お話の、あるところ。

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『夢見る病気』豊原ね子

投稿作品『夢見る病気』〈29〉 著者:豊原ね子

夢見る病気〈29〉 第三章 Utopia(第七枝 夏) 第二話 交差

 ―1―

 翌朝支部に出向くと、バルコニーから、行谷がエントランスで話しこんでいる様子が見えた。相手は民間人の男女だった。近付くと、行谷が気付いてパジェットを見、何か言った。男女が振り向いた。玄関を開けると、冷房の風が顔面に当たった。
「パジェット・リゼキさんですね、儀礼銃士の」
 男が駆け寄ってきた。
 第一枝の人間だ。連邦か日本かどちらか。女の方はちがう……二人は夫婦らしい。男に並んで立ち、パジェットの手を取った。
「昨日はありがとうございました。息子と私を助けてくださって、何とお礼を申せばいいか……」
 昨日、北区郊外で助けた女だ。今はこ綺麗にしているから分からなかったが、よく見れば間違いない。
「本当に、私が今こうしていられるのもあなたのお陰です」
「いやあ、いいんですよ。無事でなによりだ。子供さん達はどうしてます?」
「大丈夫です、ええ、娘もそちらの方にしっかりと守っていただけたようで……息子は体が弱くて、今は市街の病院に預けておりますが、怪我などもせずにすんで本当に――」
 妻は声を詰まらせ、夫は深く頭を下げた。
「第一枝の方ですね」
 声をかけると、男は頭を上げ、あわてて背をのばした。
「はい。私は十五分節の日本から参りました」
「日本ですか。オレと行谷は連邦から。まあ、そうかしこまらずにいきましょう」
「そうでしたか。基幹により近いほうですね。申し遅れました、私はリキヤ・リプル、旧姓で小幡力哉と申します」
「入り婿か」苦笑で返す。「同じですね」
「あなたは、それまでは?」
「姓名はなかった。パジェットってのは隠し名でね」
「隠し名とは何です?」
「違う国籍の父親にこの別名を与えられてたんですよ。母親すら知らなかった。外では連邦の名で通してましたがね。この外見じゃどうにも似合わない。それで隠し名を連邦法で正式に改名したんですよ」
「そうですか。同じ枝の比較的似た国でも、文化がずいぶん違うものですねぇ」
「お仕事はいまは何を?」
「はい、私、呪符や呪符弾を扱う会社の営業をいたしておりましす」
「奇遇だ、うちの義父が呪符屋でしてね」
「そうですか!」
 これも何かの縁でしょう是非にといって、彼は会社と自分の名を紙にしたため、重ね重ね礼を言って帰っていった。
 黙って見ていた行谷も、並んで見送った後言った。
「商売人ですねえ」
 去ってゆく夫妻とすれ違い、また別の若い女が公道から歩いてきた。そのまままったく歩調をゆるめずにガラス戸をあけた。
「おはよう、行谷さん」
「おはよう」行谷は、パジェットを見た。「北駐屯地の看護師の崔さんです。こないだ食あたりを起こしたとき、お世話になった」
「ああ、それはどうも」
「崔寧です。パジェットさんですね、お噂はうかがっております。昨日は大変でしたね」
 崔が愛想笑いを返し言った。
「あそこは私の友人たちが住んでおります。民間人の死傷者が無かったのはあなたたちのお陰です」
 パジェットは手を振り、ふと思い出して尋ねた。
「そういやあ、北部の小さい病院を知ってますか? 赤い屋根の」
「ああ、ネーリ先生の病院ですか? 女医がやってらっしゃる」
「いや、そこまでは知らんのだが、気になる男を見たんでね」
 パジェットは昨日見た、言葉の通じない青年のことを話した。崔は知っている様子で頷いた。
「いますね、そんな人。いっぺん顔見たことあるだけですが、用心棒として住んでるんですよ。何でもあの女医さん、娘さんの旦那の保証人をやっていたけれど、失踪されたみたいで。ガラの悪いのが入れかわり立ちかわり来るんですよ」
「へぇ」
「そう、それで、行谷さん」
 崔はつま先の角度を変えて行谷と向き合った。
「いくの? 調査団。それを聞きに来たの。そろそろ締め切りだよ」
「そうか! どうしようかな」
 行谷が迷う素振りを見せつつ、横目でパジェットを窺った。
 特異点と呼ばれる村での実地調査団が、今募集されている。そういえば行きたそうにしていたな、と、パジェットは思い出す。応募に踏み切る前に、不法投棄現場で殺された銃狩りたちの調査が命じられたのだ。
「行って来いよ」
 パジェットは言った。
「本当ですか?」
「ま、あとはオレと朱鷺子でなんとかなる。ならんでも引継ぎの時間くらいあるだろ?」
「有難うございます! ね、崔さん、八木くんは? 整備士の」
「行谷さんが行くなら行くって言ってたよ」
「なにそれー」
 次に扉を開けたのは、朱鷺子だった。まだ寝ぼけ眼で挨拶をした。
「おはよ。今日も暑いねぇ」
「おう、朱鷺子。お前どうする」
「何が?」
 行谷が答えた。「特異点の調査だよ」。朱鷺子は眉の間をつまんで引っ張り、首を振った。
「パス。私はやめとくよ。心配な人がいるからさ」
「淑恵さん?」
 すると朱鷺子はいきなり満面の笑みになって、パジェットの片腕に絡みついた。
「ねぇー、パジェットさん、行かんといてあげる。いきなり二人ともいなくなったら寂しいでしょ」
「なワケねえよ、バカ!」
「ねえパジェットさん、さっき駐車場から民間人の車が出てったけど」
 と、笑顔をやめて、するりと身を離した。
「昨日、北区で救助した人だよ。パジェットさんが助けに行った人と旦那さん。第一枝の人だって。……あれ、何て名前でしたっけ?」
「リプル……小幡、小幡力哉だ」
「小幡?」
 朱鷺子は黙り、勝手に頷き、「なんでもないよ」と首を振った。
「知ってる移民の小説家と同じ名前だ。珍しくもないかな」
 奥でエレベータが開いた。ミンタカが姿を見せた。歩み寄ると、四人の顔を順に見て、呆れたように息をついた。
「賑やかだな。パジェット、来てる」
「ああ」
 手招かれ、パジェットは三人と別れた。朱鷺子も行谷も、来客について尋ねはしなかった。
「そうだ行谷、実地調査に行くなら言っとくことがある」
「何ですか?」
「落ちてるモン食うなよ」
「食べませんよ!」
 笑いを残し、パジェットはエレベータに歩いて行った。

 ―2―

 夢の世界の森の奥を、彼は走り続けている。何度も見たから、これが夢だということは知っている。夢なのに息が苦しいのは何故? 膝がひどく痛む理由は?
 ベッドで寝ている自分を想像しようと、彼はもがく。
 銃弾が肩の横を掠め、隣の木にあたる。現実でそうしたように、彼は倒木に身を隠し、撃ち返す。夢でも、銃弾が当たったら死ぬ。そう恐れるがために。
 雲が去り、月があらわになった。森の開けたところに人の姿が浮かび上がる。迷わず撃った。人影がくずおれる。
 相手方が何人いるのかさえ、彼は正確に知らない。ただ先に撃ってきたのは連中のほうだ。
 明るいうちに見たときは、平たい小さな山だった。日が暮れて後悔した。素直に安ホテルにでも泊まっておけばよかったのだ。山の中で迷って、夜中になってしまったのだ。
 山道に不自然に点るライトを遠くから見つけた。車輌など入って行けないような、狭い、荒れた道。たどって行くとそこに奴らがいた。幌トラック二台に大型乗用車。十人ほどいたはずだ。
 指に力を入れようとする。夢で銃を握る手ではなく、眠っている、現実の自分の肉体に。
 いきなり突き飛ばされた。
 無理に目覚めようとしたせいで、途中の経緯が飛んだようだ。
 彼は斜面を転がり落ちる。河原へいたる斜面には、予想もつかぬ痛みが待ち構えていた。割れたガラス片が顔や露出した肌を傷つける。連中はこれらを捨てるためにここにいたのだ。
 水に沈むマットレスの上に落ちた。敵の銃撃がめったやたらに上から降ってくる。
 起きたい、起きたい! 息を荒らげて彼は念じる。
 念じながらも、汚い水から立ち上がろうとする。掌を痛みが貫いた。闇の中、その理由が分からない。
 今なら知っている。
 注射針が深く突き刺さったのだ。
 その痛みのせいではないが、彼は目を覚ました。念願かなって朝日が視界を染める。
 ひどい寝汗をかいていた。夏の日差しのためではない。寝返りをうち、窓を向いた。左手を、カーテン越しの日光にかざした。刺さった注射針のあとが生々しく残っている。
 彼はその手で目をこするが、まだ起きようとはしない。しかし乱暴な口調で言う。いまだに「おはよう」すら気恥ずかしくて、言えずにいる相手に。
「起きたぞ、キセリタ」

 来ているというのはやはりメルヴィのことで、彼もまた特異点の調査団入りを志願した。支部の宿舎を貸し与えられている手前、早く行動したいと願っている。しかしミンタカは申し出を拒んだ。
「お気持ちはありがたいが、あなたは緊急時に武力を行使することが許された儀礼銃士ではありません。元軍人とのことですが、今やその後ろ盾もない。調査には儀礼銃士が同行しますが、予算の関係もあって調査員を護衛する最低限の人数となっています」
「俺が行ったら足手まといということですね」
「まあ、そう言うもんじゃないですよ」メルヴィを諫めつつミンタカは続けた。「やれることやして欲しいことは他にもある。特にあなたはレギニータ王を知る貴重な人間だ」
 支部の一番小さな会議室に、ミンタカとパジェット、メルヴィ、そしてR.R.E.がいる。局長は外している。彼はもともとメルヴィを迎え入れたくはなかったという。強引にそれをさせた、ミンタカが、上座から尋ねた。
「第十二枝の文化の通り、やはり王はReRouEを?」
「持っています。ReRouEは王族を補佐する大切なものです。手放しているとは思えません」
「具体的に、何に憑依させてるの?」
 訊いたのはR.R.E.だ。メルヴィはR.R.E.を見、答えた。
「剣、サーベルでした。彼の場合は」
 一瞬の動揺を押し隠し、次にパジェットが尋ねる。
「その剣は実用できるのか?」
「実用したい人はいないでしょう……彼ならどうだか分かりませんが」
「そりゃそうだよ」
 R.R.E.が笑う。
「第一使える場面がないでしょ、そんな原始的な武器」
「原始的? 古来より剣は王族の証だし、現代でも剣舞は上流家庭や王族のたしなみだった。実用性がなくても権威の象徴である剣にReRouEを憑依させるなど、レギニータでは当たり前の発想でした。第七枝のDOLLsに比べればまともなものじゃないか。あんな生体兵器に認可が下りるなんて、正気の沙汰じゃない。もとの人格を結晶霊体に食わせるなど」
「へえ、あなた」と、R.R.E.が笑みを浮かべたまま。「あたしに対してとても失礼だわ」
「どういうことですか?」
「彼女はDOLLsだ、しかも初期タイプの」
 ミンタカが教えた。
 儀礼銃は小型軽量化し、性能も上がった。そのため女性の儀礼銃士も多くなった。R.R.E.もそんな相手だと思っていたのだろう。メルヴィの目もとが強張った。言葉をつげない。
「もとの人格なんてないわ。あたし物心ついた時からあたしだもの」
「そういうことだ。第七枝ははじめに蟲の侵攻が開始され、今なお激しい攻撃に晒されている。成果をあげたもん勝ちということです。剣より銃が優れていることはあなたでも否定しまい。ReRouEよりDOLLsが優れていることも」
「DOLLsに人権は?」
「あるわよ。あたしお給料だってちゃんともらってるわ」
「そういう事が聞きたいんじゃない」
「あたしは嬉しいの」
 ああ、R.R.E.の心が幼いのは、少女の頃から大して変わっていないのは、普通の人間じゃないからか。力と、戦いに関する知識を詰めこまれた霊体。それに順応するために、人格を育てる内的な力を失ってしまったか……あるいは歪められたか。
「だって、蟲に殺されずにすむんだもの。本来非力な女が自分の力で生き延びられる。儀礼銃士みたいなしがらみも無い。あたしは自分がDOLLsで嬉しい」
「気に入らないでしょうが」
 ミンタカが割ってはいる。
「これが第七枝のやり方です。あなたは貴重な人間です。賓客だ。危機に晒すわけにはいかない。……少し休憩にします?」
「いいえ」
「では、聞かせてください。あなたが知っている限りのレギニータ王について。どこで出会い、何をしたか」

 ―3―

 錆びついたギターを見つけたのは、四、五日前だった。納屋に倒れていた。ここの女主人がどこから持って来たか、新しい弦をくれた。
 女主人は医者だ。患者に頼んだのだろう。
 光差す、屋根裏部屋の窓辺のベッドでミナシキがギターを調律している。今はここが彼のすみかだった。
 外で女の声が悲しげに尾を引き消えていく。飼い猫を呼んでいるのだ。言葉が分かれば悲しげな声とは思わなかったかもしれない。
 ミナシキは言葉が分からない。
 夜区間から第十一枝に行ったときには、こんな問題は起きなかった。
 インカーネイトの作為か。いいや、さすがにそこまでの力は無いはずだ。インカーネイトは最後に言っていた……霊子はおまえを保護しないと。そういう事なのか。
 掌を、ギターのネックから顔の前へと動かす。
 言葉のほか不具合は無い。気付いていないだけかも知れない。あるいはミナシキを第十二枝の外で生きていけないようにしたら、それこそ世界樹世界の掟を急変させる作為かもしれない。
 一人で生きて一人で死ね。会話など必要ない。
 神がそうしたのか。第十二枝では、神とは最上級霊子の仮想人格とされる。世界樹世界の掟そのもの。儀礼銃を使えず言葉も通じぬようにしたのは、神の仕業か。いや、いきなりその結論では飛躍しすぎだ。そもそもなぜ枝を越えれば言語の問題が消えるというのが普通とされているのか。矛盾の打ち消しあいのためとは聞くが、そのあたりの理論に詳しくない。理論を知らないから、段階の抜けたばかな答えが出るのだ。
 しかしハイダというのがいて、彼女と接触したがために第十二枝は消失した。そんなことが起こりうるのなら、何があっても不思議はない。
 よく知りもしない理論が次に何をしでかすか怯えるか、神が架した罰だと受け止め死にゆくか、どちらがいい? ミナシキは歯を食いしばる。肩に背中に力がこもり、そのまま動けない。
 どちらでも、自分のやり方が悪かったことには違いない。あんなにもレンシディを責めたてて、それが何になっただろう? なんにも、だ。キセリタはやめろと言った。そのキセリタの声ももう聞こえない。もう居ないのかもしれない。インカーネイトに消し去られたか、第十二枝をともに抜けることが出来なかったかもしれない。それすら分からない。
 ミナシキは適当なコードをかき鳴らす。悲しみを紛らわそうと、強く。当てずっぽうに鳴らすうち、レギニータの昔のはやり歌のコード進行をなぞる。息を吸い、それを歌おうとしてみた。
 最初の一声を発した途端、喉に刺すような違和感が宿る。違和感は一瞬で炎のように広がって、耐え難い痛みに変わった。
 ギターを抱いたまま、背を丸めて咳きこんだ。息を吸うこともままならぬほど、咳は長く激しかった。伸ばした手が、枕もとの鼻紙をむしった。口に当てる。紙が血でそまりゆく。咳が止まっても喀血は続いた。喉だけではない。咳のせいで背筋が痛い。近頃は胸の骨まで軋むようになった。
 すぐには背を伸ばさなかった。
 ……扮書は第七枝にあると、インカーネイトは言った。せめて真実を知るために第七枝を目指したのだ。そしたら、この様だ。言葉は通じず、たった一冊の本とそれの所有者を探す手立てもない。
 鼻紙を丸め、掌の、注射針が刺さったあとを見る。
 何かに感染したなら、あの時に違いない。気管支か、肺か。いずれにしろ厄介だ。
 階段を主人が上がってきた。戸が軋み、小柄な老女医が姿を見せる。もとは金色だっただろう髪を肩の上でそろえている。丸眼鏡の向こうの目は皺に埋もれている。肌は乾きしみが浮き、肉の落ちた腕は非力以外の何ものでもない。その手に銀のトレイを持っていた。
「シキ」
 女医、ネーリ医師はミナシキの様子を見、何かを咎めた。言葉が通じていないことは分かっているはずだが、彼女は自分の言葉で語りかける。彼女なりの敬意かもしれなかった。不器用な人だ。彼女は目の前に立って顔を寄せ、口を拭う動作をした。
 汚れていると言っているのだ。
 はたして口もとを拭うと、鼻紙に赤い血の線が引かれた。
 医師が喋りながら、薬をサイドテーブルに並べる。何の薬なのかも分からぬ錠剤。決して美味いとは言えない茶褐色ののみ薬。
 言われるがままそれをのんだ。効いている実感はないが、のまなければもっと悪化していたかもしれない。
 壁時計を指差された。正午を過ぎている。「寝る時間だ、寝ろ」と言っているのだ。
 昼寝を表す短い単語をつぶやき、反応を見た。医師は二度頷く。ミナシキは窓を見て首を振った。いい天気だ。
 散歩、と言った。簡単な単語ならわかる。ネーリ医師は呆れ、睨みつけて小言を言い続けたが、引きとめはしなかった。
 ミナシキは医院を出た。まだこの町を覚えつくしていない。女医は最後まで何か言い続けた。

 テルノ市中心部から南に車を走らせ、門を抜けると、丘一面をブドウ畑が埋め尽くす光景と出会う。斜面を下りきったところに点々と、散らかしたように家々がある。パジェットの住まいもそのひとつだ。
 戸を開ける。光差す廊下を娘が走ってきて、パジェットはしゃがんで腕を広げた。
「おかえり、パパ!」
 そして抱きしめた。サーリヤの体は小さく、もろい。プールに行っていたらしい。長い髪は湿っていた。自分とガロエの子だ、肌の色が濃い。目の色が薄いのは、自分に似ている。
「おうおう、ただいま。いい子にしてたか?」
「うん」と、小さな手を差し出した。「おみやげ」
「残念、おみやげは夜だ。ママは?」
「お昼ごはんしてる。おじいちゃんもいるよ」
 すると廊下の先の居間の戸を開け、いかつい老人が現れた。
 義父のチェーレン・リゼキは、若い頃はさぞやと思わせる体格をしている。腕や肩にはまだ十分に筋肉を残しており、その肩にぎりぎりつかない長さまで、白髪を伸ばしている。口と顎も白ひげで覆い、いつも困ったような、憮然としたような目つきでいる。
「ああ、お義父さん、お久しぶり」
「うん……」
 と、何を肯定したのか分からない返事をし、居間に戻っていった。
 ガロエは庭に面したキッチンにいて、パンにはさむ鶏肉を焼いているところだった。
「おかえりなさい」
「おう」
「お父さんが来てるわ」
 背中の長い髪束を見せたまま言った。
「ああ、今会った」
「あなたに感謝してるって。今日の午後に商談だそうよ」
 火を止め、それからやっとガロエは振り返る。
「へえ、何でオレが?」
「あなたが仕事で助けた人のご主人が、工房に電話してきたんですって」
 小幡力哉にちがいない。するとチェーレンがキッチンに入ってきて、ぼそりと呟いた。
「そろそろ行く」
「お父さん。今お昼ができたところよ」
「いいんだ」
 慣れているようで、ガロエは「そう」と言うだけで、もう引きとめなかった。パジェットが話しかけると、その時は足を止めた。
「いい商談が来たみたいで、どうも」
「うん……」
 そうしてさっさとキッチンを出て行き、間もなく玄関を閉める音が聞こえた。夫婦は顔を見合わせる。パジェットが失笑とともに肩を竦めると、ガロエは呆れた顔で返した。
「悪気はないのよ。お父さんは口下手なの。あなたを嫌ってるわけじゃなくて」
「分かってる。似てるな」
「誰に?」
「お前にだよ。性格とか全部そっくりだ」
「私、あんなふうじゃないでしょ?」
 いいや、そっくりだ。それを認めようとしないところも。
 するとまた玄関で音がして、上がりこんだ足音がキッチンに近付く。
 チェーレンがいて、「まあその」、言った。
「……言い忘れたが、感謝している。近頃は呪符が売れんでな」
 そして今度こそ出て行った。パジェットはただ笑い、ガロエは眉をしかめただけで何も言わなかった。
 サーリヤと三人で昼食を食べ、絵本を読んでやる。昼寝をさせたあと、パジェットは午後の勤務に戻る。
「今日の帰りは何時?」
「いつもどおりだ。詰め所勤務じゃないからな、楽なもんだ」
「そう」
 戸口で、ガロエが褐色のしなやかな腕を首に絡ませてきた。抱き寄せて応え、唇をつける。
 死ぬ日が今日でも、それを誇れるように。これが最後の別れでも忘れられずにいるために。
 互いに腕をほどく。ガロエは無表情で、「いってらっしゃい」と送る。静かに。
 パジェットはいい気分で車を走らせた。午後に大きな予定はない。レギニータ王につながる大きな情報はなかったし、朱鷺子と行谷には休暇を取らせている。朱鷺子の手柄である銃弾と空薬莢は、すでに解析を頼める場所を見つけていた。大事な用事はそこに出向くことくらいだ。
 市街には入らなかった。遠回りだが、窓を開け、北の郊外へいたるをたどる。戻るついでに昨日被害にあった場所の現状をこの目で見ておこう。
 白い一本道の両脇には、夏草が生い茂っている。
 川に出、川に沿って走る。川原には、望遠鏡つきのあずま屋があった。
 あずま屋にはミナシキが立っている。黙って川を見ている。水のきらめきを。無為なときの移ろいを。
 二人は気付かない。
 今すれ違った相手こそが、お互い一かけらの興味も抱かなかった他人こそ、自分が求めている人間であることに。
 二人には気付くすべがなかった。
 まだ出会いの時ではない。
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