お話の、あるところ。

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『夢見る病気』豊原ね子

投稿作品『夢見る病気』〈2〉 著者:豊原ね子

序章・眠れる人は眠れ ――2/2

 ―5―

  船は祭りだった。
 視野いっぱいに広がる部屋が、立食パーティーの会場になっている。テーブルの間を埋め尽くすのは、二足歩行の猫、猫、猫の大群だ。
「猫の姿で世を忍ぶ同志諸君! ついにこの時がやってきた!」
 どこか遠くの壇上から、船長が演説している。船長に会ったことはないが、彼が白黒のブチ猫であることを知っている。
「我らが派遣した特使がついに収束点を見つけたのだ! 地球を離れ幾星霜、犠牲になった特使、志半ばで倒れた同志は数知れず、数多の貴き犠牲を乗り越えて、ついに――ついに我々は無限の多世界を束ねる要を打ちこもうとしているのだ!」
 乗組員の役職は、猫のガラによって違う。数えきれない黒猫虎猫縞猫三毛猫が大体固まって島をつくり、そして喝采をあげる。少年は近くの茶虎白(客室係)にこっそり声をかけた。
「あの……僕人間だけどここに居ていいんですか?」
「何言ってんだ、居てもいいも何も今夜の主役はお前だろ! スピーチの準備はいいのか?」
「……ええ、まあ」
 少年はそっとテーブルを離れた。主役? 言われてみればそんな気もする。では何だ。船長の次は自分か。何をスピーチしろと言うのだ。
 歩き回っている内に壁にたどり着いた。この壁に沿って歩いていればいつか出口にたどり着くはずだ。
 と、壁際の椅子で脚を組み、曖昧な疲れた笑みを浮かべる老人を見つけた。あの山高帽は膝に置いて、肩まで伸びた白髪を一括りにしている。垢か日やけか酒やけか、長い流浪の生活で肌はすっかり黒ずんでいても、服は礼服だった。
「約束は守ってくれているようだね」
 老人が少年をみつけ、そう声をかけてきた。約束とは箱に何も入れるなというあれだろう。
「はい。貰ったままにしてあります」
「よしよし。しかし君は驚かないのかね? なぜ私がここに居るのか」
「だってこれは夢じゃないですか」
「夢にしてははっきりしすぎているだろ?」
「いつものことですよ」
 ファンファーレが鳴り響いた。万雷の拍手で迎えられ、白猫の楽団が入場行進する。
「あなたはどうしてここに居るんですか!?」
 負けないように大声で、老人に叫んだ。
「自分がここに居る理由を考えたほうがいい!」
 老人が叫び返す。
 照明が落ちる。
 老人と少年の間に花道が敷かれていた。スポットライトを浴びて、あの航海士衣装の女性楽士が、目の前でお辞儀をした。彼女は伴奏に合わせて歌い、不思議な踊りをする。
「♪寄~られhappy滔・々・あんにゃんにゃータの王lin'!」
 彼女が歌いながら腕を右に振ると、隣に分裂した彼女が現れ同時に左に腕を振る。足を上げる動作になると、右手を振ってから右足を上げる楽士と、右手を振ってから左足を上げる楽士と、左手を振ってから右足を上げる楽士と……そうやって一つの動作ごとに全てのパターンの楽士が現れるから、あっという間に花道が楽士で埋め尽くされてしまった。
「♪白馬尾wonder法ぅ~CANDY青柳(あおやぎ)ニャンニャンな~え!」
「箱を手放すんじゃない!」
 老人が遠くから叫んだ。楽士の増殖に合わせて花道が大きくなるので、二人はすっかり引き離されていた。
「俺が鍵を見つけるまでは――いいか、絶対に、絶対にだ! 夢から覚めてもだ!」
「待ってください! 行かないで!」
 いつの間にか、ここにいるものは大量の楽士だけである。
 陽気で理解不能な歌が大音量で響きわたる。ああ、と少年は目を閉じて、耳を両手で覆った。閉じた目に楽士が透けて見えた。その楽士たちを更に透かして楽団長が見えた。
 少年は広間で猫に埋もれながら、一人きりでホールの客席にいる。
 虐げられる楽団長は、少年に気付いて助けを求めながら、少年に気付かず涙を流し続ける。
 更にその楽団長を透かして、倉庫に地球儀先生がいる。
「あれがおまえなのだよ」
 地球儀先生が語りかける。
 空を……なんだ? 街が燃えて……夜空を何か飛びかっている……。あれは、とてもとても大きな……虫?
「違う!」
 炎の夜が赤い地球に変わる。。
「僕は、僕は虫じゃない! ちゃんと僕を呼べよ!」
 地球儀先生が爆発した。

「僕は『四季』だ!」

 響くコールで四季は目を覚ました。同時にコールが止んだ。
 寝汗をかいていた。時計を確認する。二十二時二十二分。そうだ。夕食を食べてそのまま寝てしまったのだ。これでますます今夜は眠れない。喉が渇いている。夢で叫んだからだ。
 季節の四季。春夏秋冬の四季。失われた歓び。地球人の残夢。
 PCのモバイルモニタを取ると、局長からの着信だった。
 もしも、と、着信ランプの点滅を見ながら考える。もしも、世界が分岐するほどの決定的瞬間があるのなら、局長が扮書を触れようとした時だろう。もしあの時、事態を喜ばぬ自分がいたとしたら、その自分は今どうしているだろう。
 かけ直すとすぐに出た。まだ少し寝ぼけた声で、「こんばんは」と挨拶をした。
「こんばんは。気分はどうかね?」
「いえ、お気遣いなく。昼間は失礼な態度を取ってすみませんでした」
 黙っている。
「扮書のことですが」
「……あぁ」
 この反応の鈍さは、見つかっていないのだろう。悲しむべきなのかどうかも分からず、ただ途方に暮れた。
「それで……だね、我々も手をこまねいているわけに行かないから警察に届けを出したんだよ」
「盗難届けになりますか?」
「あの扮書に付与された防犯タグが、断続的にだが同じ場所で反応を示していてね」
「本当ですか」
「今その場所に警察が向かっているところだ」
「どこですか?」
 沈黙した。その沈黙に強い不吉を感じた時――階下が騒がしくなった。
 叱りつけるような父親の怒りの声。何を言っているか分からないが、取り乱す母親の声。そして二人? 数人の、穏やかな、それでいて威圧的な声。足音が両親を押しのけ、家にあがりこんできた。
「分かったかね?」
 局長が尋ねた。一瞬で顔が火照り、その熱さで、髪の生え際から汗がふき出した。胸の鼓動が増幅され、冷静な思考が吹き飛ぶ。
「あなたという人は!」
「事実だよ、ハイダがミヨミに与えた検索能力を行使した結果君のご自宅を示している」
「僕が盗んだというのですか?」
「私の部下がネジ広場にいる」
 少しだけ局長の声が高くなる。そこに、声にならない嘲笑を聞いた。
「明るい道を通っておいで」
 怒りは冷えねど、その言葉は四季の背中を寒くした。なぜ恐れを感じたか分からず、分からぬままに恐れたことが、さらに四季を恐怖させた。
 モバイルモニタを鞄に押しこみ、窓を開けて放り投げた。階段を警官と家族の足音が上がってくる。
 自分から部屋を開けた。廊下に身を乗り出すと、二人組みの警官と廊下の先で目があった。
「……なんですか?」
 動揺する演技は必要なかった。警官はいずれも屈強だった。
「君が四季くんだね」
「そうですけど」
「訊きたいことがあるんだが」
 探るように警官が言葉を止めた。四季は瞬きも呼吸もせず、喋りだすのを待った。
「今日のお昼、君は扮書局の支部に行ったよね?」
「はい、行きました」
「本当なの、四季」
 母親が警官の後ろから声をかける。息子はずっと本屋に行っていたと思っていたはずだ。
「君はそのとき扮書を外部に持ち出したりはしなかったよね?」
「はい。っていうか、出来ないはずですけど」
「確かにそのはずだが」
 警官が半歩足を踏み出すと、自然と四季の足も半歩後ずさる。
「調べさせてくれるかな?」
「ちょっと待ってくれ、勝手に息子の部屋を荒らさないでくれ!」
「いいんだよ父さん」
 警官を部屋に通して、言った。
「何もありやしないんだから、調べてもらおう」
 父親は、納得の行かない顔で、一緒に戸口に立った。もう一人の警官は、疑わしげに四季から目を離さないでいたが、ふと顔を部屋に向けた。
 両親が傍にいることで気が緩んだのだろう。
 その隙を逃さなかった。
 身を翻し、廊下を走り出した。父親か警官か、どちらかの手が腕を掴もうとしたが、間一髪でかわした。母親が悲鳴のような声で四季を呼んだ。
 駆け下り、靴も履かずに玄関を飛び出した。二階で大人たちが揉みあっている。自分の部屋の真下に回り、鞄を回収しする。真っ暗な裏道を裸足で走り抜けた。真夏なのに、足の裏がとても冷たくて、心臓まで冷やした。
 表でサイレンが鳴り始めた。じきに応援が来る。
 悲鳴をあげたかった。歯を食いしばって裏道を縫い、縫い、ネジ広場を目指した。
 見えた。明るい円形の広場の隅に扮書局の車がある。ここさえ突っ切れば――と、走り出した四季と扮書局の車の間に、一台の黒い車が割りこんだ。
 助手席のドアが自動で開いた。
「乗れ!」
 運転席に、あの老人がいた。ツンと異臭が鼻を衝いた。老人の体臭に違いない。扮書局の車から、蘇比とハイダが飛び出してくる。
「早くしろ! 一生扮書局に飼い殺しにされたいのか!」
 近付いてくる二人と老人を見比べ、四季は意を決した。一番勇気がいることは、この噎せ返る悪臭に身を投じることだったのだが、四季がそれを敢行すると、とんでもないスピードで走り出した。
 臭いのと速いのとわけの分からなさでしばし呆然とした。我に返って車内を観察すると、臭いのもそのはずで、後部座席には垢まみれの衣服や酒の缶、残飯が積み重なっている。完全に生活の場となっていることが、僅かに確保された就寝スペースを見てわかった。
「見た目ほどひどい居心地じゃないぞ!」
 老人は楽しそうに話すが、横顔は真剣そのものだ。彼は手動で車を動かしていた。
「この臭いがちと問題だがね、自分の体の一部だと思えば悪臭にも愛着がわくもんだ」
「……あの、速度制限」
「リミッターか! 壊れちまったよ。何せ古い車だからね、どうやら後続もそうらしいぜ? 税金対策で毎年新車を購入してるはずだってのに」
 バックミラーに扮書局の車が映っていた。負けず劣らずの勢いで猛追をかけてくる。
 道の先に、天空観光道路の入り口が見えた。料金所を通過する時、関門が老人の車を弾こうとしたが、すかさずアクセルを踏みこんですり抜けた。
「ハイダさん!」
 後ろでぶ厚いシャッターが下りた。
 あの車はちゃんと止まれたろうか。急ブレーキをかけても相当な衝撃を受けたはずだ。
「よしなされ、じきに心配した自分の人の良さを後悔することになるぞ?」
「っていうかあなた誰なんですか!」
「そう緊張せんでもいいだろ。同じ夢を共有した仲じゃないか」
 観光道路に入っても、老人は速度を落とさない。すれ違う観光客の車が危険を察知し停車する。老人の車のための太い一本道ができた。
「ホゥ。昔の血が騒ぐねぇ」
「昔って何だったんですか」
「扮書の研究者だ」
 十一衛星の扮書研究者にまともな人間はいないらしい。
「君の弟の扮書だが――」
「なぜ弟のことを?」
「君らが生まれたときまでは学界に身を置いていたという事だよ。あれは、私は少なくともこの世界では開けることができないものだと考えている」
「この世界って、この衛星で?」
「いや、衛星群全て……いいや……地球が滅び、外部衛星に逃げこんだという一貫した歴史に属するこの世界では、ということだ」
 四季がまだ意味を理解していないのに、老人は話し続ける。
「君の弟はこの世界を生きなかった」
「……えぇ」
「だが扮書になった。扮書になったということは何かが書き記されている。だが考えてごらん? ……その子は言葉を知らない。あの扮書が言語以前の形態で書き記されたものならば、言語で世界を認識する我々に姿を見せぬのは当然。むしろ我々が世界秩序を維持するための彼なりの計らいと言えよう」
「……それで」
 鼻も幾分慣れてきた。
「そうだ、君にはこれから走ってもらうことになるがその格好じゃあんまりだな」
 慌てて家を飛び出してきたから、パジャマ代わりのジャージに裸足だった。
「ダッシュボードに靴下がある。君にあげよう」
「いいんですか?」
 油断していた。ダッシュボードを開けた途端、凄まじい臭いが鼻を突き刺し、脳天を貫いた。夕食が喉までせり上げた。奇声を発し、こみ上げたものをなんとか飲みこむと、涙が滲んだ。無我夢中で窓を開けようとしたが、速度がありすぎるからと許されなかった。
「ひどい、ひどいです」
「ひどいとは何だね、俺は好意で君にやると言ったんだ」
「要りません……」
「話の続きだ。あの堂嶋という男は、俺の昔の教え子でね」
 涙を拭いて老人を見た。
「……確か昼に、局長とその話を……」
「そうかね、どうせ悪口を言っていたのだろう。俺はある発表をして現職を追われることとなってね」
「どんなですか?」
「『扮書など実在しない』」
「ええっ?」
「よく考えてみろ、人間が死んで本になるなど有り得ないことじゃないか。俺は気付いたんだ。人は人だ。本じゃないのに本になるはずがない。こんな当たり前のことに誰も気がつかないんだ。腐ってやがる、君もだ!」
「だけど扮書は実在します!」
「問題はそれだよ」
 老教授は深く頷く。
「俺は『この世界では開けられない』と言っただろう。つまり他の世界でなら開くかもしれない……他の世界が存在すると言う前提で話を聞いてくれ」
「前提が――」
「我々は一貫した歴史を生きている。地球の歴史、衛星群の歴史、そこに於けるこの十一衛星、そして私自身の歴史、君自身の歴史。だがそれは全て錯覚だ。この世界の歴史に意味などない。扮書がいつ最初に確認されたか君は知っているいるだろう?」
「パーク時代……二十一世紀初頭、東京……」
「そうだ。その時人類は世界をたがえたのだ。そしてそれ以来、人間が扮書になるようになって以来、我々の歴史は意味を失った。この衛星群世界はバグなんだ! 他の世界を存続させるためのバグだ。扮書が存在すること自体がその証明。恐らくその世界とこの世界は、少なくとも二十一世紀初頭までは同一世界だった。だが何か重大な事件がおきた――それが起きる以前と以降とを分岐させることが難しいほどの出来事だ。そして無理に世界を分岐させた結果、無理を維持するために扮書という更に無理な存在が発生した。理解できたかね?」
 喋っている間に老教授は熱をあげていく。「つまりだ」、深呼吸をした。
「人が本になる世界など存在に値しない!」
 遠くからサイレンが近付いてくる。みるみる距離を詰めてくる。老人が坂道にハンドルを切った。
「……困ります」
 何とか、四季はそれだけ言った。
「値しないと言ったって、この世界には僕の家族や友人がいるんですよ?」
「だから君は船に乗るんだ」
 観光道路を束ねる塔に車が吸いこまれた。
 スカイタワーだ。十一衛星で一番高い巨塔。
「八十三階駐車場だ。この頂を目指しなさい。ここならあの船も君を見つけられる。うつぼ箱は持っているね」
「はい」
「眠れ。必ず君の夢に船団は現れる。この世界の真のありようを探すんだ。そして――」
 老教授は顎でドアを指し、出るよう言った。
「いや、いい。行きなさい」
 駐車場に四季を送り出すと、老教授は再び走り出す。少しでも長い間、追っ手をひきつけておくために。四季はしかたなく走った。何故走らなければならないのか、正直わからなかった。だがあの蘇比というのに捕まるのは、絶対にごめんだった。

 非常口を外に出る。閉鎖されたスカイガーデンに続く階段が、壁沿いに続いていた。
 はるか足もとがライトアップされており、その光が微かに届く。
 空気清浄機の風が服をはためかせ、体を冷やす。寒かった。足の指にはもう感触がなかった。
 手を口に当て、息を吹きかけながら階段を上り始める。長かった。途中で何度も足を止めた。スカイガーデンにたどり着いたときには、下界からはほとんど何も聞こえなくなっていた。
 丸いテーブルと、折りたたまれたパラソル。明かりの落ちた屋台風のテントに、何も積まれていないワゴンショップ。
 そして、下界の淡い光が、一人の男の姿を浮かび上がらせていた。
 蘇比だった。手にする鞄は、昼間ハイダが持っていたものだ。ミヨミが入っているのだろう。
 二人は静かに対峙した。
 蘇比の方から、少年に向けて歩き出した。
「舐めた真似をしてくれるじゃないか」
「あなたが老いぼれだと罵った人……」
 四季は逃げなかった。蘇比が歩みを止める。
 考えろ、眠る方法を。この状態でどう夢を見ればいいのか。時間を稼ぐには喋るしかない。
「突飛な人ですね。あんなことを本気で言ったら職を追われるのも当たり前です」
 冷静を装って笑った。本当は泣きたいところだ。これは、蘇比の気をひくに足る話題だろうか? 薄暗くて表情がよく見えない。
 蘇比が舌打ちした。
「ジジイ、まだ生きていたのか……」
「それより、本当なんですか? 扮書の居所が僕の居所を指し示しているって」
「この場所には扮書を追跡しながら来た。スカイタワーに来るだろうと予測を立てて先回りしたら、その通りになったわけだ」
 ということは、本当なのだろう。
「何を企んでいるかは知らんが――」
 後ろの階段を、けたたましい足音が駆け上がってくる。蘇比が喋るのをやめた。
 階段からハイダが現れて、怒りの眼光をガーデンに放った。その怒りは四季にではなく、蘇比に向けられていた。長い金色の髪は乱れ、頬を真っ赤に染めて蘇比を睨みつけた。
「ミヨミを返してください!」
「馬鹿なことを言うな。自分の仕事を忘れたか?」
 蘇比が鼻で嘲笑う。
「眠らせてでもそいつを連れて行くのが俺たちの仕事だろう。話はそれからだ」
「いいえ、あなたは約束を守らない! 先にミヨミをこちらに寄越して!」
「……これだから女は」
 ハイダが歩み寄ってくる。
 その時閃いた。
 眠らせてでも連れて行く、と蘇比は言った。気絶させてでもということだろう。
 ハイダがすれ違う瞬間、少年は走り出した。ガーデンの縁めがけて。待て、と蘇比が叫んだ。
 鉄網を掴み、猛然とのぼり始めた。蘇比が追いかけてきて、すぐ下を一緒に上っているのが金網の振動で分かる。
 網の先には返しがついている。
 返しの先端にぶら下がり、蘇比を見返した。
「何を考えている! やめろ!」
 腕の力で、返しの上に身を引き上げた。
 タワーのどこかにネットが張ってあるはずだ。それに引っかかるのと気を失うのはどちらが早いだろう。
「さようなら!」
 金網から手を離し、背中を後ろにそらせた。
 その後で凄まじく後悔した。
 這い上がった蘇比が足首を掴んだが、抑止力にならず、二人一緒に宙にとんだ。道連れだ、と思った。
 肩から鞄がずり落ちたが、その事に気付かなかった。
 凄まじい風が耳をふさぐ。鼓膜が破れそうだ。
 いきなり視界が闇に落ちた。気を失ったのとは違う。遠くに青い球体が見えた。地球儀先生が、漆黒の闇に浮かんでいる。判断が正しかったことを、四季は確信した。四季はもう落ちていなかった。地球に向かって吸いこまれていく。
 その時思い出したのは、キタセさんのことだった。彼女ともう話せないんだ。本について彼女と語り合うのは楽しかった。キタセさんは、自分の消失をどう思うだろうか。
 地球の表面に細長い列島が見えた。列島のある地点に吸いこまれていくと、その都市が、東京が、炎に包まれているのが見えた。落ちていく視界の先に、何か黒いものがたくさん飛びかっているのが見えた。
 大きな羽虫だと思うがよく見えなかった。
 ああこれが……あの人が言ってた強引な分岐の理由だと、そう思った時……
 意識を失った。
Comment

感想。

猫が「二足歩行」「猫の姿で世を忍ぶ同志」等は、ままある設定だが
「柄で役職が違う」というのは面白い。ついつい近所のあの子や
この子の役職を妄想してしまう。

楽士の増殖場面は美しいと同時に、非常に気持ち悪い。
ある種の悪夢の感覚に似ていて、巧い表現だなと思った。

「悪臭」での演出には参った。確かに「一番の勇気」だと思う。
切羽詰まった状況と同列に語れるほどの悪臭を、うっかり
思い浮かべて激しく後悔した。しかし靴下の件といい、
かなりの緊迫した場面に笑える要素が入っていることが、
読んでいて救いになった。

最後の場面で私も「キタセさん」のことを思い出していたので
四季とシンクロしていた感覚を味わえた。なんだか嬉しい。

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