お話の、あるところ。

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竹の子書房用:黒実 操

『嘘つき曲馬団』 竹の子書房用:黒実操

※こちらは「原文」です。竹の子書房より発行されるものは、ねこや堂先生より校正をしていただいております。


 第壱幕 スマヰルお千代は何故死んだ

 ツラヌキお巻の金切り声が、暁に響く。
 真っ先に駆けつけた馬夫人(うまふじん)が見たものは、嗚呼無残、スマヰルお千代の哀れな骸(むくろ)。
「お千代、お千代なのかい。何故返事をしないんだい」
 四つん這いで手探るお巻を、馬夫人が抱き留めた。
「お巻さん、落ち着いて聞いとくれ。お千代は死んでいる。口から、ああ酷い血だ。……何か聞こえなかったのかい」
 馬夫人の問いに、お巻は頭(かぶり)を振るのみ。
 お巻は目が見えない。四六時中、黒い目隠しを着けたまま。だがここ『ジェントル曲馬団』のナイフ投げのスタアなのだ。
 馬夫人は、夫婦で曲馬芸を披露する。夫は青毛馬のロッポンだ。
 この騒ぎに三ツ首のヒィ、フゥ、ミィ。キャット次郎と三郎の幼い兄弟もやって来た。三ツ首は道化で、キャット兄弟は軽業師。
 死んだお千代はナイフ投げの的だった。
「何の騒ぎだね」
 最後に、団長のジェントル曲馬が現れた。
「お千代が死んでるー」
「死んでるー」
「でるー」
 三ツ首がヒィ、フゥ、ミィの順番で答える。首は違えど、同じ形で歪む口。
「なに。お千代が死んだと」
 金の巻き毛を揺らして、ジェントル曲馬が輪を覗く。分厚いカイゼル髭を撫でつけながら、物言わぬお千代を眺め回してこう言った。
「可哀想に。しかしいい笑顔ではないか。皆もそう思うだろう」
「笑顔。お千代が笑って?」
 お巻が叫んだ。
 キンとした空気。
「素晴らしい笑顔だ。スマヰルお千代の名に恥じぬ」
 ジェントル曲馬は言い切った。
「笑顔だよ」
「だよ」
「よ」
 三ツ首が順繰りに声を張る。
「……笑顔」
 馬夫人も呟いた。
 キャット兄弟は目配せして、頷いた。
 お巻は唇を動かしたが、結局声には出さぬまま。馬夫人は、その顔を盗み見ている。キャット兄弟は棒立ちで、三ツ首は無言でニヤニヤ。
 輪の中心には小さなお千代。
 団長はお千代の身体を抱き上げて、何処かへと運んで行った。


 第弐幕 プリンス滋比古、曲馬と出会う

「――というお話でね」
 ジェントル曲馬は両手を開いた。花のような白手袋。対峙するは少年。せいぜい十三、四歳といったところか、滑らかな頬だが、どこか人を食ったような顔をしている。乗り出してくる団長を上目で見遣り、甘いコクテルを舐めている。
「ずいぶんと気取って話したもんだ。何処かへと運んで行った、なんてさ」
 鼻で笑う。
「うっふっふ、大人に向かってなんて口の利き方でしょう。さすがこの街一番の名士、甍部(いらかべ)海運のご嫡男であらせられる」
 ジェントル曲馬のマナコが細くなった。
「判ってるなら、お前こそ口の利き方には気を付けろ」
 剣呑な空気を鼻息で吹き飛ばし、少年は顎を上げる。
「お前達のような胡散臭い連中なんて、ボクの一声でこの街から追い出せるんだ」
「それはもう。だからこそ、坊ちゃまにこのお話を持ってきたんじゃないですか。コクテルのお替りは如何?」
「紙巻き煙草もだ」
 曲馬が、女給にその二つを命じた。歳若い女給はしらけた顔を隠そうともせずに、曲馬が差すより早く、注文を少年の前に置く。背後からの給仕に、振り返ることをしなかった少年は、その表情を知らないままだ。
 女給が去った後、曲馬は少年の耳に唇を寄せた。
「私はね、坊ちゃまにお千代がなぜ死んだのか、その謎を解いていただきたいのですよ」
「ふん」
「私らみたいな渡り鳥には、警察は少々鬱陶しいものでして。ひととこに長く留められても困りますのでねぇ。しかしお千代の不幸をそのままにはしておけません。困っていたところに、坊ちゃまの評判を聞いたのですよ」
 団長の申し出は予想済みだったのだろう。自惚れの強い少年は、迂闊にもしたり顔を曝す。
 曲馬が更に頬を寄せる。金の巻き毛が、少年の桜色の耳で潰れた。
「坊ちゃまの卓越した脳髄と大人顔負けの度胸で、どうかお千代が死んだ訳を解いてやってくれませんかねぇ」
 吐息がかかる。ゾクリ。少年は反射的に耳たぶを抑え、身を引くと、
「そ、そんなこと言ってるが、知ってるぞ!」
 狼狽を誤魔化すべく、早口に喋る。
「ジェントル曲馬、お前のことは皆『ゼニトル曲馬』って呼んでるぞ。なんでも金にするって評判だ。欲張り! ケチンボ! このボクを使って犯人を捜して、それをお千代の家族に売りつけるんだろう。え、そうだろう!」
「……お千代の【家族】は私らさぁ」
 ジェントル曲馬のマナコが、また細くなる。目には見えない動物電気が迸(ほとばし)る。
 少年は、口が過ぎたことを思い知る。
 睨み合い、少年が折れていることを眼光(まなざし)で確認した曲馬は、あっさりと雰囲気を緩めた。
「坊ちゃまが引き受けてくださるなら、私らはお礼をしますがね」
 内心、少年は安堵したが、
「約束するか」
 と虚勢を張った。
「血判をご所望ならばそれも」
「いるか、そんなもの。じゃあ、引き受けよう。ボクのことは滋比古(しげひこ)様と呼べ。子供扱いはするな」
 紙巻き煙草を灰皿に押し付け、滋比古は席を立つ。
「じゃあ、団員共に話を聞くぞ」
「それはもう。滋比古様のお見立てのままに。正直にお答えするよう言いつけてありますので。そうだ。先程の、もう一度お話ししましょうか?」
「あの程度の、一度聞けば十分だ」
 逃げるように少年はカフエエを出る。
 残されたジェントル曲馬が呟いた。
「ゼニトル曲馬ねぇ。うっふっふ。ご自身はプリンス滋比古って渾名で嗤われてることは、ご存じなんですかねぇ」
 楽しそうに、分厚いカイゼル髭を撫でつける。
「うっふっふ。怪しい、か。人の話を聞かない子供だ。私らは【家族】だと申しましたに」


 第参幕 馬上豊かな馬夫人、亭主を尻に敷く

 カフエエを飛び出した少年を、暮色が包む。
 滋比古は、団員達が寝泊まりしている木賃宿へと足を向けた。街外れに近い位置、本来なら滋比古など生涯立ち入ることはない一角。
 一見複雑な道筋だが、川沿いに進めばそうでもない。掘建て小屋同然の、小さな家が重なるように並んでいる。
 親子が割れた窓硝子を気にもせず、蝋燭の下、夕餉を囲んでいる。何が煮えているか判らない濁った鍋からよそう、茶碗一杯のそれだけを掻き込んでいる。はしゃぐ子供ら。大らかに笑う母。それらを満足そうに眺める、父。
 滋比古は、ふと亡き母のことを思い出した。美しくはないが暖かだった、母様。
 母が死んだ日。そう、その当日。美しいが悪い女が、家に入り込んだ。父は、アレを母と呼べと滋比古に言った。
「誰が、あんな踊り子上がり」
 空唾を吐く。ふた月後、義弟が生まれた。
 赤子が生まれる理など、とっくに知っていた。母様が死の床についていたとき、そのとき父様は……。滋比古の理性も感情も、混沌に沈む。父も義母も避けて、家からも逃げて、そしてこうなった。
 いや、しっかりしろ。今はこんなことを考えている場合じゃない。滋比古は唇を噛む。
 入り組んだ角を何度も曲がり、教えられた木賃宿に差し掛かると、カッと蹄の音。
「プリンス様がもう来たのかい」
 頭上から女の声。
「誰だ」
 振り仰ぐ滋比古。
「アタシはジェントル曲馬団の馬術芸者、馬夫人さ」
 大女だった。青毛の太った馬に横座り、胸下には前結びした帯のような、莫迦げた大きさのリボン。足首まで覆う長いスカアトは、丸く膨らんでいる。
「団長の曲馬に、頼まれたから来てやった。お前、話を聞かせろ」
 滋比古は人差し指を突きつける。馬夫人はそれを無視するように、
「こいつァ、アタシの亭主のロッポンさ。六本脚だからロッポン」
 言いながら、鞍の下に敷いてある地べたを這う飾り布を、ちらと摘まんだ。鐙(あぶみ)の真下に、もう一対の蹄(ひずめ)が見えた。
「そんな子供騙しに乗るか。薄暗い中で布越しに。ハリボテだろ」
 馬夫人は布を離し、膨れる。
「亭主に挨拶しとくれよ」
「やだね。馬になぞ」
「いいのかい。そんな口、利いてさ」
「無駄口叩く暇があったら、お千代の死骸がどうだったか教えろ」
「死骸! 死骸だって!」
 馬夫人は益々膨れたが、
「まぁいい」
 と顎を上げた。
「団長の命令だからね。教えるよ。お千代は仰向けに倒れてた。口から血がいっぱい溢れてて、泡も噴いてた」
「笑ってたって訊いた」
「団長が言うなら、そうだろ」
「お前に訊いてるんだ」
「お千代はね、半年前に【家族】になった」
 馬夫人の語気が荒くなる。
「まだ小娘で何も出来ないから、お巻の的をやらせたんだ。目隠ししてるナイフ投げの、的なんかやらされて笑えると思うかい? あの子が笑ってるのなんて、団長が教えてくれるまで、只の一度もアタシは見たことはないよ」
 落ち着こうとしたのか、馬夫人は青毛の首を愛しげに撫でる。
「まだ十二歳。長いおさげが内緒の自慢だったけど、お巻がやっちまってね。ワザとじゃないんだよ。うっかりナイフが反れて、右のおさげを切っちまった。お千代が死んだのは、次の日さ」
 言うと、馬夫人はロッポンに軽く鞭を入れた。後頭部高く一つに結ばれたその髪が翻り、夫の尻尾と同じ動きをする。
「アタシの話はこれだけさ。夫はあいにく無口でね」
「待て、まだ話は」
「終わったよ。アタシは早く帰って休むんだ。もう臨月なんでね」
 これみよがしに腹を摩り、艶然と馬夫人は微笑む。
「……アンタも早く帰ったらどうだい」
「おい、待てってっば」
 手を伸べる滋比古。だが、それには構わず、夫妻は悠々と去っていった。


 第肆(し)幕 三ツ首並んで姦しムスメ

 薄暗い電灯の下、滋比古は、掌に走る幾本もの盛り上がった筋を指でなぞる。無意識の仕草だ。焼け火箸の痕。あの女がつけた。
「母様と呼びな」
 拒むと掌を焼き、
「この子は火遊びの悪い癖が」
 と父親に泣きついた。父は、義母の目の前で滋比古を殴った。
 義母は情(じょう)から母と呼ばせたがったのではない。滋比古の胸の内に生きる母を、殺す意味での所業。言われなくとも伝わっていた。小さな掌に隙間が無くなりかけたある日、滋比古は屈した。『母様』と呼んだ。義母の赤い薄い唇が、勝利の形に吊り上がり、
「私を踊り子上がりと蔑んでやがるが、お前を産んだあの女なんか」
 と、何やら忌まわしいことを囁いた。滋比古の中の『母様』という言葉が、その瞬間から二重写しに変わった。『しげひこ』と形作る、厚めの丸い唇こそが『母様』だった。そこに義母の酷薄な赤い唇が割り込んで重なる。
 以来『母様』という言葉を引き金に、否応なく二つの唇が網膜に甦る。
 滋比古は掌の筋に爪を立てた。痛みが幻を振り払う。
「馬夫人は母様になるのさ」
「なるのさ」
「のさ」
 茶袱台を挟んで道化の三ツ首がニヤニヤ。年の頃は十六くらいの女の首が三つ、幅広の肩に乗っていた。
 向かって右からヒィ、フゥ、ミィと名乗った首は、同じ顔で同じ声。フゥが若干前のめり。緞帳(どんちょう)のような赤い布で全身をすっぽりと包んでいて、首っ玉をキュッと巾着のように締めている。手は左右の切れ目から一本づつ出ているが、どうにも動きがちぐはぐだ。
 恐らく、と滋比古は睨む。三ツ児が布の中で身を寄せ合っているのだ。右手はミィ、左手はヒィ。フゥは二人の間に身体を入れているのだろう。
「ご苦労なこった」
「なに?」
「なに?」
「なに?」
「なんでもない。それより馬夫人は本当に妊婦なのか」
「可愛い仔馬が」
「生まれる」
「よ」
「生まれるか、バカ」
 ゲラゲラゲラゲラ。
 気色ばんだ滋比古を指さし、声を上げて三ツ首がはしゃぐ。
「もういい。お千代の話をしろ!」
 滋比古は怒鳴った。ペエスが乱れる。
「お菓子をお食べよ」
「さあどう」
「ぞ」
「そんな不潔なものが食えるか」
 その言葉に、また三ツ首は嬌声を上げる。
「不潔じゃないよー」
「猫イラズたっぷりー」
「ぷりー」
「死ぬだろ、それ!」
 茶袱台に手を突いて、滋比古は膝立ちになった。
「もういいッ! お千代がどんな様子で死んでたか、それだけ話せ!」
 天板を叩いた。
 ゲラゲラゲラゲラ。
 それが面白かったらしく、三ツ首は大喜び。
「戸棚の脇で、ひっくり返ってたのー」
「虫みたいって言ったら、怒られたー」
「違うよ違う、笑ってたー」
「言われて見れば。ニッコリ笑ってたのー」
「口が耳まで裂けてたのー」
「違うよ違う。笑って死んだってのは情けだよー」
 ゲラゲラゲラゲラ。
 てんでバラバラ。好き勝手。三つの唇は止まらない。
 滋比古は怒鳴りつけたいのを耐えて、頭の中で整理する。明け方、仰向けの格好で、お千代は死んでいた。
 夜着を乱し、小さな両手は前をはだけて固まっていた。仰け反った姿勢のせいで、口角から流れ出た血が耳に向かって垂れていた。曲馬が、それを笑顔となぞらえた。
 ――何故、ここで【笑顔】が出てくるのかが解らない。
 薄い胸には、己の爪が付けた引っ掻き傷。赤い赤い溝。
「じゃあ、胸を病んでたってことは?」
「ないよ」
「ないよ」
「ないよ」
「気に入らないのは、お巻が気づくのが遅いんだ。目が見えないのなら。余計に耳はいいだろう」
 首を捻る滋比古。
 三ツ首は、そんな彼を煽るように喋り続ける。
「早く解かないと、間に合わないよー」
「明日まで明日までー」
「違うよ違う、ずっと一緒だよー」
 そしてまた、ゲラゲラゲラゲラ。
「どっちだよ。いや待て。お前たち、いつから興行するんだ?」
 滋比古は、三ツ首に向き直る。
「お千代が死んだからって、警察にも届けないみたいだし。興行は、やるんだろう?」
「しないよしないよー」
「ここには家族を増やしに来たのー」
「違うよ違う、減っちゃったー」
「家族って団員のことだろ。今、何人居るんだ」
「団長と馬夫人とロッポンとキャット次郎とキャット三郎とー」
「ツラヌキお巻とスマヰルお千代!」
「違うよ違う、お千代はいないよ。ヒィ! フゥ! ミィ! 三ツ首道化を忘れちゃダメー!」
「……それだけか?」
「そんだけー!」
 初めて三ツ首の声が揃った。ゲラゲラゲラゲラ。けたたましい歓声。
 滋比古は堪えて続ける。
「ジンタとかはどうするんだ」
「大きな街では、そこで雇うよ」
「小さな村では、みんなでやるよ」
「鍋釜叩いて、手拍子足拍子、口三味線(くちじゃみせん)!」
 三つの唇がジンタッタージンタッターと歌いだす。二つの掌、茶袱台叩いて、ジンタッタ。
「もういいッ! 実演するな。……落ち着いて考えられないや」
 滋比古が嘆く。
「水でも飲んで落ち着いてー」
「湯冷ましだから安心ー」
「子供のくせに酒臭いー」
 傍らの薬缶を差し出されたが、一瞥で拒否。問いを続ける。
「興行しないなら、じゃあ、なんでこの街に来たんだ?」
「呼ばれたから来たよ」
 ヒィが真顔になった。
「馬夫人は産み月で」
 フゥが真顔になった。
「可愛い仔馬が生まれるし」
 ミィの瞳の奥は笑ったままだった。
「じゃあ、なんで」
 滋比古の言葉を、三ツ首は遮る。
「家族を増やすんだよ」
「なのに減っちゃった」
「違うよ違う、また増えるんだって」
「呼ばれたから来ただけ」
「君は死ぬ程、お腹空いたことなんてないでしょ」
「お菓子に猫イラズが入ってても食べちゃうくらい」
「違うよ違う、知らなくて食べたんだよ」
「家族だけどね」
「家族だからね」
「家族だよ」
「お水はいかが」
「お水はいかが」
「お水はいかが」
 三つの首がニヤニヤ笑う。生白い右手と左手が、ちぐはぐに動き、眼前に迫る。
 ゲラゲラゲラゲラ。
「い、いらないッ」
 滋比古は背中から、部屋を転げ出た。爆発する嬌声。パッと電灯が消える。続く廊下は、細く長く、暗い。


 第伍(ご)幕 キャット兄弟、猫ダマシ

 ピシャリと襖が閉められた。風圧。滋比古は尻で後ずさる。背中を壁に付け、遠ざかる気配を耳で追う。
 やがて訪れたのは、屈辱。まんまと三ツ首に、からかわれたのだ。闇の中、常より赤いその頬をカァと燃やす。
 と、ガタリ異音。悲鳴を喉で押し殺す。玄関の引き戸だと気付く。尻を床に着けたまま、滋比古はそちらに直った。カンテラの灯りが揺れていた。
「おやおや、坊ちゃ……滋比古様ではありませんか。いかがされましたかな」
 曲馬だった。滋比古は立ち上がる。
「なんでもない」
 ぶっきら棒に答えたが、声音に潜む安堵は隠せない。
「質問に回りたいんだが場所が判らない。案内しろ」
「廊下は電灯がないですからね。そりゃあもう無理はないでしょうよ。うっふっふ」
 含みを持たせた言い回しが気に入らないが、ここは滋比古が譲った。
「キャット兄弟を探していたんだ」
「かしこまりました」
 三ツ首の部屋からは、一切の気配が消えている。この問答は聞こえているだろうに。団長の出迎えをしないのか?
 しかし、滋比古は何も言わない。曲馬も無言を通した。
 二人の歩に連れて、廊下がギィと鳴く。
「こちらです」
 曲馬が立ち止まり、襖を開いた。中も闇。
「ただいまぁ。良い子は、いずこに?」
 キャアともニャアともつかない声が挙がり、幼い兄弟が布団から飛び出した。
「すまないね。良い子はもう寝る時間ですのに。お客様をお連れしたんですよ」
 代わる代わる二つの小さな頭を撫でながら、曲馬は滋比古を紹介した。
「寝てるのに、悪かったな」
 兄弟はおそらく十にも満たない。滋比古の態度も柔らかくなる。布団の脇に、カンテラが置かれた。
 兄弟は曲馬の左右に分かれて座り、その膝にもたれるようにして甘えてみせる。二人とも両手で握り拳を作り、絶えず口元に添えている。
「さて。滋比古様。キャット兄弟は幼ぅございますゆえ、お話は私が代わっていたしましょう」
「何だと? それじゃあ話が」
「おやおや、滋比古さまは猫語をご理解いただけましたかな?」
「……ね、猫語ぉ」
「キャット兄弟は猫語しか口にできません故、通訳が必要かと。嘘ごまかしなどいっさい致しませんので、どうぞご安心なさいませ」
 不安げに、庇護者に寄り添う兄弟。曲馬は二人の背にそれぞれ腕を回すと、抱え込むように力を込めた。
 ボクから守っている――と、いうのか。
 滋比古の胸にチクリ。予期せぬ回想。
 床(とこ)に就きながらも自分を抱き寄せてくれた母。当然のように父を抱きしめる義母。自分ではない子を抱き上げ、眦(まなじり)を下げる父。その父が自分へと向けた眼差し――消えろ! 滋比古は頭を激しく振った。前髪が乱れる。
「そんな小さい子達を、いったいどうしたんだ」
 その様(ざま)を、面白そうに眺めていた曲馬は、笑いを含んだ声で応じる。
「坊っ……、滋比古様は誤解をされてますな。私がこの子らを人買いから買った、いや、どこからか攫ってきたとかねぇ?」
 捲し立てる。
「まさかまさか。だったら何故に、この子らはこんなにも私に懐くでしょうか。うっふっふ、まさか芝居だとおっしゃる?」
 分厚いカイゼル髭を撫でつけながら、挑発の口調。兄弟は握り拳を口元に置いたまま、それぞれ滋比古と曲馬とを見比べて、ぺたぺたにゃあにゃあ喋っている。意味など、さっぱり判らない。
「私が何故、ゼニトル曲馬と呼ばれてるとお思い?」
 唐突な問い。
「馬夫人の話をしましょう」
 唐突な話題。
「馬夫人はこの曲馬団に来てから、まだ六月(むつき)。もちろんロッポンも一緒です」
「な、なんでそんな話を」
「卑しくもここジェントル曲馬団を名乗る舞台で、馬術を披露する腕前になるには一夜漬けなどでは足りません。ましてや妊婦。訓練などできません」
 薄明りの下、お互いは表情を探り合う。
「滋比古様には、この意味がお判りですか」
「……う、いや、判らない」
 滋比古は、注意深く返事を選ぶ。
「馬夫人は、ここに来る前から馬術の素養があったということです」
 ゆっくりと続ける曲馬。
「例えば。何処の馬の骨とも知れぬ男の、子を宿した、もとより馬術を嗜む階級の令嬢が、お家の恥だと表舞台から消された先が、ここだった」
 滋比古は、弾かれたように顔を上げた。
「秘密を喋らぬ代償としての、莫大な持参金と一緒に」
 曲馬の片頬が大きく歪み、
「二度と表の世界に戻してくれるなという、代金として。ジェントル曲馬団は、そんな不幸な者たちが寄り添う場所なのだとしたら、どうです」
 吐き捨てる。
「この子らも三ツ首も、死んだお千代も皆同じ。滋比古様、貴方のいた場所からすれば、ここはお家(いえ)の邪魔者達の吹き溜まり」
 滋比古は、曲馬の言葉を心で反芻する。――曲馬はああ言ったが、自分だってお家の邪魔者――。
 異様な雰囲気にキャット兄弟は怯えてしまい、いつの間にやら黙ってしまった。
「おっと、ごめんよ、良い子達」
 曲馬は兄弟それぞれに微笑みかけ、その背を優しく撫でてやる。やがて安心を取り戻したか、ぺたぺたにゃあにゃあが、また始まった。
 曲馬は、打って変わって穏やかに語りだす。
「私は約束事を決めました。ここに来て【笑う】ことができたとき、それが私らが真の【家族】になったときだと」
「じゃあ、お千代が笑ったなんて言ったのは、最期の餞(はなむけ)」
「いえ、滋比古様。お千代は【笑った】のです。笑いたいと願っていた、あの子の悲願が血化粧となり、笑みの形を作ったのです。――まぁ、死んだ後でしたがね」
「死んだ後……、まさか自害なんか」
「それは、残念なことに違うとは言い切れません。お巻が、戸棚のお菓子には猫イラズが仕掛けてあることを、お千代に告げていたかを忘れているのですから」
「じゃあ告げていれば、自害。いなければ」
「夜中にお腹が空いて食べたのか、おさげを切られた意趣返しに、子供らしい復讐をしたつもりだったのか――、もはや確かめる術などありません」
 それを聞いた滋比古は、腰を浮かせて叫んだ。
「じゃあ、なんでボクをここに呼んだんだ!」
 その剣幕を、キャット兄弟の猫目が四つ、見つめている。
「ボクが解く謎なんて、なんにもないじゃないか!」
 愚弄されていた! 三ツ首から喰らった屈辱の、何倍もの苦味と痛み。
「ご無礼、どうぞお許し下さい。滋比古様に、どうしてもこちらに来ていただきたかったものですから」
 曲馬は穏やかな態度を崩さない。それが余計に滋比古の血を滾(たぎ)らせる。
 カンテラの灯りの中、唇を震わせる滋比古に、
「本当にお願いしたいことは、これからお話し致します」
 曲馬が一礼した。それに倣(なら)い、一拍遅れてキャット兄弟も頭を下げた。――恐らく意味など判らずに。
「お巻のところへ、行ってやってはくださいませんか」
 掻き口説くような曲馬。カンテラの灯りのせいか、滋比古の瞳が揺れている。
「滋比古様の優れた脳髄と慈悲深いお心で、お千代を殺したかもしれないと煩悶するお巻を、救ってやってはくださいませんか」
 滋比古は暫く項垂れて、
「……ボクに何ができると」
 と呟いた。
「滋比古様、それは違います。どうぞお巻のところへ行ってやってくださいませ。お巻は目が見えません。暗い中、ただひとり、罪悪感と後悔に苛まれていることでしょう」
 曲馬はカンテラを差し出した。
「さぁ、滋比古様のお言葉で、お巻を救ってやってくださいませ。私が言うのも何ですが……、もう、お解りになってらっしゃるのでしょう? 聡明な滋比古様」
 滋比古はその言葉を心で繰り返し、噛みしめ、意を決すると立ち上がる。カンテラを受け取り、頷いた。
「お巻の部屋は突き当りです」
「ありがとう」
 滋比古は肩越しに、本心から礼を言う。カンテラが遠ざかり、曲馬とキャット次郎と三郎が闇に溶けていく。
 ぺたぺたにゃあにゃあ。
 滋比古の胸に天啓のように、太郎がいない訳が閃いた。決して口にはしまいと誓い、襖を開けた。


 第陸(ろく)幕 ツラヌキお巻は何故■う

 お巻が待つその部屋へ。細長い廊下の果て。
 ほとほとと襖を叩き
「お巻……さん、入ってもいいですか」
 滋比古は呼びかけた。ざらりと物音。
「入っとくれ」
 ざわりとした声音。一呼吸置いて、滋比古は進む。
「ここに来ることは、団長から聞いていたよ。座るがいいさ、坊ちゃま」
「……はい」
 滋比古はカンテラを茶袱台に置き、跪(ひざまず)く。畳が湿っている。
「こんな遅くに、その……」
 正直な気持ち、戸惑っていた。ナイフ投げのスタアだと聞いていたので、妙齢の颯爽とした婦人だとばかり思い込んでいたのだ。しかしどうだろう。そこいるのは、小さな丸い背の老婦人。
 その両目の周りに、黒い目隠し布がグルリと巻かれている。
「あの、大丈夫ですか」
 滋比古の言葉に、お巻は顔を上げる。
「柄にもなく参っちまってねェ」
「……全部、団長に聞きました」
「そうかい」
 沈黙。どう切り出していいものかと滋比古。それでも言葉を探して、唇を開こうとしたとき、お巻に先を越される。
「お千代は、あたしが殺したようなもんだねェ」
 首が折れるほどに項垂(うなだ)れた。
「いえ、違います!」
 滋比古は否定する。猛然と否定する。
「お千代……さんは、事故でした! お巻さんと家族になろうとしたことが切っ掛けの、哀しい事故です!」
 茶袱台に手を突き、身を乗り出し、お巻に叫ぶ。
「甘えたんです。お千代さんは、お巻さんに甘えようとしたんです」
「甘えた?」
 お巻の口が、ぽかんと開く。
「そうです。お千代さんは口から血を吐いて死んでいた。これはきっとお巻さんが寝てから、猫イラズ入りのお菓子を食べてしまった結果の、事故なんです!」
「事故……」
「お巻さんが戸棚に仕掛けておいたお菓子を、お千代さんは食べたんです。髪を切られて、拗ねて、こうなったら代わりにお巻さんのお菓子を食べてやれッて、それで」
「ああっ、確かに毒饅頭を入れていた。だけど私は、あの子にそれを注意したのか忘れちまっているんだよ、ああ、お千代、お千代、可哀想に」
 お巻の狂乱。目隠しの上から両目を掻き毟る。
「お巻さん、落ち着いて! よく聞いてください。お千代さんは、お巻さんのお菓子をいたずらしたんです。お巻さんに甘えた証拠です」
 お巻の動きが止まる。
「家族になろうとした気持ちが、芽生えていたんだと思います」
 滋比古は今にも泣き出しそうに、声を震わせている。お巻の声も、震えてきた。
「坊ちゃま、あたしはねェ、みんながお千代が笑っている笑っているって言うのはね、見えないあたしへの、ヘタな慰めだと憎々しく思っていたんだよ」
「お千代さんは本当に笑っていたんだと、ボクは信じます」
 堪えきれず語尾が掠れた。不謹慎なことだと自覚はあったが、お巻に泣き顔を見られないことが、滋比古にはとてもありがたかった。
「坊ちゃま、お優しい坊ちゃま。その言葉にあたしは救われたよ。お千代は、そう、笑っていたんだねェ」
 お巻の声が更に震えた。
 滋比古の口から、抑えていた嗚咽が漏れた。
「坊ちゃま、あたしはもう大丈夫さ。早く団長にこのことを知らせてくれないか」
 震えを通り越し、絞り出すようなお巻の声に滋比古が頷く。
「はい。知らせます。お巻さん、どうか……」
「ああ、判っているよ。大丈夫さ」
 滋比古はカンテラを取り、名残惜しげに部屋を出た。
 だから知らない。一人になったお巻が、ついに肩を揺らして■い出したことも。ヒッヒッヒッと息を吸い込み、■い出したことも。
「なんだい、ありゃ。聞きしに勝る、馬鹿だねェ」
 という独り言も。


 第捌(はち)幕 嘘つき曲馬団 

 滋比古は、立てつけの悪い玄関の引き戸を丁寧に閉めて、外に出た。上弦の月。
「滋比古様」
 密やかな声は曲馬。手招きをしている。井戸の蓋に置いてあるカンテラが、その姿を幻燈のように浮かび上がらせていた。その横に、滋比古もカンテラを置く。明るさが倍になる。
「坊っ……いえ滋比古様、お巻はどうでした」
「お巻さんは、大丈夫だ」
 滋比古は胸を張る。
「お千代さんは、本当に笑っていたんだと伝えたよ。お巻さんに甘えて、最期に家族になったんだとボクは信じる。だから」
「なんと慈悲深い」
 曲馬は滋比古の言葉を遮り、両手を広げた。花のような白手袋。
「やはり貴方は、本物の紳士であらせられる。カフエエや先程までの態度は、目眩(めくらま)し。正しいお血筋のお方ならではの、ご判断」
 言いながら、曲馬は上着の内ポッケットを探り、小さなアルミニュウムの水筒を取り出した。
「カフエエから珈琲を貰ってきたのですが、いかが」
「え」
「もうすっかり冷めておりますし、ああ、牛乳もお砂糖も入っておりませんし、滋比古様のお口には合わないかもしれません」
 なんだか、少し、突然すぎるように滋比古には思えた。だが、たくさん喋って喉が渇いていた。
「ボクは、牛乳も砂糖もいらないぞ」
「では、お口に合いますな」
 曲馬が差し出す水筒を、滋比古は受け取った。考えがないままに受け取った。重ねたコクテルが効いていたせいもあり、染み入った。苦い。だけど、曲馬の言い草が癪に触っているので、飲み干した。
「全部飲んだからな」
「それはそれは。お流石でございます」
 ――いったい何時くらいなんだろう。滋比古は月を見上げた。
 言うべきことがあった気がするが、夜も更けてきたせいか冷えが気になってきた。頬や指先ががジンと痺れる。
「滋比古様、ところでひとつ気が付かれてますかな」
 分厚いカイゼル髭を撫でつけながら、曲馬が訊いた。
「なんだ」
 足先まで冷えが来たのか。滋比古の爪先がジンジンと痺れる。
「キャット兄弟のおぉぉ部ェ屋でェ話しししたあァぁ」
 曲馬の声が揺れ出した。耳まで冷えきったかと、滋比古は両手で耳たぶを摘まむ。暖かい。熱い。曲馬の口が動いている。分厚いカイゼル髭を、しきりに撫でつけている。一連の動きがゆっくりとぶれてゆく。目の前がグラグラと揺れる。
 ――ボクは……、寒いんじゃない!
「もおおォぉううぅゥゥオそイよおおォォ」
 曲馬の声が、遠くから近くから何重にも響く。
「サアぁぁミるがいィィいイ」
 月明かりに白く輝く両手がゆっくりと、分厚いカイゼル髭を剥ぎ取った。
 滋比古は、懸命に井戸の蓋に手を付きながら、声と同じく何重にも重なる曲馬の姿を、顔を、露わになった唇を凝視する。一瞬だけ焦点が合った。
「か、母さ」
 舌がもつれ、グラリ。倒れこむ滋比古。意志を失った腕がカンテラを薙ぎ払い、灯りが消える。曲馬が両腕を開く。花のような白手袋。少年の赤い頬は、待ち構えていた二塊の柔い肉に埋もれた。
「失敬な。ずぅっと若いよ。うっふっふ……あっはっはァ!」

 暗転。

 暗闇に、ポッと緋色。左右に分かれ、丸く走り、たちまち炎の輪となる。
 トトトト、タン! 軽快な足音とともにキャット次郎がトンボを切って、躍り出た。トトトト、タン! 三郎が後に続く。ピタリ。見得(みえ)を切るその顔には猫の口。
 ジンタッター。ジンタッター。ジンタッタッタァター。口三味線。三ツ首のヒィ、フゥ、ミィが滑稽な動きで舞台に躍り出た。三つの首が律動に合わせて、ぐるぐると廻る。
 ぐるぐると廻る首の隙間を縫って、銀の刃がすり抜ける。ツラヌキお巻のナイフ投げ。三ツ首の髪の毛一筋、傷付けず、背後の板に小気味よく刺さる。黒い目隠し布には一分(いちぶ)の隙もない。
 くるり。ジンタッタの声に合わせ、優雅にターンを繰り返しつつ登場するは、馬夫人とロッポン。スラリと美しい青毛馬ロッポンは、キリンのようなシルエット。四本の脚で、見事な足さばき。残る二本の前足で、馬夫人の手を取って踊る。
 うっとりと夫を見上げる夫人の横顔。そして、つぅと流し目。滋比古は顔を背ける。
 背けた先に、髭の無い曲馬が立っていて、ゆるりと両腕を広げた。花のような白手袋。「母様」と同じ■で、■■■いる。その■が何かを言い出す前に、目を閉じた。判っていた。
 これは夢だ。自分は今、本当は眠っているんだ。身体に伝わる、一定の揺れ。――ボクは眠ったまま、どこかへと運ばれているんだ。
 滋比古の意識は、そこでまた途切れた。

 溶暗。


 終幕 大団円

 港に定期船が着いた。
 今日は特別。珍しいお客様達の登場だ。待ちわびていた子供らが、鴎(かもめ)と一緒に群れをなす。艶(あで)やかな三ツ児の姉妹が、高らかに叫ぶ。
「ジェントル曲馬団が、やってきたわよぉ!」
 キャーッと鋭い嬌声とともに、船から駆け降りた。手に手に持った籠から、紙吹雪が青空へと舞い上がる。子供らが皆、争って拾い集める。その小さな掌から再び、放たれる紙吹雪。
 痩せた二人の少年が転がるような側転で、三ツ児の歩みを追い抜いて、港の広場の真ん中で、ピタリと止まる。よく似た二対の吊り目。口元を赤い布で覆ってあるせいか、恐ろしく目立つ。その後に続く少年と少女の、ささやかな列。揃って愛らしい装いで、それぞれ犬を連れている。
 お客様は、まだ続く。細い渡し板を、髪を後頭部高く一つに結んだ大女にあやされて、太った青毛の馬がよろよろと降りてゆく。
「気を付けな」
 船乗りが声をかける。
「あいよ」
 大女が片目を瞑ってみせた。
 と、スラリと姿の良い若い馬が、隣に並んだ。こちらも青毛。
 続いて降り立つは、青年。まだ少年の面影の残る滑らかな頬だが、どこか人を食ったような顔をしている。髪の毛で隠しているが、その耳には左右ともに汽車の切符のような切れ込み。
 彼の名はプリンス飛駒(ひこま)。この『ジェントル曲馬団』のナイフ投げのスタアなのだ。
 その後ろで、分厚いカイゼル髭を撫でつけているのは、団長のジェントル曲馬。金の巻き毛が陽光に煌(きら)めいている。
「お父様がお亡くなりになって、早三月(みつき)。甍部海運はあの女のモノになりました」
 見せかけの髭の下で、赤い唇が蠢く。
「名目上は貴方の義弟君(おとうとぎみ)が筆頭ですが、あの幼さで何ができましょう。その母が、愚かにも暗躍し、最早お父様が築き上げた全てが離散する方向へと――」
「――父様」
 青年の眉根がギュッと寄る。
「ボクは父様を誤解していた。ずっと、ボクのことが邪魔だとばかり」
「しげ……、いえ飛駒。甍部様が、秘密裏に私に依頼を下さったお蔭で、こうして無事にあの女から貴方をお守りすることができました。あのままだと、遅かれ早かれ貴方は亡き者とされていたことでしょう」
「その恩は片時も忘れたことはない」
「なにを! 恩だなんて。私達は家族ではありませんか」
 曲馬が、誰にも見えないように、青年の手をとった。
「貴方を正統なお立場へとお返しするのが、私の……いえ、お父様の願いです」
「じゃあ、ボクは」
「闘いになります。あの女と義弟君との。貴方はあの家に、甍部海運へと帰らねばなりません」
 青年は答えず、曲馬の手をそっと外して歩き出した。
「まだ、駄々こねてんのかい」
 曲馬の陰から、ぬっと老女が顔を出した。幅の広い黒い布で、目隠しをしている。
「時間の問題さ」
 曲馬は、ひらひらと手を振る。花のような白手袋。
「それにしても、親父はさっさと死んだもんだね」
「早くてよかったよ。親父が生きてる間は、この嘘がバレる危険があったってもんだ。だいたい私ら、うっふっふ、顔を合わせたこともないんだしねぇ」
「あの女、絶対なんか手を下したね。毒かね、やっぱり。はぁ、怖い怖い。そこが突ければねェ」
「だから何度も言うけど、証拠がないさ。無駄なことはもう言いなさんな」
 何度も繰り返してきた愚痴を吐く老女を、曲馬が掌で制す。
「なんとかなるさ。坊ちゃまを手に入れたときみたいに。あのときは丁度いい具合に、子供が死んでくれたしねぇ。なんて名前だったかな」
「そんなこともあったねェ。お陰で、苦もなく坊ちゃまが」
「簡単すぎて欠伸も出ないってね。今度も、うまくいくさ」
「ヒッヒッヒッ。こっちには長男がいるんだ」
「そうさ。坊ちゃまがいるんだ。うっふっふ」
 二人の見る先には、広場の真ん中で器用に五本のナイフでお手玉をしている、プリンス飛駒。
 子供らの歓声。絶え間ない紙吹雪。はしゃぐ犬ら。仲良し【家族】達。
 曲馬の視線に振り返った青年は、にっこりと笑顔を返した。


                             ――閉幕




 回り舞台、もしくは楽屋裏 踊らずの踊り子、団長の鞭にて踊る

 黄色い電灯がポツリと点いた。
 女が二人。
 一人は和装。高価なお召に金糸刺繍の帯を締めている。髪は流行の耳隠し。奥様というよりは、女優のような出で立ちだ。
 もう一人は洋装。男のように黒いズボンを履いている。髪は金に染めた巻き毛という、一種異様な風貌だ。
 しかしその容姿には、対照的な服装や髪型では誤魔化しきれない相似がある。
 特に唇。奇妙なことに、こってりと化粧を施している和装の女も、化粧気のない洋装の女も、どちらも同じ程に赤く、薄い。美しく整った形なのだが、女性らしい温かみや優しさなど、全くない。
「で、ちゃあんと始末してくれたんだろうね」
 沈黙を破ったのは、和装の女だ。外観に合わない低い声。
「ちゃあんとやったから、呼んだんじゃないのさ」
 洋装の女が顎をしゃくる。そこには、汚れたクロースに覆われた長テヱブルがあった。
 クロースの下には何があるのか、ムクムクとした大きな盛り上がりが、いやそれは人の形をしているようで、和装の女がグウッと身を乗り出した。
「そら。中を見なよ」
 洋装の女が、さも面白そうに、もう一度顎をしゃくる。
「うるさいね」
 和装の女は早口で応じると共に、乱暴にクロースを剥ぎとった。
「うっ」
 途端、むうっと立ち昇る異臭。目に沁みるような炭と肉とが焦げた臭い。湿り気のある瘡蓋(かさぶた)を剥がしたときに嗅ぐような、生臭さも混じっている。
 そこにあったのは、生焼けの子供の骸(むくろ)だった。
 和装の女は、化粧で汚れることなど失念し、素早く袂(たもと)で鼻と口を覆った。
「どうしたよ。ちゃあんと始末してるかどうか、きちんと確認しておくれ」
 洋装の女が勝ち誇ったように、声を張る。
「判ってるよ、畜生」
 和装の女は嘔吐(えず)きながらも、横たわる屍を検分する。
「何だい、これは、焼いたのかい」
「ああ。絞めたり刺したり殴ったりは、手が汚れるし、ヤじゃないか。燻(いぶし)殺すはずが、うっかり燃えちまってね。ま、そこは勘弁しとくれよ」
「えげつないことするねェ、燻すだなんてさ。髪も顔も焼けちまってて、確認も何も……、ああ、随分苦しんだみたいだねェ、へぇ、あのおちょぼ口がこんな形になるなんて」
 和装の女は、腰こそ引いているものの、恐ろしい様の屍を観察する。
「掌が一番判りやすいんだけど、ああ、やっぱり焼けてるか。畜生。これじゃあ、確認の仕様がないじゃないか」
「おっと、身代わりの子供を殺すなんてしてないよ。そんな危ない橋なんて渡るかい。だいたい、この街で子供が攫われた話なんて聞かないだろう。これは間違いなく、あんたのところの馬鹿坊ちゃまさ」
「ああ、そうだねェ。お前があいつを生かしておく理由もないしね」
「子供は嫌いさ」
「金にならない子供は、だろう?」
「うっふっふ」
 和装の女は、バッと哀れな屍にクロースを被せた。用が済んだら、一瞬足りとも視界に入れたくはない代物だ。
「納得したかい? したんなら」
 と、洋装の女が左手を差し出し、親指と人差指とで輪を作る。
「判ってるよ。卑しい奴だね」
「ねえさんには、煮え湯を飲まされっぱなしの人生だからねぇ、うっふっふ」
「済んだことはもうイイじゃないか。……ほら、受け取んな。約束通り、もうこの街には寄り付くんじゃないよ。その死骸も始末しな」
「任せておくれ。最近は、子供の骨が高く売れるんだよ。死骸を貰えるのは、好都合さ」
「骨が! 売れるのかい!」
「それが、買取り先が小学校なのさ。理科の学問に使うそうだよ」
「へェ、こりゃたまげた。死んでから学校に行くなんて、マヌケもいいとこだよ。しかも小学校なんてさ」
「うっふっふ。実際、丁度いいんじゃないかねぇ」
 やがて、黄色い電灯はフッと消える。衣擦れ、蝶番の軋む音、ガチャリ錠前が落とされ、静寂。

                         ――ぐるり、終幕へと回転



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