お話の、あるところ。

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『夢見る病気』豊原ね子

投稿作品『夢見る病気』〈34〉 著者:豊原ね子

第三章 Utopia(第七枝 夏) 第四話 神話の子 ――2/2

 ―5―

〈夜明け、山の端からさす朝日が、夜のうちに消えそびれた亡霊たちを引き裂いていく。谷は悲鳴で震える。朝露が葉の先で揺れるのは、その声を吸いきれぬからだ。
 長谷部は目をあけた。目覚めの余韻などはあらず、山の土すべてがそうであるように、この夜と朝の移ろいを余さず見ていた心持ちであった。障子越しの光が顔にそそいでいた。障子の外にひとかげは見えぬが、縁側を歩いてく老人の、衣擦れの音が聞こえた。長谷部はおきて障子を開けた。むかしからそうだと言うように、縁側は無人だった。
 するとコンと咳の音が、縁側の角から聞こえた。そこは夏草が茂り、暗く、鬱熱がごとき暑気をためこむ鬼門のほうであった。〉

〈長谷部はそこへ歩く。〉

〈――爪先に水がふれた〉

 千賀子はいつしか、その文章を目で追ってすらいなかったことに気付く。そうせずとも内容は全て頭の中にあった。
 窓のツタをかいくぐってきた陽光が、大型の金魚ばちを透過して、開かれたページに水の輪を揺らす。赤と黒の金魚がエアレーションを浴びていた。腹を洗っているようだ。なるほど空気中に棲む動物が水を浴びるのと同じことで、魚は空気で体を洗うのかと思いつく。
 玄関のチャイムが鳴る。
 本をひらいたまま立ち上がる。時計を見ればたしかに、息子が孫を連れてくる、その約束の時間だった。

〈……爪先に水がふれた。素足を染める水の色を見、それがわずかに血を含んでいると見抜く。〉

 二階建て住居を繋いだ集合住宅の、一番東が千賀子の家だった。
 移り住んだ時にはそうでもなかったが、ただ立ち上がるだけでも膝に痛みを感じるこの頃は、二階建ては広すぎるようにさえ思える。キッチンから、玄関へ歩いて行った。せっかちな息子は気ぜわしくチャイムをまた鳴らす。
 果たしてドアを開けると、正面に息子の力哉が立っていた。お前にくれてやる分の笑顔は無いと言わんばかりのしかめ面だった。隣に彼の妻、アレグルが控えている。そして十歳と七歳と姉弟。
「やあ、母さん」
「お上がり」
 スリッパを用意し、千賀子は早々にキッチンへと戻った。開かれた本、『オルガン国へようこそ』を閉じて近くの戸棚にしまう。紅茶の瓶から花びらをつまみ、グラスの中に落とす。そのグラスに氷と冷水をそそぐと、花茶の品のよい香りが立ち上った。嫁が緊張した声で、はやくスリッパに履き替えるよう子供たちを急かしている。この様子では、力哉は自宅では、年中土足でいるようだ。この国の大多数の層がそうしているからというよりも、母と同じようにするのが嫌だからかもしれぬ。面と向かってそう言われても、自分はさほど悲しくあるまい。子供たちが入ってきた。
「わあ、さかな!」
 それを嫁が叱った。
「お義母さん、すみませんね、騒がしくさせてしまって。今日からお世話になります。私たち――」
 力哉はというと、棚にしまった『オルガン国へようこそ』を見つけ、それに指をかけているところだった。千賀子にはふと、その指が汚れていたり不潔だったりするように見え、不快感に目を細めた。
「ちょっとあなた」
 アレグルに呼ばれ、力哉はあからさまに面倒くさそうに、千賀子を振り向いた。
「じゃあ、母さん、頼むよ」
「待って、あなた。どこに行くの」
「すぐに戻る」
 千賀子は止めようとしなかった。玄関に戻る力哉のあとを、アレグルが小走りでついて行った。
「あなた、こんな時にも仕事なの?」
「前からの約束なんだ。すぐ戻る。おれが戻ったら避難所に帰ろう」
「あなた」アレグルは肩を使ってため息をつく。「……もう少しお母さんとうまくやりようが無いの?」
 力哉はただその目を見返した。
 返す言葉などなかった。力哉は母親が嫌いだ。ただそれを口に出すには自分は大人になりすぎたし、アレグルも、誰も、そんな本音を期待していない。自分も。
「いいんだ」
「よくないわよ、だって」
「後にしよう。こんなところで」
 と、力哉はキッチンのほうに目を動かす。アレグルは黙った。

〈水は縁側の角、あの、咳のしたほうから流れてきていた。水がこうして流れてきたということは、縁側がひどく老朽し、ななめに傾いているということで、〉

 車に戻る。車内はもう外以上の熱を蓄えていた。吹き出る汗を手の甲でぬぐうが、その手の甲も汗で濡れている。
 車を出した。千賀子から遠ざかれると思うと、アクセルを踏む足が力む。

〈立ち入りを禁じられたあの角の向こうがあばら家同然だったとしても、何ら不思議はないことだ。あの老人すら実はとうに朽ちていて、この朝ついぞその事に気付いたのかもしれぬ。〉

 オルガン国へようこそ。
 キッチンにあったあれは、ごく小さな出版社から出た本だ。幻想小説や怪奇小説を主に出版していたが、書いている作家はどれも聞いたことがないような者たちばかりだった。
 力哉には文学の素養がない。それでもかつて母を分かりたい一心で、努力して読もうとしたことがある。だがあれは

〈あの角のところで老人が、極限までうすまった血を流してうずくまっている様子を、長谷部は想像した。〉

 頭がおかしいとしか言いようがなかった。
 そもそも小幡は読書家を自称する人間が嫌いだった。そういう人間に限って、好きな作家の言うことばかりさもしたり顔で主張して、話が大げさで、一方で人の話を聞かず、無神経に他人の領域に踏みこんでくるし、そのくせ自分の痛みには過剰に反応し声高に主張する。もちろん皆がそうだったとは言わないが、見てきた限り、千賀子もそうした誇大妄想、被害妄想気質の持ち主だった。
 忘れもしない。七歳の夏だ、ヒーローアニメのビニール人形で遊んでいると、とつじょ闖入してきた母がこの手から人形を取り上げて、生ゴミと一緒に捨てに行ってしまったのだ。何が母の癇に障ったか理解できず、力哉は身を竦めて恨みを蓄えるしかなかった。たとえば締め切りなどで神経が昂っていたにしても、その時ひどく騒いでいたわけでもない。低俗な子供番組など見ずに児童文学にふれて欲しい、などと言うことは以前から言っていたが、なにもそうまでして娯楽を取り上げることはないではないか。大体なぜ、自分も作家のくせに他人の創作物をそうみっともなく憎むのか。
 千賀子の家が遠ざかるにつれて、丘の町は坂が増え、みちが狭まる。苛烈な陽射しがテルノ市の裏道を、光と陰とに塗り分ける。
 車がすれ違えないほどの道。黒く闇に塗りつぶされたカーブにさしかかる。
 小幡はその角を、

〈長谷部はその角を、〉

 曲がる。
 緑陰をはねのけて、光の膜を表面にはった水が縁側を浸していた。粘度をおびて盛り上がるその水は、縁側のへりから滴り、雨だれがごとき音をたてる。水は突き当たりの納戸からあふれ、
 と、
 小幡はブレーキを踏みこんだ。
 車がカーブの闇を抜け、目をやく光の中に出た。とたんに汗が噴出し、その次には、冷房から吹く風のつめたさで、腕に鳥肌をたてた。小幡力哉は現代、テルノ市にいる。リキヤ・リプルとして。車外、天井のうえから窓のあく音が降った。住民が「なにごとか」と身を乗り出し、しかし何もないと分かると、すぐにまた窓をしめる音。
 慎重にアクセルを踏んだ。
 少し神経の具合がおかしいのだ。小幡は自分に言いきかせ、宥めた。難しい商談でもないんだ。落ち着け。
 深い呼吸をしながら、チェーレンが待つ学校へ下りていく。

 トランクから出した鞄は、握るのが辛いほどよく熱されていた。それで傷むような商材ではないことが幸いだ。避難所は殺伐とした活気に満ちている。前庭に入っていき、チェーレンの姿を探した。校舎前の木立が約束の場所だった。しかし校舎の正面から、その西のはしまで歩いてみても、チェーレンの姿はなかった。
 何気なく校舎の角を覗きこむと、そこに知った人を見つけた。
 チェーレンの店を手伝っているメリシカという子が、校舎の白壁に背中を預けて体を丸めていた。そばにガロエが立っていて、つい「やあどうもこんにちはお世話になっております」と声をかけそうになり、小幡は慌てて口をつぐむ。
 うずくまるメリシカは、たしかにメリシカであることに違いないのだが、商談に出向いた際小幡をもてなした、あの笑顔や愛敬、明るい気配がまるごと損なわれている。あの日、大切な人を失ったのだと小幡は理解した。立って言葉をかけているガロエは、慰めつつも持て余しているように見えた。そっと姿を隠すと、木立からチェーレンが現れた。足音を立てぬように、そっと遠ざかった。
「こんにちは、お暑いですね」
「うん……」
「先日おはなしした物をお持ちいたしました」
 本来なら若い学生たちの語らいに使われているはずの、木陰の石のベンチに腰かけ、小幡は膝のうえで鞄を開いた。
 中には呪符の製作に使われる顔料が一式、おさめられている。呪力付与者の腕まえを保障された一級品だ。チェーレンの眼差しに厳しさが現れた。胸ポケットから老眼鏡を取り出すと、荒れた指の、ていねいな動きで顔料の瓶を検めた。
 小幡は熱心に、この顔料の原材料が稀少なものかを説明した。商材については熟知しているが、チェーレンにとっては改めて説明されることではなかろうと気付くと、顔料輸入に関しての自社の優位性についての説明に切り替えた。
「作業場についてなんだが……」
 言葉のきれめに顔を上げ、チェーレンは申し訳なさそうに切り出した。
「ええ、それはもちろん我々のほうで確保させていただきます。テルノ市街の支社内でも職人の方々の作業空間のご用意があるのですが」と、小幡はパンフレットを取り出す。そして、声を落とし言った。「首都近くの特別保護区内にあたらしい工房をご用意することが出来ます」
「場所は」
 霊子術師や呪符師などの技能者が優先的に保護を受けられるその小さな町の名前を、小幡は口に出した。
「もちろんご家族の方の移住も可能です」
 チェーレンの灰色の眉が跳ねる。
 その顔に苦悩が滲みでた。小幡は選択を見守った。
「……ガロエやサーリヤをここに留めておくことは不憫だ」と、チェーレン。「だが……娘婿はこの街を離れられん。引き離されるくらいなら残ると、ガロエは言うはずだ。それにテルノにも呪符屋が必要だ」
「分かりました」
 小幡はその回答を受け容れた。
「そういえば、あちらの方はどうなった」
「……と申されますと?」
「コレクションの方は」
 他愛もない心配に、小幡は苦笑して答えた。
「いや、私の家の方までは火が回ってこなかったのですが、煙にまかれましてね。ケースに入れていたものは無事だったのですが、窓から入りこんだ煙で変色してしまったものも多くて」
 そして、チェーレンの工房の痛ましい結末を思い出す。娘や娘婿にコレクションを見られたくないチェーレンは、工房の仮眠室にそれを保管していたと聞いた。
「おれのは、全部燃えた」
 予測していた悲しみを、チェーレンは口にした。
「……もとは息子が集めていたものだ。気付いたら、おれも息子と一緒に夢中になっていた。それに関して女房がちくちく言うようになってな。一緒に映画を見ても、何を見ても、あなたは子供番組のほうが好きなんじゃないかと言うんだ」
「そんな」
 乾いた声で笑う小幡に、しかしチェーレンは暗い表情を変えなかった。
「その内くだらんことが重なって……おれは鹿肉が好きだが女房は嫌いだとか、部屋の配色の好みの違いとか、身だしなみのこととか……あいつはおれを不潔でだらしがないと言ったんだ。たかだかカードやシールの蒐集がきっかけで、あなたは私に愛情がないだの、あなたに騙されたのいう話になって」
「そんな大袈裟な!」
「女房は息子を連れて出ていったよ」
 引き攣った笑いを消せぬ小幡にチェーレンも薄く笑う。口下手で感情表現のへたなチェーレンが、立ち去る妻と手を引かれていく息子を、なす術なく見送る様子を想像すると、胸が痛んだ。
「そうかもしれん。おれはあいつを騙していたのかもしれん」
「そんな……そんなことはないでしょう。私にはとてもそうは思えません。弱気になっているのですよ、チェーレンさん。ここより良い環境にうつれば落ち着きます」
「ここに移ってから夢を見るんだ」
「夢ですか」
「息子の絵本だ。忘れていた」
 チェーレンは老眼鏡を外し、目をこする。
「はぁ。それは、どんな」
「野菜嫌いの子供に、歯の生えた野菜が噛み付いている絵があった。内容は覚えとらん」
 小幡はなんとなく、尋ねた。
「なんの野菜なんですか?」
「ハクサイ……」

〈これは俺の記憶〉

〈じゃない。〉

 ―6―

 健常人でも立ちくらむ暑気の中、ミナシキは肩を落として、細長い坂道を歩いていた。
 坂を上りきると大きな道に出た。ネーリがくれた地図のとおりだ。テルノ市の東にはミドナ市という中規模の町があり、乗り合いバスが出ている。いっぽう西には、それよりうんと遠いが、ナヨカ市という大都市がある。〈穴〉がある都市だ。テルノからナヨカ市行きのバスは出ていない。もっと東から来る便を捕まえるしかあるまい。それに、あの銃士たちが自分を追おうとしたら、ミドナ市行きのバス乗り場まで追いかけてくることは確実だった。
 穴があるナヨカ市に行けば、レギニータからの難民を捕まえられるかもしれない。それが一縷の望みだった。今の状態の自分が目的を遂行することはきわめて困難だ。せめて通訳が欲しい。
 やがて土の坂道は、夏草がおおい被さる階段に変わった。抉った土の縁を丸太で補強しただけの粗末な階段で、その土も雨風にさらわれて、坂道に丸太が転がっているだけという有り様になっていた。その長い階段はつらく、途中ミナシキは座りこんで、口もとを押さえ咳きこんだ。
 やはり体は辛かった。ネーリの医院で世話になる前よりかもしれない。
 もらった気管支拡張剤に頼ろうとして、やめる。今の段階から消費をし始めるようではいかにも不安だった。それに薬が効かなくなってきていることが、自分で分かる。
 末梢の葉の薬なら効いたろうか。
 もとより霊子や霊医術に頼らぬ末梢寄りの世界であれば、薬は純然たる化学物質だ。霊子の庇護を受けられぬ自分には、それなら効くかもしれない。……いいや、思っても詮無いことだ。
 蟲はともかくとして、病や自然や物理の現象は俺を殺せるはずだ、とミナシキは考えている。ハイダの言によれば、ハイダから見れば蟲はフィクションにすぎないので、ミナシキはそれから守られ得る。しかしハイダとて病気や物理現象がゆめまぼろしであるとは抜かすまい。なによりただ一人だけ蟲から守られる、その矛盾は世界樹世界に負荷をかけているに違いない。これ以上負荷を増大させることを世界樹は許しはしないだろう。
 日よけのフードを被ると、たちまちそれの内部が蒸し、首にも喉にも汗がわく。それを堪えて歩いていると、そのうち後ろから、大型車両の走行音が迫ってきた。
 土煙とともに現れたジープの一群が停止し、クラクションを鳴らした。先頭の迷彩色の車輌から、男が上半身を乗り出し、なにか叫ぶ。
 ミナシキは片手をあげ、男へと歩み寄った。
 運転手の男はたくましい体つきをしているが、軍人や銃士という様子ではない。民間の護送団だろう。後ろの車輌からも人が出てきて、取り囲まれる形となった。ミナシキは地図を出し、ナヨカ市を指した。簡単な単語をつないで「ここへ行くか」と尋ねた。言葉が不自由だと分かり、男たちは困惑して目配せをしあった。
 答えたのは先頭の車輌の、最初に話しかけた運転手だった。
「××××××××××」
「?」
「ここ、いく。わかる?」
 運転手は日に焼けた太い指で、現在地からナヨカ市までに一本の線を引いた。
「わかる」
「××××××」
「?」
「のる?」
 運転手はミナシキと、後ろの車とを交互に指差した。ミナシキは真顔で二度うなずいて答えた。男たちはパタパタと忙しげに車に戻っていき、やがて一人がクリップボードを持って戻ってきた。
 男はそれに名前を書けと言った。でたらめな名前をレギニータ語で記帳すると、彼らはまた困った顔をして……しかし、「こちらに来い」と手振りで示された。
 名簿を持ってきたその男についていこうとすると、先頭車両の運転手が呼び止めた。
 振り向くと、彼は言った。
「××××××××××××!」
「?」
「おまえ」「言え」という意味の単語が聞き取れた。
「Yo,ro,si,ku-O,ne,ga,i-Si,ma,su!」
「?」
 男の言っている意味は分からなかったが、ミナシキは首をかしげ、もういちど繰り返されたそれを、たどたどしい発音で口にした。
「ゆろーしく、おにゃーがあ、しみゃう!」
 すると、何がそんなに可笑しかったのか、運転手の男は大笑いしてミナシキに片手を振った。窓を閉めながら、助手席の人間と「みゃう!」「みゃう!」と言い交わすのが耳に届いた。さきほど言えと言われた言葉の語尾だ。発音を笑われたのは不愉快だが、自分に対する警戒心が多少ゆるんだようなので、よしとすることにした。
 ミナシキは長い車列の中ほどの、窓のないバスに連れて行かれた。もとは観光地を走る遊覧バスだったらしい。色とりどりのペイントが泥を被っていた。大きな屋根の下から、まばらな乗客がミナシキに好奇の目を注ぐ。フードを脱ぎ、一番奥まった席に荷物を置いた。ゆっくりと腰を下ろしてしばらくすると、車輌群は走り出した。窓のないバスの中は、生ぬるいながらも風が吹き、多少は心地よかった。
 布に包んだサーベル、キセリタを大切に抱きかかえ、眠たくなってまどろみに落ちゆく。
 バスの中にDOLLsという、あのReRouE人間どもがいないことが、ミナシキを安心させた。ミナシキはあれたちが苦手だった。この国に来て、初めてそれとすれ違ったとき……それが普通の人間でないことはすぐに分かった。旅の間に研ぎ澄まされた直観は、その理由も教えてくれた。
 あの人間はReRouEを埋めこまれている。
 気付いたときにおぼえた怖気を、今でも忘れていない。
 なんと恐ろしいことをするのだろう。ReRouEは、ただそれだけで独立した人格をもつ存在だというのに。
 それを他の人間に溶かしこんでしまうとは。
 まどろみが遠のき、サーベルを抱く腕が力んだ。
 キセリタが他の人間と融合させられ、その人格が消えてしまうなど、ミナシキには許せぬことだ。このサーベルにまだキセリタがいるか、いないかは別として――絶対に、この国の人間にサーベルを引き渡してはいけない。

 ネーリは朱鷺子が出した冷茶を飲みほすと、あとは目と目の間に力をこめ、ひたすらおし黙っていた。局長がミンタカをつれて入ってきた。目の下には目よりも大きな隈があり、内臓のどこが悪いのかいやに黄色い顔をして、禿げ上がった額の汗をふきふき戸を閉めた。
「いやどうも、このたびはご不便とご迷惑をおかけして申し訳ございません、私はここ儀礼銃士協会テルノ支部支部局長を務めております――」
「不甲斐ない臆病者として有名なギル・カク局長だろう。先の襲撃で現場の銃士の統制が取れなかったのは、あんたが指揮をほっぽって逃げ出す算段をたててたからだともっぱらの噂じゃないか」
 かわいそうな局長は、「いえ、そんな」と言葉を失い、汗を拭く手もとめて立ち竦んだ。
「局長、絶望するのはあとにしてください。サルマン先生、もしその様なことがあれば、まず我々が黙っておりませんよ」
 と、ミンタカ。
「庶民の口に戸は立てられぬものですが、局長がつつがなく息をしている限りは、我ら銃士と局長を信じてやっていただきたいものです」
 局長はちがう汗をかき、ネーリは初めて笑った。むろん他人や自分自身を和ませるような笑いではないが。
「よう、ミンタカ。手配の方はどうなった?」
「ミドナ市の銃士たちに頼んでおいたよ。乗り合いバスから該当する人物が出てきたら、すぐに拘置される手はずとなっている」
「周到なことだね、たかが一人のために」
「そのたかが一人が、馬鹿にできない意味を持っているかもしれないんですよ」
 パジェットが口を挟むと、険しい視線がそのまま飛んできた。パジェットは肩をすくめ、受け流した。朱鷺子が言葉を継ぐ。
「私たちは彼に、手荒な真似はいたせません。いえ……できませんから」
「馬鹿にできない意味、だと。それはあんたがた銃士らにとってかい?」
 廊下を人が走ってくる。その足音は慌てふためいた様子でまっすぐ会議室を目指し、厚い戸を開け放った。
 暑さと興奮で顔を真っ赤にしたメルヴィが、姿を見せた。ずっと走ってきたらしく、髪は乱れ、息を弾ませている。
「……そうでもあるし、彼にとってもです」
「えっ? 何がですか?」
 するとネーリは、この初めて会う童顔の男に、少しだけ態度を和らげた。
「あんた……あの男の身内かなにかかい?」
「ミンタカさん、こちらの方は?」
「分かってる。まずは戸をしめようか」
 メルヴィは言われるまま戸を閉め、さらに内鍵をかけた。
 他ならぬミンタカに電話で呼ばれ、メルヴィは駆けつけてきたのだ。『今すぐ来てくれ』と言われてから十五分も経っていない。
『どうしたんですか?』
『落ち着いて聞いて欲しいのだが、銃狩りのチームが山中で殺された事件があっただろう』
『ええ』
『その際、連中の射殺に用いられた銃がほぼ特定できた。第十二枝レギニータ製、〈マイシカ56〉、かつて王宮警備に用いられていた機関拳銃だ。……ご存知か?』
 会話が切れ、空調の音が室内を満たすのみとなった。
 ミンタカは腕の動きでメルヴィに座るよう指示し、ネーリのことを医師だと紹介した。
「もう一度改めてお尋ねします。サルマン先生、その彼は、たしかに短銃を所持していましたね?」
 さきほどよりも更に深いしわを眉間に刻み、ネーリは押し黙った。どのように答えればその『彼』のためになるかを思い、そしてどうすれば自分の罪にならないかを考え……そして、ここに来る前のパジェットや朱鷺子との会話、ミンタカたちが隠していることへの思いを馳せているらしい。
 そして結局、答えた。
「……ああ。持っていたよ」
「サルマン先生、こちらの方はメルヴィ・メイルシュトロームという、第十二枝からいらした我々の客人です。そして今はなきレギニータの臣民だ」
 平静を装っていたネーリだが、わずかに眉を上下させた。
「……それで?」
「近頃この近辺で、所持者不明の銃弾による殺人事件が発覚した。その銃は第十二枝で製造されたものと特定されているのですが、そこへ来て、短銃を所持した不審な男がかくまわれていると窺ったものでね」
「だとしても、何故そんなことをお前たちが嗅ぎまわる。警察の管轄だろう」
 話がのみこめてきたのか、生唾を飲むメルヴィを、今度は手で示した。
 ミンタカの唇に笑みが浮かんだ。悪戯っぽい眼差しをパジェットに投げた。パジェットは、ネーリに見えないように首を軽く振った。『同じ収束点として放置しておきたくないから』などと、どうして言えようか。
「それについてお答えする前に、もう一つだけお聞かせください。彼はほかに長物を所持していませんでしたか?」
「長物……」
 ネーリはうなずく。
「いやに長いものを布でくるんで持っていたね。刃物じゃないかとは思っていたが、シキは絶対に人に触らせなかった」
「待ってください」
 メルヴィが立ち上がった。
「シキですって? 待ってください。その銃と長物を持っていた人は、シキ、と名乗ったのですか?」
「それがどうかしたのかい」
 ネーリもさすがに、メルヴィの顔が青ざめていくのを見て、不機嫌のふりばかりでもいられないと悟った。
「そうさ」と、ネーリ。「そうだ、シキと名乗った。私にも、そこの男にもそうだ。だが彼が第十二枝の人間であんたの知り合いだとしても、枝を越えてここまで来たなら言葉が通じていたはずだ」
「サルマン先生、彼は霊子の庇護を受けていなかったのでしょう」
 ネーリの瞳のなかで動揺の光が散る。パジェットはそれを見逃さなかった。メルヴィは立ったままだ。朱鷺子は固唾を呑んでやり取りを見守っている。局長は黙り……ミンタカはパジェットに、質問を続けるよう促した。
「そのシキは、いつごろ、あなたのもとに来たのです? 詳しく聞かせていただけますか?」
 ネーリは間を置き、呼吸を整えた。待っていると、彼女は話しはじめた。
 傷だらけの状態で自分のもとに来たこと。そのとき既に健康を損ねていたこと。銃を見せたのは借金取りを追い払ったときだった。射撃はしなかったが、それの台尻で相手を殴りつけていた。銃がどうした種類のものかは、ネーリには分からない。
 ギターが好きで、よくギターを弾いていたことなども。
 メルヴィに問われ、背丈や体の特徴も答えた。メルヴィは今度は、急に力が抜けたようになって、椅子に座りこんだ。
「……探しに行くのかい? だとしたら急いだほうがいい。あの男……死ぬぞ」
「手は回しています。今朝発って、テルノからそうそう離れられるとは思えない。乗り合いバスが出ているミドナ市にはすでに手を回してあります」
「その程度でいいのかい?」
「銃士たちの結束を信じてください」
 パジェットが、歯をみせ笑うと、ネーリは軽くためいきをついた。
「……そんなことを言われてもね。アタシにはあんたら銃士の世界がどういうものか分からん」
「いずれにしろミドナに行く以外の選択肢はないでしょうから、おっつけ連絡があるはずです」
 そう言うのはミンタカ。
「で、どうすんだ。あんたらやそこの兄さんが迎えに行くのかね?」
「そこの彼は留守番です」
 そう言われ、メルヴィは慌てて目をあげた。
「ミンタカさん」
「まあ、言いたいことは分かるが落ちついて。たしかに言葉の通じる人間を連れて行きたいとは思うが、相手を下手に動揺させたくない。それにまだ、そうと決まったわけじゃないんだ」
「ですが」
「もし『そう』であったら」
 よく光るいたずらっぽい目で、メルヴィに微笑んだ。
「その時、あなたに会ってもらおうか」

 ―7―

 日暮れも暮れ終わる頃に、ようやく、休憩時間が取れた。パジェットはガロエに電話をし、チェーレンと小幡のやり取りを知った。
「……行かないのか?」
『そんな気持ちになれない。ご近所の方はみんな、疎開先もなくて困っているわ。それに、どこに行っても必ず安全なんかじゃない』
「そりゃあ、そうだけどよ」
『それに、当分はテルノ市は安全な気がするの』
「なんでだ?」
『この前、こんなひどい事になったばかりだから……』
 パジェットはガロエが目の前にいる気になって、首を横にふった。
「お前……それは気がするだけだ」
 ガロエとチェーレン、そして何よりサーリヤには、少しでも安全なところに行って欲しい。
 だが、自分とこの町に留まることを選んだ、そのことが嬉しくもあった。素直に喜ぶことも無理に「行け」ということも出来なかった。
「……わかった。今度会えた時、三人で話し合おう。メリシカはどうしてる?」
『変わらないわ』
 チェーレンは今は不在とのことだった。サーリヤに代わってもらい、近々会いに行く約束をして、再びガロエと代わる。少し早い「おやすみ」を言い、電話を切った。
 電話室を出ると、ホールの安っぽい長椅子に、朱鷺子が座っていた。
「よっ、パジェットさん。差し入れもらったよ!」
 そう言い、ビタミン飲料の壜を差し出した。
「おう、ありがとさん」
「疲れたねぇ。奥さん大丈夫だった?」
「まあな。いちおう寝床も食うもんも足りてるみたいだし。おめぇは寝れてるか?」
「問題ないよ。私たちが落ちこんだりするには、まだ時期が早いもの」
 二人は並んで座り、壜を開けた。そう美味でもないビタミン飲料が、とても甘く感じられた。
「すずちゃんも、立ち直れるといいねえ。特異点調査がいい刺激になればいいんだけど」
「そうだな」
 行谷が特異点行きを決めたことが、パジェットには嬉しかった。彼女は今へたに休んだら、休んだことが罪悪感となって、それこそ銃士として復帰できなくなるおそれがあった。
「……パジェットさん」
「なんだ?」
「そういえば前に、第一枝で組んでた人の話をしてくれたよね」
「なんだ、急に」
「前すずちゃんと組んだ時、その話をしたの。私たちずっと一緒に組んでいれたらいいねって。パジェットさんやミンタカさんともねって。そしたら急に気になっちゃってさ。ずっと無事でいて、ずっと一緒に仕事が出来るのって凄いことかなって」
 パジェットは空になった壜を太腿に挟み、内ポケットに手を入れた。手帳を出した。見守る朱鷺子の前でそれを開く。
「コイツだ。第一枝にいた頃、人探しのためにこの写真を持ち歩いてた。オレの相棒だよ。……いい奴だった」
 数枚の写真を抜いた。手渡されたそれを見て、朱鷺子は息をのんだ。
 観光地らしい場所の石碑と、若い男が映っていた。
 朱鷺子よりいくつか年下くらい。長く伸ばした髪をそのまま背中に垂らしている。ほっそりした体つきと、爽やかで繊細そうな顔立ち。それでいて男性的な逞しさがあり、こちらに微笑みかける甜茶色の目は、若さと自信に満ちている。朱鷺子がそうであるように。
「うわあ、きれいな人だねえ! なんだか女の人みたいだねえ」
「それ、本人に言ったら怒るぜ」
 パジェットは笑い、言った。
「シキっていうんだ、そいつ。字は、『知識』の識」
「へえ、識くんね。パジェットさんが撮ったの?」
「オレが男撮るわけねえだろ。仲間から譲ってもらったんだよ」
 次の写真を見ると、柳の木の下で、若いパジェットが一緒に映っていた。識の肩に肘をかけ、カメラに向かって笑っている。識はすこし困惑している様子だ。朱鷺子は大声で笑った。
「やだ、パジェットさん変わってない!」
 三枚目の写真は、バーかどこかで撮ったものだった。青いネオンの中で、識とパジェット、そして二人の女性が映っている。
「こっち、でかいほうの女はキリエって言うんだ。オレの同期。こっちの女の子は――なんていったかな――ミオだ、そう。黄柳野澪」
「へぇ」
「最後に四人で仕事したときの写真だ。あれも真夏だったな」
 写真を揃えて返し、朱鷺子は訊いた。
「どんな人だったの? 識くん」
「努力家だった」
 パジェットは迷いなく答えた。
「……負けず嫌いで、気が強くて、真面目で……だけど気詰まりな奴じゃなかった。一緒にいると楽しかった」
「でも、居なくなっちゃったの?」
「ああ」
 パジェットは笑ったままだが、たしかに悲しみと、消えぬ怒りを抱えていた。ほんの少し暗くなった声が、そのことを教えた。
「忽然とな」
「そうなんだ」
 もし逆の立場だったら、パジェットは相手を傷つけぬように話を聞き出せたかもしれない。だが朱鷺子には、そんなやり方は分からなかった。
「無事だったらいいね」
「ああ」
「どこかで元気にやっていたら、いいよね」
「そうだな」
 パジェットの記憶は消されていない。
 人が枝を越えたら、あたらしい世界に適応するために、少しずつ記憶を消されていく。パジェットやミンタカは、そうはならなかった。
 あらかじめ儀礼銃士だったからだ。力のふるい方を忘れぬために、マンティスや霊子は彼の記憶を守ったと朱鷺子は聞く。悲しい記憶ごと。
 なぜかレギニータ人もそうだ。メルヴィとリネットは五回も枝を越え、しかも第十二枝を離れて一年が経っている。しかし記憶の劣化などは一向に訪れない。この現象もまたレギニータにまつわる謎のひとつだ。
 するとメルヴィが、廊下の角からふらりと現れた。昼に着ていた私服のままで、風で乱れた髪さえ直していなかった。
「メルヴィくん。宿舎に戻ったんじゃないの?」
「ええ……落ち着かなくて」
「そうだよね。ここ座る?」
 メルヴィは軽く一礼し、朱鷺子の横に腰をかけた。そして服のポケットから、煙草とライターを出した。
「へえ、吸うんだ。意外」
「妹には内緒にしといてくださいよ。第十二枝では手に入らなかったのですが……ここに来てからやめられなくなって」
 そう言いながら、煙草に火をつけた。煙を肺いっぱいに吸い、吐き出した。
「そうなんだ……辛いね」
 酒の量も増えた。さすがに妹のてまえ吐くまで飲むということはないが、言葉遣いがつとに荒れ始めたことについては指摘されている。他人に苛立つことも多いし、これではいけないと思いつつも不機嫌であることをやめられない。
 煙草はほんの二口で飽き、灰皿に押しこんだ。
「リネットちゃんは今、ひとり?」
「ええ。あいつ炊き出しのボランティアに行きたいって聞かないんですよ。まあ、さすがに勝手にここの敷地から出たりはしないでしょうが」
 だがその勝手さや行動力で、リネットは生き延びた。リネットが今生きているのは、かつてレギニータから自分を追って第十一枝にまで来たからだ。
「いい心がけじゃない」
 二本めの煙草を出す指を、軽やかな声が止めた。
 いやな予感がした。それはすぐに的中した。振り向けば、廊下の角からプラガットが微笑みかけていた。プラガットは、色のうすい髪を優雅にうしろに払い、メルヴィの隣にかけた。
「それに、こんな町の状況で一日中部屋の中にいては、気分がふさいでしまうのでしょう」
「だからって、勝手に外に出していいことにならんだろ。大体あんなわがままな奴に、炊き出しなんて勤まらんよ。避難所の人たちに要らん気をつかわせるのがオチだ」
「あら。血の繋がった妹さんなのに、冷たいのね」
「だからだよ」
 プラガットの超然とした態度に苛立ち、衝動的に煙草を吸いたいと望み……それを押しとどめる。
「ここじゃどうか知らないが、実際に救助経験のある身としてはあいつを避難所にはやれんな」
「あら、救助活動って軍警さんのお仕事なの?」
「変か?」
「いいえ、そんなのって初めて聞いたからびっくりしたの。蟲の襲撃で? レギニータではそういうのはないって思ってたけど?」
「あれは反乱分子の焼き討ちだった。内壁の……ああ、内壁っていうのは」
「分かるわ。続けて」
「……わけありの内壁の議員をかくまっていたんだ。外壁の小さな町がな。それを裏切り行為だといって反乱分子の一派が火を放った。近くにいて、真っ先に駆けつけることができたのが俺たちの分隊だったんだ」
「ああ、その事件なら私、本で読んだわ。でもたしか真っ先に駆けつけたのは、別の町で貧困層の救済活動に当たっていた医療チームだと書いてあったけど……」
 メルヴィはいぶかしみ、プラガットを見返した。
「……いなかったぞ? そんな奴ら」
「まさか。第七枝で人道委員会の第十二枝支部にいた有名な方よ。そんなはずないわ」
「じゃあ何だよ。俺が嘘ついてるっていうのか?」
「そうじゃ……そんなつもりじゃないわ。睨まないでよ」
「どこの有名人が書いた本か知らないが、見てもいない奴が偉そうに言うな」
 目を見開き、プラガットはメルヴィから身をそらす。
「ひどい。そんな言い方することないじゃない」
「ひどいのはお前だろ。人の話より本に書いてあったことのが大事かよ」
「ごめんなさい、それは私が悪かったわ。でも」
「でもって何だよ。いっつもいっつも。いっぺん謝りさえすればあとは何言ってもいいと思ってるだろ」
 プラガットの頬が、その髪の色のように紅潮した。パジェットと朱鷺子が、どうなることかと見守っていると、一度目を伏せたプラガットはそのままメルヴィに申し訳なさそうに、
「ごめんなさい。私が大人げなかったわ」
 そして立ち上がり、早足で立ち去ってしまった。
 メルヴィは呆気にとられてその背を見送ったが、自分が今しがたひどく馬鹿にされたことに気付いて、無意識に煙草の箱をにぎりつぶした。
「なんなんだよ、あいつは!」
「まあまあ、まあまあ。腹が立つなら構わなければいいじゃない。メルヴィ君のほうが大人なんだからさ」
「あいつの言うことはいちいちいちいちいちいちいちいち腹が立つんですよ! わざわざ人を馬鹿にするために絡んでくるなっての」
「そうじゃないわ」
 と、R.R.E.。
「あの子、あなたに構ってほしいのよ」
 壁にもたれたまま、手にしたビタミン飲料をあおった。
「……あの、いつから居たんですか?」
「まあまあ。あの子、前から楽しみにしてたのよ。レギニータ人がどんな人か見たいって」
「なんだそりゃ、珍獣じゃあるまいし。構って欲しいってどういうことですか」
「あなたを馬鹿にしたりする意図はないってこと。寂しいのよ」
 と、壜をくず箱に放った。
「とてもそうは見えませんがね」
「馬鹿にされてるって感じるのも仕方ないわね。たしかにあの子は頭いいもの。そうじゃない子が生まれないように、はじめからなってるし。ただそれと、人格が成熟しているかは別ってこと」
「それはそうですが……」
「言いたいことは分かるわ。でもあなたはプラガットに何もしないほうがいい」
 R.R.E.は顎を引いて笑った。
「あたしの方から、ひとこと言っておくからさ」
 その笑いの底に恐ろしいものを感じ、メルヴィは思わず目をそらした。
「あたしもあなた達と仲良くしたいんだもん」
「……それは、どうも」
「メルヴィくん、あなた、あたし達DOLLsがどうやって生まれてくるか知ってるよね」
 すると、今まで黙っていたパジェットが呆れたように口をはさんだ。
「いいのかよ?」
 R.R.E.はウィンクで返した。
「あたし達は、選ばれた精子と卵子から生まれるの」
「ええ、そのことは以前に」
「自分たちで生殖することが許されていないってことは? 性行為が原則禁止されていることは? 相手がDOLLsでも、人間でも」
 メルヴィは、困惑して目をそらした。
 想像はついていたが、こうも率直にR.R.E.の口から聞かされるのは、辛かった。
「……あたしより少し年下の、DOLLsの男女がいたわ。彼女らは愛しあってた。だけど二人は唐突に姿を消した。管理局に連れ去られたの。理由は、性交渉があったから」
「その二人は、いま?」
「分からない。一切、話は外に漏れないもの」
 メルヴィは更に困惑を深め、R.R.E.はじっと壁際から、見守っている。
 ひどいと思ったが、口にすると、二人が最悪の末路をたどったという想像が真実味を帯びそうで、恐ろしくて言えなかった。
 いや。
 容易にひどいと言えるのか、そう言えるほど他人事なのかと、問われているのだ。
「そのとき、プラガットは泣いた」
 少しして、R.R.E.は言った。
「DOLLsには人権が必要よ。だから私は人間だと、あの子は主張する」
 しかし――だからと言って、人間が憎くないのか。そんなはずは無いだろうと、メルヴィは考えた。
「だけどDOLLsと人間は違う。どうしようもなく違う。あの細い体にどれほどの力が宿っているか、あなたも知ってるでしょ。普通ならそこのオッサンくらい鍛えなきゃ得られない力が、自然にあるの。感じたでしょう、見下しを。人間への見下しを、あの子から」
「……はい」
「あなたは、DOLLsと人間が対等だと思う?」
「どうでしょうね」
「ホント言うと怖いでしょ?」R.R.E.は言う。「……誰が対等をのぞんでいると思う?」
「もう勘弁してやれって」
 パジェットが会話に幕を引いた。メルヴィは安堵して力を抜き、顔を上げた。
 R.R.E.が片手をあげ、言葉を制する。
 すると廊下を複数の足音が聞こえてきた。そのうち一つはいかにも落ち着きがなく、あれはカク局長だと、新参のメルヴィでも分かった。
 果たして局長とミンタカが、休憩スペースに現れた。
「やあ、いい知らせだ」
 好奇心でひかる大きな目を、いつものように悪戯っぽく笑わせて、ミンタカはすぐ真顔に戻った。笑う前より張り詰めた顔だった。
「ああ、いい知らせみてぇだな。来たか」
「ミドナ市ではないが、そこから発った民間の護送団が条件に合う男を乗せたそうだ。護送団に派遣された銃士からの定時連絡でさきほど発覚した」
 パジェットと朱鷺子、少し遅れてメルヴィも立ち上がった。
「電話は繋がってる。こっちへ。あと君は留守番だ」
「分かってますよ!」
 局長たちはパジェットらをつれて、足早に会議室へ向かっていく。メルヴィはそれを追うわけにもいかず、祈るような面持ちで立ち尽くしていると、入れ替わりにDOLLsのピケがやって来た。
「あなた、プラガットに何を言ったの?」
 ピケは少女の正義感で、メルヴィに詰め寄った。
「えっ?」
「あの子、トイレで泣いてたわよ。謝ってきなさいよ!」
 すると今度は、
「お兄ちゃん!」
 リネットが現れた。
「お弁当持ってきたよ! さっきミンタカさんたちとすれ違ってここにいるって言われたの!」
 メルヴィは完全に、パジェットらを追いかける気をなくした。ピケをほったらかしてリネットに駆け寄り、両肩をつかんだ。
「ばか、どうして来たんだ!」
「だって、お兄ちゃん忙しいと思ったんだもん。お腹すいたでしょ? あっ、こんばんは!」
 屈託ない笑みを、後ろに立つピケへと投げかけた。
 ピケは拍子抜けした顔で目を泳がせ、急に気が抜けた声になって「こんばんは」と返した。
「初めまして、私リネットっていうの! あなたはお兄ちゃんのお友達?」
「……ええ」
 ついピケはうなずいた。
「はい、まあ……」

 ―8―

 ミナシキが目を覚ましたら、トラックの中は暗黒、天井近くのビニール窓が細長く光っていた。蒸し暑くてつらい。車は動いていなかった。ミナシキはうすい布団の中で、寝ている理由を思い出した。横になれる車輌があるからと、移動をすすめられたのだ。
「キセリタ」
 目が慣れてきた。手を伸ばす。細長い布の包みの中に、サーベルはちゃんとあった。
「……暑い」
 バスからトラックに移ったのは夕刻になる前だ。ずいぶん寝たことになる。トラックの外に人が動き回る気配などはない。みな寝静まったのか。空気を入れ替えたくて、荷台のドアを押し開けた。
 すると見張りが立っていた。
 見張りの男はミナシキに両手を見せ、押しとどめた。暑くて居られない、ということを少し大げさに伝えると、見張りも仕方なしに荷台の開放を許した。
 ここは山道の途中だった。左右に木々がせり立っている。
 荷台から見上げる夜空はいちめんの星空。
 だったらよかったのだが、残念ながらうすく曇っていた。夜空はただの世界を閉ざす濁ったふたでしかなく、遥かな宇宙や深大さと通じ合えるものではなかった。
 ミナシキはしらけて、壁際に座りこんだ。
 それから自分の頭がまるで働いていないことに気付いた。
 この開け放たれた荷台から他の車が見えぬのは、おかしいではないか。病人を乗せた無防備なトラックが護送団のしんがりを務めているとはおもえない。それに静かすぎる。
 喉にちくりと痛みを感じた。ミナシキは背中を丸めて咳きこんだ。喉の血が口へと上がってくる。見張りの男はそれを介抱したものかどうか、考えあぐねていた。だがミナシキが、落ち着いて口を拭く布などを取り出しているのを見て、静観を決めたようだ。さいわい咳はすぐにやんだ。
 赤黒い血と痰をきり、その布で口許をぬぐった。見張りはこの病人を警戒する気をなくしたように見えた。
 ミナシキは見張りのもとへと近付いた。
「ほかの、くるまは?」
 男は地図を出した。この先の道が崩れてしまい、隊が分断されたとのことだった。
 納得したふりをして、ミナシキは奥に戻る。
 できるだけ音を立てぬよう、サーベルをザックから解いた。いつでも他の荷物を捨てられるように。サーベルをしっかり右手に持ち、見張りの男の後ろへと近付いていった。
 荷台から飛び降りる。
 男は完全に油断していた。
 そのみぞおちにサーベルの柄が深く食いこんだ。
 悲鳴のようなうめきのような、奇妙な声を上げ、男は大量の唾を吐いて膝を折った。見開かれた目がミナシキを見た。
 運転席から男が身を乗り出し、声をかける。運転手はすぐ異変に気付いた。
 ザックを引っつかみ、ミナシキは全力で坂を駆け下りた。
 背後で運転手の男が怒声を張り上げる。
 ゆるいカーブを曲ると、その向こうから懐中灯の光の輪と、二人の男が現れた。
 掴みかかってくる。
 横手の森の中へ、身を投げた。そこは急な斜面だった。受身を取って土をすべり、やがて二本の足で立って木々の中を走る。山道は大きく蛇行している。斜面の先には、さきほどと続きになった道があるはずだった。
 公道に飛び出した。
 まぶしい光が、道に立つ自分めがけて突っこんでくる。甲高いブレーキ音が響いた。車から見覚えのある二人――パジェットと朱鷺子がとびだし、立ちはだかった。後ろからは護送団の男たちが遅れて駆けつけてくる。
「銃を下ろせ!」
 その男たちに、パジェットが叫んだ。背後の男たちが怯むのを、ミナシキは感じ、そして走り出した。
 荷物を投げ捨てた。脚に力をこめて大きく跳躍する。ボンネットを踏みつけた。足首をつかもうとしたパジェットの手が、空を泳ぐ。ミナシキは天井で前転し、車を乗り越えた。
 その背が闇夜に走り去っていくと、唖然として身のこなしを見ていたパジェットも、慌てて後を追いはじめた。朱鷺子が追走する。
 振り向き、言った。
「おじさんたちは先回りして! 下の道を封鎖して!」
 ミナシキは車道から、細い通り道へ、そしてけもの道へ踏みこんで行った。明かりはなく、これ以上の追跡は危険だった。同じように相手も、逃げ続けることは難しいはずだ。
「シキ!」
 立ち止まり、叫んだ。草の汁の臭いが、口いっぱいに入ってきた。
「シキ、もどって来い!」
 ミナシキは痩せた木々に身をひそめ、呼び声をきいた。パジェットが「こちらに来い」と言っていることは、難なく分かった。けもの道さえ、闇の中見失っていた。
「シキ!」
 まぶしい光の点が、山の中に灯る。
「何もしねぇから、戻れ!」
 その光が自分を探して揺れ、彷徨うのを、ミナシキは下草の中にしゃがんで見た。パジェットの声と足音に、自分の足音を紛らわすようにして、じわじわと後退する。
 前にも同じことがあった。
 草のつゆの臭い――雨の臭い。ヨセギだ。ヨセギにああして追いかけられた。懐中灯を手に呼びかけられた。
 自分を、殺すために。
 いまわしい記憶に、意図せずうめき声が漏れた。懐中灯が動きをとめる。
 水滴が下草を叩いた。またたく間に森の中は、木々に濾過されたなまぬるい雨となる。ミナシキは木陰に身を寄せ咳をした。小さな乾いた咳の連続が、しだいに重い湿り気を増す。雨音でごまかしきれる咳ではなかった。
 ついに光の輪が、身を寄せる立ち木を照らし出した。追跡者が走ってくる。
 逃げないと。
 膝が土からはなれない。胸の中が冷たい。両手で口を覆ったまま、咳を止めることができず、体を折った。
 その指の間から黒ずんだ血が滲むのを、追いついたパジェットは見た。
「おい――」
「触るな!」
 ミナシキは自国語で叫び、差し伸べられた手を払った。肉厚の大きな手だった。するとその手が戻ってきて、ミナシキの手首をつかんだ。
 男が何か大声で怒鳴りつけた。
「バカヤロウ! てめえ、そんな体でどこに行くつもりだ!」
 パジェットはそう言ったのだ。つかんだ手首を強引に引き寄せると、睨みつけてきていた相手の顔が、がくりとうなだれた。パジェットに右手を取られたまま、荒く寒々しい呼吸を続けている。
 思わずゆるんだ手から、ミナシキは逃れようとした。咄嗟につよく掴み返したパジェットは、ミナシキの力に振られて前のめりになった。
 喉もとに違和感を受けた。
 ミナシキが何かしたのは見えなかったが、本能が身を引いた。喉もとにナイフが添えられていた。ナイフをどこに隠していたのか、いつナイフを抜いたのかも分からなかった。
 雨に打たれながら、パジェットは膝をつくミナシキの右手の自由を奪い、ミナシキはパジェットの喉もとにナイフを添え、事態は膠着した。
 懐中灯は地面を向いているが、互いの顔もほのかに照らされていた。口の周りに血を残し、隈のういた眼で睨みつけるミナシキの顔には、並ならぬ気迫があった。その顔を苦しげにゆがめ、地を向いた。
 パジェットは喉、鍛えようのない人間の急所に、血の筋が引かれるのを感じた。遅れて痒みのようなにぶい痛みが生じる。手を離した。その手で傷ついた喉をなでた。血がなまあたたかかった。
「テルノにもどれ」
 黙っている。
 目線にあわせて屈みこむと、答えた。
「……何故」
 短い単語をつなげ、今度はミナシキが尋ねた。
「テルノで、俺を、どうする?」
「病院に連れて行く」
「?」
「病院だ、びょ、う、い、ん。分かるか? 医・者」
「くだらないことを言うな!」
 ミナシキはナイフを右手に持ち替え、後ろに投げ出していたサーベルを左手でつかんだ。
「本当の、目的は」
 銃声が響いた。
 音で空砲だと分かる。朱鷺子が忍び寄ってきていたことに、パジェットは気付いた。空砲でも、ミナシキの気をそらさせるには十分だった。
 ナイフをはたき落とした。手首に走ったするどい痛みで危機を察したミナシキは、咄嗟に包んだままのサーベルを横に薙いだ。即頭部を打たれそうになり、パジェットは咄嗟に腕をかざす。
 腕を下ろしたとき、ミナシキは手をつき立ち上がっていた。
「待て!」
 大股で駆けより、パジェットはミナシキの二の腕を掴んだ。くるりと身をよじり、ミナシキがパジェットの肩を強く押した。手が離れる。バランスを崩し、横ざまに倒れた。
 その先が急斜面になっていることに、パジェットが先に気付いた。
 赤土がむき出しの斜面に倒れ、ミナシキも遅れて気付く。
 反射的に草をつかんだが、そんなもので体を支えられるはずが無かった。パジェットは膝をつき腕を伸ばしたが、指先は空をかすり、ミナシキに届かなかった。
 斜面の先は崖だった。
 追いついた朱鷺子が照らし出した先に、ミナシキの顔があった。
 目があった。
 信じられないという表情で、大きく目を見開き――その目も底知れぬ闇に消えた。
 重いものが転がる音が、あとから聞こえてきた。
 音ははるか地の底に吸いこまれていき、数秒後には、もう聞こえなかった。
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