お話の、あるところ。

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『夢見る病気』豊原ね子

投稿作品『夢見る病気』〈17〉 著者:豊原ね子

第二章 Reginita(第十二枝 春) 第三話――3/5

 ―6―

「――以上が現在僕らにたてられる最善の対抗策だ」
 地下の大会議室の演壇で、エグバートが言葉を切る。起きぬけのような顔、皺だらけのスーツにボサボサの髪といういつもの姿だが、えもいえぬ緊張を全身に纏っている。
「都市部では支援会が動き始めている。この攻撃を防ぎきれば、敵が第二、第三の武力攻勢を仕掛けるのは難しくなるだろう。あの町を突破されてはならない。以上だ。質問は?」
 彼らの基地たる建物を中心とする工場街は、攻めるには適さない立地だ。基地の背後は急激に落ち窪む坂道となり、掘っ立て小屋がしがみつくように点在するばかり。少し歩くと高い壁に突き当たる。
 残り三方向の内二方向には、支援会の援助を受けて立ち上がったさまざまな工場が乱立し、基地を隠している。機械化にはコストが高く、しかもあまり人がやりたがらない、そんな仕事の工場だ。内壁から仕事をもらっている。そうした町を攻撃するのは敵にとって得策ではない。
 残る一方向の先に、防衛ラインたるあの街が存在する。
「ウーヴェー大佐を案内する隊が順調に近付いている。彼らとの合流が果たされた時点で、シキくんたちにも実戦に参加していただきたい」
「はい。準備は出来ております」
「心強いね。さあ、ここからは僕らの話をしたい。きみはきみの仲間たちに話を伝えてくれ」
 ミナシキは大人しく指示に従い、一礼して退室した。
 彼らは彼らの利権について話があるはずだ。
 穴はどこだ? それを守るために奴らはどういう手を使うだろう。メルヴィの部屋に向かう。ノックもせずに開けた。メルヴィは椅子を踏み台にして、鉄格子の掛かった明り取り窓の外をのぞこうと、頑張っているところだった。
「無駄だ」
 椅子から転げ落ちんばかりに振り返るので、つい苦笑を漏らす。
「よせよ。どうもしない。だがコンクリートの壁しか見えんぞ」
 軍装のメルヴィは無言でミナシキを見返しながら、椅子を降りた。顔に向けられる凝視には、敵意とは別の感情がある。何か吹きこまれたか、いや、わざわざエグバートがそんなことをする必要はない。
 ベッドの足もとに腰をかける。ミナシキは格子に寄り添う形で立った。
 先に口を開いたのはメルヴィだった。
「あなたは――」
「あなた? 国賊に向かって?」
 口の端に苦渋に浮かべ、メルヴィは俯いている。
「……いいや、知った顔に似ていると思って」
「気分はどうだ?」
「聞いてどうする」
「大事な人質に何かあってはいかんからな。お前、階級は」
「大尉だ」
 歳を聞くと自分と同じだというのでミナシキは驚いた。
「まだ士官学校を出ていくらも経っていないだろう。何して出世した?」
「放っておいてくれ。あんたには関係ない」
 ミナシキは、顔面をぐっと鉄格子に寄せた。
「内緒で教えてくれないか」身を引くメルヴィに、口の端で笑いながら、声をひそめた。「誰に似ているって?」
「何しにきた。暇つぶしか?」
「話をそらすなよ。それと別人なら、関係ないだろう」
「関係ないなら話す必要はない。出て行ってくれ」
「じゃあ、別人じゃなかったら?」
 殺気のこもった視線を受けた。本気で怒っているらしく、その怒りは今のところ困惑で蓋をされている。
「何なんだあんた」
「おまえも暇だろうから来てやったんだ。嫌なら本当に出て行ってやってもいいんだぞ」
「いい休暇だ。暇なら毎日せずに済んでいる。刺激的な日々さ。ああ。お蔭様でな」
「暇だったり刺激が欲しくて軍人になったのか?」
「あんたはどうだ? 暇でレジスタンスになったのか?」
 レーゼが聞いたら怒り狂うだろう。ミナシキは微笑と共に、無言で軽く肩を竦めた。
「……いや、あんたの事なんかどうでもいい。レギニータは、あんたらの言葉じゃ内壁か、内壁は暇人だらけだよ」
「おまえもその一人か」
 黙りこんでしまう。ミナシキが出て行こうとすると、「おい」、と声をかけてきた。
「何だ?」
 メルヴィは思い詰めた眼差しで足もとを睨んでいた。
「……行方不明の王子が、外壁でレジスタンスになったんじゃないかって噂がある」
「何故そんな話をする?」
「根も葉もない噂とは思えない。事実俺たちは王子の人相を教えられた」
「それは刺激的だ」
 ミナシキは部屋の戸を押し開けた。
「いい休暇を過ごすんだな」
 言い残し、廊下を引き返す。
 彼は自分の正体を疑っている。ここの首領もメルヴィの反応を窺っていることだろう。
 ヨセギが客室にいたる廊下の前で手持ち無沙汰に立っていた。踊り場の丸窓の前で、所在無げにたたずんでいる。
「何をしてる?」
 階段から声をかけると、待ちかねたように顔を上げた。足首をぐるぐる回していたのを止める。
「早く寝ろ。明日には本戦だぞ。リコリスはいいのか」
「……ああ。もう問題ないだろう」
「そうか。いつでも逃げれるように言っておいてくれ」
 それきり通り過ぎようとすると、真後ろにヨセギが立った。その気配に足を止める。一度目を閉じ、呼吸を置いた。それから、振り向いた。
「なんだ。話があるなら言え」
「シキ、おめぇ、随分なもんあの男に見せられたそうだな」
 やはり昨夜見当たらなかったのは、その件だったようだ。ヨセギの目を見る。レーゼのような動揺はないし、メルヴィのように困惑してもいない。目は、冷厳だった。信じたくないなど甘いことは、この男は言いはしないと、ミナシキは知っている。
「ああ、あれか。おまえも見たか」
「すっとぼけて言ってんだとしたら大した男だよ。大佐が重用するのもわかる」
「何が言いたい?」
「はっきりしろ」威嚇の口調で言う。「シキ。お前は誰だ?」
「抽象的なことを聞くな」
 さも呆れたという声で、ミナシキは肩を竦めた。
「聞かなくても分かるだろう。長い付き合いだ」
「長い付き合いさ。だが未だにオレはお前のことをよく知らねぇ。お前はいつも自分のことを語らなかった。内壁への恨み言ひとつ言わなかった」
「言っても仕方ないだろう。代わりに行動で示してきたはずだ」
「ずっと違和感があった。得体の知れねぇ奴だってな」
「訊いてどうする。俺が王子なら今までどおり正体を隠そうとして王子じゃないという。王子じゃなくても王子じゃないとしか言いようがないだろう。ヨセギ、おまえのいう事は滅茶苦茶だ。あの男に懐柔されかけてるんだ。あいつが俺たちの勢力を欲しがってるのは分かってるんだろう。そのために俺らを攪乱しようとしているんだ。なぜ俺ではなく、そんな奴の事を信じる? おまえは傭兵だったな。大佐より高い金をちらつかされたか? 呆れた奴め」
「馬鹿にするなよ。シキ、いいか――それでも答えろ。お前は誰だ?」
 無言が二人の隙間に挟まった。にらみ合いの時が続いた。怒りをこめて、ミナシキは、眼力を緩めぬまま言い放った。
「……それで? 王子だと言ったらどうする?」
 ヨセギはきつく唇を結び、身じろぎ一つしない。立ち去ろうとしたとき、動いた。ミナシキはいきなり胸倉をつかまれた。体を振り回される。
 背中に丸窓があたり、押し付けられる形となった。ヨセギの恐ろしい形相が、ぐっと顔面に迫った。襟首が圧迫され、ミナシキは顔をしかめた。
「てめぇ、なんでそんな事を聞く?」
 胸に拳の硬い感触があたる。
「てめぇが嘘をついてねえなら、何でそんなこと聞く必要があるんだよ! いいか、聞け。俺らが何もしらないと思うな。ここの首領だって調べてる」
「調べる?」
「まずお前のその儀礼銃、震霊がどこで作られたかだ。そいつのもとの持ち主は王室付の儀礼銃士だった。王子をつれて逃走し撃ち殺されている。その時には震霊をもっていなかった」
 ミナシキは咄嗟に答えられなかった。
「それからReRouEだ。そいつの入手経路はどこだ?」
「おまえが知ってもどうもならん。手をはなせ」
 驚きが徐々に去り、ミナシキはきつく睨み返して命令した。これ以上言わせることは危険だった。
「はなせと言っている。聞こえないのか!」
「放すかよ。てめぇ、さっき何て言った。だったらどうする、だと?」
「はなせ」
「答えろ!」
 放すよう、重ねて言い放った。
「命令に従え!」
「はっきり否定しろよ! ああ、いつものおめぇなら俺は俺だって答えただろうな。どうしてそうしない? どうしてくだらねぇ理屈をこねる? 何ではっきり否定しねえんだよ!」
 怒りがたぎり、ミナシキは態度を変えることにした。今は対等な話し合いはいけない。いや。もとより対等な仲間関係など望んでいなかったではないか。この俺自身が。こいつは部下だ。いいや、手下だ。俺に使われるための。
「答えろだと? 何を勘違いしている脳筋野郎。大佐にならまだしも何故おまえにものを教えなければならんのだ」
 態度の変化に対する戸惑いが、襟首にかかる力が弱まるかたちで伝わった。
「勘違いをしているようだな。貴様の今の上司は誰だ、傭兵」
 ヨセギの、腕の力が落ちる。踵が床についた。反対に、一度火のついたミナシキの怒りは収束の地点を見うしなう。
「俺が目をかけてやっていたからといって調子にのるな。俺が、上司だ。命令するのは俺だ。俺に命令するのなら、俺を殺せ!」
 手が離れた。
 ミナシキは服の、つかまれていたところに手を添え、乱れを整えた。
 それからレーゼがいることに気付いた。階段から見上げていた。目が合うと硬直した。その瞳孔が開く様子さえ、見えた気がした。
「……懲罰だ。自室で謹慎しろ。口もきくな。これで済まされる今の状況に感謝することだな」
「レーゼ、おめぇは」
「聞こえなかったのか?」
 ヨセギは目の焦点をあらぬほうに定め、何か言おうと口を開いた。だがすぐにそれを閉ざすと、ミナシキから、一歩引き、固く一礼した。
 彼が自室に帰ってから、レーゼへと足を踏み出した。それに合わせてレーゼは一歩階段を戻り――そんな自分の動作に気付いて、一気に階段を上りきった。
「シキ、大丈夫? 殴られたりとかしなかった?」
「心配いらん。あいつ、俺を信用しないつもりだ」
 騙しているのは自分のほうだ――と内なる声が言う。
「どうだ、レーゼ。おまえはどうなんだ?」
「あたしは、あたしはシキを信じてるよ? だって……だって」
「だったらいい。俺はおまえの悪いようにはしない」
 レーゼはあとずさって距離を取った。走って脇をすり抜け、彼女の部屋にとびこんでしまった。ミナシキはそれで、やりすぎたのかと思いいたる。キセリタの声がそれを裏付けた。
『無理もない、怖かったもの。今のあなたは』
 ミナシキは、やり場のない怒りを目から消し、腹の底深くに積み重ねた。積み重なって静かになるまで、固い木枠を感じながら、丸窓に背中を預けていた。

 ―7―

 想定より早いあさまだきの頃、国家警察第三警備隊の本隊が夜区間に押し寄せてきた。彼らは無警告で実弾を発砲し、強制排除へと踏み切った。大半の住民はエグバートらの拠点の膝元である工場街に退避していたが、残った者もいた。エグバートの部下たちが応戦し、町に火の手があがる。メルヴィがゴム弾での制圧に臨んだ結果を受けてのことだろう。容赦なかった。
 ミナシキもまた難しい顔をして大会議室に席を連ねていた。ヨセギとレーゼも列席している。会議室には続々と戦線からの声が飛んできた。大小のモニターに状況が映し出され、うち二つは壊れて砂嵐になっている。時折視線を感じた。ヨセギとレーゼだ。何が言いたいと叱りつけられたらどんなに楽だろう。
 ゲルトを筆頭とする彼の親衛隊は戦闘服に着替えさせられているが、総指揮をとるエグバートはスーツのままだ。攻め込まれれば、この格好で抗戦し、この格好で死ぬのだろう。そうさせる彼の信念が何か、ミナシキには分からない。
 敵本隊は王子がレジスタンス化したという噂をどう受けいれているだろう。何もなければ、メルヴィがあの写真を頭に叩きこんでいる筈はなかった。噂の出所が気になる。ただの流言飛語とは思えない。そんな噂がいつからあった? 人に訊くわけにはいかない。そう。今はそんな場合じゃない。ほか事を考えていては、攻め込まれた場合あっという間に殺されてしまう。彼らが「王子を保護しろ」と命じられていたとしても出来ない相談だ。誰もここに王子がいるなど思うまい。
 大佐の合流はいつくらいだろう。着いたら真っ先に会いたい。少なくともヨセギよりも早く。あるいはここを、この立場を早く捨てて立ち去ったほうがいい。するなら早く。
 そんなミナシキの殺気のこもった無表情を、レーゼは無視できない。
「おまえ、シキに何言ったんだよ」
 あれからレーゼはこっそりと、ヨセギの部屋を訪ねた。彼がシキを疑っていることに、レーゼは怒っていた。彼はここまで組織を引っ張ってきて、どんな危機にも自ら先頭に立って戦局を切り拓いてきたではないか。
「シキの境遇は知ってるだろ? もともと内壁に住めてたのに、王子のせいで何もかもぶち壊されたじゃないか。シキが一番王子を憎んでいるはずだろ? この上王子のせいで今の立場まで危うくされてるのに。それを支えるのが仲間ってもんだろ?」
「あいつ、あの写真を見せられたとき、どう反応してた?」
 その時のことはしっかり覚えているが、教えることにどんな意味があるのか分からなかった。信じる気がはなからないのなら、何を言っても信じないではないか。言えば言うほど彼の立場を悪くするのではないか。
「不愉快だ、って言ってたよ」
「冗談だろうとは言わなかったか? これが本当に王子の写真か、これが王子か? そういう方面で疑うようなことは何も言わなかったか? 嵌められるんじゃないかと恐れてるんなら、真っ先にそう疑問を抱くだろう」
「何が言いたいんだよ」
「俺は失踪する前の幼い王子の写真も並べてみた」
「だから、それが何? 似てたって言うの? 先入観があるからだよ。あんたがシキを信じないから悪いんだ。いつも落ち着いてるシキがあんなに怒って」
「俺はな!」
 ヨセギがぶ厚い掌で天板を叩いた。
「――いや」
「何だよ」
「なんでもねぇよ」
「何なんだよ。もう聞きたくねぇよ。よくこんな簡単に掌返せるよな。最低。信じらんない」
「失せな」
 ぶん殴りたい。今この場でも。勝てる相手ではないが。
 緊急の知らせが入った。
 あの名前のない町の後方支援部隊からだった。
「飛行体が?」
「トンボです! 市街北端の上空を通過しました!」
「一番近くの隊は? すぐに画像を」
「こっちに――」
 悲鳴に変わった。それも絶える。
 沈黙の帳がおりた。全ての通信が室内に行き交っていたが、それでも沈黙だった。
「トンボが」騒音の中、ゲルトの呻きがはっきり聞こえた。「まさか、こんな立地で空からくるとは」
 内壁であるとはいえ、ここは外壁に限りなく近い。戦闘機が迷路のように聳え立つ壁の隙間を縫って直接乗り付けるとは考えにくい。上空から空爆する気か? まさか。人質をどうする。
「最上階、シャッターを下ろせ!」
 エグバートが指示を出す。
 と、地下まで響く激しい揺れがきた。
 会議室が闇に閉ざされた。死んだかと思うほどの闇だ。通信も途絶える。一切の物音が消えた。誰も動かなかった。
「派手に撃ってくれたね。自家発電は?」
 暗闇を揺らしたのはエグバートの声だった。
 ざわめきが起こるが答えはない。
「明かりがつきません!」女の声が叫んだ。「懐中灯が。なぜこんなものまで」
「電池切れじゃないかい? ゲルト、きみのは?」
「先ほどから試しておりますが、いいえ」
「へえ。ああ、僕のもダメ。参っちゃうねー、何がなんだか」
 リーダーの軽口に少しだけ闇の密度が薄らいだ気がした。
「シキくん、きみの儀礼銃の具合はどうだい?」
 ミナシキは立ち上がって背後の壁に震霊を撃った。微かな不安を吹き飛ばし、白い閃光が眼を焼いた。女性が驚いて短く叫んだ。
「こちらに異常はありません」
「なんだろうね。大掛かりな電気変換装置や電気だけで動くものが使えないってことかな」
「トンボが特殊な磁気を発しているのかもしれません」
 誰かが言った。
「耐爆シャッターは間にあった?」
「はい」
「じゃ、迎撃に行こう。僕が直接出迎える。ゲルト班は護衛を」
 口頭ですばやく館内の布陣が指示される。闇の中、そこかしこで社員、民兵たちが武装してゆく。
「そうだ。大尉を移動させないと。どうしようかな」
「私が行きましょう。レーゼを連れて行きます」
「いいのかい? きみが働くのはきみの上司が来てからでもいいんだけど」
「お戯れを。ここで何もせず共倒れになるのはごめんです」
「きみらしい。では任せるよ。身柄を拘束してこの部屋へ。代理指揮官をたてよう。電気が復旧したら――」
 突如としてエグバートの姿が白く浮かび上がった。どよめきが起こる。はじめ電気が復活したのかと思ったが、光は思わぬところから差していた。
 足もと。
 黒一面の床に、見たこともない図形列が並んでいた。その図系列が白く光っている。その整然とした並び方は、何らかの文字のように見えた。文字列は長々と床に延び、そして、唐突に消えた。
 そして闇が戻った。

 太陽の差さない夜区間。
 明かりの消えた館内。
 漆黒の闇に破壊音や、怒号が遠く響く。ミナシキとレーゼは喧騒を背に、壁に手を添えて歩む。
「シキ! シキ、いる? 大丈夫?」
 思いがけず遠い背後から、レーゼの声が飛んできた。
「ここにいる、早く来い!」
「前だね? まっすぐだね?」
 彼女は怖いとは言わなかった。ミナシキは道を戻り、もう一度声をかけた。
「レーゼ」
 間近で息をのむ気配。
「なんだ、びっくりした」
「手をつなげ。急ぐぞ」
「本当?」
 ついに左翼側のどこかのシャッターが破られたらしい。機関銃が連射される音。破裂音――閃光弾だろう。レーゼの細い手を握り締め、ミナシキは足を早めた。
「おまえ、昨日ヨセギと話しただろう」
「知ってたの?」
「声が聞こえた。怒りはしない――それでどうだった?」
「ダメだった」
「仕方ない。あいつの雇い主は大佐であって俺ではないからな。大佐の意にそうように行動するのがアイツの役目だ」
「それじゃあ、大佐が、シキを……」
「殺せといったら殺しにかかるだろう」
 レーゼのおそれが伝わった。爆音。床が震える。咄嗟に膝を屈めたが、レーゼはバランスを崩し手を握られたまま倒れた。
「トンボ――トンボ? すごいね、あいつら。ここまで飛んでくるの、ものすごく速かった」
「蟲のトンボはああも速くないな。実際、蟲のトンボが飛ぶ速度を実際のトンボに換算したら驚くほど遅いそうだ。体の構造ほぼそのままに巨大化したかららしい。アレはその点を補えているんだろう」
 今は輸送専用機だが、いずれ無人で飛び回って蟲とやりあうのだと、資料にはあった
「でも蟲の外観とか気が触れてるよ。あいつらは乗ってて何も思わないのかな」
「さあな。案外あの見た目は蟲も攻撃しづらいかもしれん」
 初めて殺した人間のことはミナシキも覚えている。その後幾人もの命を奪ってきたにも関わらず、その一人だけは忘れられない。ミナシキは自分を冷たい人間だと思っているが、それでも、同じ形をした生き物を撃つなど、なかなかできなかった。
「蟲でもそういう事あるの?」
「……わからん」
「トンボの中身は普通の人間だよね」
「そうじゃないほうが気楽か? ことを構えてみればわかる。無駄口は止めだ。行くぞ」
 わからんな、とミナシキは思った。人の意識をリサイクルしてReRouEを作ったくらいだ。人の体をリサイクルして不死身の死体兵団を作ったところで不思議はない。
 目的の部屋についた。闇の中に、人の気配が息づいていた。
「出ろ、大尉」
 預かった鍵を手探りで錠に差し、ダイアルを回した。
「……あんたか」
「親御さんのお出迎えだ。こっちに来い。格子に添って立て」
 メルヴィの居所を確かめると、鉄格子を開け、後ろ手に手錠をかけた。メルヴィは抵抗しなかった。レーゼがわざとらしく拳銃をがちゃつかせているからだ――撃てはしないだろうが。
「見せしめの処刑でもする気か?」
「あっさりとそうはしないだろう。無駄使いになるからな」
「嫌な言い方を」
「レーゼ、ドアを開けろ。右側を歩け」
 メルヴィの腕をしっかり捕まえ、稠密な黒い闇の廊下を慎重に引き返す。上階では攻防が熾烈を極め、この人質の血が熱く脈打つのが感じられた。俺は、どうする? やるなら今しかない。進退窮まっているのは自分もこの男も同じだ。
 ミナシキは覚悟を決め、メルヴィの掌を探って、そこに文字をなぞった。
 メルヴィが硬直して立ち竦む。
「どうした。何をしている、歩け」
 声をひそめた。同時に指を、メルヴィの掌に這わせた。『普通にしろ』。使えるのはこいつだけだ――集中しろよ。その気をこめて指で文字を刻む。
「おまえの処遇はあいつが決める。殺されたくなかったら逃げようなどと考えないことだな」
「俺の部下はどうなる」
「さあな」
 いいや。軍警側が勝利すればどうということはない、救出されるだろう。軍警側が撤退しても殺しはできまい。そのようなことが公になればレギニータの民が黙っていない。利害の一致から夜区間の肩を持ち、この戦いを弾圧として非難している者たちも、庇いきれなくなる。
 拘束された荒れた手から、指を離した。背中を強く押す。
 メルヴィがレーゼの手をほどいて走り出した。
 レーゼが銃を構える気配。よせ、と言ってその手を押さえた。そしてミナシキも走り出した。慌てて後を追うレーゼがぶつかり、二人して床に転んだ。メルヴィの足音が遠ざかる。
「ごめんシキ、シキ、大丈夫?」
「静かに」
 尻餅をついたらしいレーゼを手探りで助け起こし、耳をそばだてる。足音はもう聞こえなくなっていた。
「探そう」ミナシキは言った。「逃げ惑われたら厄介だ」
「屋上に行ったんだろ?」
「丸腰でのこのこ行くものか。一度階下に下りてから安全なルートを探すだろう。レーゼ、おまえは八階を探せ」
「シキは?」
「もっと下を探す。この停電がいつまで続くかわからんから、出口を探すほうが早いと判断するはずだ」
 階段で別れ、ミナシキは闇に息を殺して階段を下り続けた。
『彼に何をしたの?』
「話はあとだ、キセリタ。この停電が続いてくれればいい」
『ミナシキ、地下の資料閲覧室に向かって』
 サーベルの柄に手を添えて、目線をそこに落とした。目を閉じていても開けても変わらないような闇だった。
「何があった?」
『マンティスTX898524IKがマーテルから。この停電の直後――床にあの妙な図形が現れたあとにです。折を見てあなたを連れて来いと。それまで闇は続くと言っています』
「この停電にマーテルが関連しているのか?」
 ミナシキは半信半疑の表情で、しかしそれを声に出さないようにしながらキセリタに問いかけた。
「こう、何も見えないようではな。案内してくれるか」
 キセリタの声に従って、地下階に下りた。資料閲覧室は開いていた。罠のように。立ち入った足跡は多くとも、出てきた足跡は一つもない、死後に待つ火炎の顎(あぎと)がごとく。
 足を踏みこむと、自動扉が閉じた。反射的に振り向くが、もう一度開く気配はなかった。薄ぼんやりと闇が緑の光を宿す。電気が復旧したのかと思ったが、自動扉は反応しない。壁の間接照明はごく弱い輝度で点っているが、それでも目に痛かった。ミナシキは目を閉じ、光に慣らしながらゆっくりと開けてゆく。
「聞こえますか?」
 不意に女の声が聞こえてきた。
「聞こえますか? ミナシキ。私の言葉が分かりますか?」
 ミナシキは階段をおりる――以前レーゼと話した辺り、その一角からスクリーンの光が差している。そこに誰もいなかった。スピーカーから無表情な女の声が繰り返される。
「聞こえている。おまえは誰だ。俺の声は聞こえているか?」
 スピーカーに語りかけ返し、馬鹿ばかしい、と思った直後に思いがけず返事があった。
「聞こえます」
 それから少し黙りこむ。感極まったとでも言うように。
「おまえは誰だ? どうした手段で話しかけている。この停電はおまえの仕業か?」
「この音声はマンティスTX898524IKに収蔵された音声です。私の声と言葉を変換してもらっています。私は干渉のはじめ、あなたに我々の文字で語りかけたけれど、あなたには読めなかった。言葉が通じても文字は読めない、今はそうしたレベルの親和性のようですね」
「俺に語りかけた? あの大勢いる中でか? ミナシキなどと呼ぶのはやめて戴きたい。俺はシキだ。シキと呼べ」念のため、ミナシキは付け加えた。「ただでさえ要らぬ容疑をかけられているからな」
 声は沈黙した。ややあって
「私はあなたの状況を詳しくは知りません」
 と、戸惑いがちに言った。
「余計なことをされては俺の立場が悪くなるということだ。どこにいる。別の枝から話しかけているのか? 枝を越えた人間の言葉なら分かるはずだが――」
 それならば第十二枝の、レギニータの文字で語りかけてきたはずだ。
「別の世界のことを、あなたが別の枝と呼んでいることを、私は知っています。ですが私は別の枝の人間ではない」
 レギニータ人か。いいや、機械か? 緊張するミナシキに、声は更なる言葉を重ねた。
「別世界ですが、どの枝でもない。もっと遠い世界、世界樹系図から離れた世界です。私はハイダ。ハイダ・バルツァー。衛星群世界第十一衛星の住人です」

 ―8―

 戦闘の音は聞こえてこない。
 震動などもない。
 メルヴィは教えたとおりの順路で脱出しただろうか。何もわからない。チェアを引いて掛けた。
「衛星群世界?」
 尋ね返した。返事が来るまで少し時間が掛かった。
「あなた方の侵略者、蟲が地球に攻めてこなかった世界です」
「からかうな」
「本当です。私たちの世界にアレはいない」
「証拠があるか」
「この状況こそが証拠です。私はあなた方の世界に強引に介入し、マーテルとマンティスTX898524IKの支援を受けてこの建物の機能を停止し、あなたを他者と隔離した」
「それが別の枝やマーテルのオペレーター機関に不可能な操作だと証明できるか?」
 返事がない。ミナシキは馬鹿らしくなって、スピーカーとスクリーンの電源を切った。
 するとまた、間髪あけずにそれらが起動した。
「きいて、お願い。やっとみつけたのよ。どれだけあなたを探し回ったと思ってるの?」
「取り込み中だ。与太話をしている場合じゃない。あいにくこっちは今にも殺されるかも知れんところだ」
「間が悪かったようね。でも聞いて、マーテルは協力してくれたわ。あのマンティスも。でなければあなたの機械を通じてあなたを呼び出すことなどできなかった。この意味が分かるでしょう?」
「機械だと? キセリタという名前がある」
「ごめんなさい、失礼だったわ」
「……キセリタの居場所を割り出せたなら、何らかの形でマーテルかインカーネイトが関わっている可能性は高い。それは否定しないが、だからと言って蟲が来なかった世界分岐など、はいそうですかと認められん。蟲は人間の作為の外から来たものだ。なぜ来なかった世界などができる」
「私たちの世界に多世界は存在しません」
 目を細長くして、スピーカーを見た。
「概念としてならあります。ただそれが実証されたことなどなかった。だからあなたが思う世界の分岐の基準が分からない――だから反論できない。話す順番が間違ってたわ。いきなりこんな話をすべきではなかった」
「もういい。要件から言ってくれ」
「人捜しをしているの。二人。いえ、笑われるかもしれないわ。その内一人はデータなの。アンドロイドの人格データよ。失われたデータを捜している」
「どこに笑う必要がある?」
 不機嫌が加速するのを止められず、腕を組んだ。
「人捜し、と言ったことよ。人間じゃないのにと」
「人間である必要がどこにある」
「そうね。ああ、そちらの世界ではありふれたことなのね。あなたはそれ……キセリタさんの人格がどこかに行ってしまったら、そう考えてください。私にとってとても大切な相手なの」
「それで何故、ここから観測できないほど遠い世界で生まれたそいつをこの世界で捜している? どうやって失くした?」
「遠いというのは違うわ。距離じゃなくて関係性の強弱の問題なの――いえ、よしましょう。彼女は持ち去られました。いいえ、連れ去られてしまったの。あなたと一緒に」
「俺?」
「捜しているもう一人はあなただった。……おねがい、マーテルに来て。あまり長くは話せないの。全部マーテルで話すわ。全部よ」
 罠だ、ミナシキは考える。それか狂っている。この女が嘘をついているとは限らない、信じて心の底から言っているのかもしれない。キセリタと自分の居所を割り出したからくりさえ分かれば、それで解決する。
「――そのデータの人格の名は?」
「ミヨミよ。美黄泉という子なの。美しい死者の国という意味です。おねがい、マーテルに来て。私」
 スピーカーが切れた。スクリーンも間接照明も全て元通り消える。何がいたとしても分からない暗闇が戻ってくる。ミナシキは机に手をつき、指先でリズムを刻んだ。そのリズムに耳を傾けながら、両目を閉ざした。
「キセリタ」
『はい』
「いまのは幻聴か?」
『それはありえません』
 キセリタに今の話をまとめさせた。同じ内容だった。指のリズムが遅くなる。
「キセリタ、じゃあ、おまえは俺と同じように蟲の声を聞いたことがあるか」
『……いいえ』
「俺は聞いた。聞こえたと思っているが……」
『幻覚だったというの? 確かに信じがたいわ。でもあなたは実際に体に異常をきたし、斑猫はあなたを襲わなかった』
「そもそも人間なら見境なく襲うというものではない。知っているだろう。幻聴や幻覚を見る人間は、本人ではそうとは分からない。おまえはどうだ。俺は件のマンティスやマーテルの声を一度も聞いていない」
『何を言うの? マンティスTX898524IKの支援があったから私たちは大陸橋を最速で抜けることができたんじゃない』
「幻覚を見せられない自信はあるか」
『何ですって?』
「何者かが、あるいはインカーネイトがおまえの神経回路に割り込んで誤情報を与えることは不可能だと証明できるか? 今はそれをしなければならない。俺は蟲の声が聞こえたことが真実か否か、今まで答えを保留してきた。大陸橋でマンティスの案内を受け入れたときも、その案内が俺の考えと大きく乖離しないからこそ指示にしたがってきた。だがこのまま曖昧なものを受け容れ続けていると、その内とんでもなくデタラメなことを信じこまされるぞ」
『あなたは冷静な判断が出来る人よ』
「冷静ならこう判断すべきだ。俺は精神に異常をきたしている。おまえは何かに操られている。ハイダのいう事は嘘っぱちだ。そういうことになるぞ。キセリタ、どうだ? 今の俺は冷静さを欠いている。おまえはどうだ、さっきの話をどう思う?」
『話の信憑性は低い。だけど彼女はどうやってここの霊子変換機をダウンさせたり奇妙なやり方で接触を図ったりできたのかしら? そこを見極めないといけない。全否定はできないわ。それにミナシキ、あなたは狂ってなんかいない』
 ミナシキは髪の中に指を入れて、痒くもない頭を掻いた。
「……すまなかった。さっきのは八つ当たりだ」
『いいえ。疑問に思うのは正しいわ。今までうまく行き過ぎていた。それにあの草原で油狗と戦って以来おかしなことが続きましたもの』
「もし仮にハイダというのが本当のことを話しているとして、俺がマーテルのもとに行ったら、彼女にどんなメリットがある?」
『話したいことがあったようですね。とても大事なことを』
「俺を捜していたとはどういうことだろう」
『行ってみなければ分からない、だけど最近は輪廻の鯨もあなたを捜している……私の憶測を話してもいいかしら』
「何でもいい。考えがあるなら話してくれ」
『インカーネイトはあなたを次なる王に選んだんじゃないかと思うの』
「それは……ないとは言い切れないな」
『あなたは蟲の声を聞いたと言った。そしてインカーネイトとレンシディはその試みに失敗し続けている』
「インカーネイトに蟲の声のことを報告したのか?」
『いいえ、報告も連絡もしないけど、インカーネイトは私が知ったことを全て知ることができる』
「そうだったな。だがインカーネイトには俺の体験が本物だという判断はできないだろう。王にできないことを辺境の一個人ができたというのはいかにも胡散臭い。幻覚幻聴を伴う精神疾患が第一に疑われるべきだ」
『あなたがそれに罹患しているとしても、鯨に戻ればいくらでも治療が受けられる。蟲の声が聞こえたという主張が選ばれる材料になりはしないけど、あなたが病んでいるとしても、王に指名されない材料にはならないでしょう。王レンシディはまだご存命なのだから、治療には存分に時間をかけられる。それにあなたはおかしくなんかない。毎日これだけの緊張に晒されているのだから、一時の気の迷いはあるかもしれないけれど、あなたの言動には他におかしいところなんて無いわ』
 ミナシキは次第に虚しくなってきた。自分が精神の病におかされているとしても、それがなんだという気分だった。
 あの誓いは。
 最初の臣下にして保護者――あの二人の護衛、レネイとハクレーを亡くしてから、一人で生きると決めた。暴力的な手段に頼ってでも、必ず鯨に帰り、あの母を弑(しい)すると。
 嘘の名前と嘘の人生で今まで上手くやってきた。本心を他人に打ち明けず、仲間を愛すこともせず、好きな音楽を誰かと分かち合うことも出来ず、友と呼べる相手を作ることさえもなく、生きてきた。孤独だが、したたかに生きてきたつもりだった。
 だがそれが何だ。
 鯨がおのれに門戸を開き、どうぞどうぞ帰っておいでとのたまうのなら、この生き方は何だったのだろう。
 悔しかった。
 無性に悔しくて、悔しくてどうしようもなかった。
『ミナシキ、どうするの』
 キセリタが尋ねた。
「マーテルには行かない」そう答えた。「それに、ここにももう居れん。鯨は動く。俺が動かした」
『鯨に行くのね。どうやって?』
 そこに電気が差した。壁の間接照明が順に点いていく。
 いや――。ミナシキは唐突に恐ろしくなり、鳥肌をたてた。
 もとはインカーネイトと乖離しつつある母の暴走を止めるために、それを弑すると決めたのだ。今ここで全てを投げ出せば、今すぐ鯨に戻ってゆけば、王に選ばれたというのなら今すぐ世代交代しろと強く要求すれば、あの母を殺さずとも済む――。
 ミナシキが恐れたのは、その考えがもつ衝動の強さだった。何一つ確かなことはないのだ。なのに俺は今これを、とんでもない名案のように思ったぞ。
 そして気付く。俺は俺が思うほど強い人間ではなかったと。
 席を立った。

 ―9―

 巨塔輪廻の鯨の威容は、数え切れない塔が寄り集まることで形成される。
 それらの塔の表面を取り囲んで束ねるのが、東西南北四つの面のエレベータ塔だ。その消えない青い光の柱は、ときに遥か遠くの東の草原にまでその存在を知らしめる。
 周囲には塔と並べば遥かに見劣りするビル群を従えている。
 どのビルからも湖を望むことが出来る。
 輪廻の鯨は人工島にあるのだと、何も知らない者は思うだろう。作られたのは陸地ではなく、この湖のほうだ。だから湖というのは少し違う。大きすぎる堀だ。
 メルヴィ大尉は輪廻の鯨にいた。誰ひとり傍につけることもなく、エレベータ塔から輪廻の鯨最深部へ続く廊下を渡っていた。アーチ型の高すぎる窓の外では、湖面がきらめいている。空はよく晴れている。対岸の町も遠く霞んで見えた。晴れて人質の身から開放されたのは昨日の午前だった。ひどい気疲れで全く休めず、帰還の報が実家に届くやいなや、親兄弟が対話を求めてきたが、いまだそれに応じることも出来ない。いたし方ないことだ。それだけのものを夜区間で背負ってきた。
「国家警察第三警備隊のメルヴィ、参上いたしました」
「入れ」
 王女が命じた。王女は三十を過ぎていると聞くが、若々しい声だった。
 ここは王女の執務室だ。拝謁する日が来るとは思っていなかった。扉が自動で内側に開いた。
 空調の効いた、すがすがしい部屋だった。壁の二面がガラス張りで、よく外界を見晴らすことが出来た。王女のそばには執務補佐が一人ついているだけだった。
 王女ロウオク、王婿殿下の実子、王子ミナシキの立場上の姉。メルヴィは強張った面持ちで部屋に足を踏み入れた。王女は、ガラスを背に机に向かっていた。机には二本の角を戴く兜が安置されている。あれはReRouEだ。
 実年齢よりも若々しく見える肌、いきいきした瞳、潤いのある唇には、意味深な笑みを乗っけている。鮮やかな赤毛は短く切られ、活動的な印象を受ける。
「それで、早速本題なんだけど」
 深々と一礼したメルヴィに、存外気安い口調で王女が言った。
「伝えろ」
「はい?」
「はい? じゃないだろう。ReRouE=キセリタを所持する王子から伝言を預かってきたそうじゃないか。王族の者だけに確実に伝えろと。そのために呼びつけたのだ」
 メルヴィは、眼前の王族が実は笑ってなどいないことに気付いた。
「はい。申し上げます。『親愛なる姉上、想像写真の件、本物は前髪をおろしている』――と」
「もう一度言え」
「親愛なる姉上、想像写真の件、本物は前髪を下ろしている――でございます」
 よく見れば目じりのきつい女だ。その目に様々な感情が入り乱れ、なにやら凄まじい形相に変わってゆく。悪いことを言ったかと思う。気に食わなければ躊躇いなく王女は俺を殺すだろう、メルヴィにとってそれは明らかなことだった。
「わかった」
 王女ロウオクは机に両肘を立て、組んだ手に唇をつけて言った。
「わかった。下がっていい。とらわれたままの部下については良く計らうようにしよう」
「ありがたく存じます」
「捕虜生活ご苦労だった。手当てを出させる。家族には見舞金をやろう。保養に出ろ。しばらく帰ってこなくていい」
 メルヴィはあっけに取られて王女を見た。
「なんだ。第十一枝の保養地のことは知っているはずだろう」
「いえ、しかし――私に休養など勿体のない話です」
「レギニータを離れろと言っているのだ」
「ですが」
「大尉」
「はっ」
「保養地の穴がどういう性質のものかはおまえも知っていることだろう」
「はい。この輪廻の鯨中枢にもっとも近いものと伺います」
「そういうことだ。王子がこちらに向かうのならば、夜区間から最短距離を使うだろう。我々はレギニータ内で王子を捜索する。おまえは保養地で穴を見張れ。密命だ、大尉。第十一枝から穴を見張れ」
 メルヴィは、唾をのみ、それから慌てて復唱した。
「了解しました。私、メルヴィは第十一枝において指定の穴の監視に赴きます」
「頼りにしている」
 その笑いは冷ややかなものだった。
「ゆめゆめ私を裏切り、王子に肩入れしようなどと思うなよ? おまえを大尉に出世させたのはこの私だと忘れるな、メルヴィ・メイルシュトローム大尉。……貴殿のご家族は元気だ」
 姓を呼ばれた。赤の他人に。
 レギニータではあってはならないことだ。だがその事をどうして王女に怒ることができよう。メルヴィは蒼白になりながら、声の震えを抑えて丁重に謝辞を述べた。
 執務室を後にした。
 エレベータ塔へ続く長い廊下。そこを、自分と入れ違う形でやってくる人物がいた。左右を兵士に囲まれて、灰色の髪の不潔そうな初老の男がこちらにやって来る。およそ輪廻の鯨に似つかわしくない男だった。
 棒でも背負っているように、最初は見えた。
 すれ違い、硬直した。ありえないものを見たらしかった。
 慌てて振り向いたメルヴィは、しかし己の目に間違いがないと分かるまでそれをしっかりと瞼に焼き付けた。
 拘束されたその男は、右手が剣、左手が槍となっていた。どちらもReRouEと思われる、立派なものだった。
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