁の常識や風俗に疎いものです。しかし噂でしたら耳に挟んだことがあります。王は蟲との交信、意思疎通の手段を模索しておられると」
「疎い? きみは面白い。そうだ。だがいかにそれが意義のある試みだとしても、施政を擲ってのめりこむ王は異常としか言いようがないだろう? それで、第二枝から新たにやってきたマンティスはこれまでのインカーネイトのありようを脅かすものだったんじゃないか、そういう内容のことが一部に書かれていた。この神官はマーテルのオペレーション機関とも繋がりがあり――論文によれば――そのマンティスは、人格と呼べる回路を自己の中に抱いている」
「それ自体は今やあり得ないこととは言い切れないのではないでしょうか。例えばインカーネイトの出先機関であるReRouEは」
「それはコンピュータというよりも、かつて人間であった霊子を素体に生み出されたものだからだよ。僕はマンティスが人間性を持つと主張することは、十分人間という種にとって脅威だと考えている。たとえ機械が、人間の作為に依存したモノに過ぎなくてもね。とにかくそんな、かつてない主張をするマンティスが訪れたことはマーテルを変えたに違いない。それを知った王は無口になり、沈黙にいたった」
 ミナシキは画面に目を移し、論文の字面を眺めたが、細かくて読み取ることは出来なかった。エグバートが続ける。
「インカーネイトはマーテルを恐れたのだろう。マーテルは単体で人間性を獲得したのではないか、と。統治や第十二枝再生の最善のやり方は知性体が計算しはじき出す。でもそれでは、時に冷酷な判断に偏りすぎるから人間の代表が求められる。インカーネイトは自分ひとりでは不足であると熟知していた。だからReRouEまで作らせて、人間とは何かを学んでいる。そこへ同じ機械である、しかもぽかんと空に浮いているだけのマーテルが人間性をマスターした、あるいはそれに必要な鍵を手にしたと知ったら? それは自己の存在、保存の価値を危うくする事象と判ずるだろう。
 そしてインカーネイトは判断を早まった。建国から現在までの人間の王との係わり合い、ReRouEを介した係わり合い、歴史、日々更新される膨大な量の営みのデータ、そうしたもので、自分こそ既に人間性を獲得したのではないか。そう判断した。
 むろん論文の筆者の仮説だ。だがインカーネイトがそう判断したなら内部の人間、レンシディに求めることはただ一つ。
 ただの巫覡(ふげき)に徹することだ。
 人間たちに、人間の口から己の判断を伝えることで反発を収める役、それしか必要がなくなってしまう。無論レンシディは反発する。今度は彼女の存在意義が危機に晒されるからだ。そうやって本来一体であるはずの王の内部に亀裂が生じ、破綻の決定的な引き金となる事件が発生する。そしてレンシディとインカーネイトは大いなる未知、答えの出しようのないもの、そうしたコトに向かう以外に結束の途が閉ざされた。それが常軌を逸した蟲との意思疎通への没入、沈黙の正体じゃないかと書き記されているよ」
 言い切ると、冷めた紅茶を含み、口を潤わせた。そして黙ってしまう。これは大佐のやり方だ。質問して欲しいのだ。しかも、分かりやすく言い残したところを。
 確かに彼はウーヴェー大佐のことをよく知っているのだろう。ミナシキをからかっているのだ。苛立つ心を抑え、尋ねた。
「破綻の引き金になる事件、とは?」
 エグバートが笑う。今までの無意味な微笑と違う、明確な意図があった。むき出しの歯が禍々しく光る。直観で悟った。
 自分が罠にかかったことを。
 この男は今からとんでもないことを告げると。それは、彼に乗せられて警戒心を緩めた愚かさが招いた結果だ、と。
「王婿ゴドハならび王女ロウオクが、行方不明の第一王子ミナシキの捜索を命じた事だよ」
『なにも言わないで、ミナシキ!』キセリタが警告する。『おねがい』
「第一王子を知っているかい?」
「ええ」
 動悸を堪え、ミナシキはつらつきを動かさない。指の力みを解く。音を立てず、鼻で深呼吸をする。
「どれくらい知ってる? 言ってごらん?」
「詳しくは存じません。行方不明としか」
「ほう。じゃあ今まで、王は王子の行方を捜させなかった、少なくとも積極的ではなかった。この件はどう考えられる?」
「最優先すべき事案が他にあったのでしょう」
「きみにしては鈍い回答だな。鈍すぎる。きみはもっと優秀な人間のはずだ。いいかい? 王子ミナシキは王レンシディにとって唯一の実子だった。それが消えたんだ。ここで公務を優先する人間では王に選ばれない。人間性こそを、どんなに愚かで感情的であっても、それをインカーネイトは求めているからだ。自分が持たないものだからね。シキ君。分かってるんだろう?」
 レーゼが横目で注視している。どうしたんだよ、シキ、どうしちゃったんだよ。ミナシキは心の中で彼女に答える。うるさい、黙ってろ。
「鯨にいないほうが安全だと判断したのでしょう」
「王子は当時十歳だ。しかも王宮で生まれ育った世間知らずの」
 体が逃げ場を求めている。ミナシキはじっと、動かない。
「……まあ、それ以上の脅威があったとしてもおかしくない。王の実子など王女にとっては目の上のたんこぶに他ならないからね。不思議なことはいろいろあるさ。現在、王家はこの王子を必ず生け捕りにするよう徹底している。王子の命の保障のために犠牲は惜しまないつもりだ。理解できない。レンシディが何が何でも王子を放置しろと今まで言っていた、その拘束が沈黙によって解けたのだろう。でも存在そのものが不安なら暗殺してしまえばいいだろう? そしてこの捕縛令は、王子の保護という名目で出されている」
「ともあれ、その捕縛令がレンシディとインカーネイトの乖離を引き起こしたわけですね。なぜそのような情報を、私に?」
「きみからもっと重要な情報を引き出したいからさ」
 ことも無げにエグバートは言った。
「今回の王子捜索令のために作成された、成長した王子の想像写真があるんだ」
 エグバートがスクリーンに歩み寄る。
 やめろと叫びたかった。その背に飛び掛りたかった。何も出来ない。細い銀色の棒で、スクリーンを叩く。
 ややあって、レーゼが椅子を倒して立ち上がった。
 スクリーンを直視していても、ミナシキはそれを、視覚情報を、素直に受け入れることができなかった。
 そこに自分の顔があった。
 大写しにされている。
 そいつのほうが目が暗く、髪をオールバックにしているから印象こそ違っているが、たしかにミナシキに違いなかった。
 他の誰もが自分を見ていることを、ミナシキは分かっていた。スクリーンの中の自分以外。
 エグバートに微笑み返す。
「似てますね」
「そうだろう?」
「本当に。レーゼ、座れ。失礼だろう」
 レーゼは硬直したままミナシキの顔をじっと見下ろしていた。
「レーゼ!」
 彼女が慌てふためいて、椅子を立てて座りなおすまで、ミナシキもエグバートも待った。
「世の中には最低三人、似た人間がいるとは聞きますが。しかしここまで似るとは珍しい。お尋ね者でも王族でもなければご対面願うところですがね」
 そして不機嫌を装い、言った。
「私から引き出したい情報とは、つまりこの王子の正体と消息でしょう。残念ながら私には分かりかねます。ご期待に沿えず申し訳ありませんが」
「そうだよ! じゃない、そうですよ。だいたいシキは、こいつのせいで外壁に追い出されなきゃならなかったんだ!」
「レーゼ」
「どういうことかな?」
 止めに入るミナシキをエグバートが制した。
「失礼。まずはお名前から窺ってもいいかな。それで、シキ君と王子の因縁って?」
「あたしはレーゼ。シキはもともと内壁の特級市民の家の子だったんです。だけどいちゃもん付けられて、お父さんとお母さんしょっ引かれて、自分が逃げるのに精一杯だったから……だから、そう、あの、その理由が、シキの名前が王子の名前に似てて不敬だからって」
「シキ君、それはいつの話だい?」
「十三年前です」
「ミナシキ王子の失踪と同じ歳だ」
 だったら何だ、という目をつくり、エグバートを見返した。
「その身の上には同情するよ。さぞかし辛い思いをしただろう。でもシキ君、そこの彼女をして今の反応だ。これを見て大佐がきみをどう思うか、真相はどうあれ今まで通りに接してくれるとは限らないんじゃないかい?」
「私に疚しいことはございません」
「もう一度、大佐を説得するよう考えてくれないかな? 僕らと一緒に戦わないか。僕たちは夜区間に巨虫兵を持ち込ませない。それに協力してもらう代わりに彼らをここに連れてこよう。だがその後の支援は一切出来ない。繰り返し言うが、僕らは鯨そのものに闘争を挑むつもりはないのだからね」
「ここまで露骨に仰るとは……。では私も繰り返し言いますが、私は王子ではありません。よって大佐をそのように説得する理由は発生しません。彼を甘く見ないでください。信じられないかもしれませんが、彼は本気で王族を根絶やしにする方法を日々画策している。業務で紛争をこなしているあなた方とは根底の理念が違うんです」
「業務とは。そこまで直截言ってきたのはきみが初めてだよ」
 エグバートのみならず、彼の部下たちまでもが声あげ笑った。
「オッケー、いいだろう。それともう一つ聞きたいことがあるんだ。僕がきみを信用するためにね」
「なんでしょう」
「きみの姓名を教えてくれないか。そこの彼女が語ってくれた事件を僕は知らない。姓名がわかれば闇に葬られた事件も掘り起こしやすくなる。きみの身の潔白にもつながるだろ?」
 再び哄笑。
「何なんだ、あんたたちは!」
 レーゼが机を叩いた。
「さっきから黙って聞いてりゃ小馬鹿にした言い種ばかり! レギニータで姓名を名乗っていいときは二度だけ。子供にそれを教える時と、結婚相手に教える時だけだ。大選民時代の名残だろ? 正体を隠そう、これからはみんなで結界の中で暮らすんだから、大選民がいいことか悪いことかで争いあった過去は忘れようって! だから名乗るのをやめたんだ、そんなことあたしだって知ってる!」
「それ以前に、ちゃんと姓名もってんのかい? お嬢ちゃん」
 誰かが言い、またも笑いが沸く。レーゼが顔を真っ赤にしたまま、崩れるように着席した。姓名を持たぬことは前時代に奴隷、あるいは最底辺の労働階層だったことを意味する。
 今度はミナシキが立ち上がった。
 場が鎮まる。
「そういうわけです。エグバート様、私は男性と結婚する意志は持ちません。私はあなた方のお力を乞うためやって参りましたが、それにしても今回ばかりはあなたに非礼を認めていただきたい」
「確かに。君のその冷静さに僕は敬意を示す必要があるな。だけどここでは冷静さだけじゃいけない。実力がいる。君にそれがあるなら、僕は謝罪しよう」
「だったら回りくどい挑発などせず、最初から言ってくださればいいのです」
「手並みを拝見したい、と?」
 四人の部下たちが立ち上がる。もはやどのような種類の笑いも、一かけらも浮かんでいなかった。視線がまっすぐにミナシキを射ていた。
「決闘だ」エグバートが命じた。「やりなさい、お前たち」
 ミナシキは顎を引き、上目遣いにゲルトの顔色を窺った。その唇に笑みが光る。
 ゲルトが僅かに怯んだ。
「お受けします」
 ミナシキは言った。
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