お話の、あるところ。

スポンサー広告

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

『夢見る病気』豊原ね子

竹の子書房用【絵が先 古城の怪異】参加作品 古城の怪異〈3〉 著者:とよね

古城の怪異〈3〉 二章 その夏(――2/3)


 二章 その夏(――2/3)



 4.四人

 雲に朝が滲み、闇を灰色に変えた。
 雨は続いていた。一階の一室に、バドムの遺体は運びこまれていた。壁のタペストリーを下ろし、その上に横たえられている。ジュレーンがそばにぴたりと寄り添い、まだ泣いている。
 エルナートはいらいらしながら部屋を見まわした。ディルケは壁に凭れ、立ったまままどろんでいる。リジルも、バドムの遺体を整えてやってからジュレーンを気遣わしげに見守っていたが、今は椅子に座りこみ、小さな卓に伏して寝ている。片手を手帳にのせたままだ。
 その手帳を読めるかと、エルナートは尋ねた。答えは否だった。
「単語や短文を拾うことは出来るわ。でも古語は苦手だし……それにこの人、すごく癖のある文字なの」
 そのリジルが、息を吸いこむ音を立て、目覚めて顔を上げた。夢を振り切るような、嫌な起き方だった。そして誰に問われるでもなく、「悪夢だわ」と囁いた。
 ジュレーンの泣き声だけが変わらず響いていた。夜はもう明けきっている。すると夜通しこいつの泣き声に俺は付き合ったのだ、そう思うと腹が立ち、エルナートは立ち上がってジュレーンに歩み寄り、蹴って転がした。
「やめて」
 リジルが立ち上がる。すると当て付けるように、ジュレーンは腫れた喉で泣き声を大きくした。その泣き方もわざとらしいばかりで、エルナートは余計に腹が立った。
 肩を竦めた。
「世間知らず。こいつらの所業を知ったら止める気もなくなるぜ」
「その人が――」
 リジルは言いかけるが、問うことが恐くなったらしく、口ごもった。聞けば、自分の正義感が無価値なものだったと思い知らされる、そう予感したのだろう。が、結局言い切った。
「――何をしたと言うの?」
「あたしらは――」
 嗚咽しながら、ジュレーンが自ら答えた。
「夫婦で義賊をしていたわ。貧しい人たちを救って――たくさん感謝されて――」
「勝手なこと言うんじゃねえ。どこの世界に、身代金欲しさに地主の娘の目玉をほじくり出す義賊がいるんだよ」
 リジルが息をのんだ。
「いや、あれは絹糸工場の娘だったか? そうだったな。地主の娘は指を一本一本焼き潰していったんだ。そうだろう、義賊」
 ジュレーンは黙っている。鼻をすする音、そして先ほどより幾分大人しい嗚咽が後に残った。
「……それは、本当なの、ジュレーンさん」
「何が悪いって言うんだい」
 今までとは打って変わった、底意地の悪い声でジュレーンは言った。
「だって、腹が立つじゃないか! たかだかトラムタ人めが、卑しい、死に損ないの金貸し民族が、金持ってるからってあたしらの国でデカい顔しやがって!」
「信じられないわ。この、差別主義者!」
 リジルが負けじと声をあげる。エルナートが二人の間に入った。
「そんなことより、だ」
 ジュレーンの正面に立ち、歩を詰めた。ジュレーンは後ずさり小さくなる。
「何故、バドムは死んだ? 何故、命じられた見張りを放棄して城の内部にいた? 言え。まだ答えを聞いてないぞ」
 目を泳がせた後、エルナートの気迫に耐えかねて、ジュレーンは仕方無さそうに答えた。
「あんたらに……教えてやりに行ったのさ」
「何を」
「あんたらの後ろに――」鼻をすする。「子供がいた」
「子供だと」
「雨の中、あんたら三人が城に走って行った……その後ろを子供がついて走ってたんだ。あたしは見た。バドムもだ。だから――」
「ふざけるんじゃねえ」
「嘘じゃないよ! あんたに嘘をつくもんか」
「どんな子供だ? 何をしていた? 言ってみろ」
「髪の長い女の子さ。まだ小さい。あんたらの後を追いかけて、あんたらが城に入ったら、玄関の扉をずっと撫でていた」
「それから?」
「あたしらは城に走ったんだ。子供のことを知らせたかったからね。城について、歩き回っている内に、あの裏庭に出た。あんたらとその子供を捜してたんだ。本当だよ。そしたら」
 ジュレーンは自分の唾で喉を潤した。
「……そしたら女が燃えながら走ってきて、階段を落ちたんだ」
「嘘をつけ! そんな奴がいて俺が気付かないはずねぇだろうが」
「嘘じゃない! あの燃えていた女のせいで、うちの人は死んだ! あの女がぶつかったから!」
「ぶつかった? そうか。一緒に階段から落ちたんだな」
 エルナートは爪先でバドムの遺体を蹴った。
「どこにそんな形跡がある? 火のついた女にぶつかられたんだろう?」
 ジュレーンは黙っている。
 空気が硬直するより早く、リジルが声を発した。
「この手帳はどこで手に入れたのかしら」
 質問ではなく、独り言を言う口調だった。リジルは暗に、もうジュレーンと口を利くつもりがないと言っているのだ。
 とうに目覚めていたディルケが、改めて問い直した。
「ジュレーン、バドムはあの手帳をどこで見つけたんだ?」
「あの小屋だよ」
 逃げるようにエルナートから顔を背け、ジュレーンは答えた。
「――だがそれも役に立たなさそうだな。もういい。探索を続けるぞ」
 と、エルナートはリジルを見る。
「夜も明けたことだ。脱出経路を見つける。急がないと――」
 ドアが軋んだ。
 部屋の外から視線感じ、エルナートはドアを見た。
 子供が、半開きのドアの陰から中を覗きこんでいた。
 女の子だ。
 汚れ、色あせたような金色の髪。青白く痩せた顔。フリルのついた衣服は、ひどく汚れている。
 ジュレーンが子供を指差して、金切り声をあげた。
 子供の目に怯えがよぎる。身を竦ませ、長い髪と服をひらりと翻すと、子供は逃げていった。足音が廊下を遠ざかる。
 エルナートが誰よりも早く動き、子供を追いかけて行った。

 5.四人?

 裏階段に出た。
 湖から霧がのぼり、崖下を白く覆っている。その霧からぽつぽつと樹々が頭を出している。崖と湖の間もまた、森が埋めているのだ。
 子供の足音は廊下を抜けて、この裏庭に出た。
 だがもう姿が見えない。
 別の、リジルたちの足音が自分を追いかけてきた。
「ここらに人が住める場所はあるか?」
 エルナートは振り返らず、尋ねた。
「いいえ。この湖の向こうは国境だし、反対側の街ももう寂れて老人しか住んでいない。ここは滅多に来れる場所じゃない――だから打ち捨てられているのよ、こんな立派な城が」
 石の階段の下に広がる霧に目を凝らすが、動くものは見えない。鳥が、その白さの中で鳴き交わしているだけだ。雨も霧雨に変わっている。肌寒く、それでいて、蒸すような不快な熱を孕んでいる。
 しかし、さっきの子供もとても遠くから歩いてきたようには見えなかった。
 城からジュレーンが飛び出てきて、リジルにしがみついた。
「置いていかないでよ! 酷いじゃない!」
「放して」
 かと言って、こんな所に子供が住んでいるとも思えない。
「放して! 触らないでよ!」
 リジルがジュレーンを突き飛ばすのを、振り返ってエルナートは見た。
「……街や村から来たのではない、ここに住んでいるのでもない。じゃあさっきのガキは何だ?」
 ジュレーンがすかさず口を歪めて「幽霊よ」、と言った。
「馬鹿かてめぇ! そんなものがいるなら、俺やてめぇが今日まで見ずにすんできた筈がねぇだろうが」
「あたしは見たことあるわ! 地主の娘をバラした後――」
「子供を見つけたらどうするの?」
 首を横に振り、リジルが歩み出た。
「正直、口封じが有効だとは思えないの。というより……さっきの子を探し回るより、その時間を惜しんでここから遠ざかるほうがいいんじゃないかしら」
「知っている場所ならな。この霧と森だ、ただ逃げても遭難するしかねぇ」
 あまりにも当たり前のことを言うのが馬鹿らしく、エルナートは鼻でため息をついた。リジルは、ここから逃げたいというより、子供を見逃したいから言っているに違いなかった。
「捕まえりゃ道案内くらいはさせられるはずだ。それならむしろ、知恵が回んねぇ分大人より都合がいい。お前ら」
 と、三人の顔を順に見た。
「見たんだな、子供を」
「ああ――」
「じゃあ、いるんだ。捜せ」

 6.呼ぶと来る

「ここがアストリア城なのは間違いない」
 リジルはそう話しながら、城の中に戻った。霧で、乾きかけていた服と髪がまたしっとりと湿っていた。
「古い地図やなんかがどこかに残っていると思う。すぐに見つかればいいけど、ひっくり返して探さなきゃいけないようなら――」
 後ろをディルケがついてくるのを確かめ、言葉を切った。ジュレーンがついてこない。しかしリジルはもう彼女に構いたくなかったし、エルナートも気にしていない。
「――ええ、見つかればいいけど、この城自体がとても学術的な価値の高いものよ。できれば荒らすような真似はしたくないの」
 回廊に出た。
 真夜中に見た絵と鋏の前で、三人は立ち止まる。リジルが鋏に顔を近づけ、しげしげと観察する。
「……見て、ここ、名前が彫られている。手帳の名前と同じだわ」
 言われてエルナートも近づけば、柄の付け根に彫り物がされていた。それが名前らしい。
「ここにキャリーという子がいたのは間違いない。この庭師と同じ時代にいて、それは、市民革命で城が凋落した後よ。つまりこの絵が描かれた時代」
「この絵が描かれたらしい展望台は、いつ頃なくなった?」
「ほんの二十年ほどよ。私の両親が若いとき、二人で旅行に行ったと聞いたから。それ以上は分からない。でもそれよりずっと前から存在はしていたはず」
「じゃあ、今の時代でも通用しそうな地図があるなら庭師の小屋じゃないか?」
 リジルが目を見開いて、エルナートをふり向いた。
「お前が言う通り、その庭師が後の時代の人間ならな。どうだ」
「その通りだわ! 城を荒らさなくたって、小屋を探せばいい」
「リジル、お前が探して来い。俺とディルケは逃げ口の確認と確保をしておく」
「ええ――」
 不意に、足音だけが中庭の草を踏み、駆けていった。
 三人の目が中庭に集まった。
 誰もいない。
 リジルが柔らかそうな丈低い草に、エルナートが霧の向こうの回廊に目を凝らす中、ディルケが遠慮がちにエルナートを呼んだ。
「なあ、これ」
 足もとに目を落とす。
 つられて視線を下に向ければ、回廊は三人の靴の裏の土で汚れている。
 ディルケが何について言っているのか、すぐに分かった。
 点々と、水滴が廊下の奥からやって来て、中庭の草の中へと続いている。水浸しの小さな足が、歩くか走るかした後のような、有り様だった。
 それは、バドムの遺体が安置されている部屋に続いていた。
 ドアを開ける。脱力して座りこんでいたジュレーンが、顔を上げた。

 7.モノかコト

「誰か来たか」
 エルナートの手短な問いに、ジュレーンは紙が張り付いたような無表情な顔のまま、首を横に振る。
「そうか。じゃあいい」
 椅子から立つジュレーンを両手で制し、「ここに居ろ」、と言い足すと、後ろの二人を押し出す形でエルナートは部屋から出た。
 そのまま回廊をわたると、広い部屋に入り、戸を閉めた。赤を基調とした木材が複雑なモザイクのように床を彩り、天井からが小さなシャンデリアが下がる。壁には大小の絵画が並び、金のフレームで飾られた大きな鏡もあった。かつて鏡は高価な贅沢品であったから、いかに――かつては――城の改築に対し意欲的であったかが分かる。リジルは注意深く部屋の様子を観察した。
 壁に掲げられた絵は全て、肖像画だった。
「今から俺たち三人は、ジュレーンと別行動を取る」
 唐突にエルナートが言うので、我に返った。
「異存は?」
「待って、念のため訊くけれど、別行動ってつまり――あの人をここに置いていくというかしら?」
「そういうことになるな。あの女にはもう行動する気力がない。足手まといだ。その代わり、追っ手に対する時間稼ぎにはなる」
 リジルは目を泳がせ、俯いた。反対すれば、お前が残るか、と言われるのを分かっているのだ。追っ手が、囚人達を見つけ次第射殺しろと命じられているとしても、不思議はない。
「怖い人ね」
 リジルは顔を上げた。
「三人で逃げたとしても、あなたが私を、同じように利用しないとは思えないわ」
「国境を越えさえすればもう、俺にはお前を利用したり口封じで殺したりする理由はねえ。穏便におさらばだ。お前は死刑囚か」
「いいえ」
「だったら、逃げ切ったところで向こうの警察に出頭すればいいんだ。俺に脅されて連れまわされてたとでも言えばな。国境を越えた後のことには一切干渉しねぇ、だがそれまでは俺に知識を貸せ。俺はお前が追っ手に撃たれることが無いようにしてやる。悪い取引じゃないはずだ」
「……そうね」
 リジルには、頷くしかなかった。エルナートも満足したように、大きく頷きを返した。
「俺たちには時間がない。問題は追っ手がどれくらいで来るかだ」
「僕たちはどこに連れて行かれるはずだったんだろう……リジル、君は何か分かるかい」
 ディルケが静かに訊いた。
「馬鹿、全員に伏せられてるに決まってるだろ。だが待てよ。ここが国境付近、死刑執行の設備があり、女子監房の空きがある、となると限られてくるだろう」
「ベクルス市辺りかな」
「俺も、そこだと思う。この森に入る前、運転手の交代があっただろう。事故を起こす一時間ほど前か。もし森を出たところでまた運転手交代の予定があったなら、それだけ事故の発覚が早まるだろう。だがベクルス市ならそれもなさそうだな……この朝には着く予定だっただろう。そろそろ輸送先の刑務所の連中が怪しみ始める頃だ」
 道は土砂崩れで埋もれているから、様子を見に行くのも容易ではないはずだ。森の反対側の仲間に応援を要請するしかない。
 ことが発覚すれば、警官どももこの城に逃げこんだと考えるだろう。しかし事故現場からこの城へは、とても車では来られない。
「警察への連絡や捜索が迅速に行われた場合、遅くとも夕刻にはここに追っ手が来るはずだ。早く湖の向こうの国境につくルートを探さなきゃならん」
「湖に沿って歩くのでは駄目なの?」
「うまく湖沿いに出られたとしても、途中に崖などがあったら難儀だ。あの森だ、目印を見失えば遭難する可能性が高い。時間が許す限りは最善の道を探す」
「慎重なのね」
「庭師の小屋に行け。何か手がかりになりそうなものを探して来い」
「一人じゃいやよ!」
 リジルは顔色を変え、声を荒らげた。
「こんなわけの分からないところで――一人になれるわけないじゃない! さっきみたいな、あんな、あんな――」
 と、ディルケを振り向いた。
「あなたでもいいわ、一緒に来て!」
「あなた『でもいい』!?」
 クッ、とエルナートが笑い、あらぬ方を見た。
「ごめんなさい、失礼だったわ。でも一人はいやなの。分かるでしょ? お願い」
「何を、何故そんなに怖がっている?」
「わけが分からないからよ。だってその、もし……笑わないでね。ジュレーンじゃないけど――幽霊がいたら怖いじゃない!」
「ハッ!」
 残酷にもエルナートは笑った。
「大学では結構なことを学んでいたようだな」
「違うわ! 霊って言ったのはその――あれよ。霊がいるって言っているわけじゃなくて、ここで起きている出来事に、『霊』でも何でもいいから名前をつけたいの。でないと私、気が狂いそうよ。居るはずのない子供が居て、するはずのない足音がして。見たでしょう? 見たか、と訊いたのはあなたよ。知らないなんて言わないでしょう?」
 するとリジルは、ずっと握り締めていた古い手帳を、叩きつけるようにテーブルに置き、
「キャリー!」
 ドアに向けて叫んだ。
 静寂が尖る。
 霧雨は、いつの間にか雨粒の形を取り戻し、窓を洗っている。
 灰色の暗がりの中で、雨粒に混じって駆けてくる足音が、三人の耳に届いた。
 足音はドアの反対側で止まった。
「開けてみてよ」
 リジルはエルナートに言う。
「怖くないなら、開けてみてよ!」
「待って。やめよう。エルナート、リジル、落ち着こうよ」
 それを聞かず、エルナートは大股でドアに歩み寄ると、それを開けた。廊下は暗く、その様子はリジルの立っている位置からではよく分からないが、エルナートは首を振ってドアを閉めた。
「……何か、いるか、あるのよ」
 リジルは、ドアから遠ざかり、ひやりとする窓に指で触れた。
「霊だと――」
「霊という言葉をあてはめるのに抵抗があるなら、こう言いましょう。ここには、『キャリーという現象がある』のよ。多分、実体のある人間と同じように、キャリーを物体として考えてはいけない。モノではなく、コト、つまり事象、現象として考えたらどう?」
「何言ってるのか分からん」
「例えばそうね、雨が降るというのは現象でしょ? 雨というモノがあって、それが天から落ちてくるわけじゃない」
「だが雨粒一つ一つは水というモノだ」
「そうよ。そして、雨粒というモノが集合して、雨というコトになる。同じように、『何か』の集合的な性質が、キャリーという現象なのよ。キャリーを創発させる特性が、何か、ここにはあるんだわ」
「その現象は――」
 慎重に言葉を選ぶあまり、自分が言いたいことさえ忘れてしまいそうだ。そういう顔をしながら、エルナートはゆっくりと尋ねた。
「その現象は――どういうことなんだ。それが起きるということは、どういうことなんだ? 一番の問題は、それは俺たちにとってどの程度の脅威になり得る?」
「脅威ね……。『キャリー』は何らかの反応や現象にすぎず、人としての心を持たない、という根拠はないわ。私達に害意を抱く可能性は充分にある」
「何故!」
 我慢できなくなったように、エルナートは声を荒らげた。
「何故、そのような現象が起こり得る?」
「本来ランダムな動きをする粒子を、人体、つまり固体とは全く違う相の状態で固定する力があるとすれば――やめましょう、こんな話に意味はないわ」
「仮に固体でも、液体でも、気体でもない状態で人間が存在できるなら、それはどうやって物体に干渉することが出来る。たとえば廊下に残っていた水だ。『それ』が物体に干渉できるなら、俺たちに害を及ぼすことも可能となるはずだ」
 リジルもまた答えあぐねていると、控えめに、ディルケが一歩前に出た。
「ちょっといかな。今思ったんだけど――」
「何?」
「その水なんだけど、どこから来たのかな。もし服から滴った雨ならおれ達がこぼした水ってことになるけど、それだったらあの部屋にはつながってなかっただろうし」
 腕組みをしていたエルナートが、腕を解き、壁から背中を離した。
「リジル! 昨日、城の建築様式について何か言いかけてただろう。改築されたところと、されてないところの違いだ」
「ええ。改築されたこちら側は、近代の、住居用の城。華美な装飾などがあるでしょう。回廊の向こう側は、中世の城砦としての城」
「それなら――」
 ふと何か、強い違和感を覚え、エルナートは言葉を切った。考えるよりも先に、目が、違和感のもとに動いた。
 鏡だ。
「分かった! 城砦なら、隠し通路なんかがあるんじゃないか、そう言いたいのね」
 リジルは鏡に背を向けて、まっすぐエルナートと向かい合ったまま喋っている。
 鏡に映るリジルの後ろ姿が、リジルのものではなかった。
 深緑色のドレス。鳶色の豊かな髪と、それを包む目の粗いネット。
 その人物が、鏡の中でゆっくりと振り向いた。
 熱く憎悪に燃える目と、視線があった。それは昨夜、階段の上から投げられた視線と同じだった。
 まだ話しているリジルに大股で歩み寄ると、肩をつかみ、強引に後ろを向かせた。
「なに?」
 当たり前だが、リジルの後頭部は、ただのリジルの後頭部にすぎず、そこに女の顔が張り付いているように思った滑稽さが、次第に胸に湧いてきた。
 エルナートは不機嫌になり、緊張に身を強張らせるリジルを解放した。鏡の中にももう、女の姿はない。
 と、目を動かした先で、その女の姿を発見した。
 金色の額縁の中で、油絵の具で描かれたその女が、椅子に掛け、見るものに婉然と微笑みかけている。
 この女だ。
 この女が、憎しみをこめて俺を睨んでいた。
 そういう代わりにエルナートは尋ねた。
「あの女は誰だ?」
 気を静めながら、リジルは答えた。
「……エリダヌスだわ。市民革命時の城主シェダルの実の姉、シェダルの妻である女傑ミザルの義理の姉にあたる人物よ。……それがどうしたの」
「どういう人物だ」
 最後の問いを無視し、エルナートは重ねて訊いた。
「その時代、地位の高い女性などは、政争の道具としての扱いしか受けていなかったわ。女性に関しては、よほど名だたる人物でもない限り、書き残されていることは少ないわ。まして人柄なんかは」
「それでも何か分かることはあるか」
 頭の中から歴史に関する知識を探し出すため、リジルは沈黙をはさんだ。
「エリダヌスは、一度は他家に嫁いだのだけれど、子が出来ず、アストリア家に返されてきた。それは当時の価値観ではとても不名誉なことだったのだけど、子供を愛し、市民革命時には領内の子供達を優先的に保護するよう城主に進言したと伝えられているわ。温厚な人だったんじゃないかしら」
 エルナートは息詰まる思いがし、改めてエリダヌスの肖像を凝視した。
「市民革命後は、苛烈な性格の義妹ミザルを恐れて修道院に入った。そしてそれきり歴史から姿を消した……まさか」
 言葉尻をすぼめ、恐ろしいことに思い当たり、リジルは声を失う。
「まさか……いえ、もしもそんな事があり得るなら……エルナート! 私、ジュレーンが言う『燃えながら裏階段を落ちていった女』に心当たりがあるわ」
 しかし、それについて問う声はない。
「エルナート? 聞いているの?」
 隣に立つエルナートは、魅入られたようにエリダヌスの肖像画に視線を注いでいる。
 その横顔に、冷たい笑みが浮かんだ。
「エルナート」
「だとすれば、俺はこの女に憎まれる理由がある」
 リジルは今までになく、この男を恐れた。目の前で看守殺しが行われたときの、熱くたぎる暴力への恐怖とは違う。
「……エルナート?」
「子供を殺したからだ」

 8.生きていく資格

「ジュレーン!」
 部屋を開けるなり、エルナートは大声で呼んだ。
「出ろ」
 ジュレーンはまた座りこんで寝ていた。
「起きろ! おい、出て行け。今すぐだ」
「……なんなの?」
「バドムさんの遺体を、ちゃんとベッドの上に安置してあげましょう」
 眼をこするジュレーンに、リジルは咄嗟に言った。
「そのほうがいいでしょ?」
 硬直した遺体を、エルナートはジュレーンとディルケに運ばせた。ディルケだけが戻ってきた。
 探し物を見つけたのもエルナートだった。
 錆びた鉄柵で封じられ、城の住人が消え失せるよりもっと早くから使われていなかったと分かる暖炉。暖炉の中には薪も炭もなく、底にもとの色をとどめていない古着や布が敷かれているだけだった。
 鉄柵を開けて布を掻き出すと、それが現れた。
 どれほど昔からあるのか分からない、真っ黒な鉄板。
 その把手を掴み、持ち上げると、石の階段が闇へとおりていた。
 風などは吹いてこない。
「行くぞ。リジル、お前は留守番だ。ジュレーンがここに来ないように見張れ」
 言いながら、古布の中から長い、紐状の金糸の腰飾りを見つけ、その端をディルケに投げた。
「お前は後ろをついて来い。その端を握ってろ」
「明りとか、なくていいのかい」
「探している余裕はない。脱走のための通路なら複雑ではないはずだ。慎重に行こう」
 右手に紐を握り、左手で壁に触れながら、二人は一歩ずつ、ゆっくりと、階段をおりていった。
 すぐに底についた。
 底は浸水していた。浅い水の上を、二人の罪人が歩く。両手を広げればすぐに壁にぶつかる、狭く長い路だった。
「グレモア銀行を襲ったときのことを覚えてるか」
 どれほど、部屋から遠ざかったか分からない。少ししてディルケが答えた。
「ああ。どうしたの」
「俺は子供を殺した。銀行の客の子供だ。このことは覚えているか」
 石に囲まれた、冷たい闇の中で、かすれた声がまた答える。
「ああ、うん」
「何故殺したと思う?」
 答えない。
「……ギャアギャアうるせぇからだ。それだけだ」
 手の中の紐を通じて、ディルケの強張りが感じられた。
「お前はどう思う? 俺が怖いか」
「怖くなんてないさ」
 無理のある笑いを混ぜ、ディルケが、明るい声音で返した。
「何故だ?」
「エルナートは――エルナートは僕を助けてくれたじゃないか」
「俺は怖くなかった。子供の時は、大人を殺すことをな。大人になってからは、子供を殺すことを。そうだろう、ディルケ。俺たちは強くなければ生き延びられなかった」
「ああ……そうだよ」
 二人でこれまで生きてきた道に、遠慮も思いやりもなかった。
 潰すか潰されるかだった。
 俺は遠慮せず、思いやらず、勝ってきた。
「俺は強い。生き延びる資格がある」
 エルナートの父親は、麻薬の密売人だった。
 母親は売春婦。
 二人して、ただ木を組んだだけのような、あまりにもボロい家に住んでいた。
 ある晴れた夏の日、目の前で母親を刺し殺された六歳のエルナートは、犯人である父に猟銃を向けた。猟銃は父親を殺す代わりに、エルナートの未発達な両肩を破壊し、壁に穴をあけ、たまたま近くを飛んでいた不幸な鴨を撃ち落とした。殺し損ねてしまったのだ。
 両肩が治らぬうちに、エルナートを引き取る孤児院が決まった。
 ディルケとはそこで出会った。

 9.階段のエリダヌス

 固かった。
 ナイフで人を刺した感触のことだ。
 それでも、一撃で深々と刃の付け根までを相手の腹に埋めることが出来たのだから、怒りの力とは凄まじい。
 相手は痛みに悲鳴をあげるか、ナイフを抜こうとするだろうと思っていた。だがそうはならなかった。
 その男は、至近距離で立ったまま、呆然とリジルの顔を見つめていた。それから腹のナイフを見た。それからまたリジルの顔を見た。困ったような、何か質問したそうな顔だった。
 痛くないのだろうか、といやに冷静な頭で考えたら、何か言おうとした相手の口から白い唾が吐き出された。
 続いて赤い唾が、次に血が。ここで彼はようやく床に膝をついた。背中に書架があたり、それで初めてリジルは、自分が後ずさっていたことに気付いた。
 よく覚えている。裁判で何度も繰り返し証言したからでなくとも、忘れるはずはなかった。
 刺された男は床を這い、リジルに指を伸ばし、哀れっぽい目をしてこう言った。その掠れた、声にならない声を聞き取れたのは奇跡だった。いや、聞き取れなくてもよかった。こう言ったのだ。
「からかっただけじゃないか」

 これは夢で、もうすぐ目覚めることをリジルは知っていた。目を覚ます。テーブルに肘をつき、うたた寝をしていたのだが、エルナートたちはまだ帰ってきていない。暖炉の中にぽっかりと闇が口を開けたままだ。
 眠っても脳が休まった気がしない。空腹でないはずはないのだが、その空腹がさほど意識に上ってこないのは幸運だった。しかし明日も丸一日何も食べられないとなったら、話は別だ。エルナートがうまく逃げ道を見つけてくれればいい。人の助けが必要だ――まともな人間の。
 掛け金を外し、部屋から出た。寝ている間にどれくらいの時が経ったか、よく分からなかった。リジルは廊下の端の、円い側塔に入った。雨は上がっていた。厚い灰色の雲はその縁取りを金に染め、裂け目から降る光の槍が大地を突き刺そうとしている。
 側塔を上っていった。塔も城のほかの部分と同じく、人の出入りがないために埃がなく、少なくとも見た目には清潔感があった。最上階の梯子から、とんがり屋根の下に出る。円錐形の天井の下には、見張りのための窓があった。
 昔はここに兵士たちが詰め、この窓から外を見張っていた。
 甘い感傷に浸りながら窓の外を覗き、リジルは凍りついた。
 城壁の外にわらわらと人が集まっている。
 かなり大人数だ。
 黒い、軍警治安部隊の制服を着ている。
 追っ手だ。
 リジルは呼吸を思い出すと同時に、窓から身を隠した。軍警らの凄まじき視力で、自分などたちまち発見されてしまう気がしたのだ――そんなはずはないが。はずはないが、いずれにしろ発見されるのも時間の問題だ。
 もう一度、壁に背中をつけたまま、窓の外を覗いた。彼らはとうに二枚目の城壁を越えている。この角度からでは見えないが、もう城内に入ってきていてもおかしくない。
 エルナートに知らせないと! でも、どうやって?
 そしてリジルは、心臓がひやりと温度を失うのを感じた。
 何故、知らせる必要があるの。
 動きを止めたかと思った心臓が鼓動を早め、凄まじい勢いで血を全身に送り出す。酸欠を起こしたようになり、リジルは目の前が真っ暗になった。顔が熱くなり、額から汗が吹き出る。
 そうだ! 知らせる必要はない。リジルは唾をのむ。リジルは死刑囚ではない。捕まったところで、命を失うような末路はない。エルナートは? いいや。
 あの人たちの事などどうでもいい。自分は、今、保護を求めて走るべきなのだ!
 リジルはそうした。側塔を駆け下りる。幸いにも、エルナートには出会わなかった。心臓が喉まで来ているような、嫌な脈動を感じる。顔から汗を流し、しかし立ち止まれば冷たい死に捕まる予感があって、恐ろしくて泣きたかった。
 回廊に出た。中庭に軍警らの姿はない。だがもう、すぐそこにいるはずだ。
 いきなり飛び出したら撃たれるかもしれない。リジルは叫ぶことにした。
「助けて!」
 玄関ホールに飛びこむ。
「助けてください! 助けて――」
 ホールは無人だった。吹き抜けの二階部分にあたる場所の細い窓から、雨上がりの陽射しが斜めに差している。陽射しの中に動くものは、何一つなかった。
「誰か――」
 身廊を出て、ホールの真ん中を横切る。
「誰かいませんか!」
 重い二枚扉を開け放つ。
 背の低い夏草が、風にたなびき音を立てていた。
 上空ではさらに強く風が吹き、雲の形を刻々と変えてゆく。
 それにあわせて、雲間からおりる光の束も、細くなり、太くなりして、大地の模様を変える。
 小鳥たちが歌う。
 凄まじきことを語るように、風が鳴り草はさざめく。
 ……幻覚だったのか。
 玄関を閉ざすと、リジルはホール右手の戸を開け放った。
 日当たりのいいその部屋の、大きな窓の外に、治安部隊の制服に体を包む男達が立っていた。
「――助けて!」
 リジルはすぐ窓に飛びかかり、拳で叩いた。
「助けて! ……開けて! ねえお願い!」
 鍵を外すが、窓は開かない。リジルは必死で窓を叩いた。が、男たちはふり向かない。
 そんなはずはない! リジルは混乱し、このまま自分が狂気の淵へ落ちていくことを予感した。
 窓を叩くことをやめられないでいると、肩を強く掴まれた。
 そのまま引き倒される。
 自分が立っていた場所に、入れ替わりでエルナートが立った。その後ろ姿がまっすぐ腕を上げ、銃口を窓の外で見張りに立つ男に向ける。
 銃声が響いた。
 リジルは目を覆ったが、物音はそれきりで、何の騒ぎも起きない。
 怯えつつ顔を上げれば、蜘蛛の巣状に窓がひび割れ、その中心で弾丸が止まっていた。そして、見張りも外を調べまわる男達も、やはりこちらを見なかった。
 エルナートは弾を無駄にしなかった。銃口をおろし、ただ次の行動を決めかねて、背を向け立ったままでいる。
 劇的に雲が流れ、降り注ぐ光が大地を明るく染めた。金色の光が窓を塗り、リジルの両目を灼く。まばゆい静けさの中で、あるフレーズをリジルは思った。
「夕陽のねじが切れる……」
 エルナートが振り向く。リジルは恐慌を来たし、床に手をついて立ち上がり、部屋から飛び出した。
 が、ホールを数歩も走りきらない内に、立ち止まる。
 裾広がりの階段の足もとに、ジュレーンが倒れていた。
 物のように、階段から投げ捨てられたようだった。
 首が折れている。目は開いたままで半ば白眼を剥き、口から唾を垂らしている。
 シャッ、と布の擦れる音がした。
 そちらに顔を向け、リジルも、エルナートが言っていた『女』を見た。
 肖像画に描かれたエリダヌスその人が、しかしあの肖像画からは想像もつかぬ険しい表情で、ジュレーンの死骸を見下ろしていた。
 いや、まだ生きているかもしれない。
 リジルも、エルナートも、遅れてホールに入ってきたディルケも、それを見た。
 外から玄関が開け放たれた。
 夕陽を浴びて入ってきたのは、四人の――恐ろしく旧式の歩兵銃を両手に下げた男たちだった。黒い軍帽、黒い軍服、いかつい顔の輪郭と閉じた唇。眼は、軍帽に隠れて見えない。見たくもなかった。だが、目を離せなかった。
 男たちはエリダヌスに敬礼した。そして、整列したまま入ってくると、ジュレーンの四肢をそれぞれ掴み、再び玄関から外へ運び出してゆく。
 後ろ姿はすぐに見えなくなった。気付けばエリダヌスも消えている。
 開け放たれたままの玄関が残った。

 10.三人

 浅いまどろみの中で、幾たびも同じ夢に引きこまれそうになり、目を覚ましては、眠れぬことに失望した。殺した男の夢をまた見るのだ。それは嫌だった。
 嫌な男だった。
 もっとも、嫌な男だということが分かったのは、交際を始めてからだ。彼はリジルを、女であるというだけのことで、知性に劣る存在だと思っていた。
 ……嘘だ、そんなことはつきあう前から分かっていた。
 では何故つきあったのか? かわいそうだったからだ。
 必死な姿がかわいそうだから、お情けでつきあってあげたのだ。
 彼は単に殺されただけでなく、殺される前からリジルの性格の犠牲者だったのだ。もはやかわいそうとも思わないが。
 床に下ろしたタペストリーの上で膝を抱えていたリジルは、顔を上げ、何度目か知れぬため息と共に頭を強く振った。苛立ちで気が狂いそうだった。
 殺すんじゃなかった。こんな目に遭うくらいなら。自分が、かわいそうな目に遭うくらいなら。
 朝はいつ来るのだろう。日が暮れてすぐこの部屋に詰めたから、まだ深夜にもなっていないかもしれない。今すぐにでも夜明けがきて欲しいのに。
「リジル、大丈夫かい」
 少し離れた所から、ディルケが押し殺した声で訊く。
「大丈夫じゃないわ」
 服の擦れる音と、気配が近づいてくる。顔の前に何か差し出された。目を開けると、星の明りを跳ね返す銀紙を、そしてそれに包まれたチョコレートを差し出されていた。
 ベッドを占領して眠るエルナートを一瞥すると、ディルケは言った。
「エルナートには内緒だよ、これを食べるといい」
「いつからこんな物を?」
「運転席の看守が持ってたんだ」
 すると、殺された人間が持っていたチョコレートではないか。
「そんなの、食べられない」
 ディルケは無理強いしなかった。チョコレートを引っ込め、着たきりの囚人服のポケットにしまうと、隣に座りこんで壁に背をつけた。
「……誰を殺したんだ、リジル? 子供じゃあないよね?」
「子供じゃないわ」
 歯切れ悪く、リジルは言い足した。
「……襲われたから、殺したのよ……正当防衛だわ。あいつが悪いのよ。あなたはどうなの?」
「おれ? おれは……」
 ディルケは口ごもり、気まずそうな沈黙を続けて答えない。
「……あなたは、そんなに悪い人のようには見えないわ。少なくともエルナートほどには」
「俺だって、エルナートと一緒に悪いことをしてきたさ。殺しの手伝いもした……殺したこともある」
「どうしてエルナートと一緒にいるの? やめようとは思わなかったの?」
「エルナートは」
 ディルケの声が熱を帯びた。
「本当は……本当は」
「本当はそんなに悪い人間じゃない、なんて言う気じゃないでしょうね。理解できないわ」
「エルナートは……」
 ディルケは黙ったが、隣の気配は気ぜわしく、言葉が見つからないことに焦っているようだった。リジルは黙って待った。ディルケが言葉を見つけるのを。
「エルナートとは孤児院で出会ったんだ。おれの父親は軍人だったけど戦死して、母親は自殺して、孤児院に引き取られることになったんだ。そこの院長がひどい奴でさ」
 肩を揺すり、一つ短く笑う。
「おれさ、ついてなかったんだ。引き取り手が見つかったと思ったら、物盗りに襲われて殺されてしまったんだ護身用に持ってた自分の拳銃に撃たれてね。あれさえなければ、今頃は……」
「何故同じことをするの? なんで、その犯人と同じように人を銃で殺したりしているの?」
「それは……」
 ディルケは唾を飲んだり、身じろぎしたりして、答えを引きのばした。
「……おれさ、事件の後から院長に、とても嫌なことをされるようになったんだ」
 腕が伸びてきて、リジルの肩を二度叩いた。
「食事の時に、こうやっておれの肩を叩くんだ。それが『今晩部屋に来い』の合図なんだ。行きたくない、でも行かないのはもっと怖かった。そうだろ? 子供だったんだ。院長に嫌われたらここからすら追い出されると思ったんだ。だからおれ――」
 息が詰まる気配に、リジルは耳をそばだてた。
「皆そのことを分かってた。分かって、そのことで俺を辛かったり、苛めるようになったんだ。エルナートだけがおれを苛めなかった、友達になってくれた」
 泣くのかもしれない。もう一言さえ発すれば、我慢できなくなるかもしれない、そんな衝動と戦っているのだ。
 リジルは思い出した。ゴシップ誌の記事が正しければ、凶悪殺人犯エルナートは八歳で最初の殺人を犯している。その被害者は、孤児院の院長だった。
「――おれに、エルナートは、『俺から逃げないと誓うなら、お前を守ってやる』って言ったんだ。もういいかい? あまり昔の話をするとエルナートが怒るんだ」
「ええ。……ごめんなさい」
 膝を抱え直す。
 寝てしまおうと思った。
 大量の皿が割れる音、テーブルがひっくり返され、食器が散乱する音が響き渡ったのはその時だった。
 ベッドの上でエルナートが跳ね起きる。リジルはディルケの二の腕にすがった。
「何?」
 続いて、甲高い女の悲鳴。
 廊下の端でドアが乱暴に開き、閉じられる音。追い立てられるような足音が、三人がいる部屋の前を通り、反対の端へ消えていく。
 そして喚く声。
 すべてが唐突に消えた。
 いいや――何者かが、階段を上がってくる。
 頑丈そうな靴を履いた、複数人の足音。
 エルナートが拳銃を抜いた。無言のまま、ドアに相対して立つ。
 リジルは声もなくディルケに縋り続けるしかなかった。足音は階段を上りきり、この廊下を近づいてくる。
 通り過ぎてくれることをリジルは神に祈った。祈りは通じなかった。足音はこの部屋の外で、ぴたりと止まった。
 永遠とも思える時が、そのまま過ぎていった。
 そしてついにある瞬間、外から戸が開かれた。
 エルナートの姿越しに軍帽が見えた。静寂は破られた。やってきた『者』たちに、エルナートが発砲する。
 その者たちは怯みもせず、持ってきた一つの荷物を部屋に放りこんだ。
 荷物はリジルの前に投げ出された。
 それは、口が開いたままの、濁った目をしたジュレーンの亡骸だった。



Comment

No title

いいですね!さらりとした文章で骨太な描写がされていて、とっても好きです。銃とか大好き(^^)
今後どのようにお話が進んで行くか楽しみにしております。
Trackback
Trackback URL
Comment form













管理者にだけ表示を許可する

プロフィール

黒実 操

Author:黒実 操
「竹の子書房」に参加中。
www.takenokoshobo.com/index.php
無償版電子書籍がたくさん!

管理人ツイッター
http://twitter.com/kuromimigen

最新トラックバック
検索フォーム
ブロとも申請フォーム
QRコード
QRコード

Page Top
Powered by FC2 Blog | | Template Design by スタンダード・デザインラボ
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。