お話の、あるところ。

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『夢見る病気』豊原ね子

投稿作品『夢見る病気』〈16〉 著者:豊原ね子

第二章 Reginita(第十二枝 春) 第三話――2/5

 机と椅子が、床のレールに沿って撤去される。会議室が広くなった。ミナシキはマントをレーゼに押し付けた。サーベルを。儀礼銃を。銃を。
「待って。待ってよシキ」
 それらを受け取りながらも、レーゼは慌てふためいて引き止めにかかる。ミナシキは気にもとめず、腕をまくった。
「やめなよ! こんなことで怪我したらどうするんだよ!」
「黙ってみてろ」
 エグバートがあの曖昧な笑みで見守っている。無理する必要はないよ。いやらしく下がった目尻が言っている。おりてもいいんだ。君がそれを選んだところで僕は責めやしない。
「……オッケー。やり方は格闘で。二対四じゃ不公平だね、どうする?」
「こちらは俺ひとりで結構。お相手いたしましょう」
 目配せが交わされた。
 やがて目の前に立ったのは、ミナシキに体型が近い、恐らく四人の中で一番若い男だった。ぶらりと立ったまま、互いに呼吸をはかる。
 前触れもなく相手が腰を落として飛び掛ってきた。左足を後ろに引き、身をかわす。脇を拳が掠めた。正確に腎臓を狙って繰り出された拳だった。
 やるな。
 すれ違いざま首と肩の間に手刀を落とした。相手は床に崩れ落ち、数秒気を失ったのち手をついて起き上がったが、もはや戦える状態にない。
 もっとも大柄な筋肉質の男が、彼に肩を貸して会議室の隅に連れて行った。次はその大男がミナシキの前に立ちはだかった。
「ヘルミ」エグバートが声をかけた。「手加減するんじゃないよ」
 ファイティングポーズ。ミナシキは何の構えもとらず、やはりぶらりと立った姿勢のままで、敵の動きを待つ。
 その筋力を生かした素早い動作で、瞬時に距離が縮められた。左にかわす。前の男と違い、彼はこの時点で攻撃を仕掛けてこなかった。ミナシキに対応し、正面へ。
 直感で身を翻した。蹴り上げられた相手の靴の裏が、鼻先まで迫る。床に手をつき、膝の裏を蹴った。巨体が沈む。男はすぐに床を回転し、その勢いを生かして立ち上がる。
 相手の姿勢が不安定な内に、今度は自分から向かっていく。
 迎え撃つかたちで相手が身構える。
 レーゼが何事か叫んだ。
 その拳とすれ違わせてミナシキも腕を突き出し、喉に腕を絡ませた。
 勢いで引き倒し、片膝をつく。立てているほうの膝に男の頭を押し付け、右腕に力をこめて絞めた。柔らかい喉の動きが肘の内側に伝わってくる。男はもがくが、どうにもならなかった。
「やめっ!」
 大男が呼吸を止める直前で、ミナシキは腕を解いた。立ち上がり、乱れた前髪を払うと残る二人に叫んだ。
「まとめて来い!」
 ゲルトともう一人が同時に飛びかかってきた。
 前後を挟まれた。距離がとれない。殴りかかってきたゲルトの腕を強引につかんだ。後ろに投げる。二人は折り重なって倒れた。すぐに立つ。距離をかせぐ。
「やめろ!」
 と、レーゼの声が聞こえた。
「やめろったら!」
 前から二人が左右に展開し、距離を詰めてくる。
 後ろから肩をつかまれた。
「卑怯だぞ、おまえ!」
 ゲルトと、もう一人が不意に足を止める。肩を掴む男の手が緊張に強張る。
 ミナシキは、ゆっくりと、後ろに目を動かした。最初に倒した男が立ち上がっていた。更にその男の背後にレーゼが迫り、喉もとに腕を絡ませてナイフを当てている。
「何をやってるんだ」
 息を吐き出して言った。レーゼが答える。
「シキに教わったことだよ」
 その膠着は長くは続かなかった。エグバートがぶ厚い両手を叩いて鳴らし、朗らかな笑いを演壇から投げかけてきた。それで勝負はついた。
「そこまでだ。……いや、面白いものを見せてもらったよ。もう結構。それからお嬢さん、格闘にナイフは反則だ」
「先に反則したのはこいつだよ、最初に負けたくせに!」
 ともあれ、ミナシキは力を抜く。その脱力が空気を伝い、レーゼにナイフを下ろさせた。苛立ちだけを共有しながらそれぞれが位置を離れる。
「調子に乗るなよ」
 ゲルトが言った。さすが代表者だ。他の三人も同じ事を思っているのだろう。卑怯でもなんでもいいから、一発ぶん殴りたかったに違いない。
「エグバート様、休ませていただいても宜しいでしょうか?」
 レーゼに預けた荷物を回収しながら険のある声で尋ねた。
「大佐を説得してくれないか」
 エグバートはまだ言う。
「先ほどから答えは変わっておりません。私は王子ではないし、大佐はあなたに協力しない」
「君が王子であれどうであれ、大佐が同じ判断を下すとは限らないよ、シキくん。君こそ彼を甘く見ないほうがいい。彼はどんな手を使ってでも真実を明らかにするだろう」
 それから、演壇のベルを鳴らした。現れた女性は部屋の有り様を見て動揺したが、すぐにそれを押し隠した。そして実に慣れた物腰で、二人を部屋から連れ出した。

 レーゼは憮然としたまま眠り、憮然としたまま朝を迎えた。
 シキが何を考えているのか分からない。
 彼は自分とは違う。安い挑発にのって危険に身を晒すような男ではなかった。何を目的としてあんな無茶をしたのか、レーゼには分からなかった。
 朝起きて早々、エグバート自らがレーゼの部屋に来た。
「かわいいお嬢さん、ここに滞在する間、これを着てもらってもいいかな? あまり場違いな格好じゃあ、あなた自身がかわいそうだからね」
 彼が持ってきたのは、あのピンクのスーツだった。肌色のストッキングに靴までついている。
「もし大きさが合わなかったらいつでも言うといい。事務員に取り替えさせるよ」
 全く気乗りしなかったが、早くこの男に出て行って欲しかったので反抗せずに受け取った。試しに着てみたら、全く見たことのない自分が鏡の中に映った。
 これまで、レーゼはスカートを履いたことがなかった。そのスカートからすらりと自分の両足が伸びている。
 肌に吸い付くような白いブラウスを、スーツが慎ましく引き締めている。いつも縛っている髪をそのまま垂らすと、小ぶりな顔に影をおとし、憂いの気配を表情にもたらす。
 この身体はもう大人なのだと、強烈に自覚した。
 シキに見せに行こう。
 ふわふわする頭でそれだけ考えると、ヒールのない靴を履いた。シキに見てもらおう。それが出来る幸運をもまた痛感する。彼が傷つけられなくて良かった。体も、心も。本当に良かった。胸がすくと同時に恐ろしくなる。彼が無茶をした、それより気になることはない。もう二度として欲しくない。
 レーゼはミナシキによって強引に視点をそらされたのだ。
 そのことに気付けない。
 会議室があるのと同じ建物に、彼女たちの客室はあった。建物は翼を広げたような形で、真ん中で折れ曲がっている。入り口から見て、あの会議室は右翼、客室は左翼、同じ階にある。シキの部屋をノックしたが、反応がなかった。覗いてみてもいない。
 突き当たりの部屋に行った。
 リコリスの部屋なので敬遠したいところだが、仕方がない。いるならここだ。しかし結局そこにいたのは、深く眠るリコリスと見張りのヨセギだけだった。
 しかもヨセギがいきなり大笑いを飛ばしたので、レーゼは大いに気分を害した。
「なんだ、おめぇその格好!」
「うるさいよ。これ着ろって言われたんだからさ。シキは?」
「資料閲覧室だ。好きにいじっていいって言われたんだとさ」
 レーゼは部屋を出た。ヨセギだったら? もし自分と同じくあの写真を見せられたらどう反応するだろう?
 資料閲覧室というものを、散々探し回ることとなった。人に聞けば早いのだが、昨日の対応を目の当たりにしたために、ここの人間を信用する気になれなかった。結局それは左翼側の、地下階の奥にあった。
 閲覧室は二階層に分かれている。
「シキ、ここにいるの?」
 黒い壁、そこに埋めこまれた線形の間接灯が光を放っている。
 一階の奥から操作盤を叩く音が聞こえてくる。照明が埋めこまれた階段を下り、機器類が立ち並ぶその奥へ進んでいくと、はたしてシキがチェアに掛け、壁のスクリーンに次から次へと流れていく文字列を見ていた。手もとの操作盤をいじる手を止めて、レーゼをちらりと見た。
 結局何も言わなかった。らしい反応だが、レーゼは不満だった。彼は無言でいる。真剣だ。自分が遊びに来たような気分にさせられ、恥ずかしくなり、恥ずかしくなったことが更にシキへの不満を募らせた。
「シキ、何を見てるの?」
「巨虫兵の情報だ。実際に目撃されたものや買い集めた情報がデータベース化されている。これは面白いな。相手取る必要さえなければ」
 スクリーンから椅子をはなし、目を強く押さえた。
「朝からずっとここにいるの? シキ、目が悪くなっちゃうよ」
「実戦でここの連中に後れを取るわけにはいかん。そのつもりであの男も俺をここに連れてきたんだ」
 苛立って、人差し指で机を叩いている。
「ねえ、なんかアイツの弱みつかめるような情報ないの?」
「馬鹿ぬかせ、そんな迂闊な男なもんか。下の町で起きたことを探ろうとしたがそれさえロックされていた」
「やっぱりあいつら何か知ってんのかな」
「だろうな」
 どうでもよさそうに、少なくともそう聞こえる口調で返事をし、頭の後ろで両手を組んで伸びをした。
「腹が減ったな、戻るか」
「大佐はいつここに来るの?」
 シキの目玉が動いて立ったままのレーゼを見る。
「その巨虫兵っていうの、一緒にやっつけるんでしょ? 大佐ならやる気だってあのスケコマシが言ってたじゃん」
「だろうな。そうか、理由を聞きたいか?」
「……うん」
「座れ」
 レーゼは隣の机から、チェアを引っ張ってきた。頭の後ろまで背もたれがある大きなチェアだった。向き合うと、シキは慎重に語りだしを選んでから、その唇を開いた。

  ―4―

 少年ユスターヴァの父親は、二目と見られぬ死にかたをした。
 ひどい死に顔だった。
 彼の遺体は継ぎはぎされ、どうにか体のパーツを揃えて棺に収まることが叶った。その右腕が、肘の下から唐突に色白なうえ、左腕にくらべて短いことに幼少のユスターヴァは気が付いていた。
 何も言わなかった。恐らく兄弟たちも気付いていた。
 かわりに階位の低い兵卒が五体揃わぬまま入棺したのだろう。いや、回収さえされなかったかもしれない。わからない。ともかく、棺には重い白鯨旗かかけられ、火葬場へ運ばれていった。
 父は骨になった。やはり、その右腕の骨は細く、どうしても女性の骨にしか見えなかったという。
 ユスターヴァ、愛称ウーヴェーの父はレギニータ正規軍の佐官だった。結界の外に、新たな結界の拠点を調査しに行って死亡した。
 葬儀はユスターヴァに強烈な印象を与えた。
 結界の外には本当に、どこにも人間の住める地が存在しないこと。結界の外では地位も家柄も意味を為さないこと。それでも名家の軍人だからとどうにか遺体を縫合した技師、医師のたちの、素人目にも分かる滅茶苦茶な仕事。それに疑問を抱けぬほど憔悴した顔。
 彼は対蟲特殊戦闘部隊、掃滅機関を強く意識するようになる。
 掃滅機関の要員を一人育成するには莫大な金がかかる。彼らは丁重に扱われ、使い捨てになど決してされない。
 父親に無残な死を強いた蟲どもが許せない、と大佐はミナシキに語った。だがミナシキは、彼は使い捨てにされたくなかったのだろうと考えている。
 ともあれユスターヴァは成長し、念願の掃滅機関第一課に配属が決定する。

 結界のほころびから侵入した蟲を撃退すること。結界拠点や、鯨が視察を命じた土地の調査に同行し、調査員を保護すること、蟲の湧出地点を特定すること、そうした任務が続いた。
 手本となる先輩や気心の知れた仲間がおり、やがてユスターヴァにも後輩ができた。任務がない日の日常は、至極穏やかなものであった。
 そんなある日、戦闘用にある薬剤が導入されるという話題が第一課内部で持ち上がる。
「蟲の体内で生成される物質、簡単に言うと、恐怖や痛覚をコントロールする薬剤の開発が進められていた。そしてその薬剤はついに実戦投入された」
 レーゼは身を乗り出して、真剣に聞いている。
 彼女は昨日の写真を見て、俺をどう思っているのか。ミナシキは話しながら考えた。写真を見たときのショックは今は窺えない。その後の出来事のためが大きかろう。だがヨセギはそうはいくまい。どのタイミングでエグバートがヨセギとリコリスに接触を図るか。それが気にかかる。
「――結果は無惨だった」
 薬剤は人間の体によく調整されていた。事前の実験のどの段階にも不備はなかった。だが機関の戦士たちに投与される薬剤はそれだけではない。
 蟲が持つ毒素を中和する薬品が、その新しい薬品に対し激しい攻撃に出た。彼らの体内で。前線に立つ前に彼らは次々と倒れ、八人の構成員のうち実に五人を失う結果となった。
「研究が杜撰すぎた。蟲の生体から抽出した物質を人体に投与するこの実験は、第十一枝においてかつて行われ、そして凍結されたものだった。その凍結された実験データを第十二枝が買い取り、発展させた内容の実験と結果だった」
「つまり一度、第十一枝でうまくいかなかった実験だったってこと?」
「ああ。それを第十二枝が完成させたのだから、メンツを潰された第十一枝は実戦でのデータを求めてくる。人体に適応させた結果効果が殆どなくなったのでは意味がないからな。そして体内で二つの化学物質が激しく衝突し人体を破壊する……この結果になった」
「でもさ、普通気付くんじゃないの? 投与される薬品はそれだけじゃないってこと、開発した人たちは知ってたんでしょ? なんでそんな簡単なことを見逃したの?」
 ミナシキは黙りこむ。
 過ち自体は単純なものだが、背景は複雑なはずだ。
 蟲の脅威。無惨な遺体に成り果てる恐怖。国防のための技術開発に貢献できる名誉と圧力。功名心。希望的観測。疲労。なぜといわれて一言で説明できる事態ではないだろう。
 生き延びたのは、たまたまその日非番だったからにすぎない。運がよかったのだ。事情を知ったユスターヴァたちは恐れ、悲しみ、怒った。
 そして騒動を嗅ぎつけた第十一枝から、再度の通信が来る。
 第七枝の人道委員会を差し向けるぞ、と。
 そうなれば、ユスターヴァたち第一課の生き残りはいくらでも証言するつもりだった。三人の生き残りは第十一枝での休暇を勧められる。保養地が蟲に襲撃されるまでは、レギニータ王政の計らいだろうとユスターヴァはまだ思っていた。
 どうにか生きのびて帰ったとき、政府は新しい兵器の導入に向けて動き出していた。
 蟲をもって蟲を制す、巨虫兵。それは第七枝で発案され、研究、開発された兵器。
 人道委員会はこないだろうと、ユスターヴァたちは悟った。
「そうして彼らは逃げ出した。三人は生きのびるために、外壁の住民たちと夜区間を結ぶ運び屋のような仕事を始めた。そして生き残りが大佐だけになった時には、立派なレジスタンス組織になっていたってわけだ」

 自動ドアが開く音がして、二人は二階のほうに顔を向けた。エグバートが階段を下りてきて、機器類の後ろから姿を見せた。
「やあ。お似合いだ、お嬢さん」
 そっぽを向くレーゼに、エグバートは彼女が座るチェアの背もたれに肘をかけて更に語りかけた。
「お化粧もしてみるかい、詳しい者が僕の知り合いにいるんだ。第十一枝から女性用品を輸入している業者でね」
 レーゼは無言で立ち上がると、部屋を出て行ってしまった。エグバートは肩をすくめ、そのチェアに腰を下ろす。スクリーンの淡い光がその顔を照らした。
「ここから北西に十三キロ行ったところに大きな町があるんだけどね。そこに立ち退き令が出てた。期限は一週間、だけど五日が経過した今でも立ち退きの動きがないのを受けて、明日には強制執行すると先ほど宣告されたみたいだ。ま、最初からそのつもりだったんだろうね」
「あなた方は支援を?」
「もちろんさ。そのように要請があったし、ひごろ彼らからの『支援』があるから僕らが生活できるんだしね」
 唇をつり上げて笑う。
「町といっても粗末なもんだからね。すぐに均して巨虫兵の駐屯地にしてしまうさ。むろん僕たちのことも意識しているだろうから」
 ボサボサの髪に手を入れた。
「あの町は重要な防衛ラインだ。敵は国家警察第三警備隊、僻地での警邏活動を主とする一隊だ。まあ、きみなら知っているか」
「大佐はその戦いに合流できますか?」
「ちょっと間にあわないなぁ。大隊だからね。明後日か、早くて明日の夜になるよ。そうだ、大佐からきみへの贈りものがある。連絡役が持って戻ってきたんだ。行くといいよ、きみの仲間に預けてある」
 ミナシキは立ち上がり、礼と共に退室を告げた。
「これで、きみが僕を信じてくれたら嬉しいなあ」
 聞き流して資料閲覧室をあとにする。
 リコリスの部屋に行った。そこではレーゼがヨセギ相手に、いかにここの首領がいけ好かない奴かを懇々と説いている途中だった。
「ヨセギ、預かりものはないか」
「おう」ヨセギはレーゼのお喋りを片手で制し、机の上を指した。やたら大きな、ミナシキの上半身ほどの大きさがある灰色の包みがあった。それを慎重に破いた。包装は厳重で、中は布で包まれており、針金で縛られている。
 やがて姿を現した贈り物に、ミナシキは声をあげた。
「おおっ!」
 ギターだった。琥珀色のくびれた胴に、スッと鋭い気配をまとって長く伸びた首。白銀に輝く弦。その首をつかんで起こし、構えた。
 明るい和音が鳴り響いた。リコリスが目を開けてミナシキを見た。続けてコードをかき鳴らすと、レーゼが喝采を上げて手を叩いた。ミナシキも自然と笑顔となる。
「やったな、おい!」
 その笑顔を見て、ヨセギも喜んでいる。
「それ」リコリスがまだ熱の下がらぬ体を起こした。「ツユクサ坂小唄の伴奏ですね」
「ああ。よく分かったな」
「もう一度弾いてもらえますか?」
 ミナシキのギターに合わせて、リコリスがまだ弱弱しい声で歌い始めた。
 青色、わたしの好きな青色、凍る銀河がくさはらに降って春に花ひらくのよ。
 それぐらい知ってるよ、とばかりに、レーゼが負けじと歌声を重ねる。曲が終わり、レーゼが笑い転げる。リコリスもはじめて笑顔を見せる。ヨセギも。ミナシキも、こんなに楽しいのは久しぶりだった。
 もう一度。同じ曲でも構わない。ヨセギのテノールが混ざる。
「シキも歌いなよう」
 レーゼの一言で、弦を押さえる指が凍った。
「シキ?」
 ヨセギが、笑顔をかき消した。
 ミナシキは、自分が浮かれていたことに気付いた。昂っていた精神が冷えて、次第に凍えゆく。「いや」、首を振った。
「……いい」
「いいじゃない、たまにはさ。ね? 大佐だってシキに喜んで欲しいからギター送ってくれたんだよ!」
 ギターを下ろしたミナシキの目には、今までにない冷たい光が浮かんでいた。
「……明日、戦闘がある」
 ギターを下ろした。
「はしゃいでる場合じゃない。改めて詳細を伝える。いずれ俺たちも狩り出されるぞ。準備しておけ」
 部屋を出る前に、振り向いて言った。何が悪かったのか分からず、戸惑うレーゼの顔がそこにあった。

 ミナシキは屋上に空気を吸いに出た。ガラスの自動ドアにキセリタの姿が映し出された。
「ナイーブな人ね」
 半透明のキセリタがミナシキに向けて指を伸ばす。
「冗談じゃない。浮かれてる場合じゃないだろう」
「変わらないわね。あなたのそういう態度。そういう言い訳も」
「歌など歌ってどうする。歌ったら戦いが消えるのか? 歌ったら王が正常に戻るのか? くだらないことを言うな」
「歌わなくても笑わなくても王が正常に戻るわけでもないわ。何もかもがそう急激に変わりはしない。そうでしょう? あなたが一時そうしたところで誰も責めはしない」
「俺は鯨にいく」
 キセリタの姿に、うすく己の影が重なっていた
「王族もそうするように俺に要求している。望むところだ。みすみすあちらの良いように捕まるつもりはないけどな。あいつらとはそこまでだ」
「そんな情のないことを言うんじゃありませんよ」
「俺は連中を利用する目的で近付いて、戦い方を学んだんだ。関係性など最初からそこまでだ。最後までそのつもりだ。近い将来別れる。一緒に飲んだり歌など歌って打ち解ける必要はない。必要は、ないんだ」
「これからも、ずぅっとそうしてやって行くつもりなの?」
「俺のことは、キセリタ、お前が知っていればいい!」
 思わず手を伸ばした。
 指に当たるのは柔らかな頬の肉ではなく、硬い、冷たい、ガラスだけだ。想像力を駆使したところで彼女に触れられるものではない。
 一緒にいるのに打ち解けるわけにいかない、幻の仲間。幻の上司。偽りの経歴を被った幻の人生。唯一心を開く女には手を触れることも出来ない。
 幻。幻。幻ばかり。
 自動ドアのタッチパネルに触れた。ドアが開き、確かにいるはずのキセリタは一瞬で目の前から消えてしまった。

  ―5―

 日の光の差さない夜区間は、そもそも市民に居住区として開放された土地ではない。
 建国時代には、レギニータ内での労働の人間分野と機械分野のすみわけが上手くできないという問題があった。くわえて移住の混乱で以前の肩書きを奪われたもの、法整備で失効したもの、人為ミスで取り違えられたものなどが出てきた。
 状況が安定するまで彼らのために貸し与えられたのが、夜区間という土地だ。その後徐々に雇用も居住問題も安定し、多くの者が夜区間を立ち去った。
 離れなかったものたちもいる。劣悪な環境で体を壊し、どのみち就労が不可能になったもの。この町で生まれ育ったもの。悪しき生業に手を染めたもの。国にしてみればそもそも国の土地なのだから、出て行ってもらって当然である。医療と就労支援の態勢が整った現在まで居残るものはただの怠け者だ。
 ところがいつの間にやら夜区間には産業ができていた。
 特級市民や富裕な普通市民が構成する『特定貧民を支援する会』、支援会が内職を斡旋したり不要となった物資を供給し続けている。
 犯罪や裏金作りの温床となった夜区間は、いまや様々な利権が絡みあい、単純に出て行く、出て行かないの問題ではなくなってしまった。軍拡に伴いそれを強行に立ち退かせる動きが今になって出てきている。
 度重なる退去勧告ののち電気が断ち切られた。夜区間には器用なものがいるらしく、誰が作ったのか、自家発電装置を使ってそれでも暮らしが営まれている。
 国家警察第三警備隊の指揮権を預かるメルヴィという若い士官は、レギニータ中央の経済特区で生まれた。父も祖父も長兄も銀行員であり、そうした家風に嫌気が差して士官の道を志した。とくに危険の多い第三警備隊に着任志願したのもその流れの延長であった。

 かつて政府が用意した集合住宅群、その意外ときれいに保たれた外見と、住民たちが作り上げた小屋小屋、工場と呼ぶ一角。夜区間の大きな町を、巨大な投光機が照らしだしていた。長年かけて積み重なった砂塵が道を汚している。その道を軍靴が踏み荒らす。
 ものものしい音を立てて、集合住宅の階段の影にゴム弾が発砲された。転げ落ちてきた住民の男を、強引にひき起こし、下半身を引きずったまま二人の隊員が連行する。上階から木材や鉄骨が降ってきた。間もなくそれも、訓練された隊員たちにより制圧される。
 戦線後方には同じように捕らえられた住民たちが監視を受けていた。貧相な子供や気の強そうな主婦、わずかばかりの男の中に、さきほど集合住宅で捕まった男たちが投入される。
「まあ。なんだいその様は! なさけないね」
 小さい子を足にしがみつかせた女が、その内の一人をねめつける。住民たちは袋小路に追いやられ、出口を塞ぐ形で見張りが立っていた。
「し、仕方ねえだろ。これでも頑張ったほうだぜ。あいつらと来たら遠慮なしに顔めがけて撃ってきやがった」
「ウスノロ! 顔にはちゃんと目がついてんじゃないか! どうして当たるんだい!」
「無茶言うな!」
 銃声はやまずとも、そこに生まれた日常の気配に緊張がやや和む。見張りの兵すら微苦笑を浮かべるなか、指揮官のメルヴィは緊張の面差しを揺るがすことなく戦況を見守っている。
 まもなく、取り逃がした住民たちがみなある地点に集合している事実に気がついた。
「行くぞ!」
 自らが指揮する隊に号令をかけ、メルヴィは動き出す。彼の指示で、行く手に次々と照明弾が打ち上げられる。どうせなら、この町の、本来の暗さを見てみたかったともメルヴィは思っている。楽しそうだな。厳しい顔の裏では、大人たちの目を盗んで内壁の奥深く、入り組んだ暗い道を志向して冒険に分け入った日々のことを思い出していた。
 この隊は通常、武装した反乱分子や不穏な勢力を相手取っている。夜区間の制圧、大量検挙の役はいささか荷が軽いよう思われた。いくつもの坂、路地、階段を前進する。別の路地へ展開するよう、小隊に無線で指示。やがて住民たちが終結する広場に直通する路地へ、メルヴィの隊も突入した。
 そこを走り抜ける、直前、頭上に影が宿った。次の瞬間、耳を聾する轟音を立てて、左右の建物の上階から机や椅子が降り注いだ。路地は即席のバリケードと化す。
 背後から銃声。
 部下たちが無防備に倒れていく。
「やあ。きみが隊長どのだね」
 肩に衝撃を受けた。銃を取り落とす。
 注射筒が深々と、肩に突き刺さっていた。

 空がかつてなく明るいのは、第三警備隊のおかげである。まだ浮かれ気分の住民たちが、時折空に照明弾を撃つのが、遠くはなれた地点のミナシキにも見えた。当然マーテルに見えていよう。マーテルは、あの明かりの周辺にミナシキがいることを知っている。
「どうだい、今度はきみが僕らのお手並み拝見というわけだったけど」
「ここまで上手くいくとは、意外でした」
「あまり猶予はないよ。必ず別部隊が雪辱に来るからね」
 ミナシキとエグバートは、拠点である建物の右翼最上階の廊下を急いでいる。突き当りの、大きな部屋。来賓室だ。ノックもせずにエグバートが開け放つ。
 来賓室の様子は、実に質素かつ機能的であった。
 特に鉄格子が。
「やあ、メルヴィ君。具合はどうだい?」
 部屋を半分に区切る格子の向こうから、メルヴィと呼ばれた男が、屈辱と憎悪にたぎる眼差しを向けてきた。
 質素なのは格子の手前側だけで、向こう側には深い毛足の絨毯が敷かれ、猫足のダブルベッドが堂堂と鎮座している。金文字のプレートがついたシャワールームがあり、食事用のテーブルには深緑のシルクのクロスがきちんと掛けられている。貝殻の装飾がなされたクローゼットには、彼に合う着替えが既に何着も用意されているに違いない。
「で、」と、粗末なパイプ椅子を引き寄せて腰掛けながらエグバートは言う。
「代理指揮官のきみに代わって、本来の隊長が直々にお目見えになるそうだよ。大聖堂の調査から身を引いてね。実に慎ましい態度だ。調査の手柄はすべて正規軍にあげるというのだから」
 メルヴィは顔を赤らめて、あらぬほうを向いた。思ったよりも若い。お坊ちゃま然とした童顔のせいで更に若く見える。
「そうなればあんた達も終わりだ」
「相当お怒りだろうからね。自分の心配をしたらどうだい?」
「俺はせいぜい出世が遅れるだけだ。殺されはしないよ。あんたらとは違うんだ」
「その前に僕らが手出ししないと言えるのかい?」
「おとなしく好きにされるものか」
 死ぬつもりだな、そうなったら。目を見てミナシキは理解し、エグバートも隣で肩を竦めた。
「若いねー。生きてこそだよ、きみ」
「説教をするな、国賊のくせに!」
 メルヴィはむきになって目尻を吊り上げ、エグバートを威嚇し、次に初めてミナシキの顔を直視した。
 その眼差しが凍りつく。
「あんた」
 首を、何度も左右に振った。
「……いや。別に」
「きみはもう休むといいよ。もうすぐこわーい、恐い軍警さんたちが押し寄せてくるからね」
 ミナシキに向けられた言葉だ。
 浅く一礼し、来賓室を出た。
 寝る前にヨセギとリコリスを探したが、どこにもいなかった。
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