お話の、あるところ。

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竹の子書房用 とよね

竹の子書房用【絵が先 百合の雪】参加作品 百合の雪〈1〉 著者:とよね

一章 無限牢

 ―1―

 林立する塔の頂を、ただの一度も見たことがない。雪雲に塔が突き刺さり、かわりに粉雪が降る光景は、少年にとって当たり前のものだった。少年は十七になったが、雲が晴れたことはなかった。冬が終わることもなかった。ただ雪に煙る視界の果てまで塔が並んでいた。塔を繋ぐこの屋敷もまた、果てることなく続いていた。
 屋敷は冬の始まりからあるとされているが、それがどれほど長い年月なのかは記録されていない。屋敷は荒れていた。天井が崩れ、雪が吹きこんでいる箇所がいくつもあった。
 柱が根元近くから折れ、倒れている。
 黒く変色した絨毯が、天井の崩れた箇所では雪に覆われている。
 その廊下を抱きこむように、高い壁が残されている。
 壁の天辺から、幾輪もの凍える百合が屋敷をのぞきこんでいた。百合の首が一つおちる。白い花弁に守られた蕊が、雪の上でふるえた。少年の革靴が冬の百合をまたいで行く。
 彼は時代遅れな詰襟の学生服に身を包んでいた。少年を寒さから守るものはそれだけだった。露出する顔や手は白く強ばり、短い髪は纏わりつく雪で凍りはじめていた。
 足取りは重いが迷いはなく、屋敷の奥、廊下が途絶える地点へ向かう。
 やがて廊下が断崖と化し、足もとに薄闇が広がるばかりとなった。そこに粉雪が舞い落ちて、二度とは戻らない。朽ちかけた絨毯が垂れ、風にはためいている。その遥か向こうでは、街の灯が点っている。てのひらで覆い隠せそうな、弱く小さな光のかたまり。それを明るいと思ったことはなかった。
 あれは世界に残された最後の人間たちが住む街だ、と老人から教わった。彼をユウリと名づけた老人だ。それ以外の人間はみな、前世紀に発見された余剰次元へと行ってしまったそうだ。
 取り残されたか、生き長らえたのか、誰にも分からない。人間たちは塔と屋敷に囲まれ、滅びの時を待っている。他に逃げ場はない。どこにも。無情に引き伸ばされた、人類と世界の余生。
 ユウリは屋敷を出たことがなかった。そうする必要はなかった。自分と老人以外の人間を見たこともなかった。それ以外の人の姿をするものがいたら、殺せと言われていた。そしてその通りにしてきた。
 十七年、ずっと。

『ユウリ!』
 脅すような声が響く。空ろな目に緊張が光り、ユウリは背を伸ばす。スピーカー越しの老人の声が廊下にこだました。
『下だ。下に向かえ。下に』
『る』
『――せ。殺せ』
 声はハウリングに消され、切れた。静寂を取り戻した廊下で、ユウリは街の明かりに背を向けて、薄闇の先へ急ぐ。
 この屋敷には入り口も出口もない。屋敷で働く人間を見たことはないが、どうしたことか、必要なものはすべて揃っていた。屋敷に入りこんでくる者は、この世を捨てて余剰次元に飛び出していった人間だけだ。残された人間たちを自らの次元に引き上げるために、こうしてやって来る。
 化粧手すりのある階段を、ユウリは見下ろした。風が立ち上ってきた。
 階段を駆け下りる。崩れた天井の塵が、砂のように階段を覆っていた。その先は廊下。長い廊下を走りぬけ、突き当りの厚い扉を開け放つ。すると天井が高くなり、ドアの軋みが頭上遥かに吸いこまれていく。吹き抜けのホールだ。
 ホールの中央に〈それ〉がいた。
 赤、青、緑や黄色い光のモザイクが瞬いている。突き当たりの細く開いた扉、そしてユウリが開け放った扉からの光を浴びて、鮮やかに輝く。
 その細かな光のモザイクは、人間の形をしていた。身の丈は三メートルを超し、血や肉や、人間という質量が放つ重みはない。
 だが〈それ〉は人だった。
 ユウリが一歩踏み出すと、〈それ〉はやっとユウリの存在に気付いた。
 人の形を保ちながら揺れていた光が、固まる。
 目がなく皮膚がなくとも、〈それ〉はユウリの存在を認識した。
 次に〈それ〉は、『ユウリの存在に気付いた自分』という存在を認識した。
 目もくらむような自意識の炸裂、動揺が、ユウリにも伝わる。
 意識の回路がたしかに両者の間につくられた。
 光が散った。
 この世界ではじめて出会う他者・ユウリを恐れ、〈それ〉が逃走をはじめた。光のモザイクが人の形を崩し、突き当りの扉へ吸いこまれるように飛び去っていく。ユウリは落ちたシャンデリアの横を走りぬけ、後を追った。
 扉の先は野外。温室へいたる渡り廊下に飛び出すと、やはり雪は降り続け、空は一点の隙もなく、雲に覆われていた。光彩をなくしたモザイクが、風に遊ばれる紙ふぶきのように空に舞い上がっていく。〈それ〉はユウリの頭上で再び人の形になり――と、空に電撃の網があらわになった。余剰次元の人間たちを屋敷に封じておく結界にかかったのだ。
 彼らはこの世界でうまく人として振る舞うことが出来ない。『我々が絵の中に入っていけないのと同じことだ』、そう聞いた。余剰次元人は絵の中に入るように、次元を超えてこの世界に侵入する。しかしそれは無理のあることのようで、多くはあのように人としての姿も、意識も保てていない。それでも固体別に何らかの記憶の欠片をとどめており、その記憶のイメージが、余剰次元人たちの形を作る。
 破裂音。電網に絡めとられ、余剰次元人は空中で背を引き攣らせた。そのまま廊下の向こうの温室へ落ちていき、天井を破った。
 温室へ。
 温室はガラス張りのドーム型で、そこだけ雪が積もっていない。
 ガラス戸を押し開く。温室の熱気が顔にあたり、頬に朱が差した。温室内に視線をめぐらせる。
 赤と黒のタイルで彩られた床。棚からこぼれんばかりに咲き誇る白い百合。百合ばかりが咲いている。
 入り口からまっすぐに室内を横切る一本の通路。
 その先の十字路には、ドーム天井に達する高さのポールがあった。ちょうどユウリの目の高さを、外向きに咲く白い百合たちがおおう。あとはツタがポールに巻きついているが、そのツタの中からも、薄紅色の百合が顔を覗かせている。
 灰色にくすんだモザイクが、薄紅の百合にまとわりついていた。ユウリが見つけると、とたんに人の形となった。
 イメージによってしか自己を象れない余剰次元人を殺すのに、手間はいらない。その対象が現時点で持たないイメージを、ランダムに、大量に流しこめばいい。
 ユウリは右手を突きあげて、モザイクの中に差しこんだ。
 モザイクに光が戻る。
 関連のない様々なイメージを念じた。
 何でもいい。思いつくままに。
 ゴム。送電ケーブル。歯ブラシ。水蒸気。革靴。
 革靴をつくるために屠殺された牛の、毛皮と血。
 骨。
 そしてその通りの物質が、温室に現出した。熱い水蒸気がモザイクの光をかすめ、色とりどりの歯ブラシが百合の植えこみの中にまき散らされる。百合たちは身をふるわせ、ユウリは血を浴びた。革靴が降りそそぐ。そうした物々のぶんだけ質量を失い、悲鳴を表現するように光のモザイクが身をよじる。
 ユウリから身を守るには、この姿ではいられない。
 そう考えたかどうかは分からない。しかし目の前のモザイクは、これまで見てきた他の余剰次元人たちと同じ行動をとった。
 人間になろうとしたのだ。
 モザイクの輝きが消え、明るいものは雪と百合の白さのみとなる。灰のモザイクが結集し、通路の手前で新たな形を見せた。
 人とおなじく四肢を持ちながら、しかし人とはまったく違うものが現れた
 左腕の代わりに生えた大きな歯ブラシが、まず目についた。頭はない。肩幅は広く、牛の毛皮に覆われている。その毛皮の破れたところから、でたらめに押しこまれた獣の骨が見えた。肩より下は送電ケーブルの束で、それが絡みあって胴と両足とを作っている。ケーブルの束からは切れたゴムがのぞき、血を滴らせている。右腕だけが人間だった。先ほど触れたユウリの右腕のイメージに違いない。
 温室の暗さを吸い、人間のなり損ないが静かに揺れている。
 ユウリは歩を詰めた。触れるだけでいい。殺すには、それだけで足る。獣の血を流すケーブルの足が、後退しようとした。その足は大きな胴と肩とを支えることが出来ず、大きく後ろに傾いて倒れかける。
 走り寄る。〈それ〉は逃げるのをあきらめ、左腕の大きな歯ブラシを振り上げた。歯ブラシがユウリを払いのけるより早く、柔らかいもののイメージを宿した掌が、歯ブラシに触れた。
 歯ブラシは先端から百合に変じ、白い花弁を散らした。手を、次はみぞおちの辺りに押し付けた。ナイフを射しこむように。脳から手までのイメージの道筋。ユウリは大量のイメージを流しこむ。
 百合百合百合。
 百合百合百合百合百合。
 百合を、百合、多量の百合、無数の百合、
 閃光。
 もとより微かだった余剰次元人の自意識が崩壊する。その意識は百合に染められ、自らの体を百合へと変えていく。
 その変化が、ユウリの目には、腹に開いた穴から大量の百合がふき出る光景として見えた。穴が広がり、床に落ちる百合百合百合。流しこむイメージに意識を集中する。百合百合、百合、落ちる百合、百合百合。革靴越しに足に当たる百合の重みが、イメージを確かにする。
 送電ケーブルの束が百合の茎にかわり、茶色く立ち枯れた。
 牛の皮が剥がれ落ち、数えきれない骨が咲きほこる百合となって肩からこぼれ落ちる。
 その奥から目玉がのぞいた。
 目があった。
 百合のイメージが途絶え、人の顔だ、と思った。するとその通りに、鼻と唇が現れた。
『ユウリ!』
 百合百合百合。
 叫んだ口から百合が咲いた。瞼のない目を、内側から茶色い蕊がつき破った。
 閃光。

 敵は百合になって死んだ。
 百合は人間の意識をもてない。
 余った質量は、気体と、少しばかりの水になった。
 それはこの世のものだ。この世にとって安定した形。
 二度と余剰次元人に戻ることはない。
 百合を踏み、少年が立っている。
 輝くものは花弁、そして雪。
 暗い。永劫に終わらない冬の、凍える夜がくる。

『済んだか』
 スピーカーの声が訊いた。
『ユウリ』
 ユウリはまだ明るさの残る、天井を見上げた。
 雪雲を背に、なにか小さな影が天井の向こうを飛んでいた。二つ、いや三つ。魚だ。
 魚が飛んでいる。
「いや……まだだ」
 ユウリは答えた。
「まだいる。しかし……ジジイ、今殺したやつは、おれの名前を知っていた」
 天井の向こうで魚が消える。空を泳いでいく。
『もういい、ユウリ。ここに来なさい』
 老人が言った。

 塔の表面は鉄板が貼られ、近付くと、塔というよりは巨大なタンクに見える。ユウリはドアノブをつかみ、引いた。冷気によって手の皮膚がひき剥かれるような痛みを感じた。
 鉄扉の向こうには、螺旋階段が横たわっていた。本物の送電ケーブルが壁沿いに這い、裸電球が照らす底まで続いている。
 階段をおりてゆく。
 果てなどないような螺旋を下りきると、その先の半開きのシャッターをくぐった。
 室内は太いパイプやケーブルが複雑に張り巡らされ、曲がりくねったトンネルができている。白色灯のあかりがトンネルをすかして落ちてきて、パイプの影を描く。ただ一筋の道を残して、床は配管で埋め尽くされていた。
 奥からモーターの回転音が聞こえてくる。
 ユウリはそこへ進む。
 パイプのトンネルが終わり、視界が開けた。
 奥の壁で、老人がはりつけになっている。
 手足は切断され、接続されたチューブで命を繋いでいる。胴はあばらが浮き、欠損した箇所は金属で修復されている。この姿を見て、彼を生きていると思うものはいないだろう。壁に固定されたヘルメットを被っている。両目はかたく閉ざされたままだが、広間の機械群とケーブルが、目の役割を代行した。
『来たか』
 近くのスピーカーから、老人の声が言った。
『話がある』
 そしてもう一人、老人の傍に女がいた。
 まっすぐにユウリを見ている。切れ長の黒い瞳。優しい丸みをもつ頬に、細く引き締まった顎。そっと閉じられた口もとが意志のつよさを感じさせる。
 それはユウリが、この老人以外に初めて見た人間だった。
 肩にかかる黒髪。そで口と裾が広がるワンピースは、水に濡れ、本来のふわりとした形状を失っている。そして魚にまとわりつかれていた。四、五匹の魚が、女の体や頭のまわりを周回している。
 魚は宙を泳いだりしない。あれはイメージだ。ユウリは断じた。この女も余剰次元人だ。
『待て。話を聞け』
 老人が制した。ユウリの動きは、走り出そうと足を力ませただけで止まった。
 女がユウリに向かい合い、まっすぐ歩いてきた。ここまではっきり人の姿を保ち、人として動作する余剰次元人を見たことはなかった。本当の人間かと惑う。そうでないことは、魚たちを見れば明らかだ。
「私はあなたの」
 澄んだ声が放たれた。
 女は何か、とても大切なことを言った。
 ユウリには分からなかった。女の姿がその瞬間、黒い砂嵐となってかき消え、声はノイズに変じたからだった。
「です」
 言い終えると共に、何事もなく像を結んだ。ユウリが得たものは、彼女が言ったことを理解しなければならないという確信だけだった。
「……何?」
 優しい笑みが女の唇に浮かんだ。
「私はあなたの」
 ノイズ。
 姿がかき消される。
「私――たの――です」
 実態を取り戻した女に、ユウリは首を振る。
「分からない」
 悲しげな光が女の目に宿る。唇は微笑んだままだった。二人の距離は、あと十歩もなかった。
「私は」
 やがて確信と共に、女ははっきりと告げた。
「私は、あなたの母親です」

 ―2―

「母親だと」
 女は穏やかに笑うだけで、同じ事を繰り返そうとはしなかった。
「ふざけるな。おれの母親がこんなに若いものか」
「余剰次元界にこの世の時系列は関係ない」と、老人。「その女は余剰次元人だが、もとはこの世の人間だ。その歳になるまではな。十七年前の災害のことは知っているだろう」
 ユウリは老人を見た。かたわらのスピーカーから呼吸音が聞こえてくる。彼の脳は、自力で呼吸しているつもりなのだ。目の焦点を女に戻すと、まだ微笑んでいた。微笑みのイメージが実体化した余剰次元人なのかもしれない。
 余剰次元人がどのように、この世に侵入してくるかは分からない。しかし、老人が言う災害のことなら知っていた。
 街の一部が余剰次元界にのみこまれたのだ。多くの人が姿を消した。それは一瞬のことだった。その区画にいた人すべてが突如として消息を絶ち、建物だけが残された。学校も役所も無人になった。
 余剰次元の者たちは、その気になれば簡単に、この世にとどめをさすことができる。
 人々の消失が余剰次元界からの操作によるものなのは明らかだが、人心に配慮して、それは災害ということで処理された。以来、とりあえず余剰次元界からの大規模な干渉は十七年間起きていない。しかしそれは、操作・干渉、あるいは侵略行為がまれにしか起こらないという証明にはならない。
 この世界の平穏な十七年間が、余剰次元界では一瞬かもしれない。そして次の瞬間には、とどめの一撃が振りおろされる。
 そうでない保証はない。
「事故がどうした」
 ユウリは訊いた。
「私はこの世界での十七年前に、あなたを残して余剰次元へと行きました」
「十七年前なら、おれはまだ赤子だったはずだ。あの災害を生き延びた赤子がいたというのか。そんな話は聞いたことがないぞ」
「いいえ。その時あなたはまだ私のおなかの中にいた。あなたは私の腹から引きずり出され、置いていかれたのです」
「つまり、余剰次元界はお前など要らぬと言ったのだ」
 ユウリは壁の老人をひと睨みした。
「何故。何故そのようなことが起きた?」
「お前は自分のことを何も知らない。親はいるのか。自分はどこから来たのか。……なぜ街に住めず、なぜ、この屋敷から出られぬのか」
「抜かせジジイ。おれが何度それを知ろうとしたか、知らない貴様じゃないだろう」
 女が動いた。距離を詰め、鼻と鼻が触れ合わんばかりに近寄ると、ユウリの顔に手を触れようとした。ユウリは乱暴に手を払いのけ、身を引いた。その反応にさして傷ついた様子も見せず、唇をひらいた。
「あなたが屋敷から出られないのは、シラユリの都市機構があなたの存在を認めないからです」
「何故」
「あなたの父親である男が、私の父親でもあったから。都市機構は、そのような由来をもつ子の存在を容認しませんでした」
 女の発言を理解するのに、しばし時を要した。
 カッと顔が熱くなり、血が滾るのを感じた。怒りにまかせてユウリは吐き捨てた。
「なんという女だ、汚らわしい。近寄るな!」
「都市機構はあなたを特別な子供であると考え、処遇に迷いました。余剰次元界からの強い影響を受けた子が、普通の子として育つはずがない。そしてその通りになった。現にあなたはイメージで余剰次元人を殺すという異能を持っている」
 なんとなく分かっていた。ユウリは余剰次元人を殺せる。ここに居ても得られる情報をもとに考えれば、街にいる人間と自分との違いは、結局それしか考えられなかった。
「都市機構に処分されたくなかったら、ここで余剰次元人を殺せ……ということか」
「そうだ。その能力があるからお前は生きることを許された」
 女の後ろに控えていた魚たちがふわり、ふわりと泳ぎ出し、ユウリの顔の前まで泳いできた。
「あなたがさっき殺した男は、あなたの父親です」
 腕をふった。魚はそれを避け、距離を置く。ユウリを見つめたまま。
「鬱陶しい奴め! 今更そんなことを言ってどうなる。何なんだ、お前は」
「私はカミツレ。あなたの母。この世で唯一人として振るまう余剰次元人。あなたは私を殺す方法を知らない」
 ユウリは、カミツレと名乗る女を見つめたまま後ずさり、距離をとった。カミツレが口からでまかせを言っているとは思えなかった。
「……その魚はなんだ?」
 カミツレは口もとを泳ぐ魚に目を落とした。指をかざすと、その指に魚が腹をつけた。
「この魚たちは、私の記憶の保存や複雑な思考を代行しています」
「そちらが本体というわけか」
「この肉体も必要です。あなたと会話をするために。ユウリ、あなたは余剰次元界より私たちが来る目的を知っていますね」
 知らないはずがない。ユウリは自分のことを知らぬかわりに、余剰次元人については、判明している限りのことを教えこまれていた。
 歴史が途絶した日。この地にあった大型粒子加速装置〈Winter‐Lily〉は、粒子をこの次元に引き止めていた枷を打ち壊した。大きなエネルギーを与えることで極小の空間に閉じこめられた粒子が、同じく極小の余剰次元に入りこむことを狙った実験は、それが成功することによって、この宇宙がより高次な存在の影にすぎないことを証明した。そしてこの世の人類の大半を、その高次な存在、〈実体〉……ユウリたちのいう余剰次元界へと離脱させた。
「知っている」
 人の姿を捨てたはずの彼らが戻ってくるのは、この屋敷のどこかに封印されているWinter‐Lilyを再起動させる為だ。
 余剰次元人たちの感情や思考がいかなるものなのか、それは誰にも分からない。彼らが善意、あるいは正義感などに基き行動しているだろうということは予測されている。この寒い世界に取り残された人々を、自らの次元に引き上げてやるために。老人もその憶測を否定していない。
「……お前もWinter‐Lilyを探しに来たのか。言っておくが、その在り処はおれも知らない」
「Winter‐Lilyはこの世界からの離脱を望んでいます」
 と、カミツレは言う。
「それを知ったから私は来た。ヒトがいつまでもこの生の時を引き伸ばしていることはできない。けれど、私はあなたに自分の意志で旅立つことを選んでほしい」
「おれなど要らぬと言った、その世界にか」
「ええ」
 老人はというと、黙ってカミツレに言わせるままにしている。ユウリには意外だった。彼はユウリの教育者であり、そして屋敷の外に出してはならぬという使命に執着して生きてきた男だ。
 どのみち世界が滅ぶなら、ユウリがカミツレに従おうと、もはや老人には関わりがないということか。カミツレが真実を話しているなら。
 人は誰も余剰次元界になど行きたがらない。
 そこに行けば、自分がどう変わってしまうのか分からないからだ。
 死んでしまうかもしれないし、死よりもひどい場所かもしれない。そもそも場所ですらない、永遠の虚無と孤独の空間かもしれない。
「余剰次元界はどういう場所だ。わけの分からん場所には行きたくない。余剰次元人になるとはどういう事なんだ?」
 カミツレは考えこむように黙った。人ならぬ彼女が真に思考しているのかは、分からないが。やがて口を開いた。
「あなたは都市機構シラユリがもつ自己修復機能を知っていますか?」
 質問の意図が分からず、ユウリは曖昧にうなずいた。
 余剰次元に到達しうるほどの文明を人類が持っていた時代、機械たちは自らの構造を完璧に理解し、自己を修復、改良、さらには増殖までするようになったそうだ。街を統治する都市制御機構『シラユリ』も、不完全ながらその機能をもっている。
 あえて不完全にされているのだ。
「それが、何か関係あるのか」
「人も機械も、その姿のまま余剰次元界へは行けません。人の姿になることも不可能です。こちら側に戻ってくるのでない限り」
「そうだろうな。そもそも余剰次元は、極小の粒子がそこに入りこみ振動することによって発見された。人間の体を構成する粒子が余剰次元に入ろうとすれば、人体構造の安定を保つことができなくなる。命も意識も消えるはずだ」
「命に関しては、この世のものとは定義が異なるかもしれない。しかし私は意識を保っている。これほど明確な意識でなくても、記憶の欠片に基くイメージをそれぞれの余剰次元人たちが所持していることはあなたの知るとおりです」
「それなら……?」
「たとえば私は、あなたの母であるカミツレという女性を基盤に、この世界へ派遣するため再構成された。カミツレの残りかすはまだ余剰次元界にあるはずです。私はカミツレの正確な姿ではありません。余剰次元界に明確な個人などない。そこでは、みなが一つなのです」
「みなが、一つ」
「〈自己を知る機械〉たちは、この世界に残された同類たちの助けを借りて、余剰次元界で自己を再構築することに成功しました。人間はその巨大な機械に練りこまれることで、再生するのです」
「機械に練りこまれることで? そんなものが生きていると言えるか! お前の話ではカミツレとやらを完全に再生することはできなかったようだな。みなが一つだと?」
 ユウリは自分の言葉に鳥肌を立て、それを隠すためにカミツレをおしのけ、老人のもとへと大股で歩み寄った。
「なぜ黙っている、ジジイ! あの女の話が本当なら、俺は今まで何と戦っていたんだ? 機械か? 人間か?」
「人間はいない」
 老人が答える。
「人間など、余剰次元界のどこにも存在しない」
 ユウリはあることに気付いて黙りこんだ。
 この男とて、もはや人とも機械とも言えぬではないか。
 怒りとおぞましさからユウリは顔を背けた。
「お前は選ばなければならん、ユウリ。あの女と行くか。女を殺して屋敷に残るか」
「どちらもお断りだ。何故おれが今までどおり、お前の言いなりになると思う? お前らと共になどいられるか」
「ならば出ていくのだな、ユウリ、この屋敷から。お前を忌み嫌う都市機構によって殺されてしまうがいい」
 ユウリは育て親に背を向けて、歩き出した。カミツレの横をすり抜けて、配管のトンネルに足を踏みこむ。
「待て、ユウリ」
 老人の声が焦りを宿した。
「待たんか。本当に出ていくつもりか? 無理だ。お前にこの屋敷以外の居どころなど無い。ユウリ! 待たんか!」
 トンネルを抜けるまで、声は追いかけてきた。
「お前はこの屋敷がある意味を知らん。お前が屋敷を出ることは不可能だ! 戻れ、ユウリ!」

 お前は屋敷を出られない。絶対に。老人は叫び続けていたが、塔をでると聞こえなくなった。
 ユウリは夜を歩いた。まったく歩けば歩くほど気が滅入る夜、気が滅入る廊下だった。屋敷を出てやりたいことがあるわけではないし、屋敷を出る方法も知らない。屋敷の外で生きていくあてもなかった。
 破滅の予感しかなかったが、自分がただの人でも余剰次元人でもないのなら、カミツレや人間たちとは違う未来があり得るかもしれない。それだけが希望だった。
 屋敷は塔をつないで果てなく広がっており、林立する塔の頂を、ただの一度も見たことがない。
 雲が晴れることはなかった。冬が終わることもなかった。
Comment

No title

ああ、とよねちゃん。
単著を勧めた甲斐がありました。
これを機にとよねちゃんの書く「世界」が広く知られることを願います。
目黒さんも、きっと喜んでくれると思う。
読ませてくれて、ありがとう。

有川さんへ

うおおぉ、こんにちは!
とんでもないです、こちらこそ読んでいただいて光栄です。

この「百合の雪」は、最初アンソロジーで出すつもりだった短編を単著用に練り直して書いたものです。書きながらの公開という形になりますので公開させていただくペースは遅くなりますが、お付き合いいただけたら幸いです^^

No title

こんにちは^^
のっけからとよねちゃんワールド全開ですね!
これからどうなっていくのかと、ゾクゾクしながら読んでいます。
続きを楽しみにしていますv

もりかちゃんへ

ありがとう!
今回は電子書籍化するということで、私の作風と文章のスタイルが多くの人に受け容れられるかどうかと、ハラハラしております。
ともあれ、楽しんでいただけたら幸いです^^

面白い!

書き出しからグッと興味を惹かれて、そのままラストまで来ちゃった。
余剰次元っていいね。ネーミングが不気味だし、描かれてる世界も
不気味で妄想が噴き出す感じ。
屋敷のある世界の、古風なイメージがまた対照的で面白い。
塔と詰襟と白百合。有機的なそれと、得体のしれない余剰次元との対比がゾクゾクする。

そして、機械と融合したような老人に、一番萌えた。

No title

素晴らしい…!イメージが流れるように目に映って行くようです。こんな素敵な作品を拙い絵につけて下さって本当にありがとうございます…っ。SFっぽい雰囲気がたまりません。大好きです!

クロミミさんへ

読んでくれてありがとう。返事が遅くなってごめんね! そしていつも私の小説のために手間をかけてくれてありがとう。あと四回分あるから、どうかお願いね。
夢見る病気のほうも、百合と雪が一段落ついたら再開します!

目黒先生へ

私の小説を読んでくださって有難うございます。
『拙い絵』などととんでもないです! この世界も物語も、すべて先生の素敵な御作品が無ければ生まれなかったものです。
まだまだ未熟者ですが、私のほうこそ、先生の御作品に対する汚点とならぬよう精進してまいります。
どうかよろしくお願いします!
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