お話の、あるところ。

スポンサー広告

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

竹の子書房用:黒実 操

白磁の空間外伝 『私だけの、トイレの神様』。


 ――トイレ掃除をするとね、美人さんになれるんだよ。丁寧にね、心を込めて、ね。

 あれは、いつのことだっけ。
 奴が同じクラスだったから、小学五年生だったかな。あの頃から大きな二重の目が印象的で、目立ってお調子者の男子だった。
 あたしは太っていて、足が遅くて、どんくさい女子だった。奴が「白豚」と渾名(あだな)を付けて、それがあっという間にクラスに広まったのも、仕方なかった。
 仕方ないってのは判っていたんだけど、どうしても悔しくて、哀しくて。大好きなお祖母(ばあ)ちゃんに泣きついた。
「それじゃ、トイレ掃除を頑張りなさい」
 お祖母ちゃんは、泣きじゃくるあたしの頭を優しく撫でてくれた。
「トイレ掃除をするとね、美人さんになれるんだよ。丁寧にね、心を込めて、ね」
 あたしは泣き止んで、お祖母ちゃんを見上げた。
「トイレには神様がいるの。綺麗にしてくれたお礼に、お掃除してくれた女の子を美人にしてくれるのよ」
「……ほんと?」
「本当よ。お前のお母さんも、トイレ掃除をたくさん頑張ったのよ」
 お祖母ちゃん似のママは、近所でも評判の美人だった。そのことで、友達に〈もらいっ子なんじゃない〉と揶揄されたことも、一度や二度じゃない。
 あたしは発奮した。
 家はもちろん、当番でもないくせに学校のトイレも掃除した。休み時間や放課後を使ってまで、学校中のトイレを掃除する勢いだった。
「白豚が便所臭(くせ)っ。便所豚!」
 奴が目敏(めざと)く見つけて、クラスで騒いだ。
 渾名が便所豚……、ベンブタに変わった。
 あたしは、もくもくと掃除を続けた。
 掃除をしては鏡を見たが、全然美人にならない。
 それでも、お祖母ちゃんやママの顔を見ると、よーし、もっともっと頑張るぞ! と、決意が新たになった。
「美人さんになるのは、もうちょっと大人になってからかもねぇ」
 ある日のこと、お祖母ちゃんが、そう言った。隣でママが、にこにこ笑って頷いた。
「慌てないでいいの。おうちのトイレだけで十分なのよ」
 思い起こすと、学校から何か連絡が来てたのかもしれない。あれは、お祖母ちゃんとママに、さりげなく窘(たしな)められたんだろうな。

 うちのトイレだけは、ずっと掃除し続けた。毎朝毎晩、掃除をしては、鏡を見つめた。
 一向に美人になる気配がないまま、時は流れた。
 中学三年になってから、また奴と同じクラスになった。
「うげ、ベンブタと一緒かよ」
 かつての渾名を、聞えよがしに喚(わめ)かれた。女子はスルーしてくれたけど、一部の男子や奴本人は執拗に、あたしのことをこう呼んだ。
 忘れもしない。
 シャンプーとリンスを、当時流行っていた薔薇の香りのものに変えて登校したとき、
「ベンブタ、クソ臭(くせ)ぇ!」
 すれ違いざまに、奴が言った。
「さすがベンブタ。便所の臭いがプンプンすらぁ」 
 そう言って、大声で笑った。
 私は帰宅してすぐ、そのシャンプーとリンスを捨てた。お小遣いを貯めて買った、思い入れのある品物だったのだけど。いや、〈だから 〉捨てた。

 高校生になってすぐ、お祖母ちゃんが死んだ。二年ほど寝たきりだったから覚悟は出来ていたけど、それでも辛くて堪らなかった。
 暫くは神様とか、そんなこととか関係なしに、お祖母ちゃんとの約束を、ただ守ろうとトイレ掃除に精を出した。
 胸もはっきりと膨らんできて、身体は文字通り大人に近づいてきたけど、相変わらず美人には程遠い容姿だった。
 現金なもので、お祖母ちゃんがいなくなった悲しみが癒えるに連れ、トイレ掃除熱は下火になる。
 そして、高校三年の秋。
 恥ずかしい話だけど、受験で神経が高ぶっていたあたしは、大変な粗相をした。
 お腹を壊していたくせに、この問題を解くまではと、妙な痩せ我慢をしてしまったのだ。トイレに駆け込んだときには、もう間に合わなくて、床にまで……。
 不幸中の幸い、夜中だったので、誰にもバレずに掃除できた。
 全部終わって、洗面所で手を洗いながら鏡を見た。
 ――あれ?
あたしは、鏡を凝視した。
 ――なんか、
 いつもより目が大きく、黒目がきらきらしていた。輪郭も、心なしかくっきりとしていて唇も紅い。
 ――まさか。
 あたしは、鏡を凝視した。
 トイレの神様は、本当にいるの?

 それで二、三日、舞い上がっていたけど、目に見えての変化はそれっきりで。それからはまた、今までと同じ、代わり映えのしない顔が鏡に写る毎日だった。
 あのとき、ほんの僅かだったけど、いつもより美人だったあたしは、すぐに消えてしまった。
 すごくがっかりして、トイレ掃除は、またお座なりになってしまった。受験が忙しいとか、そんなことを言い訳にして。

 無事に大学に受かり、実家を離れることになった。お祖母ちゃんのお位牌に、手を合わせる。
「夏休みには帰るからね。トイレ掃除も頑張るよ」
 実家からは電車で二時間半の、遠い街。たった一人での暮らし。慣れない家事と慣れない学校。アルバイトも考えたけど、どうしても気持ちに余裕がない。
 ここは、今まで住んでいたとことは違う。
 東京には及ばなくても、あたしにとっては戸惑う程の都会だった。
 萎縮してしまったあたしに、追い打ちがかかる。
 講義が終わり、教室を出ようとした、まさにそのとき。
「あっ、お前……!」
 驚いたような、声。
 途端、振り返ったことを後悔した。
 髪が柔らかな茶色に変わっていたが、忘れもしない、この大きな二重の目。小学生のときから執拗に、あたしを豚呼ばわりしてきた、男。
 高校が違ったので、すっかり失念していたこの男。同じ大学だったのか!
「よっ。……あの、憶えてるよね?」
 あたしを見て、嗤(わら)いやがった。
 嗤ったまま、唇は、はっきりと〈ベンブタ〉と形を作っていった。
 あたしは、早足でその場を離れた。
「おい、ちょっと待ってって、おい」
 誰が待つか。
 途中から駆け足になった。アパートに逃げ帰る。そうだ、あたしは逃げた。奴から逃げた。
 鍵をかけると気が抜けて、へたり込んだ。
 なんで……、なんで奴がいるのよ。
 声を上げて泣いた。
 中学三年になったときの、あの屈辱感が甦る。まるで、今、目の前で起きているかのように。忘れていた渾名。奴の嗤った顔。いったい、いつまで嗤われなければならないのか!
 あたしが白豚のまんまだから……。
 もう厭だ。
 厭だ。
 ……お腹が痛くなってきた。
「うっ、」
 痛い。ちょっとこれは、まずい。あたしは靴を脱ぐのももどかしく、トイレに駆け込んだ。
 ……間に合わなかった。
 情けなくて、さっきのとは違う涙が溢れてきた。便器だけじゃなくて、床も脚も汚れた。
「う、うう、」
 嗚咽が治まらない。悔しくて哀しくて情けない。感情が膨らんで、だけどやり場がない。
 下着と履いていたスカートを脱いで、それで掃除した。
 トイレの神様なんて、嘘じゃない。
 ずっとずっとずっと綺麗に掃除してるのに、あたしは白豚のまんまじゃない。
 美人になんか、してくれないじゃない。
「おばあちゃん……」
 涙が落ちて、汚物と混ざり合って、それが情けなくてまた泣いて、掃除した。
 
 全部終わらせて、手を洗おうと洗面台に立つ。
 鏡が目に入る。
 ――あれ?
あたしは、鏡を凝視した。
 ――なんか、
 いつもより目が大きく、黒目がきらきらしていた。輪郭も、心なしかくっきりとしていて唇も紅い。
 ――まさか。
 あたしは、鏡を凝視した。
 いつかの記憶が甦る。
 なに、なに、なに? 
 あのときと、今と、何が一緒なの。
 考えろ。
 あたし、考えろ。 
 あのときと今の共通点。
叶わなかったときと、何が違う?
 違う? 
 あ、
 ――汚れ方!
 あのときも今のも、汚れ方が格段に違った。だから、ああそうか!
 神様のパワーはそこで左右されるんだ!
 判った。
 あたしは、〈理解〉した。
 お祖母ちゃんの言葉には、嘘なんてない。
 あたしが、理解してなかっただけだ。

 その日を境に、あたしは急激に美人へと変貌した。トイレ掃除のコツを知ってからのあたしは、自他共に認める美人へと変わったのだ!
 トイレを汚す。汚すだけ汚して、丁寧に掃除する。これがコツ。もちろん、あのときみたいに都合よくお腹を壊せない。だから下剤のお世話になるけど、そのくらいの出費は安いもの。効きもしない化粧品やダイエットグッズに、費やしていたのが馬鹿らしい。
 便器の外に排便するのも、最初は理性が邪魔をしたけど、もう全然平気。美人になるためなら、あたしは何だってする。
 トイレの神様のチカラは、本物なのだ。
 いくら努力しても減らなかった体重が、簡単に落ちた。それに連れて、目が大きくなる。鼻筋が通り、小鼻も小さくなった。なにより二重顎がなくなり、逆三角形といってもいい輪郭を手に入れた。
 もちろんスタイルも、怖いくらいに整った。ウエストが引き締まり、スカートもジーンズも全部買い替えなきゃいけなくなった。脚も目に見えて細くなった。湯船に浸かったときなんか、我ながら惚れ惚れと見蕩れてしまう。
 今なら、ママそっくりねって、きっと言われる。
 白豚と呼ばれてたから、長年嫌いだった白すぎる肌。
 ――色、しろーい! きれーい!
 皮肉としか思えなかったその言葉。今では優越感を擽(くすぐ)ってくる。
 でも、友達にはバレないように。謙虚に答える。
「そうかな? ありがとう」
 そして、心の中で叫ぶ。
 お祖母ちゃん、ありがとう!
 トイレの神様、ありがとう!

 あたしが美人になるに連れて、奴が、あたしの周りをうろつき始めた。
「お前、サークルとか入らないの?」
「バイトは?」
「ねぇねぇ、今度の休講さ、一緒に自習しない?」
 あたしが逃げたあの日以来、奴は〈ベンブタ〉呼ばわりしてこない。そうだとも。あの日から、あたしは美人になったのだ。この男の変わり様(よう)はなんだ。心の中で唾を吐く。
「……ね、行かない?」
「え、なに?」
 聞いてなかった。
「だから、ほら、ね、今晩さ、ご飯でも食べに行かない?」
 見上げると、奴は、大きな二重の目を眩しそうに細めて、私から目を逸らすところだった。
「いいよ。何時にする?」
 さも何でもないふうに、あたしは答える。なるほどね。これが、美人のチカラか。
 腹の中で、高笑う。
 口の中が、苦くて堪らない。
 心の中で、唾を吐く。

 大学の近くの、小さなイタリアンレストランでの食事だった。下剤をかけるようになってから、常に軽い腹痛を感じているが、それを抜きにしても胃が痛くなるような一時(ひととき)だった。なんであたし、こんなことをしているんだろう。
 話題は当たり障りのない、新生活についてのことに終始し、昔のことには触れないまま終わった。
「送るよ」
「いいよ。まだ早いし。一人で帰れる」
「……送らせてよ。な?」
 あたしは奴に部屋を教えたくないのだけど、空気を読んではくれない。
 人気(ひとけ)のない道を、二人で歩く。
 いつしか会話は途切れ、頭上から奴の溜息が聞こえる。耳障りだ。
「あのさ、お前って、すごくいい匂いだけど、やっぱりこれって薔薇なのかな」
 唐突に、奴が口を開いた。物凄い早口だ。
「あのさ、中学の頃さ、お前、薔薇のシャンプーさ、あれ、思い出した!」
 言うと立ち止まり、あたしの肩を抱き寄せた。
「俺、あのとき、ひどいこと言ってごめん!」
 そのまま、あたしは奴の腕の中にすっぽりと包まれてしまう。
「ごめん! 本当は、ずっと、」
 奴の腕に力がこもる。あたしの髪に奴の顎が埋められて、熱い息がそのまま耳にかかって……!
「や、やめてッ」
 振り払う。目が合う。
 なんだ、その傷ついたような目は。
 それは……、あたしがお前に向けるべき瞳だ。
 お前が、あたしに、なぜ。
 部屋は、すぐそこだ。あたしは駆ける。住所を知られる嫌悪感なんて、忘れていた。
「ごめん! 本当に、ごめん。俺……、」
 聞こえない。
 聞かない。
 聞くもんか。
 聞こえない!

 あれから、いろいろ考えた。
 奴からの、たくさんのメール。通話は着信拒否にしたけど、メールは活かしておいたから、何通も何通も送られてきた。
 トイレの神様のチカラで美人になった。そしたら、そのタイミングで奴が来た。
 あたしは、いろいろ考えた。
 これって、トイレの神様が、奴への復讐を助けてくれてるって考えてもいいんじゃないかな。
 トイレの神様とお祖母ちゃんは繋がっている。だから、あたしのためにチカラを貸してくれるんだ。
 さんざん馬鹿にしてきたくせに。
 美人になった途端に、こうか。
 あたしは、トイレの神様とお祖母ちゃんに向けて祈った。
「どうか、あいつに思い知らせてやれますように」
 と。
 あ、閃いた。
 ――祈りは通じた。
 

【この前はごめんね。びっくりしたの。許してくれるなら、今夜あたしの部屋に来て? 待ってる】
 メール送信。すぐに返信が来る。
【俺こそごめん。急ぎ過ぎたんだ。話そうよ。ちゃんと話そう。七時でいいかな。俺、行くよ。待ってて】
 あたしは準備を開始する。
 奴を迎え撃つ、準備を。
 下剤を、いつもの倍。
 我ながら目眩がする程、容赦なくトイレを汚す。服を全部脱ぎ、下着も脱ぎ、掃除する。用具はこの肌だ。全身を滑らせ、掃除する。
 躊躇いは一瞬。この復讐は天啓による。正義だ。
 お祖母ちゃん、トイレの神様、見てて。あたし、ちゃんとやるからね。
 大きくこびりついた汚物に、あたしは舌を延ばした。
 
 チャイムが鳴った。
 あたしは微笑んでドアを開ける。
 奴は驚いたようだ。当然だ。
 蝋燭の灯。バスローブ一枚のあたし。
 薔薇の香水を、部屋中に撒き散らしておいた。これはカムフラージュ。なんでも薔薇の香りをうんと濃くすると、あれの臭いに近づくとか。真偽は知らない。
 あたしは美人。これは真実。
 白い肌。微笑。神様からの授かりもの。これも真実。
 奴は逆らえない。
 大きな、二重のはっきりとした瞳が、うっとりとあたしの唇を見つめる。
 その奥にある、濡れた舌を、見つめる。
 蝋燭の薄灯。
 そこに巻き込んだ固形物は、奴には見えない。
 キスしてあげる。
 大人のキスよ。
 あたしの気持ちを、
 ――思い知れ。

 
Comment
Trackback
Trackback URL
Comment form













管理者にだけ表示を許可する

プロフィール

黒実 操

Author:黒実 操
「竹の子書房」に参加中。
www.takenokoshobo.com/index.php
無償版電子書籍がたくさん!

管理人ツイッター
http://twitter.com/kuromimigen

最新トラックバック
検索フォーム
ブロとも申請フォーム
QRコード
QRコード

Page Top
Powered by FC2 Blog | | Template Design by スタンダード・デザインラボ
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。