お話の、あるところ。

スポンサー広告

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

竹の子書房用 とよね

竹の子書房用【絵が先 古城の怪異】参加作品 古城の怪異〈1〉 著者:とよね

古城の怪異〈1〉 一章 あの夏


 1. 置き去りの少女

 この石牢のような部屋で、オルゼイ女史はもう何日も深い苦悩の中にいた。
 彼女は保護士だった。その来歴は彼女のふくよかな体の隅々にまで染みわたっており、手入れする間もなかったが為に荒れた髪や肌、黒ずんだ手足の爪であってさえ、彼女の誇りだった。
 保護士として働き始めてから今日まで、我が子と孤児たちとを分け隔てて接したことは、誓って一度もない。
 オルゼイ女史はもう幾度目かも分からぬ問いを自らに問う。
 自分の子であったら、ここに捨てていくような真似が出来ようか。
 答えは同じだった。
 いいや。
 次に来る質問も同じだった。
 では、どうすればいい?
「ああ」
 思考する能力が格段に衰えている事実を、彼女は嘆いた。疲労と欠食は確実に彼女の心身を蝕んでいた。
 テーブルに肘をつき、手で顔を覆うと、不意に風がやんだ。
 窓越しの木漏れ日が凍る。
 怯えがおき、顔を上げたところで部屋のドアが軋んだ。女史の夫が入ってきた。肌がすっかり黄土色になり、痩せてやつれている。誰もがそうだった。夫は椅子を引き、女史の真向かいに座ると、一息に言い放った。
「ミルダ、明日の朝には出る。今、決めるんだ」
 女史は黙っていた。もういっそ、神でも夫でも誰でもよいから、答えを与えてくれる存在があればそれに従おう、結果が悪ければその存在を責めればよいという、狡い心持ちであった。夫は更に言った。
「噂じゃあ、連合軍の大隊が、もうそこまで来てるっていうじゃないか。置いていこう。大丈夫だ、何も永遠に見捨てていくわけじゃない。我々が早く、その大隊にたどり着いて、保護を求めればいいのだ。あの子はその後だ」
「嘘よ。そんな噂が信じられるなら、私達はそもそも逃げていないでしょう」
「ミルダ、もっとよく考えなさい。頭を使わなきゃ」
 それは夫の口癖で、長い間うまく夫婦を続けてきた中でも、女史にとって許せぬ悪癖のひとつだった。
 考えなさい。頭を使いなさい。頼むからそうしてくれ。
 お前はものを考えていないと言わんばかりではないか。でなければ、お前は頭が悪いので、お前の考えていることには価値もないし認めない、そう言っているのに違いない。
 まったく君は体を動かす前にどうして頭を動かさないんだ? いちいち言わなきゃ分からないのかい? 君は何度同じ間違いをする気だい? 君はどうして何をするにもそんなに時間がかかるんだい? 周りの人を見てごらん? それに較べて君ときたらまったく×××。
「なあミルダ、言わなくても分かるだろ? 君には、僕らにこれ以上子供をかばって歩く余力があるように見えるのかい? 食べ物は? 子供の体力に合わせていたら、国境線まであと何日かかる? えっ? それとも子供を担いで歩いていける者が何人いる?」
 女史は、夫を殺してやろうと考えた。いやいや、今じゃない。無事この国から逃げおおせて、平和に暮らせるようになったら。
「捕まったら、子供なんかどういう仕打ちを受けるのか、知らない君じゃないだろう。皆もうあの子を連れて行くことには反対だ。今この状況で連れて行こうと考えているのは君のエゴだ、わがままだ。置いていくと言ったって、一時的なものなんだ。どちらがあの子が生き延びられる可能性が高いか分かるだろ?」
 詭弁だった。言い訳だ。可能性。なんと残酷な言葉だろう。そんなものさえなければ最初からあの子を連れては来なかった。
 女史は泣いた。が、この結論に落ち着くことは、初めから分かっていたようなものなので、それほど涙は出なかった。答えが固まってしまえば、あとは淡白なものだった。オルゼイ女史は先刻まで深い苦悩の中にいた――何故?
 決断は、翌朝に実行された。手順はこうだ、夫が『あの子』を呼び出して堅いパンを見せる。なけなしの食料だ。
「パパたちと隠れんぼをしよう。上手く隠れられたらパンをあげる。長く隠れていられたら、バターをつけてあげよう」
 女史は、そんな役目を引き受けるのは御免だった。無気力を装って夫に嫌な仕事を託し、あの男はいずれ殺すのだから、その前にやりたくない事を全てやらせておこう、と考えていた。復讐だ。
『あの子』はエリシという名の六歳になる女児だった。その朝誰も、エリシのことを名で呼ぶ大人はいなかった。情が移ってはいけない。
 そんな思惑などつゆ知らず、エリシは喜んだ。
 大人たちが自分に構ってくれた。
 何より食べ物がもらえる。
 亡命者達はそそくさと、身を隠していた古城から、国境の方面へ逃げていった。こののち平和になった世の中で、オルゼイ女史は泣く子も黙る恐怖の連続殺人鬼マダム・オルゼイとなるのだが、それはまた別のお話だ。
 城は広大だった。この城がいつからあるのか、何のためにあるのか、エリシには想像するべくもなかった。子供が隠れて遊ぶには充分すぎるほど広い。大人にとっても広い。
 エリシは最上階の、初夏の陽射しがふり注ぐ石の廊下を走りぬけ、適当な一室を選んで入った。ちょうどそこには、身を隠すのに具合がいい、天蓋つきのベッドがあった。エリシはベッドの下に身を滑らせ、ついそのまま眠りこんでしまった。
 目覚めたとき、どれほど時間が経ったのか、エリシには分からなかった。確かなのはまだ誰にも見つけられていないことだった。
 そのまま暫く隠れたままでいたが、そのうち怖くなると、部屋を飛び出して、大人を探し始めた。
「ママ!」
 呼び声が、昼なお暗い石の廊下に吸いこまれていく。
「パパ!」
 城は、かつて少女が思っていたようなロマンチックなものでは全くなかった。昼は寒く、夜はもっと寒く、暗く、迷子になる。
「ママ! パパ!」
 エリシは泣いた。最も忌避すべき予感が、実は正解であることを――自分は置き去りにされた、そういうことを、大人たちの姿を探しながらも、本当は分かっていた。
 自分が足手まといであることを、よく理解していたからだ。

 2.住人たち

「パパー!」
 城は、下のほうに行くほど暗く、空気が冷たかった。
「ママー!」
 さまよい歩く内に、大きな広間にたどりついた。
 その広間は二階までの吹き抜けで、中央に大きな階段があった。
 随分と高いところに窓がある。
 天井近くに細長い窓が幾列も並び、斜めに射しこむ午後の光は凍りついたように動かない。明るいが、寒かった。身廊の突きあたりのドアから広間に出たエリシは、この広間に見覚えがあることに気付いた。
「パパ!」
 呼べど返事はなく、
「ママ!」
 探せど姿はない。
 この広間は、数日前に城に逃げこんだとき、最初に通った場所だった。この先は外だ。みんな外に出てしまったに違いない。
「ママ!」
 黒い、重そうな扉へと走り寄った時だった。
 足音が慎重に階段を下りてくるのを、背中で聞いた。
 何も考えずにふり向いた。
 白い階段の途中から、女がじっと、エリシの姿を見下ろしていた。
 見たことのない大人だった。街から一緒に逃げてきた人々の、誰にも似ていない。美しい女性だった。美しい、という言葉が率直に出てくるような人間は、自分自身も含め、エリシの周りにはいなかった。柔和な瞳。高い窓からの光をはね返す鳶色の波打つ髪。まっすぐな立ち姿を、深緑色の絹のドレスが包んでいる。
 どうしよう。
 知らない大人は自分達を「はくがい」する、とパパやママに言われていた。「はくがい」と言うのがどういうものかは知らないが、とにかく恐ろしいことらしい。
 その人が良い大人か悪い大人か、見ただけでは分からない。
 優しそうな人だ。
 必死になって探し回った、自分以外の、人間だ。
 耐えられなくなり、エリシは跳ぶように階段を駆け上り、その人の細い腰に抱きついた。絹が顔を包みこんだ。
「パパとママがいなくなった!」
 振りほどかれたり、邪険にされることを内心では覚悟していたが、そうはされなかった。頭の上に、そっと手が置かれた。とりあえず、拒絶はされなかった。それだけでも救いだった。その手の重みが安堵をもたらした。女性は髪をなでてくれた。
「お子様がおいでになるなんて、珍しいこと」
 ドレスから顔を離した。髪と同じ、光沢のある鳶色の瞳が見下ろしていた。
「どちらから、いらしたの?」
 エリシは孤児院があった町の名を答えたが、女性は首を傾げただけだった。が、それでエリシが不安げな顔になると、また微笑を見せた。
「お一人でいらしたの?」
「うぅん、パパとねえ、ママとねえ、あと街の人たち……いっぱい」
「その方たちと、はぐれてしまわれたの?」
「うん」
「困りましたわね。どうしましょうね」
 その静かな語り口に、エリシも次第に心が落ち着いてくるのを感じた。この女性が何者なのかと、今更気になった。
 エリシは尋ねた。
「あなたは誰?」
「エリダヌス」
 と、女性は名乗った。
「どこから来たの? このお城に、一人で住んでるの?」
「そうですよ。ですが、一人ではありませんよ」
「他にも、たくさん人がいるの?」
「ええ。もちろんです」
 この城に逃れついて以来、そんな人たちは見なかった。エリシは不思議な気持ちで、エリダヌスと名乗る若い婦人の顔を見つめていた。隠れていたのだろうか。みんなが居なくなったから、出てきたのだろうか。
 とにかくも、他に人がたくさんいる。
 その言葉に深く安堵したエリシは、しかしすぐに、恐ろしい可能性に気がついた。
 私のパンがとられてしまう!
 エリダヌスから飛びのくと、階段を駆け上がり、最後にパパと会った広い部屋へ走った。暖炉がある部屋だ。大きな窓が並び、窓と窓の間の壁にはタペストリーが掛かっている。
 見覚えのあるその部屋に、パンはちゃんとあった。
 貴重なパン! 私のパン!
 テーブルの上のパンを鷲掴みにした。バターはなかった。くれると言ったのに! だが憤慨する余裕もなく、他の誰かに取られる前にと、パンにかじりついた。
 固いパンを無我夢中で噛み続けた。胃がきゅうきゅうと鳴り、乾いていた口の中に、唾液が満ちてくる。
 部屋のドアが開いても、エリシは気付かなかった。ドアからの視線に気がついた時には、もう半分以上もパンを食べ終えていた。
 何気なく目を動かした先で、いきなり人と目があったから、エリシは硬直する。
 女の子が立っていた。同い年くらいだ。
 フリルのついた高級そうな服だが、黒ずみ、汚れている。金色の長い髪は荒れ、顔色が悪い。階段で会ったエリダヌスとは、様相がずいぶん違う――エリシの方こそみすぼらしく、貧しい身なりではあるが。
「これは私のだよ!」
 少女の視線がパンに落ちるのを見て、エリシは叫んだ。
「あげないよ! 私のパンだからね!」
 少女は無言でパンを見つめていた。が、顔を上げて再びエリシを見ると、小さな声で尋ねた。
「お腹がすいているの?」
 頷くと、寂しそうな光を目に湛えながら、少女は微笑んだ。
「じゃあ、いいよ。欲しくないよ」
 少女の存在を感じながら、居心地悪い思いで、エリシは体で隠すようにしながらパンを食べてしまった。
「あなたは誰?」
 パンがすっかりなくなっても、少女は部屋の入り口に立っていた。そして答えた。
「キャリー」

 3.パパもママもいなくなったの。

 子供達の笑い声が、中庭に弾けた。回廊をエリシとキャリーが走り回っている。二人の姿は城に消え、しばらく後、城を囲む城壁の上に出てきた。
「サーカスが来るんだよ!」
 空は青く晴れ渡り、爽やかな風がキャリーの声を城壁の外へ運んでいった。城壁の向こうは一面、濃い緑の森だった。
「この森の向こうにね、海があるんだよ。それでね、海のある街にね、サーカスが来るんだって」
「サーカス?」
「そうだよ。エリシはサーカスを見たことある?」
 エリシは困惑して、首を横にふった。
「そうなんだ。私もね、ないんだよ。でもママが話してくれたんだ。お絵かきもしてくれたんだよ。あのね、大きい動物とか、大きい人たちがいて、キラキラした服を着て、ラッパを吹いたりするんだって」
「サーカスって、ラッパを吹くものなの?」
「うん。あのね、サーカスが来ると、お祭りみたいに賑やかになるんだって。だから街の人たちはみんなサーカスが大好きなんだって。ママがね、連れてってくれるって言ったの」
「キャリーのママも、このお城に住んでるの?」
「ううん。私のおうちは、あの辺」
 と、キャリーは眼下の森を指差したが、屋根らしきものは見当たらなかった。とにかくキャリーは、この城の子ではないようだった。
「パパやママは、このお城で働いてるの?」
「ううん、分からない」
 森を見つめたままの、キャリーの顔が曇る。
「ママがいたけど、帰ってこなくなったの。だからお家、怖い」
「私も」
 と、エリシ。
「パパもママもいなくなったの。だけど、帰ってくるかもしれないもん。キャリーは? お家にいなきゃ、心配するよ」
「お家は怖いの」
 キャリーは城壁の手すりから離れて、森に背を向けた。
「青い人が出るの。森にはね、青い人たちが住んでてね、夜になるとお家の中をじっと見るの。……だからお家は嫌」
 黙って横顔を見つめながら、エリシはキャリーが言うとおりのことを想像してみた。森の中の家、夜、眠ろうとしたら、窓の外に真っ青な肌の人間が立ってこちらを見つめている。
 ぞっとした。そんなのは嫌だなあ。
 思わず空を見た。日はまだ高いが、昼を過ぎている。夜が、その内くる。すると別の不安がわき上がってきた。
「大人の人たちは?」
「たまに来るよ、でもすぐに出ていく」
「夜、食べるものはあるの?」
「ないよ」
 まさか。食べるものなしにキャリーやエリダヌスが生きていられるはずがない。どこかにあるのだ。
「探そうよ。ないはずがないよ」
 うん、と、キャリーは不安げに頷いた。

 4.ねじ

 キャリーはもう長くこの城にいるようだが、何も食べずに生きてはいられまい。だがキャリーは食べ物のありかを知らない。
 食料は大人が管理しているんだ。
 その大人たちは、このお城の、私やママたちが踏み入っていない場所にいるんだ。今まで姿を見せなかったのは、私達に食べ物をとられると思ったからに違いない。エリシはそう考えた。
「奥のほうに行こう!」
 大人たちから『行くな』と言われていた、城の奥のほうへ、キャリーを連れて急ぐ。石の廊下に差す金色の光は次第にその色合いを増し、夜近きことを教えていた。暗くなると、怖い。
「どうするの、エリシ。何をするの?」
「だから、食べるものを探すんだよ! 早くしないと、夜になるよ。夜になったら探せないよ!」
「駄目だよ、ここには食べ物なんてないよ」
「嘘!」
 エリシは立ち止まり、ふり向いて、キャリーの両肩を掴んだ。
「だったら今まで何を食べてたの?」
「何も食べてないよ。だって、ないんだもん」
「そんなはずないじゃない!」
 パンをあげなかったからだ、と、エリシは思った。だから意地悪されているんだ。
「だったらどうやって、キャリーも、あの人も暮らしてるっていうの!」
「痛いよ、放して! やだ!」
「キャリーの嘘つき!」
 突き飛ばすように、キャリーの痩せた両肩から手を放した。
「あの人はどこ?」
 威嚇の意図をこめて、歩を詰めると、キャリーは上目遣いにエリシを見ながら後ずさった。
「あの人?」
「大人たちはどこ!」
 キャリーは口を歪め、泣き出しそうな顔になった。充血した両眼に涙の幕がおりる。と、エリシに背を向けて、今来た廊下を駆け戻っていった。
「待ってよ!」
 エリシも後を追った。
「食べるものはどこ? 大人が持ってるんでしょ? 大人の人はどこ!」
 キャリーの後ろ姿が、壁に隠れた階段へと消えた。足音は上に向かった、ような気がしたが、よく分からなかった。
 とにかく階段を駆け上がると、いきなり誰かにぶつかった。
 睨まれた。
 その正体を確認するより早く、睨まれていることが分かった。攻撃的な気配が全身を貫く。
 怒りに顔を歪めた、大人だった。女だ。しかし階段のエリダヌスのような優し気はない。
「何者だ!」
 女が怒鳴る。次の瞬間にはエリシはもう逃げだしていたので、女の顔や姿をよく見てはいられなかった。
 階段を一階まで駆け下りて、走り回るうちに、先ほどまでキャリーと遊んでいた回廊まで戻ってきた。中庭にキャリーが立っていた。エリシは何も言わず、キャリーの手首を掴むと、回廊に連れ戻した。
「キャリー、怖い人がいるの!」
 キャリーは何も言わず、ぼんやりと口を開けてエリシの顔を見ていたが、そのうち不思議そうに首をかしげた。
「人がいたの?」
 風が吹いた。
 キャリーの髪が横になびく。黄金色の光が、浅い灰色の瞳に、睫毛の影を落とす。その瞳を、キャリーは、空に向けた。
「ねじが切れるよ」
「……ねじ? 何の?」
 風に吹かれるまま、キャリーは空を見ていた。風が、空に切れぎれの雲を運んできた。空の光は次第に色合いを増し、夕刻が来る。
「夕陽のねじが切れる……誰かが巻かなきゃいけないの」
 キャリーはそう言った。

 5.夜から夜明けまで

「ねじが巻かれなかったらどうなるの?」
 エリシが問うと、同じ毛布の中で、キャリーが少し考えてから答えた。月光が、窓からまっすぐベッドの上に注いでいた。
「朝が来ないんじゃないかなあ」
「じゃあ、ねじを巻くお仕事の人が毎日巻いてるんだね」
「そうだね」
「どんな人たちかな」
「サーカスの人たちかも」
 と、キャリーが言う。
「サーカスの人たちは凄い人たちなんだって。わるい人食い熊を飼いならしたり、口から火を噴いたりするんだって」
「口から火を噴くの? どうやって?」
「分からない」
「熱くないのかな」
「……熱くないのかなぁ」
 そういえば、孤児院の絵本でそんな絵を見たことがある。口から火を噴く魔法使いの絵だった。どんなお話だっただろう。もう思い出せない。
「きっと、サーカスの人は魔法使いなんだよ。だから、魔法で太陽の近くに行けるんだよ」
「魔法使いなの? そうかあ」
「魔法使い、見たいね」
「うん」
 キャリーの声に、強い歓喜の色がついた。エリシも嬉しくなって笑った。
「私ね、ママが帰ってきたらサーカスに連れてってもらうの」
「キャリーのママはどれくらいお出かけしてるの?」
「よく分からない。思い出せないんだ」
「早く帰ってくるといいねぇ」
「ママきっと、たくさん遠い国のおいしいお菓子を持って帰ってくるよ。だっていつもそうだもん」
「楽しみだねぇ」
 お菓子? お菓子を持ってくるんだ。いいなあ。私には? 私にはだれが食べるものをくれるんだろう。
「お腹すいたねぇ」
「……お腹すいたねぇ」
 妬ましい、憎らしい気持ちが胸の奥底で蠢いた。が、少なくとも今は同じだ。キャリーも一人ぼっちだ。そしてお腹が空いている。
「お菓子、分けてあげるね」
「えっ?」
「だから、一緒に行こうね。サーカスに行こうね」
 何故そんなことを言うのだろうと、エリシは戸惑った。憎らしさを読まれたのだろうか。恥ずかしくなり、それを隠そうと、毛布の中でキャリーの手を握った。冷たい手で、キャリーも握り返してきた。
「うん」
 エリシは眠る。

 目覚めたとき、夜はまだ続き、キャリーはいなかった。寝返りを打ちたくなり、あまり動いてはキャリーを起こしてしまう、と思った時、キャリーの不在に気がついた。
 眠気がとんだ。
 毛布の中に、エリシは一人だった。
 キャリーが寝ていたところに手を伸ばす。冷たい。シーツの皺だけ残っている。どこに行ったのだろう?
 食べものだ!
 大人から食べものをもらっているに違いない。何も知らないふりをして、本当は、分け前が減るからわざと私を大人たちから遠ざけていたんだ。
 許せない!
 毛布をはねのけ、靴を履く。靴底は薄く、床の冷たさが足の裏まで染みてきた。廊下は闇が濃い。だが怖くなかった。
「キャリー!」
 廊下に踏み出した。
「キャリー!」
 階段があるほうへ歩いて行く。闇に目が慣れてきた。階段にたどり着く。踊り場の大きな窓が淡く光っている。
 と、恐ろしい物音が上階から聞こえた。食器がたくさん乗ったテーブルが倒されるような、そんな音だった。実際に、皿が何枚も割れる音が混じっていた。思わず体を縮めた。が、どれだけ待っても、続く物音がない。
「キャリー?」
 返事はない。
「キャリー!」
 自分の声が響くのみ。
 闇を睨み駆け上がる。そこが最上階だ。
 そこには下の廊下よりなお濃い闇が詰まっていた。
 本当に何も見えない。どんな光も存在しない。
 この廊下には窓がないのだろうか。さすがにキャリーへの怒りが薄れ、戻ろうかと思ったとき、甲高い女の悲鳴が耳を衝いた。
 ドアが開き、乱暴に閉められる音。
 廊下にとびでた足音が、闇の中、エリシとは反対方向に走っていく。
 遠くに光がさした。
 風もないのに、廊下の奥で、窓を覆うカーテンの一枚が持ち上がっり、そこから射す僅かな光を、つきあたりに置かれた大きな鏡が増幅する。
 鏡の光を浴びて、逃げていた女の人影が黒く浮かび上がった。
 すると、鏡の中から二本の腕が伸びて、その女の頭を掴んだ。
 立ち竦むエリシに気付きもせず、人影は喚きながら、腕をふり払おうともがいた。その声が途切れたのは、顔が鏡に押し付けられたからだ、と、エリシにも分かった。
 女の全身が、鏡に引きこまれて消えた。
 それからどうしたか、エリシにはよくわからない。誰かが騒いでいると思ったら自分の声だった。気がついたときには、泣きながら外を目指していた。
 もうこんな所には居たくない。居られない。耐えられない。
 広間への扉を開け放つ。ここを出れば外だ。すると、強烈な白い光が目を灼いた。
 大人の、男たちの声。何を言っているか分からない。眼球の痛みに涙を流し、目を閉じたまま逃げ出そうとすると、追いかけてきた大人の腕がエリシを捕まえた。
 暴力の予感に体を竦めたが、その腕はエリシを優しく抱き上げた。
「×××××!」
 知らない言葉で、腕の主が仲間を呼んでいる。硬い軍靴の音を響かせて、もう二、三人ほどが走ってくる。
 ゆっくり目を開けた。
 軍人によって抱かれていた。銃と兵装で軍人だと分かるが、この国の――パパやママが言う、自分達を『はくがい』する軍人達とは違う。
 彼らはエリシを見つめ、心底安堵した笑顔を見せている。優しい口調で何かを言われるが、言葉が分からない。
 軍人のうちの一人が、腕時計を見、手帳に何かを書きつける。その様子を見ながら、エリシは抱かれたまま城の外へ連れ出されていった。
「キャリー」
 気が落ち着いて、ようやく、キャリーのことに思い至った。
「キャリー!」
 腕の中でもがくが、その太い腕は力強く、エリシの抵抗を許さない。なだめる意図を持つ大きな手に、頭をなでられた。
「キャリーが中にいるの! 中にまだ一人いるの!」
 城の外は森で、その黒い森の上に一筋、黎明の鮮やかな線が引かれた。
 城門から出ていくとき、城壁からこちらを見下ろすキャリーがいるのをエリシは見た。
 たしかに見た。
Comment

No title

早速読みに来ました!
すらすら読めて心地良かったです。
品のある文章だなあと思います。
エリシのこの後がどうなるか楽しみのような不安の
ような…。続き、待ってます。

No title

こんにちは! 感想を下さってありがとうございます。
すらすら読める、というのは特に意識して書いたところなので、そのように仰っていただけると嬉しいです。

こちらのクロミミさんのブログで二年ほど連載させていただいている『夢見る病気』という小説があるのですが、それと前作『百合の雪』とは違う手触りの書き方を目指しています。

エリシの次の登場は第三章になります。どうぞお待ちください(´∀`*)
Trackback
Trackback URL
Comment form













管理者にだけ表示を許可する

プロフィール

黒実 操

Author:黒実 操
「竹の子書房」に参加中。
www.takenokoshobo.com/index.php
無償版電子書籍がたくさん!

管理人ツイッター
http://twitter.com/kuromimigen

最新トラックバック
検索フォーム
ブロとも申請フォーム
QRコード
QRコード

Page Top
Powered by FC2 Blog | | Template Design by スタンダード・デザインラボ
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。