お話の、あるところ。

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『夢見る病気』豊原ね子

夢見る病気〈番外編Ⅰ〉 前編

Poltergeist(前編)

―序―

 十五人もの武装警察が山道を行進している。
 日中の雨のせいで、誰も息を乱している。ただでさえ険しい山道は湿地帯のごとき有り様となっていた。
 今はよく晴れている。木々の合間を星々の天蓋が覆っている。空を見上げる者はいないが、この新月の夜に、行く手の木々が疎になったところが明るく見えるからそうと知れる。
 こんなに星がよく見えるところまで来てしまったのだ。
「こりゃあ、天狗でも出たほうがいっそマシだよなぁ」
 列の後方を歩く者が、ひそかな声で軽口を叩いた。
「よく言うぜ。出たらどうせ真っ先に逃げるくせによ」
 この深い山のどこかに、一人の女の子が紛れこんでいる――可能性がある。山狩りに出向いた彼らが麓のものに協力を請うと、こうした答えが返ってきた。
 あの山には天狗が棲みついていて、夜に分け入るなど恐ろしいことはできない。だから協力はできない、と。
「田舎者どもめ、いなくなったのが町の子だからどうでもいいと思ってやがる」
「おい、無駄口はよせ」
 誰かがたしなめ、それきり後方の会話は途切れた。
 最前列に近い位置から儀礼銃士が振り返る。
 立会人として呼ばれた銃士は若い女性だった。長い髪を頭の上でまとめ、額に他の男共と同様脂っこい汗を流している。腕で汗をぬぐった。袖が黒く染みた。前をゆく警邏隊長が銃士を振り向いた。
「不出来な部下で申し訳ない」
「無理もありません、この深夜に登山をする羽目になろうとは、彼らもついていなかったのですよ」
 銃士は答えた。女性にしては低い、張りのある声だ。
「足もとにご注意を、警部。ひどいぬかるみです。……地図では間もなくのはず。気を引き締めていきましょう」
 やがて唐突に舗装された道が現れる。
 砂利道の先に、長い石段がそびえていた。
石段の上には鳥居がある。大きな鳥居だ。階段の下からでも十分に見える。その鳥居が石造りで、苔むしていることまで分かるのは、向こうで赤い火の影が揺らいでいるからだ。
「……誰が」
 銃士が呟く。かき消すように、一際大きな炎が燃え上がる。天を焦がす炎は火の粉となって、地上に降り注ぐ。

 ―1―

 真夏の日差しが緑に見えるほど、この町は木々が深い。川沿いの街路樹は青葉を噴いて運河を覆っている。頭上や腰の高さに鉢植えがあると思ったら、それは壁をツタに覆われた色々な建物から吊り下げられたもので、中には鉢植えを吊るワイヤーで連結されたビル同士もあり、大小さまざまな鉢植えが頭上を飾っていた。時折水面を風が走ると、鉢植えからツタが揺れた。石畳に木漏れ日が瞬き、道ゆく市民らの顔つきは、穏やかで優しい。
 臣津とは大違いだ。
 あそこは気の荒い男が多かった。工場地区の瞬く光はいつの時間も絶えることなく、住宅地だろうが、深夜だろうが、いつも大型トラックが幹線道路を行き来していた。さらに工業都市としての性格から、移民が多かった。誰であろうと、一番偉いのは働くものだった。
 この町は違う。
 同じ連邦盟主国にありながら、臣津市は最北端に位置し、ここ風早市は最南端にある。そうした気候の違いもあってか人々の居住まいは落ち着いており、町に流れる穏やかな時間を乱す者はいない。あまり景気がよくないと聞いていたが、それらしい焦燥感や暗い影も見えない。木々をわたる小鳥たちのさえずりが眠気を誘う。
 中心部にいけば違うかもしれないな。
 商店の主人が軒先でのんびり新聞を広げるのを見ながら、識はとりとめもなく考えていた。
 パジェットと識は、柳の下のベンチでトコロテンを啜っていた。
 仕事抜きで来たのなら、すばらしい町だろうに。
 半透明のトコロテンを箸でつまみ、木漏れ日にかざしてみた。実在すら危うげなほど美しく、はかない色合いであった。
「柳にユーレイ……」
 隣のパジェットが喉にトコロテンを詰まらせ、いきなり咳きこんだ。呆れてみていると、彼は膝に器を置いて拳で自分の胸を叩いた。
「縁起でもねぇこと言うな!」
「いや、トコロテンが……」
 パジェットは箸と器を膝に置き、手の甲で口を拭った。
「トコロテンが何だよ」
「トコロテンが幽霊っぽい」
「おめぇ幽霊見たことあんのかよ!」
 識はこめかみに指を当て、しばし思い悩んだ。
「過去に……あるような無いような……」
「ねぇだろ! 無ぇに決まってるだろ! そういうこと言うな!」
「落ち着けよ。この仕事やってて幽霊怖いもないだろう」
「駄目なんだよ。オレそういうの無理。人間ならまだしも幽霊が襲いかかってきたらどうすんだよ! 勝てねぇだろ!」
 ああ、コイツはこういう奴だったと識は遅れて思い出す。殺生な仕事をしていながら、悪霊話が大の苦手なのだ。夏場の怪談番組が始まろうものなら、チャンネルを変えればいいだけのところをテレビごと切ってしまうのだ。そして番組が終わる時間まで絶対につけない。
 図体がでかいくせに面白い奴だ。
「ああ、あの時はまだ俺が小学生で――」
「やめろ! おめぇオレがトイレに行けなくなったらどうしてくれんだよ!」
「トイレで寝ろ」
 運河に架けられたケーブルを滑り、水上バスが小さなターミナルに止まった。日傘を差した婦人や老夫婦などが駅員に切符を渡して乗りこんでゆく。
「アレの次だ。まだ一時間もある」
 識は時刻表を広げて言った。
「便少ねぇなー。山代地区って風早のど真ん中だろ? 不便じゃねえのかな」
「あんまり用がないんだろう」
 駅員が詰め所の窓から身を乗り出して、古いチャイムを振った。塩辛声が響き渡った。
「風早運河交通山代行き、間もなく発車します。山代地区行きのバスが間もなく発車します」
 その間延びした声に、パジェットがまたもトコロテンを詰まらせそうになった。
「おい! おめぇ、あのバス山代地区行きだって言ってんぞ!」
「そんなはずはない、時刻表では」
 識は現在の時刻を指差した。
 パジェットは叫んだ。
「それは土日のダイヤだっ!」
 しばらく硬直した識が、両目を大きく見開いて時刻表を握り締めた。二人は一緒に立ち上がり、一言も交わすことなく水上バスへ走り出した。おりしも発車のベルが鳴り響き、ドアが閉まろうとするところだった。
 待ってくれとパジェットが呼ぶのに重なり、茶店の老婦人が二人の背に叫んだ。
「おおい! ウチの皿を返しとくれ!」

 風早は観光で栄える町だ。山代地区とよばれるかつての城下町を中心に、北と西には自然豊かな里山があり、いくつも温泉が湧き出している。
 南と東には蜘蛛の巣状に運河が張り巡らされ、海へ続いている。
 運河の上を様々な色合いの水上バスが行き交っている。普通の箱型のものもあれば、屋形船を模して作られた、張り出しがある舟の形ものもある。
 水面を撫でる風は涼しい。手すりに背中を預け、パジェットはトコロテンを持っている。
「お前、それどうすんだ」
「いや」
 慌てて飛び出したものだから、箸もトコロテンの皿も持ったまま来てしまった。皿は内側に小さな虹のデザインがあしらわれた陶器製で、木漏れ日に白く点滅して眩しい。まだ新しいもののようだ。
「いや……わりぃことした」
「しょうがない奴だな。後で返しに行こう」
 虹のシンボルマークは最近よく名を聞くようになった健康器具メーカーのマークだ。そのことを思い出す。
「しょうがねぇのはお前だろ。どおりで便が少ねぇと思ったんだよ」
「悪かったよ、喧嘩はよそう。次は間違えないようにする。宿舎へは送迎があるんだっけ」
「宿舎なんて言い方すんなよ、今回のはすごいぜ? なんてったってここらで一番の高級旅館だ。客室に露天風呂がついてやがる」
「すごいな。これが仕事じゃなければよかったのに」
「仕事じゃなきゃそんな所にゃ泊まれねえよ。今度は三十人……いや、三十五人か。それぞれかなりいいトコあてがわれてるそうだ」
「儀礼銃士が三十五人か……。ものものしいな」
「臣津からかき集めるくらいだぜ?」
 パジェットは幽霊みたいなトコロテンを一気に平らげた。
 バスが終点に着いた。
 石畳の広場は蒸し暑く、岸辺の柳を揺らす涼風もない。厳重に布で包んだ儀礼銃を背負って歩く二人を、道ゆく人々が無遠慮に見詰める。照り返しに目を細めながら歩いていくと、広場の先に階段があり、手すりの下を覗きこんだパジェットが小声で識を呼び止めた。
「見ろよ、あれ」
 顎で差すほうに、噴水の飛沫を浴びて二人連れの女性が立っていた。共に儀礼銃士だ。自分たちと同じく、布と革ベルトで大切に儀礼銃を包んでいる。
 一人は長い髪を明るく染めた、白いブラウスが眩しい大柄な女だ。
「千住さんじゃないか」
 千住桐桧(きりえ)。パジェットと同期で、しかも同い年の銃士。そばに立って話しこんでいる相手は、それに比べれば幾分小さく見える。細い体つきと、少年のように短く切った髪。後ろを向いているので顔は分からないが、話す身振りを見ていると元気そうだ。
「あの子、この春に史上最年少で儀礼銃士になったんだってよ」
「最年少? 十八歳と何ヶ月だ?」
「二ヶ月」
 識は首を振って嘆いた。
「負けた……」
「まっ、記録は破られるもんだ。先に生まれたモンの宿命だよ。おい、キリエ!」
 下の広場から二人が見上げてきた。新米儀礼銃士の顔を見る。
 まだ女の子じゃないか、顔つきだって頼りない。そう思い、識は、自分も大体そのように思われてきたのだろうと気付く。階段を下りた。彼女は必要以上に身を固くして、背筋を伸ばして待っていた。
「よう。久しぶりだな」
 識はパジェットの後ろで頭を下げた。
「お久しぶりです、千住さん」
「久しぶり。見ない間にいい顔つきになったじゃん、識くん」
「色々ありましたから……」
 水気のある低い声だ。この人は変わっていない。二人が話すのを、まだ少女と言っていいような儀礼銃士が緊張して見守っている。
「臣津の様子はどう?」
「どうも変わんねぇよ」
「噂はいろいろと聞いてるよ。私は今この子と組んでんだ」
 キリエにいきなり肩を抱かれ、少女は驚いた声を出す。
「黄柳野(つげの)澪って言うんだ。今年の新人だよ。ほら、挨拶しな」
 動揺したままパジェットと識とを順に見る。だがその目は、意外に冷静だ。
「黄柳野と申します。よろしくお願いします」
「名倉識です、こちらこそ」
「この人は澪の三年先輩だよ。こっちはパジェット。気をつけな」
「何がだ!」
「まだ女の子だもんな、澪は。ところでその皿はなんだい?」
 まだ皿と箸を持ったままだった。
「いい加減しまえよ……」
「貰ったのかい?」
「や、そうじゃないが」
「それ、安田陽健が配ってた試供品だろ……健康器具メーカーの」
 一瞬表情を消したキリエは、それから顔をしかめて浅くため息をつく。
「……まあ、とりあえず行こうか。神社会館はすぐそこだけど、道が入り組んでるからね。案内するよ」
 澪が慌ててついていく。パジェットと識は顔を見合わせ、二人の後を歩いた。

 神社会館はコンクリートの壁に切妻屋根という外観の三階建てだった。
 変だ。
 変だがしょうがないので入る。
 受付で記名した後、汗をかいたので水を飲もうと思ったが給水機がなかった。仕方なくカフェ形式の自動販売機の前に立ち、パジェットは文句を言った。
「タダじゃねえ」
「図々しいぞ」
「千歳の会館のはタダだったぜ? ボタン押すだけでカップが出てきてコーヒー入れてくれんだよ」
「嘘つけ」
「嘘ついてどうすんだ」
「俺は見たことない」
「おめぇの問題だろ! あるんだよ、タダのこういう自販機が。しかもどれも……微妙だなオイ」
 小銭入れを握り締めたまま、それを開けようとしない。
「『のむ焼肉』って何だよ……」
 識は暑さで頬を赤くしたまま、前髪の上から額をぬぐった。直射日光が当たらないだけで、暑さが外と変わらない。天井の隅で扇風機がやる気なさそうに首を振っているだけだ。
「しかし冷房も入れないなんて、本当に不景気なんだな」
「前からでございます」
 後ろからの声が答えた。振り向くと、会館の職員が廊下の前に立っていた。この暑いなか黒のスーツで身を正し、襟には菊のバッヂをつけている。もうすっかり白髪の老人である。この格好は厳しかろうと何だか不憫になる。
「私、古田と申します。わが町のために臣津市からはるばるお越しいただき有難うございます。お上がりください、ミーティングルームはよく冷えておりますので」
 職員の言うとおり、二階の広い会議室は隅々までよく冷えていた。二人に緑茶を出してから、古田はホワイトボードの前に立った。風早市内の地図が貼られている。そこかしこが丸印のシールや、虫ピンでマークされている。
「すでにご案内のとおり、風早市は一週間後にこの場所――風の森神宮の遷座祭を控えております。当神宮は風早市守護の要、遷座は一昼夜をかけて厳粛に行われますが、その間市を取り囲む結界の力が弱まることは必死。市内すべての社寺仏閣が総力を挙げて応対するのは無論ですが、儀礼銃士の方々のお力を借りて万全の体勢で遷座祭に望みたいところでございます」
 風の森神宮は市内北部の温泉街に拝殿を置く大きな神社と聞く。里山へいたる参道があり、本殿は山の中腹にある。そこから人の足の入らぬ山頂までが神社の敷地となっている。
 山中のどこかに祀られるご神体を同じ山中の聖所に移し変えるのが、この遷座だ。
「ご遷座にあたり中津国空軍が既に配備されております。あまり儀礼銃士の方々とは仲が宜しくないとは聞きますが、どうか協調してことに当たっていただくようお願い申し上げます」
 パジェットと識は声を揃えて返事をした。職員の口調は穏やかで丁寧だが、有無を言わせぬ強さがある。クセが強い儀礼銃士たちの相手を何年も続けてきたのだろう。
「あなた方お二人にはここ、最北東の一角をご担当いただきます。もっとも近くに千住・黄柳野チームが配置されます。二人はいま別室で説明を受けておりますが、あちらにもあなた方のチームと密に連絡を取り合うよう指示がされることでしょう。不安な点は」
 職員は市の外れの山を指でぐるぐると囲った。
「……三年前の、運動教材グループ『法の光結社』にまつわる事件をあなた方はご存知でしょう」
二人の儀礼銃士は僅かに身を固くした。
「あなた方が担当する山中には、件の神社と研修施設が今も残されています。蟲どもが攻めこむとしたら、このケガレに一斉にたかり雪崩れこんでくる可能性が高いと我々は考えます」
「はい……その通りでしょう。ひどい事件でした」
「市民たちは誰も当時のことなど口にはいたしません。ええ、その通り、ひどい事件でした。何の救いもなかった」
 古田は背中に手を回し、窓の外へと目を向けた。

 ―2―

 夕刻、旅館に着いた。
 旅館街を抜け、山道にいくらか入ったところに指定の宿はあった。送迎バスからのぞく姿は、平たい二階建てに見えたが、入ってすぐに結構な奥行きのある建物と知れた。記名をすると、女将が直接二人を客室に案内した。
 客室は離れだった。山の中へと、幾度も分岐する長い長い渡り廊下が続き、深い西日が差す廊下を、静寂のほうへほうへと突き進んでいった。蝉が鳴き喚いていた。風が吹くと山の木々が葉をこすらせ、女将の足袋の足音が、自分たちの足音よりも確かに感じられた。意識が研ぎ澄まされていく。他の離れとどれほど離れているものか、もはや分からない。こんな静かすぎるところで眠れるだろうかと識は不安になる。
 ようやくたどり着いた部屋は和室のスイートだった。二人を座らせて茶を淹れると、大浴場や夕食の時間の説明をし、畳に手をついて一礼してからすぐ出て行った。
 板張りの床に、一枚板のテーブルと椅子が一セット。広縁には籐の椅子が置かれ、銅の風鈴が下がっている。窓を開けたパジェットが、「すげぇ」と声をかけてきた。ヒノキの芳香が鼻に届いた。
「見ろよ、この露天風呂!」
 石造りの露天風呂が窓の外に見えた。客室つきと言ってもかなり広々した浴槽で、湯けむりが見えないのはまだ外が暑すぎるからだろう。垣根の向こうで渓流が、水音をたてて奔っている。
「すげぇなー、ここ。全然、オレら以外いねえぜ。来いよ識、空気がきれいだ」
「俺はいやだな。もっと人の気配がある所がいいよ。ここは静かすぎる」
「そっか? オレは気にならないけどな。田舎者だからかな」
 識は気が滅入ってしまい、パジェットの言葉にも首を振るだけだった。
「酒も買ってこればよかった」
「売店にあっただろ? 寝れなかったら頼めばいいし。メシ食ったら門限まで時間があるからキリエと飲みに行こうぜ。アイツ前に風早と契約してた頃があるから詳しいんだ」
 それで少しだけ気が晴れて、識は座ったまま笑った。

 昼間と同じ、山代地区のバス停留所でキリエたちと再会した。
「おーい、ここ、ここ!」
 噴水の前で手を振るキリエと澪は、昼よりもずっと楽な服装で、くつろいだ様子だった。もうこの町の湯を楽しんだらしく、近付くと石鹸の香りがした。
「よっ。二人ともご飯食べた?」
「おう。うまかったよな、あの鹿!」
「ああ。山菜の天ぷらもよかった」
「ここは海のものも山のものもとれるからね。あんた達『はづきや』だっけ?」
 歩き出しながら会話を続けた。澪が後ろをついてくる。識が振り返るとはにかんだように笑って俯いてしまった。
「はづきやの離れ。すげぇぜ? こんなでっかい阿屋つきの露天風呂あんの」
「あそこさ、普通に泊まるとたしか四万とか五万とかいくの」
「一部屋で?」
「一人で。すっごいよー、あんた達。一週間楽しんじゃいなよ」
 しかしそのように盛り立てられても、識はあの宿が好きになれない。離れに人気がなさすぎる以外に、不満なところはないはずだ。食事は最高だし、温泉も気持ちよかった。もてなしも素晴らしいし――では何故?
 目的のバーについた。裏口で銃刀の類をあずけ、改めて正面から入る。
 青と黄のネオンが照らし出す、少しだけ暗い店内だった。概ね満席だがさほどうるさくなく、弦楽四重奏のレコードが静かにまわっていた。
 店の中央には楕円形の大きな水槽の柱があり、中を様々な熱帯魚やネコザメが回遊している。その向こうはカウンター席で、壁際に鮮やかな色の酒の壜が並べてある。識は洋酒には詳しくないが、見ているだけで面白そうだ。
 予約席は二階で、これまた大きな水槽の壁に接するテーブルだった。
 それぞれカクテルとジュースを頼み、改めて再会を祝す。キリエに近況を聞くと、先月首都の鉄道公団との契約が切れ、今はフリーだという。
「でもさ、そろそろ次の仕事探さないとね。この子ももっと実戦慣れさせなきゃいけないしさ。うまい契約の取り方とかもね」
「国に雇われる気はねぇんだな」
「あんたもだろ?」
 キリエがひらひらと手を振る。識は隣に座る澪を見た。
「黄柳野さんは、この先どうするんですか?」
 黄色い体のキイロハギが寄ってきて「こんにちは」と言った。
「私は、まだ当分キリエさんと一緒にいたいと思います。いろいろ教わりたいことがありますから」
「だよな、まぁそれが良いわな」
「識くん、この子きみと先生が同じなんだよ」
 えっ、と聞き返し、改めて澪の顔を覗きこんだ。大きなつやつやと光る目で、彼女は識を見返していた。
「高橋師のもとで?」
「はい! 先生はいつも私に名倉さんのお話をなさってました。努力家で優秀だったって」
 澪から目をそらし、カクテルに口をつけた。
「……元気にしていますか?」
「はい! でも先生、寂しがってましたよ。卒業してから全然手紙もくれないって、ちょっと怒ってました」
「ああ……」
「名倉先輩は高橋師の誇りなんです」
 終わった話なんだよ、と言いたかった。
「そうなんだ」
「でも会ってみると違うな……私、こう、もっと大きくて怖いかんじの人かなって思ってたんです。話を聞くかぎり、ニコリともしないような」
「そういうふうに言ってました?」
「……いえ。私の、勝手なイメージです。失礼だったでしょうか?」
 黙って微笑むにとどめた。
「識くん、同期会にも行かないって言ってたもんね。今でも行ってない?」
「今じゃもう案内が来ませんよ。誰とも会っていませんから。居場所だって把握されてるかどうか」
「やっぱりね。ウザくてもさ、いっぺん顔出した方がいいって。君なら誰も追い返しやしないよ。いざって時に頼りになるのは横のつながりなんだから。ねぇ?」
 肘で突かれ、パジェットが迷惑そうにキリエを見る。
「何だよぉ」
「イヤそうな顔しないでよね。仕事の話。同期は大事にしろってあんた一ぺん説教してやんなよ。先輩でしょ?」
「知らねーよ、好きにさせておけよ。識だってもうガキじゃねえよ」
 居心地の悪さをおし隠し、識は黙って聞いていた。
 フリーの儀礼銃士を続けるにはそれなりの才覚がいる。こればかりは単純な強さではどうにもならない。大企業や地方自治体、果てはどこかの国の領主、雇うという者は幾らでもいるし、食いっぱぐれることはない。事実多くの儀礼銃士は故郷に帰り、そこで国の銃士団に帰属する。そういうものだ。
 国としても強力な兵器を個人に持たせているのだ。
 それでどんな権力にも縛られずに生きろというのは難しい。
 識にそれができているのはパジェットの顔が広いからだと言われても否定できない。
「――そもそも私があんたにこの仕事紹介したんじゃないの。他のフリーでやってる奴らよりあんたが信用できると思ってさ。だから大事にしろっての」
 まぁな、と言って片方の肩を軽くすくめる。
「わざわざ私らとあんたらが近くになるように配属されてたでしょ?」
「ああ。おまえ前あの……安田陽健の事件に関わってたんだって?」
「当時契約してたから。山狩りに参加したんだよ。この話はしてないっけ」
 テーブルに肘をつき、長い巻き毛をかき上げた。
「澪は? この時十五歳だったろ?」
「よく知らないんです。大人たちが大騒ぎしてたのは覚えてるんだけど」
「『法の光結社』の名前くらいは覚えてるだろう? 小中学校にも保健体育の教科書を卸してた」
「そうなんですか。教科書はしらないけど、名前はよく聞きました」
「あまり知られてなかったんだが、その会社では蛇神様を信仰しててね、もともとは社長の松代一家の屋敷神だったんだ。昨年亡くなった二代目社長が企業系の私立小学校を立ちあげて、そこでも蛇神信仰をやっていた。何事もなければ中高一貫の学園もできるはずだったのにね」
「いいのかよ? もとは松代家の屋敷神だろ?」
「蛇神信仰は、主流にはならなくても連邦の至る所にあるからね。バックが大きいし、それに風早の神を蔑ろにしてたわけじゃないし」
 そこで一度言葉を切り、酒ではなく、お通しの水で口を濡らした。
「……で、会社が山ん中に建てた研修施設で、毎年夏休み前に、五年生の野外学習があったんだ。その年、女の子が一人消えた。日課に明朝参拝があって、拝殿のある前の院から宿泊所にもどった時にはいなくなってた」
「いついなくなったんだ? 普通班で行動するだろう」
「真夏と言っても山奥が明るくなるのは遅い。薄暗い山道をてくてく歩くのに必死で、班員もクラスの誰も、居なくなったのに気付かなかったそうだ。昼になって警察に届け出て、夕方から山狩りが始まったけどついに見つからなかった。そもそも道に迷うような場所じゃなかったんだ。山奥とはいえちゃんと道は整備されてたし、生徒たちは長い列で移動してた。仮に分かれ道に迷いこんだとしても、藪でそれ以上進めない」
「結局、夏休みが終わる頃に見つかったんでしたっけ」
「そう……山を二つ越えたところの奥の院でね。おかしな話さ。途中いくつか村落があった。そこで保護されていてもおかしくないはずだった。で、あんまり見つからないものだから、聖域関係ということで奥の院を探そうってことになって、私が立会人に呼ばれて、これで見つからなければ捜索が打ち切られるはずだった」
「だけど、そこでその子は見つかった」
「篝火が焚かれてたんだ。誰もいない深夜のその神社は、石段の上で真っ赤に炎が燃え上がって、だけど私らが踏みこんだ所でやっぱり誰もいなくて」
「その子はどうやって見つかった?」
「そこンとこは報道されなかったね。私らも見つけられなかったんだ。ここにもいないや、帰ろうってなった時に、警官がひとり奥のほうからギャアギャア叫んで戻ってきてね……雨水の貯水槽のなかにいたんだ。もうドロドロで……うぇ。いや、ごめん」
 キリエは顔をしかめた。
「こりゃあ殺人事件だってことで捜査チームが強化されたけど、結局なんの手がかりもなかった。私はまた風の森神社の神主さん連れてそこに行ったんだけど、ひどいもんだよ。真っ青になって、死穢がこびりついちまってとてもじゃないが聖地として機能できないって言って。封印だけして、今もそのまま。立ち入り禁止のままさ」
「女の子が見つかったとこまではニュースで見たんです」
 澪が言った。
「その後にまた何かありましたっけ……また一人……いなくなったとか何か」
「松代家の末娘が失踪した。その人、女の子の四十九日の法要に出てね、その夜に、小学生の息子に『出かけてくる』と言ってそれきり帰ってこなくなった」
 おじいちゃん、つまりその末娘の父である二代目社長の家に泊まると言い残したそうだ。彼女が実際にはどこに行ったか、それは誰も知らない。
 松代陽花(ようか)、彼女は結婚前に、法の光結社のテレビ広告にも出ていた。バランスボールにまたがってスポーツ飲料を飲むしなやかな体は印象的だった。末に生まれた陽花は、二代目社長とは祖父と孫ほどの年の差があった。社長は陽花を溺愛していた。
「社長は一気に老けこんじゃて、失意のまま亡くなられた。かわいそうに、息子はすっかり笑わない子になっちゃったし、すったもんだの挙句会社は蛇神信仰を禁じられた」
 そもそも屋敷神とはイエという小さな単位で奉るものであり、その有りようを間違ったことが全ての発端なのだ、と、風の森神宮の宮司たちが非難した。会社のイメージが急激にダウンしていたところへ、その非難が決定打となった。会社の守り神という求心力を失った法の光結社はあっけなく瓦解し、小学校はまた別の企業に接収された。二代目社長の最期は寂しいものだった。
「……で、この松代陽花の失踪にも奇妙なところがあってね」
「ほう」
「まず、一人になるのを異常に恐れるようになったんだ。やたらと外を出歩くようになって、家にいる間はずっと家政婦に話し相手をさせていた。寝つきの悪いときはずっと、夜中まで。明るく笑っていたけど、やはり異常な様子だったと友人や家政婦たちは言っていた。それで旦那さんと口論になって、旦那さんがこう言ったんだ。『いい加減にしろ、お前は今日、俺の顧客の家にまで上がりこんでたそうじゃないか。俺が知らないとでも思ってるのか』って。そしたらみるみる真っ青になって、腰を抜かしちゃったんだって。私はずっと、大学時代のサークルの仲間たちと一緒にいた、って言って」
「その顧客とやらの人違いじゃねえの?」
「さあね。それ以来陽花さん、前にもましてオドオドしちゃって、急に後ろを振り向いたり、誰も居ない廊下に目を凝らしたり、こりゃあどうにかしなっきゃって矢先にいなくなった」
 落ち着かない気持ちになって、パジェットはカクテルを呷った。
「ともあれ結社がなくなった後に、いくつか派生企業がうまれて、その内の一つが安田陽健だよ。虹のシンボルマークは、悲しい事件のあとにかかる希望の光だと言われた。だけど、どうかね。虹は大昔、蛇の一種として考えられていた。虹は蛇の象徴でもあるんだ。うがった見方かも知れないけど、安田陽健には気をつけろってあんた達も言われたんじゃないの? 遷座祭に多額の寄付をしたって聞くけど、素直に信じるには嫌な話が多かった」
「どんな?」
「女の子が見つかったその後、クラスメートの子たちがショックを受けて何人もやめて、その後に、たくさん松代小学校に電話がかかってきたんだ。生徒がやめたんでしょう? 席があいているんでしょう? 編入は受け入れないんですか、うちの子を入れられませんかって」
「おいおいおい」
 乾いた声で笑い、パジェットはかぶりを振った。
「そりゃあさすがに」
「本当だよ」
「でもよ」
「……本当だよ」
 三人が気まずく黙りこむのを受けながら、キリエは改めて重い口を開く。
「で、これは、どこも絶対に報道するなって言われたことなんだけど……最初にいなくなった女の子は、松代陽花の姉の娘だったんだ。要するに、姪御さん。その子も野外学習の前にひどいノイローゼだったみたいで、お母さんにこう訴えてたんだよ」
 後ろを私がついてくる――、と。

(中編につづく)
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