お話の、あるところ。

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『夢見る病気』豊原ね子

投稿作品『夢見る病気』〈5〉 著者:豊原ね子

第一章 Deus ex Machina(第一枝 冬) 第二話
   
   第二話  神様

 ―1―

 パジェットの生家は畳屋だった。父は入り婿だった。彼は遠い異国から、厳しい宗教戒律と紛争から逃れて連邦に来た。どうした経緯で母と出会い、結ばれたかは知らない。子供を五人作った。五人兄弟のど真ん中のパジェットが十になるかどうかという頃、彼は家に帰ってこなくなった。
 何も心配いらないと、母は冷静に言った。夫婦と祖父母の間で話し合いがあったのだろう。聞いてはいけないのだと察した。
 初夏、長雨の季節。寝入りばなを庭の物音に起こされた。弟妹と布団を並べ、赤くともる豆電球を見ていた。なにか硬いものを齧る音が、カリカリと聞こえてくる。音は時々、細々と降る雨音にかき消されながら母屋を周っている。
 弟妹を起こさぬよう、そっと布団を出た。
 一階の廊下に明かりがこぼれていた。襖を開けると、座敷に正座して母が帳面をつけていた。
 あの音は何かと尋ねた。母は無表情で障子に目をやり、ふと、その瞳にゆらぎが生じたと思うと、唇をうっすら開け、そしてまた閉じた。
「……おまえのお父さんが、人を食っているのだよ」
 何故そんなことを言うのか。どういうことなのか。
 母が、頭や精神を病んでいた、ということはない。記憶の限り、妙なことを口にしたのはそれ一回きりだ。

「本ッ当に底意地わりぃババァだな!」
「今に始まった話じゃないだろう」
 パジェットはただ、ただ、何かにつけて多賀子が識に絡むのが気に食わない。妾腹の子として生まれたのはコイツの責任ではあるまいに。契約が切れたらこのまま臣津を見捨ててよそへ行こうか、そのほうが識にとってはいいのではないかと思う。だが思うだけで、本当にいいことかどうかは分からない。ここは識の故郷だ。彼は自分の意志でここにいるのだ。
 パジェットは故郷に執着がない。この肌瞳、髪と同じく父に似たのだろう。この風貌にまるで似合わぬ漢字の名前を捨てた時から、好きなところに行って好きに生きると決めた。愛着はあるが、今更つよく守ろうとは思わない。だから分からなかった。臣津を離れる提案をしたら、識はどう反応するだろう?
「市長よりも、あいつ……」
 その識が、声を潜めた。
「あいつ? 蘇比のことか?」
「よく、俺の顔をじっと見てる。さっきもそうだった」
「そりゃ気付かなかった。いつもなのか?」
「ああ。それに……市長が俺にああいうことを言うようになったのも、あいつが来てからのような気がするんだ」
「それは考えすぎだろう」と返事をしたが、言われてみればそうかも知れない。最近、長い間臣津を離れる仕事が多い。その間多賀子の傍にいるのは蘇比だけになる。
「……いや。きなくせぇな、確かに」
 二人は階段を降りる。地下四階に着き、廊下のスイッチを押した。
 手前から電気が点る。地下三階と変わりのない廊下が照らされた。その廊下の突き当たり、足もとに、円形の鉄の蓋がかぶせられている。安置室への扉だ。
 大人が入っていくのに申し分ない幅がある。識がしゃがみこんで、ベルト穴からカラビナ付きのキーを外した。
 小指ほどの太さの穴に差しこむと、中央の窪みに数列のボタンが浮かび上がる。コードを打ちこみ、キーを外す。
 上向きに蓋が開いた。仄かに白い光を放つ階段が、闇の底へ沈んでいく。
 全くの無音だった。
 二人は何となく互いの顔を見、言葉もなく下りる。
 階段はそれほど長くない。下りきった先に天井の低い、狭い廊下が、直角に折れ曲がりながら続いている。パジェットが先に立ち、肩を斜めにして廊下を進む。
 三つ目の角を曲がると、安置室に出る。その正面の壁を覆い隠し、マンティスが立ちはだかっているはずだった。
 部屋はがらんどうだった。正面の壁が大きく抉れ、コンクリートから折れ曲がった赤茶色の鉄骨が覗いている。多賀子の言うとおり、巨大なコンピュータは跡形もなく姿を消していた。
 安置室の天井は高い。足跡はないか、遺留品はないか、確認しながら一歩ずつ部屋の奥に踏みこんでゆく。
 えぐれた壁の手前、リノリウムの床が途切れている。
 断崖のように地底に向かって落ちこんでいる。
 その闇に、螺旋の階段が、広がりながら下りている。
 階段には直接照明が埋め込まれているようで、踏み板が青白く光っている。その光が、見下ろす者の眼球をなでる。
「聞いてねぇぞ……」
 パジェットは呟いた。多賀子は「マンティスが消えた」としか言わなかった。そして二人にも、様子を確認しろとだけ言った。
 識がホルスターから拳銃を抜く。マガジンを入れ替える。
「行くか?」
「ああ。でも転移術の名残かも知れないな……」
 銃を腰に戻す。
「気をつけて行こう」
 識から階段に足を下ろした。その背を守る形で、パジェットが後ろにつく。

 階段は入り組んでいた。螺旋は二重になったり戻ったり、時折廊下と交ざり合う。暗闇の中を青白い光が縦横に交差する。前を歩く識はしきりに頭を左右に動かし、空間を観察していた。やがて底が見えた。階段の裾がまっすぐに、白く四角い光に繋がっている。
 少しだけ、識の足がゆるみ、すぐに出口めがけて速度をあげた。パジェットもそれに合わせる。二人のほかに何も存在しない、そのことを執拗に確かめながら。階段をおりきった識がまっすぐ光に吸いこまれてゆく。
 その背中がぴたりと停止した、と思ったら、走り出して部屋へと飛びこんだ。
「おい、識!」
 パジェットも、部屋の入り口で立ち止ることになる。
 識の肩越しに、『マンティス』の巨大なスクリーンが見えた。
 高い天井、張り巡らされた配管。メインスクリーンと、それを取り囲む大小のスクリーン。唸るような起動音を立てている本体。
 間違いなく安置室だった。光る階段と、マンティスの存在を除いて。黒いスクリーンの中で二人が目を見開いている。
 識が生唾をのむ。その音と共に、かるい足音を捉えた。
 二人は同時に地下階へ続く廊下を振り向いた。廊下の向こうで足音が階段を駆け上っていく。
 走り出そうとした識の肩を、パジェットは強く掴んだ。
「お前はここを見張れ!」
 そう言って、識を残し、足音を追って走り出した。相手が誰であれ識は深追いするだろう。危険だ。廊下の先に、地下四階の廊下へ繋がる階段があった。
 取り残された識は、パジェットの足音が遠ざかるのを聞く。
 完全に聞こえなくなってから、ゆっくりと、もう一度、コンピュータと向かい合う。
 本体の足元の刻印は、『MT1489A3rd』
 スクリーンの中の自分と目を合わせながら、キーボードを叩く。
『応答せよ』の文字列が、白く浮かび上がる。

 地上階に階段に消える靴が見えた。女だ、と思った。一階に上がると吹雪の音が聞こえた。針金入りのガラス扉の向こうに消えていく女が見えた。
 背が高い。しかし細い体のラインは、やはり女だ。
 猛然と後を追うパジェットは、外へ。雪ごと息を大きく吸う。

  ―2―

「ミンタカ!」
 開け放たれた城壁の前で、パジェットはその名を叫んだ。女が逃げるのをやめる。
 ダークチェリーの短い髪が風に吹かれている。白いボレロの背中には、剣と剣帯の刺繍がある。
 それは、パジェットの父の祖国の旗である。
 ばたつく髪を押さえながら、女が振り向いた。地黒の肌と高い鼻、灰色の瞳。――同じ人種だ。この寒い中、彼女は薄着だった。ボレロの下の迷彩模様のシャツが、腰の細さを浮き上がらせている。
 その目にパジェットを迎え入れ、唇を吊り上げて、女は笑った。
「――久しいね。パジェット」
 パジェットは答えない。
 無言でショットガンを構え、女に向ける。
「ああ。実に久しぶりだ」
「久々に免じてソイツを下ろしてくれないか?」
 向かい合ったまま、どちらも動かなかった。
 ふっ、と女が膝の力を抜く。肩を軽く竦めた。
「あんたにゃ悪いことしたと思ってるよ」
「それで済むと思うか」
 女はもう笑っていない。
「お前、乙葉を殺しただろう」
「乙葉乙葉、アンタはまたそれか。他に訊くことがあるんじゃないかい? ここがどこかさえアンタは分かっちゃいないだろう」
 一瞬パジェットは歯を剥く。
「ここで私を殺してみな。分からなくなるよ。マンティスのことも、乙葉のことも全部」
 言い終えてから、深呼吸する。そしてパジェットを、真正面から睨み返した。
「まず銃を下ろしな。脅されて話すようじゃ格好がつかないからね」

『応答せよ』
 黒いスクリーンが、たちまち青色に切り替わる。起動は正常――
『所属を述べよ』
 マンティス側の反応が表示された。
『臣津警備兵 名倉識 44875446-4444』
 どことなく不吉なナンバーを打ちこみ、認証板に人差し指の腹を押し付ける。大儀そうな起動音を立てて、マンティスが識の指紋と網膜を確認する。
『照合完了 用件を述べよ』
 用件だと? 何を暢気な……。
 これは人ではない。機械だ。分かっていても苛立つ。
『この場所はどこか』
『臣津市庁地下四階 総合戦略戦術演算機構安置室である』
『この安置室は初めマンティスが設置された安置室とは違う。理解しているか』
 理解不能、と出るだろう、と識は打ち込みながら思った。
 機械は即答する。
『理解している』
 鼓動が跳ねた。急に血の走りが鮮明になり、喉がむず痒くなる。息を詰めて抑えた。
『移動は何者によって為されたか』
『極秘』
 緊張で心臓が痛いほど高鳴っている。誰かに操作された後か?
『答えろ。誰がマンティスを持ち出したか?』
『応答を拒否する』
『答えろ、命令だ』
『否』
「くそっ!」
 メインスクリーンを睨みつけて、落ち着くまで深呼吸を繰り返す。再び指が浮くまで暫くの時間を要した。
『理由を述べよ』
 マンティスの返答が遅れる。
『未来の為だ』
 識はただ文字列を眺める。冷静になれ。冷静になれ。
『人類の未来か』
『そうである』
『マンティスの移動が為されたことが人類の未来のためか』
『そうである』
『移動は自らの意志か』
『黙秘する』
『どこへ行くつもりか』
『黙秘する』
 取り付く島もない。識の指がキーボードからずり落ち――そしてまた乗せられる。このままでは帰れない。
『この場所はどこか』
 叩きつけるように文字を打つ。
『臣津市庁地下四階 総合戦略戦術演算機構安置室である』
『安置室は二部屋あるものか』
『否。一部屋である』
『ならば初めにあった安置室とこの安置室はどのような関係にあるか』
『別世界である』
 数秒、思考が停止した。
『ふざけるな』
『質問の意味不明。再度入力せよ』
『この場所』、と打ち込んでから、二文字消去する。
『この国は何処か?』
『日本』
 識は首をかしげた。
『日本とは何処か? 連邦にそのような名の国は存在しない』
『日本国は連邦に非ず。この世界に豊葦原連邦は存在しない』
 唇を強く引き結び、必死に思考する。
 どう受け止めればいい?
 ――落ち着くんだ。ここに来た理由を思い出せ。
『我々はマンティスを連れ戻しにきた』
『否。マンティスに戻る意志はない』
『マンティスの意志は関係ない。連れ戻す』
『貴君には不可能である』
 悔しいがその通りだ。次の質問は?
『最後に知りえたことを答えよ』
 追加でもう一行。
『それが自ら消失するに至った理由か?』
『答えられない』
『別世界とは何か?』
 質問を畳み掛けた。
『マンティスが別世界と称するものについて知りえたことは人類の未来に悪影響を与えるか?』
『それはこの臣津が所属する世界の外でとうに為されている』
『ならば別世界を見せろ』
 タン、と音を立てて入力した。
『命令する』
 識に教えることの影響をマンティスは思考するはずだ。識には命令権がある。
 待った。
 スクリーンの向こうで、ファンがフル回転し始める。画面の青色が薄れていく。
 真っ黒になる。
 そのまま見上げていると、次第に色味がついてくる。

 水色の空が映し出された。
 雲ひとつない。無音。
 翼平面形の航空機が一瞬、その空を掠める。真っ赤な機体。もう一度それが映し出される。白く、斜めに文字が描かれている。それを読もうとした瞬間、ぬっ、と画面の上から蝿の黒い足が突き出てきた。蝿は六本の足に航空機を抱えこむと、腹に押し付けるようにして、それを潰した。
 地面に移っていく。
 草原――その草の中に視点がうずもれる。何か小さな生き物が、草の中にちらちらと見え隠れする。識はそれにじっと目をこらし、理解と共に目を見開いた。
 人間だった。
 とても、とても小さな全裸の人間たち。知性を感じさせない歪んだくしゃくしゃの顔。列を作り、何かに群れ、また一列になって流れてゆく。
 群がられているのもまた、人間だった。群れているのの倍の大きさはある人間。小さな人間はそれの肉を爪で削ぎとってはどこかへ運んでいく。
 真っ暗になった。
 画面が変わる。白い大きな蛆虫が、草原に横たわっている。蛆は上体を持ち上げて、何度も草の中の小さな人間に叩きつける。その腹が真っ赤にそまった。蛆は背中を引き攣らせる。平べったくなった人間が、ぼろぼろ零れ落ちる。
 喜んでいるのだ。
 笑っているのだ。
 人間の子供が蟻を群れを殺して遊ぶのと同じように――。
 うめき声が漏れた。目の前が暗くなる感覚に、キーボードに指を添えたまま、識は目を背けた。

  ―3―

 印象的な女だった。
 乙葉は、ミンタカと共に目の前に現れた。二人は仲がよかった。共に難民キャンプで炊き出しをやっていた。
 正規軍時代のパジェットは、キャンプを護衛する部隊に属していた。六ヶ月。改めて思い返せば意外なほど短い時間だ。
『ねぇちょっと。軍人さん、軍人さん』
 二人はいつも一緒にいたが、いつもパジェットに構うのは乙葉だった。握り飯を差し入れに来た、人懐こい笑顔を憶えている。

 パジェットの腕がゆっくり下がり、銃口が雪の地面を向く。ミンタカの表情が柔らかくなる。
「耳を澄ませな。ここには私らのほか誰もいない」
 彼女が口をつぐむと、後は一切が無音だった。喋る者もなく、また動く者もない。
「ここはどこだ? 臣津市とは違うのか」
「そうは変わらないよ。ただし生き残ってる人間はいない。もう何年も前に滅んで、住民たちは死ぬか見捨てた。ちょっと歩き回ってごらん。そこらじゅうに食われた人間の骨がゴロゴロしている」
「滅んでいる?」
「蟲による殲滅作戦を食い止められなかった世界だ。階段を通っただろう」
「……ああ」
「ちょっといいかい」
 ミンタカが短刀を鞘ごと外し、雪の中に斜めに立てた。そのままスッと直線を引く。
「これを木の幹だと思ってくれ」
「まっすぐ描け」
「うるさい。それで枝が生えている」
 幹から短い線をいくつか伸ばした。
「ド下手」
「お前、変わんないな……」
 感心したようだ。
「それで葉が生えてるわけだな」
 枝の周辺に二つ丸を描いた。
「こっちがアンタの来た世界だ。で、こっちが今いるこの世界」
 二つの葉をつなぐ線を引く。
「これがさっきの階段だ。アンタはここを通ってきた。こうした通路を私たちは〈穴〉と呼んでいるよ」
 言わんとすることは、絵で見ると分かりやすい。
 分かりやすいがどう信じろというのだ。無言でミンタカと絵とを見比べる。
「ちょっとここらを歩いてみな。なんなら首都まで連れて行ってやろうか?」
「面倒くせぇ。この世界のオレに会わせろ。そしたら信じてやる」
「そいつは無理だ。他の歴史を持つ自分には干渉できないようになっているだからわざわざ遠い日本まで飛ばされてきたのさ」
「ニホン?」
「第一枝の別の葉における連邦の名称さ。分岐した世界を樹形図にあらわした時、この世界がある枝が一番右下になる。だから第一枝」
 ミンタカの大きな目がパジェットの目を覗きこむ。
「一つの枝の中で分岐した自分がいるあたりを『分節』という。分節の別の葉に移動することはできない。これルールな」
 そう言って短刀を剣帯に納めた。
「誰が決めたんだ?」
「別に誰も。そういう風になっている」
「お前はどうなんだ?」
「なに?」
「その穴とやらを通ってきたなら、穴を開けるやりかたが必要だろう。そんなのは聞いたこともねぇぜ?」
「ああ」
 一つ上の枝を、長い指が示す。
「ここら辺かな、私が今所属する葉は。違う枝の葉には直接穴を開けられない。だから一度幹に近いほうに、こう遡って、こっちの枝にとび移ってからここまでまた穴を開けてきた」
「おめぇはいつからキツツキになったんだ?」
「言い忘れてた。穴の存在を知らないのはこの枝の人間だけなんだよ。物知らずの田舎者にナメた口を利かれたくないものだ」
 ミンタカは言った。
「有り体に言おう、この枝は遅れている。だからこの枝の厄介ごとのために私たちが遥々やってきたんだ」
 そう言いながら立ち上がる。パジェットもつられて立ち上がった。黒いレザーパンツについた雪を払いながら、ミンタカは話し続けた。
「厄介ごと?」
「多世界の概念を持つ人間にしか理解も解決できない、大きな矛盾が発生してる。話せば長くなるがそれを解消しにきた」
「マンティスを持ち去ったのは?」
「オクレているアンタらには必要ない」パジェットに向けて一歩足を踏みこんだ。「マンティスも判断した」
 真っ赤なルージュを引いた唇に、軽い笑みを浮かべた。
「強引に連れ戻そうとしたら、自爆するよ。一介の儀礼銃士に持ち運べるものじゃないけどね。そんなことより一度帰って、この世界とそっちの世界の臣津を見比べるといい。私の話を信じる気になるだろう」
「オレを帰らせて逃げようって算段じゃねえだろうな」
「剣帯旗の民は同胞を裏切らん。オマエはどうだ? 立ち去る私の背中にぶっ放すことだってできるぜ」
 パジェットは無言で睨みつけ、笑みを消さぬまま、ミンタカが背を向けた。
「……夜またおいで」
 そして大きく歪んだ門の隙間をくぐり、悠々と姿を消した。

 以前はよく考えた。もしこれが、国と国、人と人との戦争だったら、俺は武器を手にしただろうか。しなかったと思う。暴力は嫌いだ。儀礼銃士となった今でもそのままだ。戦えるのは相手が蟲だからだ。確実に相手のほうが大きくて強いからだ。
 ……あぁ、いや、こんなことを考えている場合ではない……。
 識は蹲ったまま、眉間をつまんで引っ張った。少しだけ頭がすっきりする。スクリーンは元の画面に戻っていた。
『名倉識 別世界の貴君に相当する人物はすべてこの事実を知っている』
 機械は人類に反乱を起こそうとしているのではないか? 姿をくらませ、人間を混乱させ、もしこんなことが連邦各国で、いや、世界中のマンティスに起きているのなら大変なことになる。
 馬鹿げているが、別世界の存在を認めるよりは現実味がある。識の感覚としては。
 頭を軽く左右に振り、一文字ずつキーボードを叩く。
『今の映像は人類の未来の予想図か?』
『否 観測でき得る別世界の想像図である』
『解説せよ』
『人類の世界に人類より小さな虫が存在する 巨大な虫たちはそれが巨大化したものではない 人類ではなく虫類が種としての成長を遂げた世界が存在すると仮定する その世界では人類は 人類の世界における虫に相当する存在であると予想される』
『その別世界が存在すると、なぜ結論したか?』
『これ以上は回答できない』
『小さな人類が存在することは証明されたか』
『極秘事項につき回答できない』
 識は息を詰め、苦しくなってからゆっくり吐き出した。マンティスの言を信じるならば、今まで屠ってきた数々の蟲――その腹を掻っ捌くと、あの……小さな人間たちがぎっしり詰まっていて……。
『人間とは何か?』
 そう打ちこんでいた。蟲にとって、と聞き直そうとするより早く、マンティスが答える。
『未知である』
『そんなはずはない。ではマンティスにとって人間とは何か?』
『創造主(カミ)である』
 違う。こんなことを聞きたいんじゃない。
『人間という種が種として所有する意義とは?』
『我々もそれを知りたい 知りえぬことが未知であると回答した根拠である』
 その時になって識は気付いた。
 訊いていないことにまで答えている。
 まるで会話じゃないか。
 大体、我々とは何を指すのだ。このマンティス『MT1489A3rd』と、他の全てのマンティスということか?
『おまえは何者か』
『人類の被創造物である』
 続いて文字が浮かび上がった。
『こちらから問う 人類とは何者か?』
 識は背すじを伸ばした。
『我々は、』
いや。我々とは誰だ?

  ―4―

 銃と引き換えに、オペレーターを腰鞄から出した。画面には味方を表す緑の光点があった。光は市庁の裏手をうろうろ彷徨っている。
「おい、識!」
 パジェットは識に呼びかける。
「識、おめぇ何やってんだ! マンティスの傍にいろっつっただろうが!」
 交信状態になっているが、応答がない。
「……識?」
 沈黙のうちに血のめぐりが早くなる。
「……おい識、聞こえるか?」
 気分が悪くなるほど、嫌な予感の圧力が高まる。
「識ッ!」
「……パジェットか?」
 識の声だった。ぼんやりとして、覇気がない。
「……悪い……考え事してた……」
 何かあったのだ、何か――。
「無事ならいい。大丈夫か?」
「ああ。そっちは?」
 オペレーターの画面の端に別の緑色が入った。
「……帰ろう。帰ってから話す」
 表示範囲を広げる。新しい光点は市庁舎の横手を行ったり来たりしている。――非常階段を上っているのだ。パジェットは足音を立てないように走った。
 幾重にも折れ曲がる非常階段に、吹雪が差しこんでいる。その薄い白さを割って、小さな靴跡が上に続く。
 階段を上りきり、屋上のタンクに身を寄せた。
 雪雲を背景に、R.R.E.が立っている。
「……の様子はないけど……」
 腕に黄色く光る連鶴をとまらせている。その連鶴に向かって、何か囁いている。
「……そう……」
 返事を待つようにR.R.E.が沈黙する。会話しているようではないか。その隙に、パジェットは、積み上げられた廃材や浄化槽の裏を回ってR.R.E.に近付く。できるだけ、息を殺して。
「……はどうなの? ……」
 R.R.E.の真後ろに回りこむ。波打つ髪が抱く粉雪まで見える。至近距離に障害物はない。
 銃を抜く。
 ドラム缶の影から飛び出した瞬間、R.R.E.がパジェットを振り向いた。連鶴が重たげな翼を広げ、天空に飛び立つ。R.R.E.の伸ばした両手には既に拳銃があった。
 目が合うと、R.R.E.の瞳に一瞬動揺がよぎる。
「R.R.E.おめぇ、どっから入ってきた」
 R.R.E.の銃の照準が、パジェットの胴から外れる。しかしパジェットはR.R.E.の額をぴたりと狙ったまま動かない。
「なに……なによオッサン」
 上擦った声で話しかけながら、R.R.E.は首を振った。
「ちょっと落ち着いてよ、何さいきなり――」
「なんでおめぇがここに居るかって聞いてんだ!」
「やめろッ!!」
 識の声が鋭く割りこんできた。
「何やってるんだ、パジェット!」
 R.R.E.の集中した気が、ぱっと空中に散る。下がってろ、と言いたかった。さっきまでボケッとしてたくせに。代わりに大きな舌打ちをして、安全装置をかける。
「――しーちゃんっ!」
 識はうずくまるR.R.E.に駆け寄って、パジェットを睨んだ。敵を見る目だった。しかし、いつまでもそんな目でパジェットを見続けることもまた出来ず、うつむき背を向けた。
Comment

感想。

冒頭の「気味悪い」雰囲気、母の言葉→「本ッ当に底意地わりぃババァだな!」 
何かを暗示させるような引っかかりが、長く残る場面だった。

ぱーくんしぃちゃんが地下に降りる描写、「識から階段~後ろにつく」という短いものだけど、
これまで培ってきたお互いの信頼関係と立ち位置が即把握できる。
…だからこそ最後「そりゃないわ、しぃちゃん」w 恥じ入る云々には萌えたけど、ないわーw 

女性キャラが今のところ全員、ウザくないのが嬉しい。

余談。識の名字「名倉」は幽体離脱用語からとりましたか? 違ったら失礼しました!
あと、野暮な質問だったらごめんよ…。

>>余談。識の名字「名倉」は幽体離脱用語からとりましたか?

えーっと、何だろう。どんな言葉ですか??

名前は登場人物の顔のイメージでつけてます。そしたら、読者は逆に名前のイメージから顔を想像してくれるかもしれない^^;
「夢見る病気」では、名前に由来がある登場人物は三人だけですね。ミンタカと蘇比と、第三章で初登場する男の子(蘇比は色の名前)。
第三章に関しては、いずれまたw。

遅くなりました!

『最近幽体離脱にはまった まとめ - 用語』
http://www13.atwiki.jp/ridatu/pages/20.html
こちらが一番判りやすいかな?<名倉

顔のイメージ…それはありがたいことです!
やっぱ、名前=容姿って直結してるから…
あ、あくまでも私の場合はですがw
でも字面とか響きとか、すっごく大事だと
思います。


お答えいただき、ありがとうございます!!

ども!

名倉潤って芸能人の名前やんwwwwww
って思ってたけど今日休みなんでまとめ読みましたよ~。
クロミミさんは色んなこと知っててすごいな! また何か面白げなネタがあったら教えてくださいね!

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