お話の、あるところ。

スポンサー広告

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

竹の子書房用 とよね

竹の子書房用【絵が先 百合の雪】参加作品 百合の雪〈4〉   著者:とよね

百合の雪〈4〉 三章 寒い星、忌み星(――1/2)


「なぜ夜は暗いの、おじいちゃん?」
 星が投射された部屋に立ち、幼いユウリが尋ねた。素朴な疑問に、老人がスピーカーから笑い声をかけた。
『これを暗いというか、ユウリ。これだけの星を見ることなど、もはやありえないというのに』
「空に雪雲がなくても」と、ユウリ。「宇宙は広くて、星はもっとずっとたくさんあるんでしょう? なのに雲がなくてもこれだけしか光ってないの?」
『うん、もっともな疑問だな。宇宙が果てしなく広くて星がそこを埋め尽くしているのに、なぜ夜空一面が輝いて見えぬのか。お前はどう考える?』
 ユウリは体を天の川に彩られながら、真剣に考えた。
「宇宙にも雲があるの? 地球の夜空のように、星を隠してるの?」
『いい線をいっているな。宇宙には塵の雲があり、それがたくさんの星の光と熱を吸収しているのだ。だがそれだけじゃないぞ』
 老人はまだ、幼子に考えさせようと、ゆっくりと語りかけた。
『考えてもごらん。もし理由がそれだけならば、宇宙の長い長い時間の中で、塵の雲はその光を吸収してやっぱり光り輝いてなきゃならんだろう。まだ他に大きな理由があるんだ』
「光ってない星があるの?」
『うむ。星にも寿命があるからな。だがまだそれだけじゃない。もっと大きな、大きな理由がある』
 ユウリは考え、考え、その間老人は決して口を挟まなかった。
「……わからない。教えて」
 そう言うまで。
『宇宙の広さを考えてごらん、そして光の速さについて……この間教えたことだ』
 それはだな、と間を置き、新しい知を得る喜びを最大限に引き延ばしてやった。
『はるか遠くの星の光が、まだ届いていないからだよ』
 だから今なら、歴史の終わりには見えなかった星が光って見えるかもしれない。

 それももはやどうでもいい話だ。

 ―1―

 妹がいた気がする。
 気がするなどという言い方があろうか。妹はいたのだ。
 長い道のりを、わざわざ徒歩でたどっていた。学生街の坂の途中で、セイジは後ろを見た。
 ここまで来れば、街の最果ての屋敷まで見渡せる。
 ちょうど雪はやんでいた。
 雲の薄いところに朱色が滲んでいる。しかしそれが晴れて太陽光が降り注ぐことは、決してない。
 影の塊のような街から、天に向かって一筋の線が視界を裂いている。シラユリ機構だ。背後に居住塔群を従えている。
 やはり妹はいたのだ。心をあそこに閉じこめられていた。
 風に打たれるままセイジは塔をみつめていたが、やがて元通り、坂をのぼり始めた。
 行く先には、セイジが暮らしているものより格上の居住塔がある。そこの内部に家を買い、両親が暮らしている。父は大層苦労して、そこに住む権利を買った。二人目の妻にいい暮らしをさせたかったのだろう。あれがしたい。これがほしい。そんな実母の不満や愚痴を、セイジは忘れていない。彼女は二歳のマツリカをほったらかして男に会いに行き、死んだ。父が抱いた怒りと悲しみは如何ほどのものだったろう。
 そして今は、一人息子が気の病に冒されていると彼は信じている。マツリカなる妹がいると思いこんでいる、と。
 南部居住塔群にいよいよ辿りつく。
 ケーブルバスの高架に沿って坂を上りきったところに、彼女がいた。
 居住塔入り口の前でマツリカが立っていた。
 北の方角をみつめる横顔は悲しみに満ちている。
 マツリカだ。顔もたたずまいもあの服も、マツリカに違いない。
 なんだ。やっぱり、ちゃんといるじゃないか。
 声をかけるよりも、駆け寄って触れて確かめようとした。
 するとマツリカがこちらを見た。
 雲から滲む朱色が、両目に宿る強い悲愴を壮絶なものにしていた。
 顔を歪めた。泣き顔になる。耐え切れぬ叫びをあげるように、口を大きく開けた。
 雪雲越しの光によって、口腔内がさらに赤く見えた。マツリカは無音声で叫んだ。悲鳴のように、あるいは慟哭のように。
 これ以上見ていられぬと思ったとき、不意に向こうの景色が見えた。
 血のように染まる雪が。
 マツリカの体が隙間だらけになっていた。トランプだ、と分かるまで、セイジはただ立ち尽くした。そこにはトランプで組まれた人の形のものが立っているだけだった。
 強い風が吹いた。
 トランプは跡形もなく崩れ落ちた。
「セイジ」
 背後から呼びかけられ、セイジは我にかえる。
 うしろに両親が立っていた。最後に会ったときと変わらぬ優しい目で、父がセイジを見つめていた。
「寒いだろう。中に上がりなさい」
 隣には継母が同じ優しさと……そしてやりきれぬ悲しみを湛え、父に寄り添っていた。
「ああ……」
 気まずくなり、目をそむけた。
「いつからいたんだ?」
「驚かすつもりじゃなかったんだ、その……バスでくると思ったからな」
 と言った父は続けて、
「ひどい事件だった。かわいそうに」
 父の言葉で、この場所で殺された人がいたことを唐突に思い出した。痴情のもつれから少女が刺されたのだ。自分が捜査した事件だ。
 なぜそれを今の今まで忘れていたのだろう。
「刑事の仕事は、つらいだろう」
 セイジの沈黙をどう受け取ったのか、父はそっと近くに立ち、言った。
「さあ、行こう。いつまでもこんな所にいるもんじゃない」
 ケーブルバスがついたらしく、高架からぞろぞろと人が降りてきた。両親にうながされ、セイジは居住塔に入っていく。
 今見たものは幻ではなかった。それなら……幽霊でも見たというのか。馬鹿げている。
 それに殺された少女はもっと世間ずれした、暗い、いやな目つきの少女だった。マツリカとは似ても似つかない。広いエントランスを抜け、何基ものエレベータが並ぶホールに入るまで、セイジはずっとそのことを考えていた。
「アザミさんとは、最近どうなの?」
 エレベータの中で母が訊いた。遠ざかる地上を見つめるのをやめ、セイジは少し考えて答えた。
「……うまくいっている」
「そう」
 三人はエレベータを降りた。
 大きな円の内側に家々の扉が並んでいる。居住塔の標準的な構造だ。父が、自宅の扉を開けた。
 家の中は何も変わっていないようだった。広い三和土と靴入れ。ポプリの匂い。背の高い観葉植物の、葉の茂りぐあいにいたるまで。
「アザミさんのご実家から連絡があったわ。セイジさんの様子はいかがですかって」
 広々としたリビングで上着を脱いだ。この家はいつでも快適な温度が保たれて、熱い湯も、水も、常に用意されている。茶を入れてくれる家族がいる。
 それでも何かが足りない。虚無感は強まるばかりだった。
「……先に三階を見てきていいか、母さん」
 紅茶葉をすくう木匙ごと、母が凍りついた。
 真相を確かめねばという使命感が、一瞬ぐらついた。
 俺はこの優しい人たちを傷つけていいのだろうか。善良な両親を不安にさせていいのだろうか。
「ええ」
 何でもないように、母は笑って茶葉をポットに落とした。
「お茶を淹れておくわ。冷めないうちに降りてくるのよ」
 リビングから三階まで吹き抜けになった階段を、セイジは早足で上った。三階には二部屋しかない。突き当りが自分の部屋。もう一つがマツリカの部屋。
 マツリカの部屋を急いで開け放った。
 布が視界を埋めていた。
 パイプハンガーが立ち並び、ずらりと女物の衣服が掛けてある。
 マツリカの物はなかった。勉強机もドレッサーも、何も。集めていたこまごまとした雑貨も。壁に貼ってあってステッカーも。
 階段から足音を立てて、父が姿を見せた。彼は何も言わずに隣に並んで部屋の様子を見つめた。
「ここはもうずっと前から、母さんの衣装室だ」
 嘘をつくな。
 セイジは怒り出しそうにすらなった。そんなはずはないだろう。じゃあ、マツリカの部屋はどこだ? もしマツリカが帰ってきたら、どこで暮らせというのだ?
「セイジ……お前に妹などいないんだ。この家には、一度たりとも『マツリカ』という人物は存在しなかった」
「父さん」
 あなたは忘れたのか? あの不憫な子を。シラユリ機構に心まで管理され、そうでなければ市民の一員として認められることすらできなかった実の娘を。
 くらくらと眩暈がし、このままではいられぬと観念したセイジはようやく声を絞った。
「……少し、部屋で休む」
「ああ。疲れたろう。下で待っているよ」
 父の背を見送り、今度は自分の部屋の戸を開けてみた。
 何も変わっていなかった。よく掃除されていた。帰ってくる自分のために、母が布団を洗ってくれたようだ。
 自然と、両目が壁際の電子ピアノに吸い寄せられた。
 十代の頃は友人たちと音楽をやろうとしていた。これは両親が自分の誕生祝いに買ってくれたものだ。
 部屋にある、一番思い出深いものがそれだった。
 電源をつけてみた。
 ディスプレイに光がともり、長い眠りなどなかったように電子ピアノが起動した。一本の指で、三本の指で、両手で、鍵盤を押した。
 マツリカがいないだと? 本当に?
 俺はあの子にこのピアノを弾かせたのに。弾き方を教えてやったのに。もの珍しそうに見ていたから。弾いてみたいと言ったから。自分は隣に立って運指から教えた。妹は床に足が届かなくて、足をぶらぶらさせていた。
 そういえば、妹の練習用に、童謡の自動伴奏を録音してやったじゃないか。
 ふと思い出し、メモリを探った。
 あった。
 のんびりした伴奏が、のんびりと流れる。反対にセイジの鼓動は早鐘を打ちはじめた。
 これだ。これこそが証明だ。自分が童謡など弾くはずないから、やはり妹のために録音したものだ。マツリカはいたのだ。
 と、視線を感じた。
 期待をこめてふり向いた。
 姿見があった。
 鏡の中の自分と目があった、それだけだった。
 他に誰もいなかった。マツリカも。
 両親が彼女を覚えていないなら、なぜ自分も記憶を失わなかったのだろう。なぜ自分は彼女の記憶を、その証明を、とどめているのだろう。
 強い直感と確信が、電気のように身を貫いた。
 守れなかったのだ。俺が守ってやらなかったから、あの子は失われた。
 耐え切れぬ思いが喉を塞ぎ、歯を食いしばった。嗚咽を堪えるのに精一杯で、両目に涙が滲むのも、それが鍵盤に落ちるのにも、彼は気付かなかった。

 ―2―

 ベッドに座って寝酒を飲んでいると、妻のアザミが帰ってきた。彼女は階下でシャワーを浴びたりなどした後、二階の、夫婦の寝室にあがってきた。バスローブ姿で、アザミは部屋の戸口で立ち止まった。若い夫婦のあいだに緊張が走った。
「……お帰りなさい。泊まってくるかと思ったから」
 セイジは酔いのまわった濁った目で、アザミの顔を見上げた。
「詩作クラブのみんなとディナーだったの。連絡をくれれば早く帰ってきたのに」
「いい」
 グラスに酒をつぎ、セイジは遮った。
「あなた、お腹は空いていない?」
「食べてきた」
 アザミはドレッサーに向かい髪を乾かしはじめる。それが終わるまで、二人に会話はなかった。
「ねえ、もうお酒はやめましょう」
 グラスを取り上げられた。長く何かを考えこんでいたが、何を考えていたのかもう思い出せなかった。
「ご両親はお元気だったの?」
「ああ。変わりなかった」
「妹さんは?」
 セイジは思わず、アザミの顔を凝視した。小ぶりな顔いっぱいに彼女は憐憫を浮かべていた。
「分かったでしょ? あなたに妹さんなんていないのよ。もうおかしなことを言うのはやめて。休暇は週末まででしたっけ」
 酒をのみ続けていないと、酔いがさめて、さめて、そのうち恐ろしい物事が降ってくる気がした。グラスを取り返そうとした。アザミは微笑んでかわした。
「ねえ、デパートに行きたい。いいでしょ?」
「用事があるのか」
「最後にあなたとお出かけしたのは、披露宴の引き出物を選びに行った時よ。私たち結婚してもう二年になるのに」
 立ち上がり、アザミはグラスをセイジの机に置きにいった。その動きを何となく目で追ったセイジは、机の片隅の一輪差しが空になっていることに気付いた。
「おい。そこに百合が一輪なかったか?」
「百合? 捨てたわよ」
 こともなげにアザミは言った。
「茶色く枯れて、水も腐って……気分が悪くなるわ」
「なぜ勝手に捨てたんだ!」
 頭に血がのぼり、セイジは声を荒らげた。アザミの細い体が震え、すくんだ。
「それは、あなた……枯れていたのよ。不衛生じゃない。あなたももっと大事に活けておけば長く――」
「お前のどこに、俺のものを勝手に捨てる権利があったんだ。枯れていようがどうだろうが、あれは俺の百合だった」
 何故なら――。
 血が凍る。
 マツリカが買ってきた百合だから。そう言おうとしていた。
「そんなに怒るとは思わなかったの。ごめんなさい」
 セイジは口をつぐみ、うなだれた。もとより気の長いほうではないが、こんなことで腹を立てるとは自分でも思わなかった。
「でもあなただって――ほらね。やっぱり精神が不安定なのよ。病院に行きましょう?」
「その話はやめろって言ってるだろう」
「私はあなたの為を思って言ってるの。ねえ、分かって」
 アザミは歩み寄り、同じベッドに横になった。その重みを感じた。
 部屋の照明が消え、代わりにかすかなベッドサイドのあかりが点った。
「……病院に行きましょうよ。百合は、私がまた買ってきてあげる。そんなに好きな花だなんて思ってなかったの」
 セイジも横になった。体の隅々まで疲労が行き渡っていることに、初めて気がついた。そして静かに失望した。あの百合じゃなきゃ、意味はなかった。隣でアザミが尋ねた。
「怒ってる?」
「怒ってない」
「本当に?」
 ごそごそと這う気配。セイジはアザミに背を向けて寝ていたが、肩に手が置かれるのを感じた。シャツ越しに、肩甲骨の間に息があたる。
「ねえ、今、時計作家の個展が開かれてるの。昔あなたと私がよく行ったデパートよ」
「有名な人なのか?」
「いやね、うちのダイニングにあるじゃない。あなたのご実家から贈られてきた時計よ」
 そういえばそうだった。天井から吊り下げるタイプの金時計で、取り付けるのに大層難儀した。あの時計が想像よりはるかに高価なものだと知ったのは、わりと後になってからだ。そういえばマツリカも小遣いを貯めて出資したと言っていた。
「……あの時計を買ったのは誰だ?」
 アザミが乾いた声で笑う。
「あなたのご両親に決まってるじゃない」
 肩に置かれた手が、するりと胸に落ちてきた。背中にアザミが密着し、その額と、上半身のやわらかみを感じた。けれど彼女に対し何の欲求もわかなかった。セイジは体を強張らせ、妻をしずかに拒絶した。
「私のこと愛してる?」
 彼女が戯れで訊いているのではないことが、声の調子から伝わった。
 愛か。俺はアザミを愛したことがあるだろうか。よく分からなかった。では何故結婚したのだろう。
 それは、アザミと二人きりでいれば心が安らいだからだ。だから共に暮らすのも悪くない、生涯より添いあうことも苦にならないだろうと考えた。
 しかし求められているものは、そういうものではないらしい。
 毎日となりあって生きること。それ以上の何がほしいのだろう。必要としているものが、俺とアザミとではそんなに違うのか。俺は責められているのだろうか。
 愛してる? と訊かれたら、愛してる。と答える。その形式の裏側で何を要求されているのだろう。その応報で何を寄越し、何を自分から受け取ろうとしているのだろう。なぜこんな言葉の形式で、やすやすと満足が得られるのだろう。
 そう考えれば、アザミとはこれまで一度も会話が出来たことなどないような気さえした。
 おたがい違う言語を使い、けれどその言語はあまりによく似ているから、違っていることに気付けない。
「お前は?」
 そら恐ろしさを感じ、同じ事をためしに尋ねてみた。
「お前は俺を愛してるか?」
 アザミは声をあげ笑った。
「そんなの、決まっているじゃない。誰より愛してるわ」
 そう言って、うしろからセイジの髪を撫でてきた。
 セイジが得られたものはなかった。ただ嘘くさいだけだった。
「……あわれな人」
 そういえば以前、同じようなことで喧嘩になったことがある。愛していると言いあうことも、休日には一緒にすごすことも、気やすく体に触れあうことも、愛し合っている人同士なら当たり前のことよ。誰でもそうしている。それがアザミの言い分だった。一方セイジは女でも男でも、ベタベタした付き合いは嫌いだった。
 それを言うとアザミは悲しそうな、残念そうな、セイジと自分自身がかわいそうでならぬ様子で言い放った。
『あわれな人』
 アザミの言語でいう愛の世界は、明るい世界だろう。自分に悪いところがあるからその世界に入れないとしたら、つまらない話だ。
 しかし「悪いところがあれば直したい」などと言えば、今後アザミは事あるごとに、些細なことでセイジを責めるようになるだろう。さも鬼の首を取ったように、これだからあなたはいけない、などと日に何度も言われる暮らしは望まない。
「……ねえ、何がそんなに不満なの?」
 とうとう布団をはねのけて、アザミが起きた。
「ねえ何なの? お願い、言って。私が悪いの? 悪いところがあるなら直すから!」
 そして次は癇癪を起こしたように、セイジの二の腕をつかんで揺すった。得もいえぬ腹立ちに襲われ、その手を振りはらった。
「ひどい」
 アザミが言う。
「私、今まであなたが求めることは何でもしてきたつもり。なのにあなたは『愛している』の言葉さえくれないのね」
「泣くのは勘弁してくれ。眠いんだ」
「自分が被害者みたいに言うのはやめて。あなたはいつもそう。冷たくて、無関心で、何にもしてくれなかった」
「何もしてくれなかっただと? もう十分じゃないか。毎日のようにお茶会だの詩作クラブだの刺繍の会だの、好きなことばかりで。誰がその金を稼いできてると思ってる」
「そういうことじゃあないでしょう? お金の問題じゃないの。心の問題よ。好きなところに行けというけど、一緒に来てくれたことはなかった。私の好きなものを見てくれたことだってない」
「泣くなと言っているだろう! 被害者づらしてるのはどっちだ」
 面倒くさくなり、セイジは怒鳴りつけた。愛されていないなどと思われていいはずがなかった。セイジはセイジとしてアザミを愛してきた。だがそれがどうしても伝わらぬなら、言語が違うなら、もはやどうにもならない。
「泣くなら外で泣け。もううんざりだ」
 その言葉のとおり、アザミはスリッパを履いてベッドからおりた。ベッドが軽くなった。不幸いっぱいの背中をさらし、彼女はドアを開け、閉めた。部屋にセイジ一人となった。
 この先のことや、自分が言ったことについて考えるのも面倒だった。セイジは嫌な気持ちを抱え、まんじりともせず両目を開けていた。

 ―3―

 翌朝起きると、アザミは家の中にいなかった。書置きなどもなかった。セイジがしたことはといえば、マツリカを捜しに行くことだった。アザミについて考える気にはなれなかった。いずれ自分の意志で戻ってくるはずだ。
 そういえばアザミは、テラ・スピリチュアの存在をよく思っていなかった。奇抜な衣装を身にまとい、よくわからない迷信をとなえる彼らは、人によっては異常な思想の持ち主であるように見えるだろう。実際には無害な人たちだが。
 ケーブルバスの乗り場からゆるい坂を下っていくと、表通りに、真っ赤な衣装に身を包んだ数人の男女らが見えてきた。今日は彼らの祭典らしい。
「メリー・クリスマス!」
 彼らは適度な距離で散らばって、道ゆく親子連れに笑顔を振りまいていた。
 知っている声が聞こえた。一人の女の子が目にとびこんだ。マツリカと仲の良かった、たしかエニシダという名の子だ。マツリカによって引き合わされ、会話をかわしたことがある。
 エニシダは手に提げた籠から飴の包みを取り出し、かんじのいい笑顔で子供に渡した。
「ありがとう!」
 と、その親子が行き去ってから、セイジはエニシダに近付いていった。
「メリー・クリスマス」
 エニシダが呪文めいた挨拶を投げかける。
「私たちの活動に興味がおありですか?」
「いや……」
 エニシダはセイジのことを覚えていないようだった。考えてみれば、マツリカがいないなら彼女と自分とは初対面になるはずだ。赤い衣装の人間たちが、セイジの周りに集まっている。女性の割合が高かった。エニシダやマツリカと同じくらいの歳の子もいれば、夫婦らしき年配の人もいる。
「実は、人を捜しているのですが、最近あなたたちの所にマツリカと名乗る人が現れませんでしたか?」
 簡単な容姿を伝えたが、彼女らは一様に素朴な顔で首をかしげるだけだった。
 そのうち一人が「あっ」と声をあげた。
「それ、高台の工房に出る幽霊と似た感じじゃない」
「幽霊?」
「そうそう」
 自分よりいくらか年下くらいの女性が、勿体つけて眉をひそめた。
「出るんですよ、あたし見たんですもの」
「やめなさいよ、初対面の人に」
「だけど、この人が言った特徴にすごく当てはまるのよ?」
「本当に幽霊なんですか?」
 セイジが口を挟むと、女性は嬉々として話し出した。
「ここからちょっと行った所にね、あたしたちの裁縫場があるんですよ。こういう衣装を作ったり、まあ工房と呼んでるんですけど。夕方、そこの廊下に、二十前くらいの女の子が立つんですよ」
 その容姿を改めて訊けば、たしかにマツリカの外見の特徴と一致する。しかし話だけではわからない。この目で見てみなければ。
「それでね、私たちもびっくりするじゃない。見たこともない人が入ってきてたらさ。それで『誰ですか? どうしたんですか?』って訊いても、じっと窓の外を見てるの」
「それで?」
「その顔がすごく寂しそうで、ずうっと同じ方角を見つめて動かなくって、そのうちスゥって消えちゃうの」
「やだぁ、そんなの初めて聞いたよ」
 と、エニシダ。
「でもお兄さんが捜してるのは、生きてる女の子なんでしょ?」
 セイジは返事に窮した。「そうだ」と言ってしまえばいいのに、それを言ったら途が閉ざされてしまう気がした。
「その……その女の子が何を見ていたか分かりますか?」
「何って? さあ。あの方角は何にもないし……。変わったものといえば、屋敷ぐらいかしらね。うんと遠くを見ていたし」
 屋敷。
 昨日見たマツリカも――あれが幻覚に過ぎなくても――はじめ、じっと遠くの一点を見ていた。シラユリ機構ともずれた方角。居住塔もテラ・スピリチュアもない、彼女にとって何もない方角を。
 あれは、屋敷を見ていたんじゃないか?
 セイジは礼をいい、エニシダたちからそそくさと離れた。彼女らが自分の噂をしだす気配を、背後に感じながら。

 一度家に戻ったが、アザミは帰ってきていなかった。コートと靴をしっかりしたものに替え、すぐまた家を出る。
 屋敷は遠かった。シラユリを網羅するケーブルバスが市街地をはなれてゆく。
 迷宮のような工場区、白く高い壁が延々と続く食料生産場。ケーブルバスの路線が終わるところが、シラユリの終わりだった。
 屋敷には、変わり者の老人が一人で住んでいると聞く。もっともセイジが少年の頃からそのように噂されているから、とっくに死ぬかいなくなっているかもしれない。つまり、自分のしていることが無駄となる可能性のほうが高かった。
 幽霊だと? 馬鹿だ、自分もテラ・スピリチュアの連中も。
 腰は雪までつもり、折悪しく吹雪となった。泳ぐように雪を掻き分けて、セイジは歩き続けた。もはや屋敷に人がいるなどと信じられるはずがなかった。むき出しの顔は凍りつかんばかりだが、体じゅうが熱く、汗にまみれている。
 引き返すという選択が、セイジの心を揺るがし始めた。それでももう少し、もう少しと進むと、いきなり雪が消えた。
 腰や胸まであった雪が、せいぜい足首までの高さとなる。雪の段差の中で、しばし呆然と立ち尽くした。そのうち汗が乾き、痛いほどの寒さに包まれた。
 ゆっくり歩き出すと、雪はついに地面にうっすら被る程度となった。雪の下に石畳が見えた。道があるのだ。
 吹雪が弱まった。
 もう案外近くに大きな門があった。
 高い石塀と、その上の鉄条網。アーチ型の門扉。
 その向こうには、どっしりと暗い屋敷が構えている。
 門扉に歩み寄り、指で押してみた。門はあっけなく開いた。前庭に、焼けてしまった人間のように木がねじり立っていた。そんな木が点々とある。石畳はまっすぐに敷かれ、灰色のポーチを上り、いかにも重たげな木の扉の前に立った。鉄のノッカーで扉を打つと、間もなくカチリと鍵の開く音がした。正体を問う声はなかった。扉は、自動で内側に開いた。
 予想外に澄んだ空気が顔に触れた。
 白と黒のタイルが張られたエントランス。鏡のようなその床に、シャンデリアの影が落ちている。
 仄かな明かりが揺れていた。立ち並ぶ白い柱の蝋燭台に、灯火が宿っている。
 柱の列は闇の奥まで続いていた。灯火があろうと、闇だった。その闇から古い金具が軋むような音が近付いてくる。
 異形の影が車椅子にのって現れた。セイジは身構えたが、すぐにそれは機械を背負った老人だと分かった。
 老人、に見える。
 顔面のほとんどを金属のマスクで覆い、その上に色の薄い髪が申し訳程度に生えている。両足はない。両手もないようだった。一瞬腕に見えたものは、車椅子の背面に取り付けられた機器類から延びるケーブルの束だった。
『ホッ』と、ため息とも吐息ともつかぬ声が発せられた。老人の口からではなく、彼の頭上に花開く大きなスピーカーから。
「……急な来訪で失礼します」
 コートの襟を正し、数歩手前で止まった老人にセイジは一礼した。
「人を捜している者ですが。近頃ここに来訪者はいらっしゃらなかったでしょうか。シラユリの大学に通う若い女性なのですが、名を……」
『ああ、小西マツリカさんだろう』
 思いがけず快活な声が、スピーカーから放たれた。
『可愛らしい子だったねえ。まさかここまで捜しにいらっしゃるとは。道中難儀だったろう』
「知っているのですか!」
『知っているとも。たしかアンタは彼女のお兄さんだったかい?』
 声が出ない。
 マツリカがどこにいるのか、それを聞かなければならなかった。――何より無事でいるのかを。なぜ誰も彼もが彼女を忘れてしまったのか。彼女は帰れるのか。
 老人は車椅子の向きを変え、背中……複雑にうねる配管で覆われた機械をセイジに向けた。セイジは慌てて駆け寄って、老人に並び立った。
『そう慌てなさんな。言われんでも、妹さんのことは全て話すと言うに。が、長くなるぞ』
「マツリカはここにいるのですか?」
『ああいるよ。ちゃあんといる』
 セイジは老人の横に立ち、列柱の奥へ急ぐ。行き止まりの扉の前で車椅子が止まった。無言のうちにどんな操作をしたのか、扉はまたも自動で開く。その先は廊下で、床がタイルから板張りにかわった。ちゃんと電気による明かりがあり、よく磨かれて明るい。
『ろくなもてなしも出来んが、悪く思わんでくれよ。何せ、ここにはわし一人きりだからの』
「一人きり……」
 嘘だ。こんな体の老人が、どうやって一人で生活しているというのか。誰がこのように廊下を磨き上げ、誰が蝋燭台に火をともし、そして外の大規模な除雪をやってのけたというのだ。
「この広大なお屋敷に……ずっとお一人で?」
『ああ。もうずぅっとずぅっと長いこと、ここに一人きりだ』
 セイジは老人の顔を凝視したが、目にも鼻にも、口にも穴のない、黒ずんだ金属があるだけだった。
『いや。一時期、子供がいたね』
「子供? なぜ」
『十七年前の〈事故〉……。公にはされとらんが、アレを生き延びた子がおってね。生き残りというより、〈事故〉で消えた母親の腹から引きずり出されたのだ。調べてみればまあ、因業な出生の子でね』
 老人の車椅子は、廊下を奥へと進んでゆく。
『シラユリ機構はどうしたことだか、その子を屋敷に押し付けてきた。もちろん、わしが面倒を見る前提でな。わしはその子をユウリと名づけ、わしなりに大事にしてきたよ。こう見えて情けは深いんだ』
「そのユウリという子はどこに?」
『死んじまったよ。シラユリに殺処分されたんだ。惨い話さぁ。偉い人間がやってきて、まだ言葉もしゃべれん子に注射一本うちこんで、そんで終わり。終わった』
「機構がそんなことを? 信じられない」
『信じないのはお前さんの勝手だ。それじゃあ帰るかね?』
 マツリカを思えば、非礼を詫びるしかなかった。老人はもの悲しげに背を丸め、黙りこんだ。
『ユウリ、生きてさえいれば十七歳だ。だがもうどこにも居ない。いたとしたら、幽霊だ』
 やがてある一室の前で止まった。真鍮のドアノブがある扉が、やはりひとりでに開く。
 中は客間だった。
 石が組まれた本物の暖炉に、毛足の長い絨毯。古い机やソファ。書棚。大きな振り子時計。そのどれもが長い時間をたくわえて、重厚な存在感を放っている。
『好きな場所に座るがいい。わしは、このままで結構。茶の一杯も出せんが勘弁しておくれ』
 コートを、ストールを、手袋を脱ぎ、それを畳んで革張りのソファに掛けた。堅すぎず柔らかすぎず、心地よいソファだった。老人は暖炉を背にする形で車椅子をとめた。
『冬が、終わりませんの』
 嘆息ののち、彼は言った。
『アンタ、どうしてか知っとるかい? この冬が終わらんのを』
「それは、この宇宙が動かなくなってしまったからでしょう」
 なぜそんな当たり前のことを聞くのかと、セイジは鼻白んだ。
「大型粒子加速装置〈Winter-Lily〉が事故を起こしたその日、宇宙の星々は公転をとめてしまった。人類が余剰次元界を知ったとき、もはやこの世は不要であるなどと、勝手にそうされたのです」
『その日、人類の大半があちら側へ行ってしまった。影であるこの世界を脱ぎ捨てて、実体の世界へな。余剰次元人となった地球人らは、この我々を憐れんで、奴らの世界へと連れ去ろうとしている。このことをどう思う?』
「迷惑な話です。生まれた世界で生き続けたいですから」
『へえ、アンタはそんな話を信じとるかね』
 からかうような口調になった。
『奴らは正義感によって、奴らは愛によって、わしらを機能を止めた宇宙から導き出そうとしているだと?』
「違うというのです?」
 この老人はシラユリの意思にそぐわぬ発言をするだろう。セイジには分かった。分かったが止めようがなかった。彼が喋ることに対しても……おそらく彼は正しいと思う自分自身を、自覚することも。
『この世界はもう、不要なのだ。余剰次元界がこの世界の実体であるなら、ここからそこへ飛び出すことが叶うことにより、この世界は役目を終えた。ここからあちらに飛び出すことが必然であり、宿命なのだ。それが明らかにされているのに、アンタ、お前さん、君は、本当にこの世界と人生に存続の価値があると思うのか?』
 どう答えるべきか分からなかった。
 人間として、マツリカの兄として、シラユリの公僕として。
 すると、それが来た。
 悪寒が煩悶を吹きとばし、意識を冴えわたらせた。
 なにか凄まじいものが来る――そう予感した直後、窓にマツリカがぶつかった。
 セイジは窓に背を向けていたが、たしかに見た。
 トランプで組まれた人形、個性を表す特徴などなく、しかしそれは確かにマツリカで――口のところに、大きな黒い闇があいていた。
 その闇がただれるように、顎へと垂れ広がった。べたりと窓に張りつき、ガラスを叩こうとしている両手。逆立った鱗のようにトランプがめくれ上がる肩や胸。小さな点みたいに闇が体に浮き上がり、見るまに全身を覆いつくされ、溶けてくずれ落ちる。
 セイジは目を見開いた。
 彼は、薄暗い廃墟にひとりで座っていた。
 埃の積もった不衛生なソファに掛け、膝の上で指を組んでいる。
 火のない、ぞっとするような暗さを湛えた暖炉。毛がほつれ、虫に食われて穴だらけになった絨毯。動かない振り子時計。
 他に誰もいない。
 老人は? マツリカは?
『わしを取り締まるかね!?』
 老人の大声で、屋敷が屋敷に戻った。暖炉にあかあかと火が燃えて、空気を温めている。天井には照明がともり、部屋は十分にあかるい。暖炉の火を背負うように、車椅子の老人がいる。
 自分がどこにいるのか分からなくなり、セイジは混乱した。腰を浮かしかけたセイジに、乾いた声が笑いかけた。
『いや、脅かしたようですまんのう。歳をとると気が短くなっていかん』
 マツリカはどこだ。俺は、こんな老人の話を聞いている場合じゃない。マツリカについて聞かなければ。
『Winter-Lilyを探して、余剰次元人らは来る。次から次へとな』
 老人は知らぬふりで喋り続けた。一切の表情を、金属板の下に隠して。
『だからわしは――あの子が、ユウリが、最期にとても怖いものを見たのではないか……そう思うと不憫でならん』
 その名、ユウリが、再び背中に寒気をもたらした。
 寒い。
 いいや。顔を上げて老人を見れば、ここは人が住む暖かい屋敷だ。
『――生まれてこなければ、そんな目にはあわなかった』
「ユウリ!」
 話をさえぎり、確信に打たれて叫んだ。
 屋敷は二重になっている。
 そしてマツリカはこちら側にいない。明るい屋敷と、明るい屋敷がある世界にはいないのだ。
「ユウリ!!」
 風が窓を打ちすえる。
 立ちくらみのように、急に視界の明度が落ちた。
 外より寒いような廃墟にセイジは立っていた。
 老人は消えていた。風が曇った窓を鳴らしているばかり。
 後ろの、マツリカがぶつかった窓を見た。汚れと雪のせいでなにも見えない。
 部屋を出ると、廊下の突き当たりに、外への扉があった。雪が吹きこむ回廊に出た。いつの間にやらまた、ひどい吹雪となっていた。
 五階か六階建ての向かいの棟の屋上へ、目が吸い寄せられた。
 その屋上の縁に少年が立っていた。詰襟の黒い服と、浮き上がるような白い顔。短い髪。痩せた体つき。
 彼もまたセイジを見ていた。これだけ遠く離れているのに、その表情の冷厳さ、金色の光を放つような目のことまで、セイジには分かった。
 マツリカはいる。
 老人は嘘は言わなかった。いるのだ。マツリカだった原子がこの屋敷じゅうにある。セイジは今それを吸い、皮膚で触れている。
 あの少年がそうした。武器すら持たずマツリカを分解した。
 少年が踵を返し、屋上から消える。
 立ち去ったのではない。こちらに来るのだ。
 屋敷じゅうが、空気じゅうが、打ち震えてささやいた。
 ユウリが来る。
 身を翻し、セイジは屋敷内に戻った。扉に鍵をかけ、入り口へと走り出す。
『出口はない』
 老人の声。
 空耳だと、走りながら判じた。だがどこかで今の言葉を聞いたと思う。分からなかった。
『お前は屋敷を出られない。絶対に』
 廊下のどこにも、あのエントランスに通じる扉がなくなっていた。
 最後の扉を殴りつけ、セイジは歯を食いしばった。その歯の間から、恐怖のうめきが漏れてきた。

 ――ユウリが来る。






(2/2へ続く)
Comment

No title

ああ、切ないなぁ。
セイジさんも、マツリカが好きだったんだね……。

続きを待っています。
幸せになるといいなぁ……、
マツリカもセイジさんも、ユウリも。

No title

全体の何処までが事実で、何が進行しているか定かではない世界で、真実を探すセイジと、同じように真実を追っていたユウリの、この先がとても気になります。
ただただ圧倒されました。続き、楽しみにしています。

No title

セイジお兄さんが登場するとは思っていなかったので嬉しいです!アザミとの会話など、会話からキャラクターが浮かび上がる所など、上手いなあと思います(^^)
このお話も残すところ後1話なんですね。続きを読むのが楽しみのようなもったいないような気持ちで一杯です。
Trackback
Trackback URL
Comment form













管理者にだけ表示を許可する

プロフィール

黒実 操

Author:黒実 操
「竹の子書房」に参加中。
www.takenokoshobo.com/index.php
無償版電子書籍がたくさん!

管理人ツイッター
http://twitter.com/kuromimigen

最新トラックバック
検索フォーム
ブロとも申請フォーム
QRコード
QRコード

Page Top
Powered by FC2 Blog | | Template Design by スタンダード・デザインラボ
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。