お話の、あるところ。

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『夢見る病気』豊原ね子

投稿作品『夢見る病気』〈18〉 著者:豊原ね子

第二章 Reginita(第十二枝 春) 第三話――4/5

 ―10―

 電気が停まっていたのは基地の建物だけではなかった。霊子変換機は一台ずつはたらきを取り戻していった。復旧した電力は基地の修繕へと優先的にまわされた。工場街の明かりは一本、基地へと続く細い光の帯があるだけで、あとは暗黒のままという有り様だった。変換機がダウンした理由はまだ不明のままだ。独立した電力で動く懐中電灯も点かなくなったというのは妙な話で、トンボの影響を疑う声が強い。誰もまだ見ぬ世界の人間の干渉の影響だなどと言い出したりはしない。
 基地の屋上から滑車とロープを使って、瓦礫を包みこんだ網がおりてくる。
 瓦礫を積んだ一輪の猫車を押し、背中の曲がった老人が歩いていた。猫車の運びは不安定で、左右に大きくぶれていた。建物から少しはなれたところで車輪が小石に引っかかると、ついに老人は猫車ごと横に倒れた。
 大きな眼鏡をかけた、髪の長い若い女が老人へと走り寄った。リコリスだ。顔を歪めて倒れたままの老人に寄り添い、声をかけながら助け起こそうとした。
「大丈夫ですか」
 老人は座りこんだ姿勢で腰をさすっている。かなり痛むらしく、両手を借りて立ち上がるまで物を言わなかった。
「すまんなあ」
 様子を見ていたミナシキは二人に歩み寄った。
「いかんな、もうすっかり腰が駄目になって」
「休んだほうがいいんじゃないですか?」
「いいや、これが終わらんことには」
 電気が工場街に行きわたらない。
「だけど、無理をして立てなくなっては……」
 老人は重い瓦礫を猫車に積みなおし始める。
「この街に電気があるのも、ここの首領様のおかげだ」
 作業しながら呟いた。
「日が差さなくて暗いのも、不衛生なのも、食料がないのも首領様が生きていけるようにしてくれた。俺がリューマチをやったときも、もう働けん、死ぬしかないってぇ時に、あの方が来て何も心配いらないと言ってくださったんだ」
「そんなにすごい人なんですか?」
 ミナシキは足元の瓦礫を拾い、猫車に載せた。リコリスがさも意外そうな目でこちらを見た。
「俺がウンウン呻いているのをさすってくだすってな、安い医者を招いてくださった。無免許だったが」
「それは、よかったですね」
「仕事がこんのだ、どうにかせんと。仕事がもらえんようになると、誰も生きていけん」
 猫が走ってきた。体の上が灰色の縞で、下が真っ白という模様の人なつこそうな猫だった。女の子が走ってきて、慌てて猫を抱き上げた。
「コラッ、おまえ、家で待っていろと言っただろうが」
「家、暗いんだもん」
 素直そうな女の子だ。痩せて垢じみている。抱いた猫の背中に口をつけて、はにかんだように笑った。
「かわいい猫だね。なんていう子?」
「ポーにゃー。にゃーって鳴くの」
「撫でてもいい?」
 女の子がうなずき、リコリスは猫の頭に手を這わせた。猫は鳴かなかったが、まん丸の黄色い目でリコリスを見上げ、喉を鳴らした。
「隣のおばちゃんにもらったの」
「へえ、嬉しいねぇ」
「だいじ」
 レーゼが向こうから手を振りながら駆けてくるので、ミナシキはそこを離れた。
「なんだ」
「シキ、大佐が来てるよ。ずっと前に着いてたんだ。ヨセギの奴、知ってるくせに教えてくれなくてさ」
 出来れば最初に会いたいと思っていたが、そうはいかなかった。ミナシキは顔を変えずに頷いて、建物へと引き返した。
「おまえは会ったか?」
「ううん、伝言だけ。今すぐシキに会いたいって。ねえシキ」
 早足で隣をついてくる。
「大丈夫なの? 大佐がシキのことどう思ってるか……ギターを送ってきたときの大佐と同じままとは限らないよ」
「おまえは俺の正体を疑ってなどいないのだろう」
「えっ、うん」
「ならば臆することはない」
 レーゼの歩調が遅くなる。彼女を外に残していった。
 大佐は、ミナシキとレーゼが最初に通されたのと同じ会議室で待っていた。エグバートが共にいるだけだった。
「……じゃ、僕は失礼するよ。後は二人でね」
 そのエグバートもさっさと会議室から出て行った。
 旅の疲れが滲み出ているが、変わりなかった。その目の中に、ミナシキは、疑いの光を見た。
「遠路をお疲れ様です、大佐。ご無事で何よりです」
「ああ、君こそ無事で安心した。報告を」
 ミナシキは大陸橋を越えた経緯、リコリスの振る舞いと、彼女に今は逃走する気がないことを話した。話すうちに大佐の目の光は和らいでいった。「ご苦労だった」と頷いて、初めてミナシキに座るよう勧めた。
 大佐が話す番となった。途端に大佐は苦渋の表情となり、気難しく口をつぐんだ。
「……ラーネッドが捕まった」
 その意外な言葉にミナシキは目をみはった。あの小狡い男がそう簡単に捕まるとは思えなかった。大佐によれば、夜区間の出迎えが到着する直前、東面の外壁の街で強制捜査が入ったらしい。ラーネッドを含む九人の仲間が逃げ遅れて捕まった。
「弾薬や術式弾も押収された。どうにか戦える程度には持ち出せたが……」
 それから腕組みを解き、顔を上げた。
「他の者は崖下の練兵所があてがわれている。後で顔を出してやるといい」
「はい。そうします。ところで大佐、ここに来てからの話ですが、あの写真はごらんになりましたか?」
 ミナシキが自分から切り出すと、大佐は少々驚いた様子だったが、少し考えて「ああ」と頷いた。
「ああ、見た」
 何だかんだで人のいい男だ。ミナシキはわざと暗い顔をして頷いた。
「彼らは我々の勢力を欲しがっています。鯨を倒すことでもなく、王政の間違いに声をあげることでもなく、ただ貧困を楯に同情を買って利益をむさぼるために、です。あなたなら取り込まれる事はないと思いますが、彼は私どもたった三人の関係さえ滅茶苦茶にしてしまいました」
 大げさに嘆き、ため息をついた。
「写真が本物かどうかは分かりませんが、あの男は危険です」
「分かっている。ああ、ヨセギには私から言っておこう」
 ヨセギと会ったらしい。ならば分かっていると言われたところでそれは信用できない。この数日で何回嘘をついたことだろうか。ミナシキはどっと疲れて力を抜いた。その様子がむしろ大佐の同情を引き寄せた。
「今日は休みなさい。じき深夜だ。私も疲れた」
 そして、基地に二度目の停電が起きた。零時をいくらか過ぎた時分だった。

 ミナシキは居室を抜けて、騒然とする廊下を縫って資料閲覧室へ急いだ。地下階は無人だった。
「ハイダ・バルツァー! おまえか!」
 背後でドアがロックされる。奥のスクリーンが明るい。マーテルの機械音声が答えた。
『ミナシキ、来てくれたのね』
「シキだ。おまえは今日の朝の出来事すら覚えてられんのか」
 肩を怒らせながら低い階段を下りた。
「電気を戻せ」
『できないわ。あなただって他の人に話を聞かれるよりはこの方がいいでしょう? 私もそちら側との接触は最小限に抑えたいの』
「勝手なことを言うな! この町がどれだけ迷惑してるか教えてやろうか」
『怒らないで。だからマーテルに来てってお願いしたの。そしたらこんなことせずに話せるわ。私だって怖い。あんまり多くの人がいる場所で話したら、今度は何が起こるか』
「今度?」
 立ったまま白いスクリーンを睨んだ。唾をのむ音が聞こえた。
『……あなたに会う前、マーテルに訊いたの。私が捜す人はどこにいるの? どうすれば会えるのか。マーテルは、その人は今大きな橋を越えている最中だから話すことはできないと答えた。だから必ずたどり着く先を教えて、と頼んだの』
 彼女が何を話しているか、すぐに理解できた。相手にしたくない一方で、話を打ち切ることはできなかった。
『その時は小型の通信機を乗っ取ったわ』
「……なんて言って?」
『男の人を待っている。方便はマーテルが考えてくれた。私は彼らに、一緒にいさせて欲しいと頼んだの』
 それはエグバートも怪しむはずだ。ましてあんな事になってしまっては。
「余計なことを」
 唾を吐くように言った。
『彼らは最初私に反発した。けれど、次第に話を聞いてくれるようになったわ。だけどある朝連絡がつかなくなって、呼びかけても返事がなくて……そしたらマーテルが、彼らは死んでしまったと……』
「通信機はどうした? ここの連中はそれが見つからなかったと言っていたぞ」
『分からないわ。通信機がどうなったかは知らない。私がそちらに行って持ち去ることなんかできないもの』
「何故彼らは死んだ?」
『分からない』
「さっきまで、おまえが接触したから死んだと考えているような口ぶりだったじゃないか。その根拠は何だ」
 会話の途中で考え込むクセがある人間らしかった。今度の沈黙は長かった。ミナシキは、立ったまま待った。いつ誰が来ないとも限らない。どうにも苛立って仕方なかった。
『……あなたは小説を読むかしら』
「以前は」
『あなたから見た私の存在は、小説の中の登場人物と同じです。私から見たあなたも同じ。お互いに架空と言い切ってもいいくらい、なんら関連性のない存在だった』
「俺は今架空の人物と話しているとでも言う気か」
『そういう風にも言えるでしょう。私にとって世界は一つだけ。あなた方多世界の概念を生きる方々でさえ、別の世界に対して酷く怯えたりはしない。今これをしたら別世界の自分や家族が死んでしまうのではないか、などと考えていたら気が狂ってしまうでしょう?』
「治療の対象だ」
『でしょう。架空と同じとまでは言えなくても、そこに決して行けないのだから。あなたが現実なら私は架空。私が現実ならあなたは架空。本来決して交わることのない次元です。けれど私は実在します』
「そう言い張るなら、おまえは俺やレギニータの人間をフィクションだと思ってるということになるな。だからこんな事をするか。小説の中の人間が困ろうが死のうが関係ないというわけだな?」
『だけど、少なくともあなただけは実在するわ。そういう重要な価値があるから私はあなたを捜した』
「おまえの妄想にはうんざりだ。架空の人間に捜される理由などない」
『待ってシキ。会話をして。でないと電気をもとに戻さないわ』
「俺との会話におまえも負荷をかけられているはずだ。だから今朝は半端なところで話が切れたんだろう。こっちにも原因不明で無駄に死人がでるようじゃあな」
『ミナシキ、私はそれをいつでも出来る』
「脅迫する気か?」
『私はこちらの世界の知り合いを、そっちの世界の人間に殺されている』
 ハイダの声が、低く震えた。雲をつかむような話の中で、彼女がはじめて見せた強い感情だった。
 ミナシキは壁にもたれかかり、足を休めた。
『現にこの世界から二人の人と一人のアンドロイドデータが消えたのよ。私だって信じられない。そちらのマンティスから電気信号を受け取ったとき、何度自分の精神を疑ったことか』
「マンティスがおまえに何の用があった」
『マンティスは多世界の壁を潜り抜けられる特殊な電磁波で通信しあうそうね』
「ああ。だからマーテルが母機として機能できる」
『原理は私にはわからない。だけどマンティスTX898524IKはかつてミヨミが住んでいたPCに信号を送ってきました。マンティスは大きな矛盾が来た経路を逆にたどり、私のもとに来たと言いました』
「大きな矛盾?」
『殺された、私の世界の人間です。ソビ・ドウジマという名前に覚えはないかしら』
「いいや」ミナシキは否定した。
『ソビはミヨミと共にいました。彼の振る舞いは派手だった。人を殺そうとしたのよ。そして逆に、殺された。
 例えば小説の中の登場人物に殺されるなんてことがあるかしら? 彼の行方と末路を知ったとき、私はショックだった――だって、私はこの世界に生まれて、今も生き続けているのだもの。架空のような世界の人間に知り合いを殺されたなんて。ソビは自分は殺されないことを信じて上手くやっていたのでしょう。その彼が殺されたという事実は、私の世界の、あなた方への優位性を揺るがすものだった』
 優位性か。相手を架空の存在と思えば優位性は保たれる。
「逆はどうだ? あり得ない死に方をしたのなら、そのソビという男はそもそも生きていなかった、架空だった。おまえの理屈ならそういう考え方もできるはずだ」
『彼はいた。実在の、彼が生きた痕跡が、私の周りには残っている。優秀な人間でした。やりかけの研究が幾つもあった。殺したのは第一枝にいるもう一人のあなたよ』
「別世界の俺は第十二枝内にしか存在しないと――」
 過去に全く同じやり取りをしたことを思い出す。
 東面の外壁の町だ。キセリタがマンティスTX898524IKの言葉をそう伝えた。TX898524IKは、以前第一枝で、第一枝におけるミナシキに相当する人物と約束を交わしたと。
 何故同じ事を言う?
 言う内容が滅茶苦茶だからこそ、全くでたらめを言っているとは思えない。
 警戒心を強めつつもスクリーンと向き合った。
「では本当の話だという前提で話すが、そっちの世界からこっちに来た人間は合計三人ということか。おまえが俺だと思っている人間と、アンドロイドのミヨミ、そして殺されたソビ」
『ええ、そう』
「おまえの話し順は分かりにくい。まずその、おまえが俺だと思う人間はどうなった? 俺は第十二枝にいるが、なぜソイツは第一枝にいる? 同じ世界から来たもの同士が殺しあったなら、おまえの世界の優位性が揺らぐことなどないだろう」
『その人、第一枝のシキ・ナグラは第一枝の人間として生まれていた。ソビはそのままの歳と姿でそちらに移行できた。だからこそ、この世界とそちらの世界の人間が殺しあったということになるのです。転移の仕方の違いや、時系列に整合性がとれているのかどうか、私にはわからない。TX898524IKにも分からないようでした。こちらとそちらより高次元の存在が間に入っている可能性が推測されます』
「なぜ別人として生まれた第一枝のシキを、おまえの世界から消えた人間だというふうに言える? 第一枝のシキと俺とにどういう関連性がある?」
『四季くんは――その、私の世界から消えたシキは、紙の本を私の世界から持ち出していった。第一枝でシキ・ナグラとしての生と歴史を持つようになっても、それを手放してはいなかった。ミヨミはその本の反応を追って第一枝のシキへとたどり着きました。ソビが殺されるまで、彼と行動を共にしていたようです。ソビを直接殺したのは第一枝のシキですが、あなた方の世界はそれ以前からソビを消そうと動いていた。
 その存在を理解してはいけない
 知ろうとしてはいけない
 それは存在してはいけない。消せ。何も知るなと。最終的に彼を殺したのはあなた方の世界の論理だと私は考えます』
「なぜ二人は殺しあった」
『ソビは、私と同じように考えたんじゃないかしら。この世界の人間に殺されず、自分がこの世界の人間を殺せば、優位性が証明されると。結果は話した通りよ。第一枝のシキは単純に、生きるために抵抗したんだと思う。シキ・ナグラとしての一貫した歴史を持ち、ソビとは無縁に生きてきたのだから。だけどTX898524IKはそのシキまで消してしまった』
「殺したのか?」
『いえ、逆よ。TX898524IKはどうやら、大きな矛盾に接触した彼がそちらの世界で生き続けるのは難しいと考えたみたい。それに現実的に生命が危機状態にあった』
「それでどこに行った? よもや小説や架空の世界に言ったとは言わんだろう」
『分からないわ。ただ、あなたと私の二つの世界はよほど相容れないものみたい。ソビへのそちらの対応は恐らく正しかった。そちらでは、あなたたちが私たちを受け入れたり認めたりしたら、自己を保てなくなって死んでしまうらしいの。小説と現実の区別がつかなくなった人間は危険よ。そして実在する私たちは、小説ほど無害じゃない。そちらの世界の摂理が、矛盾が拡大する前に、あの町の人々を殺したのだと私は推測します』
「なぜここまで聞いた俺は死なない?」
『シキ・ナグラはそちらで生まれても、こちらの世界との絆を保っていた。彼がこちらから持ち出した本が絆として機能したのでしょう。あなたと私たちの間に直接の接点、干渉性は失われているけれど、間に第一枝のシキがいる限り、あなたは私が原因で死にはしない』
「おまえが殺したんだ」
 ミナシキはいらいらして言った。
「そこまで知っていながら、何故もっと慎重にことを運ぼうとしなかった。あの町の人間たちはおまえが殺したんだ」
『何度でも言うわ』
 ハイダも苛立っている。
『私たちの現実は、一つよ。多くの世界、多くの現実と肩を並べて生きているあなた方とは違う。そしてあなた方の世界観を受け入れることはこちらにとっても危険なこと。だから私は私の世界の価値観に照らし合わせてこう考えるわ。もっとも高次元の世界が現実だって。そして私は現実を生きてる』
「相対的に低次元である人間が死んだってどうでもいい、か」
 彼女が言う高次元というのが何か、これだけ話しても分からない。この女はどういう現実感を生きているのだろう?
『ソビは共感能力が低い、冷たい人でした。だけど人を殺したりするような人じゃなかった。それをしようとしたという事は、同じように考えていたのでしょうね。自分と同じ人間じゃないから殺してもいいって。そのソビが、殺された。だけど私はもっと多くの人をここから死に追いやることができるわ』
「思い上がりはやめろ!」
『シキ、帰ってきて! お願いだから! 今この世界にはあなたが必要なの!』
「知るか。おまえは俺の世界の人間がどうなろうと知ったこっちゃないんだろう。お互い様だ。出ていけ。それから俺はマーテルに行ける状態になどない」
『私が護るわ』
 眉をひそめ、何もないスクリーンを睨んだ。
「護る?」
『別の形で干渉するやり方を考えるわ。あなたの身が危ない状態にあるなら、私があなたを護る。そのやり方を見れば信じてくれるかしら』
「ここの人間を殺すのか? あの下の町のように?」
『……電気を戻すわ』
 声を震わせて言った。
『あなたを見ているから』

 ―11―

 それから自分の部屋に戻ると、なぜかレーゼが中から出てきて、鉢合わせになった。
「何をしているんだ」
「あ、シキ。ちょっと入ってきて。早く」
 レーゼはミナシキを招じ入れると戸を閉ざし、上目遣いに窺って話すタイミングを待った。
「シキ、あのね、大佐とここのリーダーがシキに自白剤のませようとしてる」
「なんだって」
「さっき聞いちゃったんだ。これ絶対シキに伝えなきゃって思ったら、また停電になって、そしたらシキもいないし」
 ミナシキは無言で頷いた。
 自白剤とは思い切ったことを。大佐は俺との関係がどうなっても構わないのか。背中がひやりとした。昨日ヨセギにぶつけた怒りが腹の底から立ち上がろうとする。騙しているのは自分だとわかっている、分かりきっているのに、なぜこうも腹が立つのだろう? なんだか嫌な結論にたどり着きそうなので、それについて考えるのはやめる。
 エグバートは、シキがミナシキである証拠をかき集めているようだ。一方ミナシキは感情的な手段でしかそれを否定できていない。どうにも分が悪い。
「分かった」ミナシキは言った。
「どうするの?」
「考えておく。嫌な伝達をさせてしまったな」
「ううん」
 ハイダの事といい、大佐といい、面倒なことばかりだ。ハイダの話を思い出し、出て行こうとするレーゼを呼び止めた。
「なに?」
「いや、関係ない話だが、おまえ前に人が死ぬ小説の話をしてたな。人の体がよじれて死んで蟲になるとか」
「ああ」
「あれはどういう話なんだ?」
 よく覚えてないよ、と言いながらもレーゼは首をかしげた。
「……たしかね、それを生き延びた男が一人いて、その人が主人公なんだけど」
「そいつは最後どうなる?」
「ええっとね」レーゼは言った。「廃人にされるんだよ」

 翌朝、エグバートは内壁に対して声明を発表した。生家を守ろうとする人々への迫害や、霊子統制に対する非難が主な内容だった。停電の原因はいまだ不明だが、内壁からの不当な操作が原因だろうとされていた。もっとも、そう書いている本人さえそれを信じていなかった。
 朝から雨が降った。
 崩れた屋上から雨が流れこみ、大騒ぎになった。即席の骨組みにありったけのビニールシートを重ね、どうにか基地内が洪水になる事態は防いだが、排水作業に追われて修復どころではなくなった。エグバートは基地内の電気を最小限に抑え、町に回すよう手配した。それから戦死者の検分に立ち会った。トラックが、次々と、もの言わぬ彼の部下たちを運んでくる。裸電球のともる幌の中で、死体袋が開けられると、屈んでともにその顔を見ていた。袋を屋内に運ぶ作業を、ゲルトが止めるのも構わず彼は自らやった。空になったトラックは、死体袋だけ回収すると、また廃墟の町へ向かって行った。
 その間大佐は屋内にいて、部下の半分を基地の維持活動にあたらせ、その指揮をとっていた。残りの半分はミナシキに与えられた。ミナシキはそれを、町の人たちへの炊き出しと下水、上水管理の仕事に使った。
 どちらもどちらを出し抜こうとは考えていなかった。やることが山積みだった。二度のダウンで霊子変換機の多くが不調を来たしており、どの立場の人間も、それぞれの仕事に集中せざるを得なかった。ミナシキはあの件以来、あからさまにヨセギを遠ざけていたが、ヨセギも黙って指示に従っている。
「シキ! シキぃ、大変だよ!」
 毛布の在庫を聞きにいっていたレーゼが走って戻ってきた。炊き出し場の人の群れをうろつくレーゼを見つけ、手近にいた部下に彼女を連れてこさせた。
「シキ、大変なの!」
 倉庫の裏手で二人きりになると、レーゼは息を切らしながら真剣な顔を近づけた。
「どうした、落ち着いて話せ」
「あのね、大佐からの伝言。いますぐ基地に戻って来いって。北の霊子結界がどんどん薄まってきてるって! このままだと蟲が入ってきちゃうよ!」
 レーゼを伴って基地に戻ると、会議室には大佐にエグバート、ゲルトと、見覚えのある何人かの彼の部下たちがいた。
 北の結界が弱まっていることを、エグバートが改めて説明した。大佐たちが東面で冬を越した時のように、少しずつ霊子をちょろまかす方法を考えていたら、この異常に気付いたという。
「どうするんだ、このままでは鯨に正式に介入されてしまうぞ」
「鯨が異常に気付くのも時間の問題だね。ユスターヴァ、鯨は動くだろう。この騒動を僕たちのせいにして堂堂と処刑するか、対蟲戦の捨石にするか。本当に巨虫兵を実戦投入してくるかもしれないね」
 大佐の顔が紅潮し、歯をむく。そうした所で打つ手があるわけでもなく、打ちひしがれた沈黙が会議室に積もった。
 ハイダの仕業だ。電気の代わりに霊子を犠牲にして、彼女はここにいるのだ。
「このペースで減り続ければ、蟲が結界を強行突破できるようになるまで二日半ってとこだね。僕たちは鯨対策を考えようか」
 この状況は、ミナシキだけにとっては幸いだった。大佐もエグバートも、まさか今、俺をどうこうしようとは思うまい。
 それは油断だった。

 エグバートは現場の指揮を分担して部下に回し、結界と鯨の動向に集中することとなった。ミナシキは町に戻った。戦地となった町に残った住民の家族を捜し、遺体安置室に連れて行くという嫌な仕事が待っていた。
 その後には夕方の炊き出し、夜を越すための暖房と寝床の確保。各人が家に帰って暖房を炊いて寝るには電気が足りなさすぎる。ここが戦場になったわけでもないのに、戦場さながらだ。
 七十人弱の部下の動向を頭にいれ、自分は休まずに、順に声をかけて交代で休憩させていく。そのうちミナシキが後ろから声をかけられた。
「どうした」
 休憩をさせ忘れたかと思ったが、そうではなかった。
「シキさんも休んでください」
 と、その男は言った。
「朝から一度も休んでないでしょう」
「俺ならいつでも基地で休める。お前らはそうもいかんだろう」
「有難うございます。ですが結界が緩んできてるんでしょう」
 住民たちの目を憚りながら、男は声を落とした。
「蟲がいつ入ってくるか分からない。ここに儀礼銃を使える人は限られてますから」
 なるほど、万全にしておけというわけだ。
 ふと顔を上げると、少し離れた暗がりから、ヨセギが見ていることに気付いた。彼はすぐに作業に戻っていった。
「ヨセギが俺にそう伝えろと?」
「はい。先ほど大佐がいらして、これからは儀礼銃を使える者は交代で働けとのことでした」
「分かった。今から朝までこの場をヨセギに任せる。それから、そういう事は俺に直接言いに来いと伝えてくれ」
「分かりました」
 ミナシキとヨセギの関係がこじれていることは今やだれもが知っていた。ただその原因は明らかにしていない。戸惑いがちの返事を受け、ミナシキは基地に戻った。
 ここ数日ろくに眠ることもできず、働きづめでいるにも関わらず、疲れた感じはしない。眠れるかどうか分からなかった。だがいつまでも無理はできない。この先、最悪、蟲とレギニータ軍との三つ巴の戦いが待っているかもしれないのだ。
 部屋が近付くにつれ、休める気安さから体が鈍くなってくる。真っ暗な階段を上る頃にはもう、「いつでも休めるから休まなくてもいい」と言ったあの元気はなくなっていた。部屋の電気をつける。考えなければならないことが幾つもあった。だがもう寝よう。体もだが、頭もそうとう疲れている。誰が用意してくれたのか、水差しとコップがテーブルに置かれていた。水差しには新鮮そうな水がなみなみ注がれていた。ミナシキは震霊の銃帯を解くと、コップに水をそそいだ。
 一口、二口と喉に流しこみ、三口めを口の中に留めて、味がおかしいと気付いた。妙な苦味がある。コップに唇をつけたまま、ミナシキは動きを止めた。舌と喉を刺す、いやな苦味だ。
 レーゼの警告を思い出したのは、その時になってからだった。
 やられた。
 コップの中に口の中の水を戻し、ミナシキは部屋を飛び出した。どうしたの、とキセリタが慌てて問いかけてきたが、答えていられなかった。トイレに駆け込んで、流しに手をついて水を吐いた。
 喉に苦味が這い上がってくる。
 うまく吐き出せない。それでも吐こうとした。
 俺があの水を二杯も三杯も飲んで死んだらどうするつもりだったんだ、とミナシキは考える。いや、コップのほうに仕込んでおけばいいか。いや。そんなことを考えている場合じゃない。
 まさか。どうして。なぜ、今。信じられない。
 いいや、今だからやったのだ。エグバートは、ミナシキだったら絶対にそれをしないという時を分かっていた。だからこそやったのだ。
 顔を上げた。微かな光を跳ね返す鏡の中に、怒りで目を吊り上げたおのれの形相があった。完全に吐き出すことは無理だ。逃げよう。トイレを飛び出す。頭の中がくらりと揺れた。階段を踏み外しかけながら、走る。
 大佐は、上司は、あの男は、俺を信じなかった。これで俺との関係が壊れてもいいと思って、だからこんな事をしたのだ。
 憎悪に取りつかれた、いかれた男だと思っていた。取るに足らない男、踏み台、利用する相手、そう思っていた。ミナシキは怒りの理由を知った。
 傷ついているのだ。
 それでも本当は信じあいたかったと望んでいたのだ。
 何もかも打ち明けてしまおうかと思った瞬間があったじゃないか。今なら、この男なら、自分を王族ではなく一人の人間として認め、話を聞いてくれるんじゃないか、そんなふうに考えたことが何度もあったじゃないか。
 本当は、信じあう、助け合う、そんな関係が欲しかったんじゃないか。
「畜生っ!」
 気付いたところでどうしろと言うのだ。
 遅い。もう遅い。遅すぎる。
 吐き気がこみ上げ、目の焦点がぼやけてくる。
 裏口から飛び出すと、背後から組み付かれた。
「止まれ!」ゲルトの声。「大人しくしろ!」
 徐々に力が抜けてくるのを感じながら、ミナシキはもがいた。ここで倒れたら終わりだ。分かっている。身を捩り、体重をかけてゲルトを壁に叩きつけた。拘束が解ける。踏ん張りがきかず、よろめいた途端、顔を殴られた。もげるかと思うほど首が振れ、一瞬意識が遠退く。
 組み敷かれる直前、体が動いた。
 銃を抜く。
 銃床を思いきり、のしかかるゲルトの側頭部に叩きつけた。手加減する余裕はなかった。右手に嫌な感触が伝わり、ゲルトが沈む。こいつは死ぬかも知れないと思いながら、壁に手をついた。膝が震える。
 ミナシキは荒い息をつきながら、町のほうへ町のほうへと路地を下っていった。視界が確保できないのは暗さのせいだけではない。世界が渦を巻いている。体が均衡を失って、とうとう膝をついた。
『ミナシキ、こんな所じゃすぐに見つかってしまう!』
 キセリタが、もどかしさを苛立ちに変えてぶつけてきた。
『吐いて!』
 うなだれて口を開け、もう一度水を吐こうとした。出てこない。拳を握った。肘を引き、出るだけの力をこめて胃のあたりを殴った。
 強烈な痛みで目が覚めた。息が詰まる。未消化の食事と水が、あの苦味を伴って口から吐き出された。歯を食いしばり、ミナシキは己の体を殴る。二度。三度。血の味と共に何もかも全て吐ききり、腹を押さえて立ち上がった。
 耐え難い痛みが、今は意識を明瞭にしている。だがそんなのは時間稼ぎだ。吐ききるには遅すぎた。
 何をしようというのだろう? こんなに痛い、苦しい目にあうのは、何のためだっただろう?
 ミナシキは強く頭を振る。
 もういいじゃないか。どうでもいいじゃないか。そう思う。そう思うのは自白剤がいよいよ効いてきたからだ。いけない。そんなことを思ってはいけない。
 廃材広場へおりていく、長い螺旋の階段に出た。
 キセリタの声が聞こえる。
 大声で、ミナシキの気をひきつけようとしているのか、優しく慰めようとしているのか、あるいは幻聴か、分からなかった。分からなければならない理由が分からなくなっていた。
 朦朧としながら踏み出した足が、階段の縁で滑った。
 高い壁に渦巻状にとりついた、手すりのない土壁の階段から、体が宙に舞った。夜区間の夜の底へと。激しい雨とともに。
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