お話の、あるところ。

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『夢見る病気』豊原ね子

投稿作品『夢見る病気』〈23〉 著者:豊原ね子

第二章 Reginita(第十二枝 春) 第五話 死者の国の生者――1/3
第五話 死者の国の生者 

 ―1―

 零時をまわっても、離宮の書院の二階には、変わらず明かりがついていた。ミナシキは休まずディスプレイを睨んでいた。
 キーボードを叩く音ばかり鳴っている。
 ミナシキはまた違う音を聞いていた。頭の後ろの高いところから聞こえる通奏低音。夜の音と称するこの音を、他の者にも聞こえているのか尋ねたことがある。聞こえていると応じた者は誰一人いなかった。
 ロウオクが言ったとおり、レギニータの市民ネットには自由に接続できた。どこの階層の工場でどんな野菜がたくさん取れたとか、どこの階層ではこんな求人があるかなど。そんな中から、インカーネイトの知能回路に割りこむ方法を探していた。
 マンティスTX898524IKからキセリタへの通信は絶えていた。ハイダもミナシキに接触してこない。『出来ないようです』キセリタはそう言った。『インカーネイトが彼女たちを遠ざけています。もともとマーテルとは不仲でしたけど、これで何事も起きなければいいのですが』
 何事も起きないはずがないことを、キセリタもまた覚悟しているのだ。
「インカーネイトは俺の動きに気付いてないだろうな」
『ええ、今マーテルと揉めているみたい。あなたはどう?』
 長いことディスプレイに向かって前のめりになっていたミナシキだが、ついに体を背もたれに投げ出して長い息をついた。それはそうだ。インカーネイトの知能回路に市民ネットから割りこめるはずがない。
 目の奥が疼くように痛む。しばらく鼻の付け根をつまんで引っ張り、楽になるまで待った。
『少しお休みになったら?』
「そうだな」
『ReRouE=メルトバがうるさいの。あなたが何をしてるのかひっきりなしに尋ねてきて』
「レンシディのReRouEか。面倒な奴だ」
『今夜は接続を切ったほうがいいわ。メルトバが監視してる』
 目から手を放した、その時、緊迫した声でキセリタが呼んだ。
『電気を切って』
「どうした」
『アスセナが来るわ。リゾングラーテがあなたを訪ねて来ます』
 ミナシキは慌てて電気を切った。庭に出て、食堂の裏に屈んで、来訪者を待った。
「アスセナというのはどんな奴だ?」
『よく言えば平和主義者ね。ただあなたの事は警戒している』
 間もなく砂を踏みしめる、少女の怯える足音が聞こえた。足音は、木立の下、離宮を目指し歩いてくる。
「お兄様?」
 リズは本棟に入っていき、ミナシキとは壁一枚はさんだ階段を上った。ミナシキは裏口から後をつける。明かりの漏れる寝室を勢いよく開け放つと、中にいた少女が飛び上がって振り向いた。
「何をしている?」
 リズはまん丸に見開いた目でミナシキを見つめ、胸に手を当てて動悸を鎮めていた。
「この深夜に一人でのこのこ男の部屋にやって来るとは、大した王女だ」
「一人ではございませんわ、お兄様。私にはReRouE=アスセナがついております」
 リズはすぐに落ち着きを取り戻した。
「異性であったら、妹が兄の部屋を訪ねてはいけませんの?」
「そういう話はしていない。危機感のない奴めと言っているんだ。それで何をしに来た」
 自分だけ椅子に座り、机に肘をついて、立たせたままのリズに敢えて威圧的に言った。リズはしばらく目の前の王族の乱暴な態度に驚いていたが、唾をのんで向き直った。
「あの、私は、お兄様に謝らなくてはなりません」
「おまえが謝る? 何を? いま俺が軟禁を受けていることに対してか?」
「私はお兄様がこうなることを知っていました」
「知っていたところでどうだ。結局何もする気はなかったんだろう。それはおまえの責任じゃない。謝るというのなら、何か王族として務めを持つようになってからにするんだな」
 にべも無いあしらいに、リズは頬を真っ赤にそめて俯いた。そんな煮え切らない態度にミナシキは本当に苛立ってきた。それでも。
「……二人で話をしよう」提案した。「ReRouEは抜きだ」
「お兄様?」
 立ち上がり、戸を開けて、先に剣帯を外した。サーベルを真っ暗な廊下の壁に立てかける。
「聞きたいことがある。母上のことや、いろいろ」
 語気を和らげると、それで安心したのかリズもフルーレを外して手で持つ。廊下にそれを置くとき、しなやかな指の動きを止めた。
「……大丈夫よ、アスセナ。お兄様はそんなことしないわ」
 ミナシキが戸を閉めると、本当に二人きりとなった。
「おまえ、誰に言われて来た」
 椅子に戻り、最初にそう問うた。リズはさも心外という顔で首を横に振った。
「私は自分の意志で参りました。誰に命じられたでも、言われたでもございません」
「おまえの姉はここに来ることを良しとしなかったはずだ」
「それは……お姉様には固く禁じられました。ですが」
「無許可で来たというわけか」
「はい。私、お兄様にもう一度お会いせずにはいられなかったんです!」
 ミナシキは不穏なざわめきを堪えていた。
 インカーネイトへの接触の試みに疲れ、途方に暮れかけた矢先に、こんなチャンスが訪れて本当にいいのか。罠ではないか、うまくいき過ぎではないか。
 しかしここで臆しては、二度と機会は訪れまい。ゆっくりと、不穏な内心が表情に出ていないか、仕種に出ていないかを確かめた。覚悟を決めて深呼吸し、面つきを変えて切り出した。
「リズ、すまなかった」
 沈痛な面差しでうなだれると、態度の急変に驚いたリズはすぐに、「おやめください」、ミナシキを制した。
「いいや、俺は妹であるおまえを疑い、酷なことを言ってしまった。おまえが何も悪くないことは分かっていた。紅茶を淹れよう。まだ何ももてなしをしていなかったな」
「謝らないでください、お兄様。お気持ちは分かりました。私に頭を下げるなどよしてください」
 傷ついていたリズは、会ったときと同じ夢見る少女の表情で、勧められるままテーブルについた。間もなくポットの湯が沸き、深い紅茶の香りが部屋に満ちた。
「母上の話を聞かせてくれないか」
 二人はテーブルで向かいあった。紅茶で掌を温めながら、リズはじっとミナシキを見ていた。
「ここ数年のご容態はどうだ?」
「お体がかなり弱ってしまっていらっしゃいます。特にどこが悪いというわけではなく、体全体がもう……。生きる気力の問題だと、医師の先生は仰いました」
「俺は長らく輪廻の鯨を出ていたが、レギニータ外壁やその周辺の様子を見るに、母上の施政がうまくいっているとは思えない。インカーネイトが機能している限りそれが内壁深くに波及することはないと思うが……」
「ですが母上はインカーネイトと接触し、王である時には活力を取り戻されます」
「それはインカーネイトの作為によるものだ。王であるときだけ俺やミナスのことをきちんと思い出すわけではあるまい」
「はい」
「このままでは母上は、インカーネイトにただの足手まといと見做されるだろう。リズ、母上は本当は、夫ミナスが亡くなったことを分かっているんだ。意識の底深くで。それを恐れるあまり心の均衡を欠いてしまったのが、今の状態だと思う」
「どうすればいいの?」
「母上が気力を取り戻すには……」思わせぶりに言葉を切り、ため息と共に続けた。「ミナスともっと会わなければならない」
「ですが、ミナス様は」
「母上は俺とミナスの区別がつかない。俺ならミナスを演じることができる」
「……ですが、母上もいつかはミナス様の死をお認めにならなければならないのではないですか? その時に母上はもう一度、ミナス様の死に深く傷つかなければならないはずです」
「だが今は足がかりが必要なんだ。拠って立つところが定まれば、それが偽りでもやがて真実を受け入れられるようになるんだ。母上はもう何年も心の足場を崩されたままでいる。ロウオクやゴドハがそうしてきたんだ。善意か悪意かは別として」
「悪意でそのような事をなさるはずがないわ! でも本当に、本当なの?」
「ああ、本当だ。リズ、ここから母上と連絡はつけられるか?」
「今ですか?」
 少し戸惑ったようだが、すぐに頷いて応じた。
「零時になれば、お母様はインカーネイトとの接続を解かれます。もう寝室にお戻りになった頃かと思いますが……」
「もし通信が出来るなら、繋いでくれないか」
「お兄様、お母様はご公務を終えたばかりで疲れてらっしゃいます!」
「俺が今日、いいや、もう昨日だな。どれだけの間母上と話が出来たと思う? リズ、ほんの五分もなかった。輪廻の鯨を出ていた時間は十三年、それからたったの五分だ」
 テーブルから少しだけ身を乗り出した。
「だから頼む、リズ。俺をもう一度母上に会わせてほしい。朝になったら公務が始まるのだろう。そして次の夜、おまえはまた来れるか。恐らく来られないだろう。頼む……母上に会えるのは今しかないんだ」
「お兄様、分かりましたわ、お兄様。ごめんなさい。あなたの辛いお心を思いやることが出来ませんでした。母上もお話をしてくださるはずです」
 スカートのベルトから、長方形の電子端末を取り出した。ありふれた通話機に見えるが、宮殿区内のみで使える王族の専用機だとリズは言った。
「だけどお兄様、お母様はお兄様のことが分からないのですよね? どうなさるのですか?」
「ミナスとして呼びかける。母上は必ず応じるはずだ」
「お兄様はそれでいいのですか? 息子として戻ってこられたのに……」
 ミナシキは重ねて、穏やかに頼んだ。
「母上につないで欲しい。俺にはこうするしかないんだ」
 リズは了承し、操作盤をいじった。間もなくそれをミナシキに差し出した。画面は暗いままだった。いぶかしく思って見詰めると、唐突にレンシディの顔が現れた。灰色の髪。その顔は、日中よりさらに疲れて見える。
「リズや?」
「レンシディ」
 低い声で呼びかけると、どこか暗い部屋を背景に、レンシディが丸く口を開けた。
 ミナシキはミナスの顔を知らない。普段どうした表情をしていて、どんな声で、どうした喋り方をするのか、何も知らない。
「レンシディ、ひどく疲れてるね」
 伝え聞く話で自分の中に構成したミナスのイメージに賭けるしかない。レンシディが思うそれと大きくずれたら演出は破綻する。無駄なことは言うまい。エグバートを欺きぬこうとした時のしたたかさが蘇っている。ミナシキはそれを、はっきりと自覚した。仲間だった人間との戦いや、理解を超えた出来事によって、一度はそれは打ち砕かれた。だけどこうして戻ってきた。レギニータに。輪廻の鯨に。
 分かり合いたいなどと甘いことはもう言うまい。憎まれるならそれでもいい。
「ミナスなの? まあ、一体どうしたことかしら」
「迷惑だったかい?」
「とんでもございません。嬉しいわ、あなたからお話にきてくださるなんて」
 レンシディは今や顔中が笑顔だ。これは自分の母親なのだ――だから、何だ。
「私はいつも、ずうっと信じて待っていたのですよ。あなたが必ず帰って来てくださること。それでも心配しておりましたの」
「もちろん、僕もだよレンシディ。こうして帰って、君やリズに会えるのを楽しみにしていた。君を残して僕が死ぬわけ無いじゃないか」
「今はリズと一緒にいらっしゃるの?」
「ああ。リズ、おいで」
 ミナシキは厳しい目をしてリズを見やった。「さあ」、リズは落ち着きのない白い顔をして、ミナシキのほうへ歩いてきた。後ろに立ち、共にディスプレイを覗きこむ。
「やっとお父様にお会いできたわね。リズ、嬉しいでしょう」
「はい……うれしいわ、お母様」
「レンシディ、僕たちがずっとこうして居られたらこんなに嬉しいことはないけれど、困ったことになったんだ。レンシディ。君は僕を愛しているかい」
「もちろんですことよ、ミナス。一体どうなさったの?」
「それならどうか、僕の頼みを聞いてくれないか。でなければ僕はもう二度と君に会いに行けないんだ」
「会いに来られない? いったい、どうなさったの」
「だから頼みを聞いて欲しい」
 ミナシキは、言った。
「僕は今、離宮に閉じこめられているんだ! ここから出してくれ!」
「お母様!」
 ずっと後ろでそわそわしていたリズが、ミナシキから通話機を奪い取った。
「お母様、ここにミナス様はいらっしゃらないわ! ミナス様は亡くなりました!」
 慌てて立ち上がったミナシキから、リズは逃れようとした。その細い腕をつかんで引き寄せた。電源の切れた通話機が床に落ちて滑り、その横を四本の足が交錯する。
「勝手なことをするな!」
「もうやめて! どうしてあんな、お母様のお心を弄ぶようなことが平気でできるの!」
 肩を大きく振ってミナシキを振りほどき、リズが逃げる。その体を捕らえ、共に廊下になだれこむ。電光とともに、凄まじい放電音が鳴り響いた。それは二つのReRouEが、それぞれの主人を守ろうと相克しあった音だった。そうと分かったのは、リズを部屋に引きずり戻してからだった。
 手足をタオルで縛り上げ、それが簡単に解けぬように水を吸わせながら、転がるリズを見下ろした。こんな仕打ちを受けるのは初めてに違いない。悔しさと恐怖で目に涙を滲ませ、首をよじって精一杯ミナシキを見上げていた。
「ひどいわ、全部嘘だったのね。最初から私を騙すつもりだったのね!」
「だから謝る必要はないと言っただろう。お互い様になるからな。言っておくが、アスセナに緊急信号を出させたりなどしないほうがいい。知っているだろう? レンシディはミナスの死という現実から逃れようとし今の様となった。二度と本当のことなど教えてやろうとするな。本当に、完全に壊れるぞ。俺にはそれができる」
 リズは堪えきれず泣きだした。熱を放つ廊下のキセリタを回収し、剣帯を装着した。
「――待ってお兄様、お願い! 電気を消さないで! 私真っ暗なところは嫌いなの! お願い!」
 ミナシキは電気を消し、本棟を真っ暗な状態にすると、しっかりと施錠をした。そのまま門に向けて歩いた。ミナシキは武装を整えていた。本棟の二階からリズが泣きながら呼ぶ声が聞こえていたが、少し歩くともう聞こえなかった。
「駄目ね、メルトバのせいで他のReRouEの交信回路から締め出されてしまった」
「王の状態は分かるか」
「インカーネイトは私を切らないわ。安心して」
 そのまま待った。時間の感覚は無かったが、ひどく待たされたように思う。
「結界が解けました」
 だがその時が来てしまえば、すぐだったようにも思う。わからない。ミナシキは門をつかんで押した。跳ね返す力はもうなかった。木々が繁る小径をひた走る。
「レンシディが独断で解除させたのか」
「ええ」
「マーテルとハイダが動いているだろう。インカーネイトがハイダを認識しないとはいえ、奴の働きは無視できないはず」
 道が開ける。振り向くと離宮の屋根が黒光りして見えた。ミナシキはすぐまた走り出す。
「結界が修復されました。収束点がいないことにインカーネイトが気付いたわ」

 ―2―

 アスセナは緊急信号を出した。だがそれ以前に全てのReRouEが離宮の結界解除を知っていた。王のそうした行動にReRouEたちが気付かぬはずがなく、結界が解除された場合誰に利益があるかを考えればそれは収束点たるミナシキのほか居らず、ミナシキに接触しそうな人物のなか、今所在が分からないものはリズだけである。
 したがって、アスセナのもとには、事態を受けた他のReRouEたちからの問い合わせが殺到した。その時アスセナはリズに、緊急信号を出すよう説得中で、それがまとまらぬうちに、事態を察知した他のReRouEたちに一件を説明しなければならなくなった。そして何故緊急信号を出さなかったのかと方々から責められて、慌てて信号を打ったのである。
 今更出しても無意味だ。
 結局ReRouEは持ち主に似るのだ。持ち主が馬鹿ならReRouEも馬鹿だ。
 第一王女ロウオクはリズとアスセナを馬鹿だと思っている。馬鹿なだけなら問題ない。馬鹿で行動力があるからいけないのだ。かくしてリズは、一時的に結界が解除されてから三十分も経ってから、王宮内でロウオクと再会した。
「ああ、リゾングラーテ。なんてひどい目にあわされたんだ。かわいそうだこと!」
 つい先ほどひどく騙されたばかりのリズだが、憂いに満ちた姉の嘆きを信じて自室で泣き伏せた。縛られていた手首と足首には赤紫の痣ができできている。毛布を抱きしめて倒れこんだリズのその手を、ロウオクは大切にさすった。
「おやまあ、何て痣になってしまったんだ。痛々しい。これは一週間は消えないだろうねえ。困ったねえリズ、この週末にはお前の誕生会があるというのに」
 リズは小さな体を震わせて目を開けた。
「こんな痣があっては新しく仕立てた夜会服が着られないじゃないか。あーあ、今から長袖を発注しようともとても間に合うまいねえ」
「お姉様、どうしましょう」
「前回のものを出すかい? あ、冬物しかないか」
 ロウオクは笑顔を寄せた。
「そういえばクリーヴェイ技術少将の末娘のエリズ嬢もパーティーにくる予定だったね。あの子は真新しいドレスを仕立ててくるはずだよ。そういえば、ああ、学友のミルディン君も来ると言っていたじゃないか」
「どうしましょう! ミルディン君がいらっしゃるというのに、服がないわ! 私あの方に来ていただきたくて、たくさん、たくさん来てとお願いしたのよ! しかもあのエリズは真新しいのを着てくるというのよ! どうしましょう」
「どうしましょうと言ったって、消えない傷は消えないだろう。ああ、かわいそうに! 人生でたった一度の十三歳の誕生日なのに! もう二度と来ない一日なのに、何という悲劇だろう!」
『ロウオク、遊んでる場合じゃないだろ!』
 ギィーエルミーナがたしなめた。ロウオクは、枕もとに置いた兜のReRouEを小脇に抱え、立ち上がって泣いているリズを見下ろした。それから精一杯優しい声音で語りかけた。
「リズや、私は行かねばならぬ。待ってておいで。お前の悪いお兄様をどのように懲らしめてほしい」
「お兄様は、お兄様は恐ろしいお方です」
 嗚咽しながら答えた。
「今の私と同じくらい、辛い思いをさせてください!」
「おお、よし、分かった。そうしよう」
 服が着れないくらいで嘆き悲しむ男なら、誰も苦労しない。ロウオクは専用エレベータを降りて、足早に緊急時のブリーフィングルームに向かった。部下たちが廊下を行き交いながら略式の礼をする。コードを打ちこむ。ブリーフィングルームのシャッターがロウオクを迎えた。
 各デスクのモニタが煌々と点り、騒然としていた部下たちがひととき静まる。壁沿いの螺旋階段を上り、上座についた。父ゴドハが既にいた。六十を過ぎてなお巌のような巨躯を誇り、生きた黒い甲冑がごとき有り様で机の下の部下たちを睨みおろしている。
「収束点はまだ見つからないのか」
 ヘッドセットのマイク越しに、真下の女が答えた。
「はい、恐れながら」
「増員しろ。奴は外壁で実戦を積んだレジスタンスだ。一人の王族であると見做してはならない。茂み、木の上、池の中、奴はどこにでもいると思え」
「王婿殿下!」
 初老の技術少将が上ずった声をあげた。
「インカーネイトが放熱を停止いたしました。インカーネイトが異常加熱中、意図不明です!」
 低いざわめきがブリーフィングルームを這う。
「インカーネイトに繋げ!」
「先ほどから試みておりますが、我々の呼びかけに応じません」
「レンシディ陛下が接続なさっているはずだ、インカーネイトは陛下を蒸し焼きにする気か!」
 インカーネイトの放つ熱は通常、五本の冷却管によって裏の冷却室へと集められ、地上に排出される。それがなければ、誰も輪廻の鯨上層に立ち入ることはできまい。隣席のゴドハが厚い唇を開いた。
「インカーネイトの異常行動がレギニータの防衛に起因するものと仮定した場合、インカーネイトが恐るるに足る対象とは何だ。答えろ、クリーヴェイ技術少将」
「やはり、第一にそれはマーテルでございましょう」
「インカーネイトは異常な振る舞いを示す以前にマーテルとやり取りがあったか」
「頻繁に信号を送りあった形跡がございます。第七枝の信号です。平文に落とすには時間が必要です」
「我らに知られては困るやり取りがあったか」
 王は機械知性体と人間の代表が合わさり初めて王となる。両者は互いに協調し、そして監視しあわなければならない。そのインカーネイトはマーテルと謎めいた協議をし、レンシディはインカーネイトの隙を突いて収束点を解き放った。両者はここまで乖離してしまった。
 室内の緊張を跳ね除けるようにロウオクが命じた。
「マーテル機関室を呼び出せ!」
 担当の者が呼び出しにかかり、間もなく、灰色の鬚を蓄えた細長い顔の室長が正面のモニタに映し出された。白い詰襟の制服にはさまざまな徽章が光り、壇上からこちらを直視する姿は、まるでずっと待っていたような余裕に満ちていた。
『何のご用件ですか』
「時間が無い、本題に入る。先の霊子結界事故以来、マーテルにはインカーネイトとの間にやり取りがあったはずだ。そちらにはマーテルとマンティス監視のための第七枝の特派員がいる。交信の内容を教えろ」
「こうした交信は平素より行われておりました」室長は平然と答えた。「何をそんなに慌てておられるのか、分かりませんな」
「貴様の脳みそはスポンジか! 第二枝からの新しいマンティスをマーテルが吸収した時もそうだったな。貴様らは隠していた。これは立派な背信行為だぞ」
「隠すなど滅相もございません。あの程度の中身の入れ替えは頻繁に行われておりましたゆえ」
 鬚を撫でた。
「治安序列でマーテルの上に立つものはインカーネイトとレンシディ陛下のみでしたな。王は無論、件のマンティスの受け入れをご存知でしたぞ」
 ロウオクは怒りをこめて睨み付けた。
 インカーネイトとマーテルが不仲なら、それを取り巻く人間たちも状況は同じだ。そしてマーテル、マーテルが統べる第十二枝中のマンティスは、レギニータのみの財産ではない。口やかましい第七枝の連中さえいなければ御しやすい連中なのに。
「お待ちを」
 唐突に室長は礼をし、しばし画面から消えた。ロウオクは何よりこうした振る舞いが気に食わない。三十秒と待たなかった。室長は再びモニターに現れた。
「ただ今、マーテルからの要求を受信しました。いわく、レギニータ第一王子ミナシキ殿下との面談を要求しております」
「王子だと、そのようなものはいない。奴はただのミナシキだ、収束点だ、デクノボウだ! ReRouE=キセリタを失いたくなかろうという情から王室に籍を残しておいてやっているだけだ」
「王位継承序列第一位の王子に対する扱いとしては、あまりにも酷ですな」
「口を慎め! 貴様もレギニータ人ならば身をわきまえろ!」
 喝を下したのはゴドハだ。階下の部下たちが身を竦める。
 そもそも人間の代表者はインカーネイトが決めるものであり、レンシディも継承序列が低い第三王女であった。選抜の基準はインカーネイトにしか分からない。
「第七枝の者の意見だとすれば、内政干渉も甚だしいぞ」
「緊急報告! 失礼します、インカーネイトが動作を開始しました。放熱回路に干渉あり、インカーネイトが放熱管を操作しています!」
 モニタの中の室長も、興味深げに視線を注いでくる。インカーネイトの蓄熱量は相当なものとなっているはずだ。
「報告、放熱パイプの冷却機能が停止しました。インカーネイトは尚も放熱回路の組み立てを続けています」
「何をしているんだ、早くやめさせろ! インカーネイトは自殺する気か!」
 騒然とする場を収めようと、ゴドハとロウオクは共に立ち上がった。
「静まれ! 放熱パイプがどこに向かっているか分かるか!」
「これは」女が唾をのみ、殺した悲鳴のように答えた。
「マーテル機関室……!」
 初めて、室長が顔色を変えた。
「インカーネイトが放熱を」
 開始します――、と少将が言う。
 モニタが暗黒に塗りつぶされた。
 そう長い時間ではなかった。
 音などなかった。
 室長も、それを取り巻くほかのオペレーターたちの声なども、何一つとして聞こえなかった。
 沈黙は続いた。ずっと。さしものロウオクも声を失う。マーテル機関室を映すモニタは、いつまでも、暗いまま。
 インカーネイトによって焼き払われたことは、確実であった。
 出来事をそのまま信じられる者はなかった。インカーネイトだけが正常を取り戻し、放熱を再開する。
 これが暴挙以外の何であろう。インカーネイトが彼らを殺したという事は、自分たちも殺される可能性があるという事だ。
「どうなっている少将」
 直立する人々の中で、さらにそれより蒼白な顔の少将は、今にも膝から倒れそうだ。ゴドハがたしなめた。
「追究はあとだ。国と人民のためにあるインカーネイトが、国の枢軸にある人間を殺した。これはマーテル並び機関室が、国にとって脅威となりうる働きをしていたと見做すべきか」
「なりうる働き、などと曖昧なものではここまでの暴挙に出られますまい。父上、何らかの確信がインカーネイトにはあったと考えるべきでしょう」
 破壊活動にいたる確信がインカーネイトにはあった。インカーネイトは機械だ。外壁を這う人間のレジスタンスどもとは違う。怒りや不満ではなく、真実があるのだ。その真実はレギニータにとって、決して生易しいものではあるまい。
「マンティスやマーテル、他枝においてマーテルと同列の働きをする知性体の数々は、対蟲戦術のほか人類が生きられる世界の模索を旨としております。人類世界の存続のためなら、世界樹世界の一つの葉、一つの分節をそのまま滅するほどの過酷な決断も下すものです」
 少将が呟いている。ヘッドセットがあるからようやく聞き取れるという有り様だった。彼の部下たちが椅子を引っ張ってきて、両側から腕を取って座らせた。
「一方インカーネイトの存在意義はレギニータの守護と統治、そして再生。インカーネイトがマーテルに斯様な攻撃を断行したということは……」
 よく見れば少将は震えている。慌てて手渡されたコップの水を、口の端からこぼしながら飲み、それすら焦れてロウオクは先に言った。
「マーテルがインカーネイトに、第十二枝レギニータには存続の価値がないと告げたとでもいうのか」
「もはや有り得ぬとは言い切れぬ話でございます」
「捨て置けぬ話だ。しかしマーテルがそれに類することを告げたとすれば、理由は何が考えられる?」
「それほど大きな決断がレギニータのみに下される原因は考えられません。第十二枝内だけでなく、全ての、あるいは実に多くの葉で同じことが起きているやも知れません。そうであるなら――我らが認知する世界樹世界の多くが、切り捨てられる側の枝葉に回ったというのなら――それと引きかえに存続させられるべき世界は、マンティスが、創出以来、捜し続けていた世界という事でしょうな」
 それは、つまり。
「蟲が来なかった世界」
 少将は続けた。
「マンティスがその世界を見出し、我々がそれを追う形となれば、その世界と我々世界樹世界との紛争は免れますまい。その間にそちらの世界にも蟲が波及し、人類を滅ぼしかねぬと予測したのではないか、と考えることは可能でございます」
「マンティスは我々の世界が、我々の世界を蟲どもから守るために作ったものだ。その予測に基いて我々の世界の側を切り捨てるというのは、奴ら自身の存在意義に対し矛盾しているぞ」
「いいえ、それは誤りでございます。マンティスはひとえに人類という種の存続のために作られたものでございます。どちらの世界の人類のほうが存続の確率が高く、どちらがお荷物であるか。マンティスにとって人類は、創造主であると同時に守るべき裸の幼な子。マンティスからすれば、矛盾しているのは常に人類でありました。互いに矛盾しあうことによって、我々は調和を保ち続けてきたのです!」
 部屋中が沈黙した。
 マンティスの語義、それはカマキリ。蝿の捕食者。はじめの侵略の形である蝿を狩るために考案され、やがて蟲はカマキリの形でも侵攻を開始した。カマキリは人類の敵だ。マンティスは? 考えても栓ないことだ。
「何故殺したんだ、インカーネイト。連中は全てを知っていただろうに」
『知ることさえも許されぬと判じたのだろう』
「どういうことだ。知っただけで殺されると?」
『それが何かは分からんが、知ったから、連中は殺されたのだ。そういう質の出来事もあるのだ』
 ギィーエルミーナの返答は短かった。
「おい、今マーテルは何をしている」
「輪廻の鯨上空から離脱、現在は結界北辺にまで退避しております。また消失直前のマーテル機関室から、第七枝に向けて暗号化されたデータを送信した痕跡を発見しました。データの発掘と解析には十七か月から三十五か月がかかる見通しです」
 その暗号を直ちに解析できるのは、多世界に散らばるマンティスを駆使して超同時並列演算を行うマーテルだけであろう。なにより人間が解析するまでの間に、それをインカーネイトが隠したり消滅させるおそれがある。少将が怯えるその理由が、的中していればだが。ロウオクは卓上のギィーエルミーナに掌を載せ、小声で尋ねた。
「で、インカーネイトはどうしてる」
『マーテル本体を撃墜する方法を画策しているところだ。思考回路に割りこめない。私以外のReRouEたちもみな締め出されてしまった』
「何故そうも怒り狂っている?」
『インカーネイトに怒りはない。我ら具現結晶霊体とは違う、純然たる機械だからな。ただ黙秘のうちにそれをするに至る理由があるだけだ』
 電子音のチャイムが天井から降り注いだ。王からの緊急交信を告げる音色だった。間もなく天井のスピーカーが金属的な女の声で告げた。
『インカーネイト中央制御体、インカーネイト体内より王レンシディがインカーネイト機関室へ緊急の接続をお命じです。インカーネイト機関室は直ちに応じなさい。繰り返します』、繰り返す前に、暗黒だったモニタにレンシディが大映しになる。寝入る前に慌てて駆けつけたという様相。乱れた灰色の髪に化粧を落としたままの顔、そのひどく取り乱した表情は、リズの証言を裏付けるものだった。
「ミナスは? そこにいるのはロウオクね。ミナスはどこにいるの?」
「陛下、いかがなさいました。お休みにならねばならぬお時間です。どうかご自愛を」
「ロウオク、先ほどミナスとお話をしましたの。ミナスはどこ? 離宮に閉じこめられているって、本当なの?」
「閉じこめるなど滅相もないことです。陛下、ミナス王婿殿下は自室でお休みです。どうなさったのです? 悪い夢でもご覧になりましたか?」
「今すぐミナスを連れてきて!」
『言うとおりにしたほうがいいぞ』
 ギィーエルミーナが語りかけた。
『ひとまずレンシディを落ち着かせろ。それから……それからインカーネイトの暴走をレンシディに宥めさせたほうがいい。ミナスに会わせるんだ、ミナシキに!』
「こんな事で」ロウオクは兜の上で拳を握り、呻いた。「こんなことの為に、アレをもう一度王宮に入れろと言うのか、汚らわしい! おい、ReRouE=キセリタはどこだ!」
「ロウオク様、失礼します」
 一番下座のオペレーターが声をかけてきた。
「何だ」
「第二王女リゾングラーテ様が入室と面談をお求めです。いかがなさいますか?」
「入れるな、私が出る。執務室にでも通しておけ」
 オペレーターやゴドハにレンシディの気を引かせながら、ロウオクは自分のReRouEの返事を聞いた。
『行方が分からん。息を潜めている……そのくせ自分の居所が分からんようにこちらをこそこそ窺ってるんだ。嫌な女め!』
 ギィーエルミーナの言うことは正しいのだろう。レギニータにはマーテルが必要だ。レギニータの霊子結界技術とインカーネイトがあればマーテルなど必要ない、と粋がる者も、以前ならばいただろう。あの結界事故さえなければ。
 シャッターを出、長い中継ぎの廊下を渡り、階段を下りる。リズは執務室の明かりをつけて、ソファで待っていた。
「お姉様、やっといらした! お母様とお話をなさっていたんですね」
 リズは立ち上がると、ワンピースから伸びる華奢な足を動かして駆け寄ってきた。
「ああ、お母様と話してきた」
「お母様は、大丈夫ですの? ひどく傷ついてはいらっしゃいませんでしたの?」
「大丈夫だ。リズ、何をしに来たんだい?」
「私、どうしてもその事を確かめたかったんですの。ああ、よかった。お母様はご無事ですのね!」と言って、頬に両手を当てた。「よかったわ。私も辛い目にあいましたが、本当に一番辛いのはお母様ですものね!」
「そうだねえ。お前もたくさんたくさん傷ついただろうから」
 満面の笑顔でロウオクは顔を寄せた。
「その傷が早く癒えるようおまじないをしてあげよう」
「まあ、嬉しいわお姉様」
「さっ。目をつぶってごらん」
 ロウオクを見上げたまま、頬を朱に染めて目をつぶった。淡い微笑を浮かべ、期待して待っている。ロウオクは、拳を握った。肩を引きその拳で全力でリズの顔面を殴った。リズはソファまで吹っ飛んでいき、背もたれで腰を打ってソファの反対側に姿を消し、倒れた。

 ―3―

『嫌な女と言われましたわ。さっき』
 キセリタが言う。
「誰だおまえにそんな事を言うのは」
『ギィーエルミーナ、ロウオクの兜のReRouE。わざと聞こえるように言ったのよ』
「嫌な奴だな。持ち主によく似ている」
『聞き取れたことをあちらに悟られてはいないわ。安心して』
 ミナシキは芝生に片膝をついて、展望台の陰から外の様子を窺っていた。間もなく警邏隊の二巡めが来るはずだ。庭園からエレベータまでは遠く、ゆるい起伏とまばらな木立があるだけで、身を隠す場所も無いくせに見晴らしが悪い。
「……熱い」ミナシキは気付いて言った。指先に触れる庭土が熱を持っていた。
「キセリタ、この庭園の真下は何だ?」
『マーテル機関室よ』
「そうか、じゃあ断熱も隔離も完全にされているはずだな」
 掌を押し付けた。やはり熱いことに変わりなかった。
「土の下が熱い」
『マーテル機関室からの熱が漏れてくるはずは無いけれど……今何が起きているのかしら』
 そこに行きさえすれば、うまくいけば協力者を作れるかもしれない。ハイダがマーテル機関室の人間と接触しない理由はないのだから。しかし、ハイダの話が受け入れられない限り、機関室の者がミナシキの身柄について言及することはあるまい。やはり甘いか。夜区間で理解不能な力を見せ付けられたミナシキとて、未だハイダの話を信用しきっていないというのに。もし自分が機関室の人間だったら、収束点が何らかの手段でマーテルを利用している、と考えるだろう。味方などいないと思うべきだ。ハイダでも。彼女が介入してきたらろくな事にならないはずだ。ましてここは夜区間とは違う、王国の中枢だ。ミナシキはレギニータを焦土に変えたいわけではない。
 ただ真実を知らなければならない。
 レンシディに会い、この身の自由を認めさせ、どうにかしてマーテルのもとに行かなければ。
 その後は……その後には何が起きる?
 さっきまでいた屋根を見上げる。ドーム型の屋根には梯子がかかり、横には巨大な天体望遠鏡が突き出ている。上空は快晴。宮殿の方向の空がうっすらと白く明るい。
 増員が来るはずだ。ここでいつまでも立ち止まっているわけにいかない。考えをまとめないと。
『ミナシキ』
「なんだ」
『ネルファンが呼んでいるの』
 ミナシキは無言で足元の芝生を睨みつけた。
「危害を加えないから出て来いと?」
『ええ、そう』
「夜区間でトルハイヨに伝令させてのこのこ出てきた結果がこれだというのに。馬鹿にしているのか?」
『王レンシディがお命じになったのよ。急ぎミナスを連れて来いって。早く止めないと王が壊れてしまうと』
「もともとぶっ壊れている」
『レンシディがじゃないの。インカーネイトが、よ』
 暗闇のなか、サーベルに目を移した。
『何が起きているのか分からないわ。他のReRouEたちも同じよ。だけど私とあなたよりは知ってる。ミナシキ、私はこれを、知る必要がある事案だと考えます』
 そうだな。ミナシキは、そう答え、深いため息をついた。
「ラーネッドがどうなったか訊いてくれ」
『応答すれば所在の特定範囲が狭められます』
「構わん」
『ラーネッドは死にました』
 予想通りの、そして憂鬱になる答えが返ってきた。
『両腕のReRouEを切り落とした後に。他の八人の仲間と共に処刑されました』
 爪先で芝生を抉るように蹴り、立ち上がった。憂鬱だ。殺されただろうと分かっていたのに。
「俺はここにいる、伝えろ。俺のほうから行ってやる」
『分かりました』
 ミナシキは拳銃を抜いた。展望台の陰を出て、大股で歩き出した。昼間覚えた道のとおり歩を進める。
『もう大丈夫、王宮警邏隊への指示が変更されました。彼らは絶対に撃ってこない、あなたを見つけ次第保護を――』
「保護など要らん! 俺は、自分で行く、と言ったんだ」
 あずま屋のある池の畔、その向こうの木立から、三人組の警邏隊員が姿を見せた。
 何のためらいも見せず、ミナシキはその三人を撃った。乾いた連謝音が大気に吸い上げられていった。
「連中はふざけたことばかり……危害を加えぬというなら、やってみろ!」
 闇の中、正確に急所を撃っていた。リズの庭園が血に染まる。遠くでざわめきが沸き起こった。木立を抜ける。白いライトが点々とそこらに光っていた。それが順次消えていき、彼らは姿を隠す。最後に残った光点を撃った。男の悲鳴ののち、ライトは取り落とされて消えた。
『駄目よ、ミナシキ! なんて滅茶苦茶なことをするの!』
 道の真ん中を歩き続けた。もう正面きって立ち向かってくる者はなかった。地面は起伏を繰り返しながら、エレベータ塔に続く。退避しようとする一団が、撃てる範囲にいた。それに向けて撃った。一人が倒れ、誰かが「撃ち返すな」、と叫んだ。
 その声の主も撃った。
「六人」
 呟くミナシキの背後から、二人組みが気配を殺して迫っていた。その二人は銃声に紛れて距離をつめ、再び歩き出した瞬間に飛びかかった。
 ミナシキが振り返る。もう銃口は上がっていた。体が触れ合うより早く、掃射を浴びせかけた。
「七人」
 血が吹き上がる。折り重なって倒れた内の一人を更に銃撃した。先に息絶えた仲間の上で血を吐いた。
「八人……」
 近くの木へ歩み寄った。その裏から、潜んでいた若い兵士が悲鳴をあげて飛び出した。それを背中から撃った。
 撃たれてうつ伏せに倒れた兵士に、とどめの弾を撃ちこむ。宮殿のほうから照明の波が押し寄せてきたのは、そのすぐ後だった。護衛隊士を引きつれ、武装したロウオクだった。頭には兜のReRouE、手には儀礼銃。
 ミナシキはロウオクの前でマガジンを抜き、捨てた。
「九人。これで最後だ」
「あのReRouE人間だの外壁人だのへの手向けか? 貴様は気が狂っている」
「正気だ」
 機関拳銃を納めた。
「レンシディの所へ連れて行け。俺に会いたいのだろう?」
「その前に聞こう」
 儀礼銃に手をかけた形で相対し、ロウオクは一歩前に出て、ミナシキを睨み付けた。ロウオクならミナシキを撃てる。その判断を、必要ならば瞬時に下すことが出来る。
「貴様は国賊か」
 ミナシキはその目を見返し、「いいや」と答えた。
「ではこの行為は何だ。国賊だから、国賊のために国の兵士を殺めたのではないのか」
「王国の兵はいかなる階級であれ王の財産だ。国賊は王国の兵を殺すが、殺めることを認められた存在ではない。レンシディからの絶対の保護を受けるもので無ければな。ロウオク、俺は王族だ。レンシディに最も近しき王族としてこれをした」
 ロウオクの怒りを浴びながら、ミナシキは立って、彼女の動きを待っていた。
「レンシディの愛を受けるのは貴様ではなく死んだミナスだ。レギニータに王子はおらん」
「実際はそうでないことを、俺と貴様はいま証明した。貴様には俺を罰せないようだからな」
 足もとの骸は物も言わない。ミナシキも、ロウオクも、それを顧みたりしない。遠くから、死んだ仲間を回収する兵士たちの声と呻きとすすり泣きが、小さく聞こえてくる。
「来い」
 ロウオクが踵を返しながらミナシキを呼んだ。
「レンシディによる治世は明日をも知れぬ。次期国王については未確定だが、その時を覚悟しておくことだな」
 護衛隊士らが道を開ける。こんなにも自国の兵の憎悪を浴びる王族は、レギニータにいまだかつて居なかっただろう。
 エレベータが待っていた。明るさが闇に開いていた。その広い箱の中で、扉を閉めたロウオクが振り向く。
「あの兵士たちを撃ったのは、母親の大事なモノだからだと言うのか?」
 ミナシキは黙って目を動かし、ロウオクを見た。王女は目に怒りをたぎらせて、口角を吊り上げて笑っていた。
「貴様はまるで子供だ。親の大事な服をわざと汚して、今度こそ叩かれるのかと試している幼児だ。そんなに気を引きたいか。どんな悪いことをしてもアナタハワタシノコドモヨとでも言って欲しいのか? 馬鹿め。レンシディに正しい記憶が戻れば、必ず貴様のような存在を産んだことを後悔するだろう!」
「勘違いをするな」
 ミナシキは冷ややかに応じた。
「俺の情を利用して呼び出したのは貴様らだ。これくらいの犠牲は覚悟しておくべきだったな。何とでも言え。協力はしてやる。俺とてこの国を滅ぼしたいわけじゃない」
 エレベータが開いた。小さなシャンデリアに照らされる廊下がまっすぐ伸びていた。
 幾つもの扉を抜け、幾つもの廊下を抜けた。十歳の頃のミナシキが立ち入ったことのない、輪廻の鯨の奥深くへと、入りこんで行った。その内に、扉の前や廊下で立って見張る兵士たちも見なくなった。
 最後の扉を抜けると、そこは高い高い、吹き抜けの廊下だった。狭い螺旋の回廊が右巻きに壁に巻きついており、吹き抜けの中央を、半透明のチューブが幾重にも交差している。チューブの中はエスカレーターだった。頭上ずっと高くまで続いていて、むやみに速い。
 それを何度も乗り継いで、ついに頂へとたどり着いた。見上げるほど大きなシャッターが、行く手を塞いでいた。それが最後の扉だった。
「この先がインカーネイト体内だ。ReRouE以外の武器は置いていけ。父上が機関室から貴様を見張っているからな。私はここにいる」ロウオクは最後まで、大人しく銃を置くミナシキを睨み続けた。
「ふざけた真似はしないでおくことだ」
 ロウオクが壁の操作盤からコードを送信する。機関室からの操作で、シャッターが上下に開いた。石の廊下がまっすぐ伸びていた。天井は遠く、ミナシキの背より少し高いところに照明が並んでいる。
「行け」
 オゾンの匂いがする。寒くもなければ暑くもなく、ただこの先に本当に人がいることが信じられない。
 後ろでシャッターが閉まってゆく。閉まりきった時の残響が消えると、もうなんの音もなかった。廊下が曲がる。その先の緩やかにカーブする石階段を上るにつれ、天井が低くなる。
 上りきると、また廊下がある。左右の幅がいやに狭く、高さばかりある。ミナシキは目を閉じた。夜の音が大きい。音源に近付いたかのように。
『どうしたの?』
 キセリタの声で目を開けた。
「……いや、行こう」
 錯覚とは思えなかった。頭の底を痺れさすような低音が聞こえ続ける。廊下の行き止まりに立つと、白い自動扉が横にスライドした。
 ここは王の間、絢爛豪華、色とりどりの機械の配管たち。床も壁も天井もどこも、血管のように様々な太さのパイプが張り巡らされている。部屋の真ん中には低い階段があり、透き通る壁が王座とミナシキとを隔てていた。
 王座は卵型のカプセルだった。様々なパイプが突き刺さっている。中の人間がそれに刺し殺されていてもおかしくない程。鈍銀のそれには縦横に筋が入っている。入り口や窓なのだろうが、今は完全に閉ざされている。
「レンシディ」その卵に呼びかけた。壁を通り抜けて聞こえるように。
「レンシディ!」
 卵の上部の小窓が開いた。ミナシキの位置からは、レンシディはよく見えなかった。
「ミナス?」
 卵の前半分が、レンシディの為に開かれる。「ああ、ミナス!」ヘッドギアを外し、卵の中のソファから、レンシディは立ち上がった。王座へ至る階段を下りると、透明な壁の一部が開いた。レンシディはまっすぐに駆け、ミナシキの胸に飛びこんだ。
 同じ生き物とは思えぬほど、レンシディは痩せて軽かった。

「こんな大変な時に、わがままを言っちゃ駄目だろう?」
 王座の裏の薄闇で、ミナシキはレンシディの背を撫でていた。カプセルに凭れかかり、彼女はミナシキの肩に頭を預けている。
「今日は、いつもよりあなたが近くにいる気がするの」
「いつも近くにいるじゃないか」
「どうか笑わないで。怖い夢を見たわ。あなたが監禁されて、もう二度と会えないと言われる夢よ」
 黙ってレンシディの顔を見れば、ミナシキの肩に頭を乗せる彼女は、潤んだ目で微笑んだ。
「何に怯えて、そんな夢を?」
「マーテルが恐ろしいことを言うの。ミナス、誰にも言わないで頂戴」
「ああ。言ってごらん」
 レンシディは顔を寄せ、耳元で囁いた。
「マンティスたちがこの世界を見捨ててしまうかも知れないわ」
 思わず肩に力が入った。レンシディが目を大きくする。すぐに力を抜いた。
「ごめん。何故マーテルはそんなことを?」
「マーテルは、王である私に……王である私に……、レギニータは守る価値のある世界じゃないと」
「それは……」
 ミナシキは何か言う代わりに、両腕でレンシディの頭を抱きしめた。彼女の苦悩に対しかける言葉もない、という風で。
 マーテルが意地悪や嫌がらせでそんなことを言うはずがない。
「蟲がいるからよ」続けて言った「蟲がいない世界というものがあれば、レギニータがある価値はないと」
「可哀想に。それを誰にも言えなかったわけだ。マーテルは蟲がいない世界について何か他に言わなかったか?」
「言ったのは、その一回だけでした」
「マーテルを呼べるか?」
 レンシディは首を振って答えた。
「インカーネイトが遠ざけているわ」
「理由もなしにそんなことを許してはいけない。理由があるなら、理由を知って、それを止めなきゃならないじゃないか。レンシディ、君は人間の王なんだ」
「インカーネイトは他に大事な仕事を与えました!」
 二の腕にレンシディの指が食いこむ。痛いと感じるほど力強かった。枯れ枝のような指なのに。レンシディの白目は充血し、ミナシキを睨んでいる。
「蟲の声を聞くことよ。蟲たちがどこから来たのか、何を目的として人間世界を荒らすのか、知ることよ! どうすれば蟲たちが撤退するかを知るの。この世界の蟲を消せば、蟲が来なかった世界があったとしてもその優位性は失われるわ。他の枝に先んじることもできる。第十二枝の成果をどの枝どの多世界も賛美して……世界中がレギニータを見るわ。この第十二枝を!」
 二の腕をつかむレンシディが、一層力をこめた。ミナシキはその手首を押さえた。
「誰ももう私たちを忘れられた世界だなんて言わない。たくさん人が来るわ。物資が来て、お金が来るわ。支援がくる。最下層にいる人たちも、外壁にいるかわいそうな人たちも、豊かに暮らせるのよ!」
「インカーネイトがそう言ったのか? インカーネイトが言ったからそれを望んだのか? 蟲の声を聞きたいなどと。そんなこと、出来るはずがないだろう!」
「ミナス、やめて。私を悪く言わないで。怖いわミナス。お願い、やめて」
 指の力を解き、レンシディは手をミナシキの膝に下ろす。その手がゆっくりと、内股に這ってきた。
「ねえ、ミナス……」
「その気にさせて申し訳ないが、応じるわけにはいきません」
 手首をつかんで引き離し、ミナシキは硬い声で告げた。
「親子ですからね」
 レンシディの体が強張る。一瞬震え、顔を少しだけ上げたがミナシキの顔は見ない。ミナシキはその顎に指をかけて、強引に目を合わせた。
「もう一度言おうか。親子だからだ、レンシディ。俺はあなたの息子なんだ。忘れてもらっちゃ困る」
「ミナス」
「ミナス・バルトホークは死んだ。俺はその息子だ。おまえと、ミナスの間の子だ。ミナスは妻と子供を思い、戦い死んでいった。レンシディ、だからお前はもとの姓に戻って王となった。俺に姓名を教えたのはあなただ」
 彼女の震える瞳孔に、言葉を叩きつけた。
「俺の名はミナシキ。〈ミナスの息子〉だ、忘れたか!」
 しがみつくレンシディの腹を、掌でつよく押した。
「これが俺を産んだ腹か、レンシディ」
 レンシディはミナシキの肩を強く突いた。その力の勢いで、自分は床に倒れ、腕で這うようにミナシキから遠ざかった。
「分かっていたはずだ!」
 ミナシキは立ち上がった。
「ミナスが死んでいたことや、この俺がいたことも。蟲の声を聞けだと? 他にやるべきことがあった。それも分かっていたはずだ。インカーネイトがマーテルに対抗するためには、レンシディなど邪魔だった」
「やめて!」
 這いながら、レンシディは涙声で叫んだ。
「あなたは誰なの。出て行って、ここから出て行って!」
「だからインカーネイトは方便を与えておまえを黙らせた! 分かっていたんだろう、全部! そうではなく、インカーネイトと対等な人間になるべきだったという事も!」
 腕を突いて立ち上がり、レンシディは走ってパイプの壁の裏に回りこんだ。鉄色のパイプが縦横に差し渡されていた。その間をくぐり、すり抜けながらレンシディは進んでいった。一度振り向き、ミナシキの姿を認めると、悲鳴をあげて、張り巡らされたパイプの糸の中でもがいた。
「それが出来ないのなら王位を返上しろ、レンシディ! あなたは無能な人間だ!」
 ミナシキもまたパイプをくぐる。レンシディは服が絡まって立ち往生していた。来ないでと、ミナシキに叫んだ。
「貴方みたいな――」
 呻きながら何かを言いかけ、もがく。
「よく思い出すんだ。王として自分が何を為しえたか。あなたが王であることで、この国が何を失ってきたか!」
『ミナシキ、酷いことを言ってはいけない! レンシディは本当にミナスとあなたのことが分からなくなっていたのよ!』
 レンシディが泣いている。からむ服を引きちぎり、パイプの先へと進んでいく。
『インカーネイトがしたのよ、彼女の記憶を抑制するように!』
「キセリタ。母上は、王でいる間に俺を王宮に連れ戻すのをやめ、俺を忘れた」
 ミナシキも進む。彼女を追いかけて。今までそうであったように、レンシディに少しでも近付こうとして。
「俺が、あの時すぐ王宮に帰っていれば、彼女はそうはならなかっただろうか」
『違うわ、それも違う。ミナシキ、そしたらあなたは疎まれて、きっと命を落としていた。そして私とあなたは出会わなかった』
「出会えたほうがよかったか?」
『もちろんよ。誰があなたをどう言おうと』
 レンシディに聞こえぬ声で、ミナシキはそっと告げた。
「俺もだ、キセリタ」
 レンシディが先に壁を抜け、振り向いた。
「貴方なんかが居る世界など、いらない!」
 ミナシキも急いで、窮屈なパイプの壁を抜けた。
 レンシディはカプセルに駆け寄り、その王座についた。
 カプセルが上下左右から閉まる。
「レンシディ、待て!」
 間に合わなかった。ミナシキは拳でカプセルを叩く。
 世界が熱波で揺らいだ。後頭部がずんと重くなる。夜の音、と呼んできた音が急激に増幅された。
 視界が白く染まった。
 その光がどこから来ているか分からなかった。たまらず目を腕でかばう。
「レンシディ!」
 ミナシキは叫んだが、その声はひどく遠く遠くから聞こえた。もう一度その名を叫んだが、聞こえなかった。

 代わりに、キセリタの呼び声が聞こえた。
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