お話の、あるところ。

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『夢見る病気』豊原ね子

投稿作品『夢見る病気』〈4〉 著者:豊原ね子 

第一章・Deus ex Machina 第一話

   第一話 谷街

 ―1―

 まだ昼ひなかだというのに、街の底は薄闇に濁っている。かきまわすように粉雪が降り、家々の屋根と、灰色の壁とを塗りつぶしてゆく。
 街はいくつもの丘陵を覆い尽くして形成される。幾つも入り乱れる坂が、山を成し、谷を成し、やがて頂へと続く。
 明かりの点る建物はどこにも存在しない。街は廃墟である。
 鉄道の高架が、谷街の底を隔ててせり立っている。
 高架に人間が佇んでいた。
 ダブルのライダースジャケットのボアが、風で逆立っている。背中まで伸びた髪を一本に結い、それもまた、強風と雪に弄ばれて白くなびいている。
 もともと色白なのだろう。寒さに強張る顔が青白い。ぺリドットのピアスが光る耳だけが、凍りついた金具で真っ赤になっている。
 若い男だ。
 細身だが、引き締まった体つきをしている。
 彼は遙かな足もとで壊れゆく街を、静かに見下ろしていた。やがて、その伏せていた目を少しずつ上げてゆく。
 向こうの坂にへばりついて、市街が展開している。明かりのない、市場。明かりのない、学校。明かりのない集合住宅群。張り巡らされたロープウェイのケーブル。
 静かな瞳は、更に高みへ。
 雪雲を潜り抜けて、遠くの空に黒い飛行体の影が現れた。三つ……四つ……五。
 青年の腕が背中に回る。腰の鞘からブーメランを外した。
 銀光沢を放つ巨大な刃を、顔の前にかざす。その目に火がついた。火は、燃え盛る憎悪の炎となって、飛行体に向かう。

 威すような羽音が重なり合い、廃墟を打ち震わせる。雪を載せ、つららをぶら下げた屋根が高架下の区画を埋め尽くしている。屋根屋根の隙間には細い路地が横たわっている。
 路地の真上を、三匹の『蜂』が飛行している。
 顔を埋め尽くす方眼に、微かに羽毛の生えた首。膨らんだ赤い腹にはくっきりと黒い縞模様。特徴だけは確かに蜂だ。
 ただその蜂は、蜂と呼ぶにはあまりに巨大すぎた。
 四メートルを越す体長と、それを支える翅。コンクリートの建造物を一撃で噛み砕く口に、子供の背丈ほどある針。
 一匹、というより一機と数えたほうが感覚的に適している。が、それらはあくまで生物だ。

 新雪を蹴散らして、頑丈な軍用ブーツが蜂たちの影から逃げ走る。
 武装した屈強な男だ。地黒の肌に彫りの深い顔立ち。ぼさぼさに伸びた金髪と小さな片眼鏡の奥の灰色の瞳。この男には異国の血が流れている。
 男が走りながら腰を捻り、右腕を空に向けた。
 右肘から先が、銀と黒紫の光沢を放つ銃砲に呑まれている。空に突き上げられた円筒形の銃砲には、広げた翼の紋様があり、その紋様が赤くなって、火の舌をのぞかせた。
 爆炎が打ち上げられた。
 引き換えに、空から槍がばらばら降ってきた。蜂の一匹が放ったものだ。男が撃った炎の球が、その蜂の胴体を貫いた。
 街に降り注いだ五本の針が、石畳を砕き深々と路地に刺さる。
 男はドアが壊れた民家に転がりこんで避けていた。針から流れた毒液が水溜りを作る。
 炎に撃たれた蜂が墜落し、針の上に串刺しになった。空では火球が小さく分裂し、流星のように、中空の蜂の部隊に降り注ぐ。
 流天目(ながれてんもく)――通称『ナガレ』、男の武器の名だ。
 巨大蜂の群れが散開する。蜂たちは男を見失う。

 裏口から出た途端、その屋根に蜂たちの針が落ちた。轟音を立てて屋根が沈む。毒液の飛沫が四方に散り、かたい雪を融かす。
 その飛沫をかいくぐり、男は更に細い路地へ。路地、というより民家の隙間だ。隙間は途中で下り階段にかわり、鉄網に蓋をされた地下間道に続いていた。
 吹きこむ風が、諸々のゴミを押しこみ、更に雪が被っている。
 男は走る足を止め、息を弾ませながら顎を上げた。
 鉄網の向こうで、点々と、蜂たちが男を探して飛びかっている。
 砂利を踏む音がした。
 間道の先に顔を戻すと、曲がり道からひょこっと少女が顔を出した。
 こまやかに波打つ豊かな黒髪、白く細い首と顔、その色の対比が鮮やかだ。ながい睫毛に守られて、真っ青な瞳が輝いている。
「よっ、オッサン」
 少女が片手をあげて男に歩み寄った。
 地味な防寒ツナギを、色とりどりのリボンやピンバッヂで飾り立てている。十代半ばの小柄な、可愛らしい少女だ。不気味に爪先が光る軍靴や、腰に巻きつけた銃器を別にして。
 男は安堵し、まなじりを吊り上げた。
「まだオッサンじゃねえよ!」
「はいはいはいはい。ご無沙汰ですねぇ、パジェットさん。三時間ぶりぐらい?」
「そんなに経ってねぇよ。識(しき)はどうしてる」
「さーね、うまくやってんじゃない?」
「さーねって、トリ飛ばしてんだろうがR.R.E.(ルルエ)」
 少女が手の中でくるくる拳銃を回し、その手を突き上げた。
「おいで! 連鶴(レンカク)!」
 黄色い光の塊が、頭上の街を縫って頭上に現れ、急降下してくる。男、パジェットが目を細めている間に、鉄網を抜けて少女の手の銃に吸いこまれた。
「オッサン、戦況が変わったよ。蟻兵(ぎへい)がくる。東南東、杜若(かきつばた)門、二十分で到着。だとさ。でもってバレた」
「何が」
「オッサンにぶーい」
「だから何が!」
「アタシたちのい・ど・こ・ろ・だよ!」
 影が落ちた。真上に蜂が来ていた。翅を素早く震わせて仲間を呼びながら、針を収納した尻を、鉄網越しに二人に突き出していた。

 ―2―

 侵略ははじめ、蝿の形で現れた。
 それらはある日突然空の向こうから飛んできたわけではない。 
 街から蝿が消えない、ということは、それこそパジェットが小学生の頃から言われていた。その夏も、異常な量の害虫が発生していた。過熱する街、富栄養化した公園の池沼、汚染された河川に減らないゴミ。要因はいくらでもあった。消えない蝿は春にこの国の空を覆い尽くし、ついに彼が高校生の頃、蝿どもが人を襲う、そんな報告がされるに到った。その時連中は人をゆうに越す身の丈になっていた。商店から殺虫剤が消え、学校は休みになり、どこそこの工場では排水を垂れ流しにしているなどという噂が立てば、根拠もないままに暴徒化した市民が工場に押し入った。終末論を掲げる宗教団体が集団焼身自殺を遂げた。国は荒れた。どこの国も荒れた。
 人は武器を作り、それを強化して立ち向かった。
 巨大化した虫――『蟲』たちは、己の体を強化して対抗してくる。
 十年が経ったのだ、思えば。家だった瓦礫、食い荒らされた家族の骸の前で呆然としていた異国の血をもつ高校生は、もう二十七にもなっている。立派な儀礼銃士だ。

 靴あとが鉄橋の雪を拓く。長い髪をなびかせて駆けていた青年が、走りながらブーメランを持ちかえる。目もくらむような高所で左足を踏み出し、体を半回転させながら投げ放った。
 ブーメランは回る車輪となり、羽蟻を切り裂いて落とした。蟻と言ってもさっきの蜂と負けず劣らずの大きさがある。
 車輪が蒼白い炎を噴く。火車(かしゃ)だ。地上からパジェットにもそれが見えた。
 ブーメランは放物線を描いて地面に向かい、無人の通りに激突する寸前、回転を続けたままぴたりと落ちるのをやめた。そのまま通りを疾駆する。青年がいる鉄橋を押し倒そうと群れていた蟻たちの群れに突っこんで、それらを押しつぶした。
 彼はもう橋の上にはいなかった。
 仲間の死骸と共に地面に落下した蟻兵たちが、すぐさま触覚をそよがせる。
 火車が雪を融かした、その跡を、パジェットが追っている。頭を潰され、尻を上げた体勢で息絶えた蟻がそこかしこで道をふさぎ、あたりには酸の臭気が立ちこめている。その数が三つ四つと増え、凍てつく空気を切り裂く火車の唸りが聞こえてきた。
 パジェットは路地に飛びこんで、反対の通りに抜ける。
「識!」
 広場だった。青年が反射的に銃を向ける。そしてパジェットの正体を見極めると、ゆっくりと、銃口を下ろした。
 先ほどよりも幾分大人しい唸りで火車が戻ってくる。持ち主の前で青い炎が消えた。腰のまわりをゆっくり一周し、青年がグリップを握り締めると、凶暴な火車はブーメランに戻る。
 頬を紅潮させ、息を弾ませている。識と呼ばれた青年は、額の汗を拭った。目の光が柔らかくなり、笑顔を見せた。二人は互いの無事を確かめると、言葉もなく、歩み寄った。
 パジェットが、右手を出し、識がその手を打つ。乾いた音が鳴った。二人の上を黄色い光が旋回する。長い尾を持つ鳥。鳥はR.R.E.が掲げた銃の銃口に収まり……そこにも翼を広げた鳥のレリーフがあった。
「もういない」
 と、R.R.E.が言った。

  ―3―

 丘の頂きは、城壁のように鉄の壁で覆われている。壁には見張りの塔があり、窓の向こうには暗闇がしまってある。
 R.R.E.、識、そしてパジェットがそれぞれのコードを打ちこむと、白銀の壁がスライドし、三人を迎え入れた。体格の違う三人が進む。イワシとサンマとカンパチに似ている。
 真正面の建物の扉に鳥のレリーフがある。R.R.E.やパジェットの銃に描かれたものと同じ、翼を広げた紋様だ。これは識の火車にも描かれているし、また、城壁の内部に描かれた守護陣と同じ紋様でもある。鳥は虫を狩るものの象徴だ。かつて国の、いや連邦屈指の呪術者たちの監修で地下に刻まれた巨大な守護陣が、壁の内側を蟲から守っている。
 正面の横長の建物が『市庁』だ。壁の外からは見えなかったが、いくつかの窓に明かりが点っている。
 扉を押すと、ホールに横長のソファが整然と並んでいる。左目の片眼鏡が曇り、パジェットは目を細めた。
 隅で碁を打つ老人たちが振り向いたが、すぐまた目をそらした。
 そして待合のソファの隅で天井をみあげている者がいる。ミヨミだ。左目が左上を向き、右目が右下を向き、時折左右全く非対称にぐるぐる動かしている。口は、いつでも大きくあけてぼんやり上を見ている。喋るところなど見たことがない。女か男かさえ、見ただけではわからない。
 まだ少女と言っていいような若い女が、奥から走ってきた。
「お帰りなさい」
 彼女はいつ会っても、パジェットと目を合わせない。怖いのか、と思う。殺している相手が、人類の敵であっても。
「おう、ノリコ」
「すみません、まだお部屋の準備ができてなくて」
「いーっていーって。どうせすぐアレだろ? 呼び出されんだからよ」
 則子は無言で視線を床にさまよわせた。
「参っちまうよな、急な呼び戻しだもんよ」
「時間まで、控えの部屋はないか?」
 識がそっと声をかけると、すぐに「ございます」、と頭を下げた。
「こちらです、すみません……」
 歩き出したとおもったら、急に何かを思い出したらしく、すぐに三人を振り返った。
「あ、あの、寒い中お疲れ様です!」
「いいから」

 豊葦原連邦盟主国、瑞穂中津国(みずほのなかつくに)。この臣津(おみつ)の街は、かつて国一番の工業地帯だった。再三に渡る蟲の襲撃によって陥落するまでは。
 街の防衛は強固だった。豊富な地下資源、豊富な人材、そして技術。難民を受け容れ、食料をかき集め、五年、街はもった。だけど蟲たちは敗れるごとに、己自身の体を強化してきて幾度も襲いかかる。
 科学技術だけでは駄目だったのだ。
 霊力者たちの協力を拒んだのは、工業都市としての誇りだった。誇りが街を滅ぼした。が、いずれにせよ、臣津では街全体を防御する霊壁を作り出すことは不可能だった。臣津の地下深くには、霊流を阻害する地下鉱脈が走っている。唯一、守護陣を作り得たのは高台の市庁舎周辺だけだった。
 パジェットはかつて正規の兵士として、臣津に派兵されていた。識とはそこで出会った。
 忘れもしない。この手で、彼を炎の海から救い出したのだ。
 吹き上がる黒煙。血と崩れた臓腑でぬかるんだ市街、遺体と呼ぶのも躊躇われるような肉片が次々と運びこまれる安置所。
 傷ついた体を抱え、その片隅でじっと座っている中学生がいた。
「僕は泣きませんよ」
 真っ赤な目でパジェットを睨み、その時識は、震える声で言った。

 間接照明に照らされた、温かい部屋だった。暖炉型の電気ストーブがある凝った内装で、まず部屋に飛びこんだR.R.E.が歓声を上げてソファに転がった。
「お飲み物をお持ちしましょうか……」
 なぜそんなに自信がないのか知らないが、消え入りそうな声で則子が訊いた。
「酒」
「馬鹿!」
「っるせえな、分かってるよ! じゃあオレ、コーヒーな」
「俺もそうしよう。濃いのがいいな」
 分かりました、と言って、則子がR.R.E.の方を見る。識がかわりに言った。
「R.R.E.、何がいい?」
「ソーダ!」
「馬鹿! そんな体の冷えるもん飲むんじゃない。ココアにしろ」
「ソーダ!!」
「ノリコ、コーヒー二つとココア一つな。頼む」
「わかりました」
 面倒くさくなる前に、則子はそそくさと退室しようとした。
「ああ、そういえばノリコ」
 パジェットの呼びかけに、ドアを開けた則子が振り返った。
「はい」
「お前、来週首都行きだったっけ」
 則子は何を言えばいいのか分からぬ様子で「はい」と答えた。
「……その時は、お願いします」
 一礼した。
 確かに……別れを告げるにはまだ早い。肩で笑い、パジェットは片手をあげた。則子が出て行くと、部屋が静まりかえる。
 それをR.R.E.が破った。
「しーちゃん、すぐR.R.E.に馬鹿って言う!」
「安心しろ、オレにもだ」
 識は背もたれに投げ出されたケープを仕方なさそうに拾い上げていた。
「上着はハンガーにかけろっていつも言ってるだろう」
「だってぇー」
 両足は地面に下ろしたままソファの上で体を伸ばし、R.R.E.はニヤニヤして識を見上げた。
「そんなことしたって、どうせまたすぐ出てくんじゃん」
「ソファが濡れて傷むから言ってんだ。それに出てくのは俺とパジェットだけだ」
「R.R.E.また仲間外れ?」
 その様子を黙ってパジェットは見ていた。あの時まさか、この男が唯一の親友となるとは思わなかった。識のほうが一回り年下だが、だからといって頼りないということはない。
 分からないのはR.R.E.だ。
 彼女は半年ほど前に、いきなり二人の目の前に現れた。極彩色のサマードレスにコルク底のサンダル、頭には大きなリボン。その出で立ちで二挺拳銃、……しかも儀礼銃だ。旅行鞄にはバラしたRPG砲を詰めこんでいた。靴もツナギも識が買ってやったものだ。でないとスカートとサンダルのまま戦うからだ。
「それから服! ヒカリモノは目立つから外しとけって言っただろう」
「でもこれダサいんだもん」
「ダサくても!」
 そう……そして彼女は目の前で、次々と蟲たちを撃退して言ったのだ。『アタシを連れてきなさい!』、と。
 素性は一切分からない。
 儀礼銃をどこで手に入れたか訊いたことがある。
『前に組んでた人のだけどさー、もう死んじゃってさー』
 ……。
「もー、しーちゃんは口うるさいなあ」
 一度だけ、その名の意味を尋ねたことがある。
『何の略称か知りたいって?』
 夕食時だった。シチューを飲んでいた。
 虫に殺された人間の不幸を語るときのように、両目を火にしてR.R.E.は言った。
『分かったら誉めたげる。でも当てっこなんてしないほうがいいよ。三回以上間違えた奴は全員死んだから』
「ねーオッサン! しーちゃんうるさいよねぇ」
「神経逆撫ですること言うからだろが! 大体なんで識がしーちゃんなのにオレはオッサンなんだ?」
「じゃあなに? 『ぱーくん』がいいの? バカそう」
「このヤロウ」
 仕方ないな、と困った顔で、識が肩でため息をついた。いつもR.R.E.を諫めるのは識の役目だ。R.R.E.が、何かにつけてパジェットの素性を聞きだそうとするのをどうにか止めさせたのも識だ。
 ……乙葉のことを訊いてきた時も。

 臣津に侵入する蟲を滅ぼすのが、パジェットたちの任務だ。
 戦いがあったある夜、識と広間で話しこんでいる内に、ソファで寝転がって寝てしまった。識は火車をていねいに拭いていた。
 R.R.E.が入ってきたらしく、二人の話し声で目を覚ました。
「ねぇ、しーちゃん。しーちゃんはお洒落さんだねぇ」
「そうか?」
「うん。髪も長くてきれい」
「切りに行き損ねたんだ、何度も」
「ピアスもつけてる。いいなぁ。R.R.E.も穴開けにいこうかなぁ」
 識はまだ火車を拭いているらしく、覚めてくる意識にオイルの臭いが侵蝕してくる。
「このピアスは俺の母親のものだったんだ」
 パジェットは目を開けたいのを堪えた。
「そうなの?」
「遺体が見つかった時、このピアスをしてたんだ。お約束過ぎて笑えるだろ?」
 そう言って識は自ら笑った。R.R.E.は笑わなかった。
「色んな人がいるんだ、R.R.E.。自分や親しい人に降りかかったことを、みんなが受け容れられてるワケじゃない」
 だから他人のことを、パジェットのこともアレコレ詮索するなと。
 識はそういう奴だ。

 ―4―

 『市長』の現在の執務室は、地下三階、食料庫の更に下にある。控え室にR.R.E.を待たせ、識と共に向かう。二人は臣津の私兵だが、R.R.E.はそのように認証されていない。そもそもパジェットが認証させようとしない。いいじゃないかと識は言うが、こういう件に関しては一応、パジェットが識の上司となっている。それを楯に譲らなかった。
 ノリコに見送られ、階段を下る。
 地下三階は、外に負けず劣らずの冷気が張り詰めている。ぶら下がる白色灯が、その冷気を光らせている。コンクリートの壁に露が浮き、木の床を濡らしていた。
 突き当りが執務室だ。戸を叩くと、久しく聞くしゃがれ声が『入りなさい』と言った。市長だ。
 執務室は明るいが、倉庫特有のひそやかな気配が色濃く残っている。油じみた床の中央に、毛足の長い絨毯が敷かれ、その奥に樫材の机がある。
 その机に指を組み、老いた女が座っていた。
 銀髪をシニョンに詰め、金鎖のついた眼鏡越しに不機嫌な眼差しを向けてくる。その後ろに補佐が控えている。
「首都の輸送団護送の件、報告は受けています。ご苦労でした」
「……光栄です、多賀子様」
 隣で識は沈黙している。
 時量宮(ときはかのみや)多賀子。かつて鉄材市場をほしいままにした『時量製鉄』の、もと社長婦人。
 社長は、醜聞の絶えない男だった。
 そして認知されていないが、識の父親でもある。
「早速ですが本題に入ります」
 指を組み替えている。苛立っている。直立不動のまま、パジェットは素早く予想を立てた。要人の送迎? 物資の警護? 市外への派遣? どれでもなく、全く想定外の言葉が出てきた。
「『マンティス』が消失しました」

 いずこから訪れ、世界を蹂躙する『蟲』。それがどこから来るものか――目的も、巨大化の理由も、いまだ謎に包まれたままだ。人類には、それが目の前にあれば叩き潰し、極力繁殖を防止する、それしかやりようがなかった。科学力と霊力を結集させた人類の総力、その粋が『マンティス』と称される総合戦略戦術演算装置だ。
 確認された最初の巨大な蟲は、蝿だった。蝿の捕食者であるカマキリを意味する装置〈マンティス〉が実装され、巨大化したカマキリが姿を見せたのは、その翌年である。

「消失とは……」
「その通りの意味です。安置室からまるごと姿を消しました」
 はぁ、とパジェットは間抜けな声をだした。
 マンティスは巨大ディスプレイが壁に埋めこまれ、周囲を本体、外部記憶装置、配管で固められた状態で地下四階に安置されている。その二重扉は、ディスプレイや本体よりも小さい。更に霊符によって、一部の人間以外にはその扉が見えなくされている。
「お前たちに帰還令を出した朝のことです。マンティスが壁ごと無くなっているのをこの蘇比(そび)が発見しました」
 蘇比は、多賀子の後ろに控える補佐官の名だ。つるりとした顔に表情はなく、名を呼ばれても何の反応も示さない。パジェットはこの男が苦手だ。恐らく臣津に、多賀子以外に彼を好く者はおるまい。
「……壁ごとですか……」
 厳重に警備された部屋から、誰にも気付かれずに、扉よりも大きなものを持ち出すには? 安置室の入り口を知る人間は少ない。市長の補佐官、蘇比もその一人だ。
 この男が何者か、一切知らされていない。長身の偉丈夫で、その体格と目つきでただの役人でないことが分かる。R.R.E.と出会う少し前のこと、出張仕事を終えて戻ってきたら、ミヨミと共にいた。
「お前たちにマンティスの捜索を命じます。直ちに安置室の状態を確認してきなさい。今すぐです」
 多賀子の眼が底から光る。二人は同じ言葉で、しかしずれたタイミングで応えた。
「了解しました」
「お行きなさい」
 追い払うように言うと、二人からついと視線をそらし、おもむろに机上の机の整理をし始めた。出て行けの合図だ。パジェットは相棒と視線をかわし、先に多賀子に背を向けた。
「名倉識」
 唐突に多賀子に呼びかけられ、識の足が固まる。振り向くと、多賀子の視線が顔面に刺さった。
「先回の件、おまえの働きは格別だったと先方から聞きました。毒蛾の小隊をたった一人で殲滅したとか」
「はっ」
「優秀な部下を持てて嬉しいかぎりです」
「……光栄です」
「思えばあの日、北の頂を蹂躙したのも毒蛾の小隊でした。おまえの父を殺したのも」
 一瞬、識の頬の肉が引き攣る。どうするかと思ってみていると、識は、無言でぎこちなく一礼し、パジェットを追い抜いて執務室を出た。

「意地の悪いことを仰る」
 二人きりなると、蘇比が耳元で囁いた。多賀子は弄んでいた書類を机の上に伏せた。
 蘇比を見る目に、先ほどの冷厳はなかった。黄ばんだ眼球に血の筋が浮いている。目のふちには目やにが溜まり、皺だらけの顔は化粧で隠しても土気色にくすんでいる。
「おまえの気にすることではありません」
 その声にも覇気がない。多賀子は深々と息を吐き、背もたれに身をゆだねた。
「マンティスの件、どこにも漏らしてはいないでしょうね」
「もちろんです。ただ千歳市の技師から通信の不備を指摘されております。発覚は時間の問題でしょう」
 多賀子は頭を抱えた。
「なぜ、こんな……」
 自分が何に巻き込まれているのか理解できなかった。地下深くからマンティスを略取できるような荒業師がどこにいるというのか。術式を敷いた首都の施術師か、皇居防衛師団あたりしか思い当たる節はない。そのいずれかだとしたら、何故?
 多賀子の軽い、乾いた手が、蘇比の掌にすがった。
「おまえはもうこの件に関わってはいけません」
「なぜです?」
「わけの分からないことに体を張るのは、ああいう連中でいいのです。お前は私の傍を離れてはなりません」
 老女は娘のようにしゃくりあげた。泣き始めた。眼鏡を持ち上げて指で目をこすった。
「おお、蘇比、意地悪だなんて言わないで頂戴」
 蘇比は無言だった。
 多賀子は蘇比から手を離すと、ずれた肩掛けを直した。痩せた肩だった。
Comment

感想。

耳だけが赤いってのが、いい。細かいことを言えば、多分鼻も赤くないと
おかしいのだろうけど、識のキャラを鑑みれば鼻が赤いわけないもん><と思ったw

識の目の動きとリンクさせている風景描写が好み。入り込みやすい。

戦闘シーンは、ほんと巧いな。ちゃんと目に見える。こういう場面では一瞬でも、
読み手に「ん? どういうこと?」と躓かせるのは命取りだから、こんなふうに
流れるように描かれていると気持ちよく浸かれて嬉しい。

人物登場時の外見描写も、バランスがいいと思う。長すぎると鬱陶しいし、
短すぎてもイメージに困る。記憶に残りやすい配分だと思う。

「ぱーくん」wwww すみません、心でぱーくんと呼んでいますw

識の出自が、さらっと書かれているのが、却って響いた。

お姉さん!

なんと、一夜にしてこんなにたくさんの感想を! ありがとう! 素直にうれしいものです。
今スランプで落ちこんでるんですごい励みになります。

アクションシーンって、私実はもともとはすごい苦手なんですよ。
起きていることをそのまま書いてもなんか白々しいというか、登場人物に「イキモノ感」がないというか。
で、何年か前まではそれがコンプレックスだったんだけど、映画とかすごく見てがんばって……今もし上手いのならば、それは逆に、もともと下手だからこそ必然的に上手くなったというか^^;

とはいえ、あんまり派手すぎる人間離れしたアクションはさせたくないんですよね。
みんな殴られれば痛いし、高いところから落ちれば怪我する、刺されたり撃たれたりしたら、大抵それきり動けなくなってしまう。。
そういう基本が大事な一方で、テレビゲームのキャラの技みたいなありえん動きのアクションも書いてみたいとも思うんですよ。
機会がないけど、あれはあれで楽しそうだと思う。

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