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竹の子書房用 とよね

竹の子書房用【絵が先 古城の怪異】参加作品 古城の怪異〈4〉 著者:とよね

古城の怪異〈4〉 二章 その夏(――3/3)

 11.正当防衛です、ミス・エーカー

 テーブルにつき、やれやれ、久しぶりの食事だと思うけれど、心持ちは安堵からほど遠い。向かいに座るキャリーのことが気になるのだ。
 泥がこびりつき、絡み合った長い髪。生々しい擦り傷が残る腕や顔。細い指がもつスプーンは、泥水をすくっている。
 キャリーのスープ皿には石と草と泥水しか入っていない。と思ったら、リジルの皿もそうだ。これでは食べられない。
「どうして、ここにいるの?」
 リジルは問うが、キャリーは長い前髪の向こうに顔を隠してすすり泣くだけだ。
「ねえ、キャリー。あなたは誰? なぜお城にいるの? お城の外にはちゃんとしたご飯があるのよ」
 消え入りそうな声で嗚咽していたキャリーが、顎を上げ、水色の目でリジルを見た。白目が充血し、涙をためている。
「青い人がいるから出られない……」
 スプーンが震えていて、スープ皿に当たって鳴る。ああ、怯えている。こんなに怯えているのだから、『青い人』というのはよほど怖いのだろう。リジルは憐れになり、その憐れみが、今ではそっくりそのまま自分に返ってくることを思い、暗澹たる気持ちになった。
「それにね、出ちゃ駄目なの」
 キャリーは泣きながら声を振り絞った。
「レグルス伯父さんが迎えに来るの。だからね、ここにいなさいって。ここから出ちゃ駄目なの」
「伯父さん? あなたのママはどこに行ったの? パパは?」
「ママは……ママはどこだろう……」
 キャリーの右目から、どっと泥水があふれ、テーブルクロスにしみを作る。右の眼球が泥水に押されて飛び出し、テーブルに落ちた。
「ママどこ行ったのかなぁ……」
 黒い空洞になった右目から、泥水と共に裸の小人らが押し出されてきた。小人らはテーブルに、あるいはスープ皿の中に落ちて汚い飛沫を散らす。
「ははは、こいつは驚きだ」エルナートが笑う。「猫だったら尻尾が太くなってるぜ」
 スープ皿から小人の弁護士が這い出てきて、テーブルの上に顔面から落下した。
「正当防衛と言えばいいのです」
 と、顔を上げ、同じく裸の小人のリジルに言った。
「違うのです、先生、私は口論でカッとなって――」
「正当防衛です。あなたはあの日、貞操と身の危険を感じ、ご自身を守ろうとしたのです。そうでしょう?」
 小人達が陪審員席を奪い合い、あぶれた者は傍聴席につく。
 裸の裁判長が問うた。
「被告人リジル・エーカー、その証言は調書の内容と食い違っているが――」
「裁判長、私は取り調べの最中は気が動転しており、まともな答弁が出来なかったのです。本当は私はあの時、強い身の危険を感じていたのです」
「あなたが強い身の危険を感じるようなことを、被害者の男性がしたのですか?」
「嘘だ!」
 傍聴席から裸の被害者が転げ落ちてきた。
「僕は、何にも、殺されるようなことはしてないんだ。酷いことは言ったかもしれないけど――」
 被告人席のリジルのもとへ、四つん這いで寄ってくる。
「殺すことないじゃないか! 殺すことないじゃないか!」
「うるさい!」
 リジルは立ち上がり、テーブルの上のその小人にフォークを突きたてた。固いチーズを刺すような感触があった。
「くだらないこと言わないでよ。私が不利になるじゃない!」
 ぎゃっ、と、小人は血をまき散らしながら叫んだ。
「痛い、やめてよ! ママー! ママー!」
 リジルはフォークをもう一度振り上げ、小人を突く。
「ママー! あの女が――」
「うるさい! もういい加減にして!」
 フォークを振って小人を振り落とし、さらに刺す。
「ママ――」
 もう一度。
「僕は悪く――」
「う・る・さ・い!」
 リジルは髪を振り乱し、夢中でフォークを振り下ろし続けた。
「あなた、もう死んだんじゃなかったの? 死んでよ。お願いだからもう死んで!」
 小人の胴体は刺突によってもう原型をとどめておらず、花開いたような赤い血と黄色い脂肪の塊に、手足がぷらぷらとくっついているような有り様だった。が、目はリジルを見ていた。
「……ろさないで――」
「死んでよ!」
 その顔面をフォークで潰す。
「……死ね、死ね、死ね! 死ねっ! 死ね!!」

 12.美しきレグルスとポラリス

 天候不良による不作が長く続いていた。
 農耕を続けられなくなった田舎の民たちは、都市部からの呼びかけによって、炭鉱や軍事工場で働くようになった。隣国との小競り合いもあって、この分野の仕事は安定していた。が、富を得た労働者はなかった。あまりにも安い賃金と疲労、疫病、過酷な労働が、彼らの心身を食い潰していった。
 それは突発的なデモだった。とある工場で発生した労働者と工場側のいざこざが、暴動にまで発展し、小さな田舎町を覆い尽くした。飢えと、漏れ聞こえる王宮の豪奢な暮らしへの怒りが、彼らの痩せた心を駆り立てたのだ。
 彼らは町内巡回の途上であった町長を虐殺し、今度は一転、殺戮される側の身となった。
 生き延びた人々は森に逃げた。その人々を救ったのは、時のアストリア城城主、シェダル・アストリアである。
 アストリア家は高貴な血筋でありながら、長らく王家から冷遇されていた。そのアストリア家が王国軍の一部と繋がりを持ち、謀反の準備を進めていたことも、後に明らかになる。
 それは城主ではなく、その奥方ミザルの手腕だった。
 ミザル・アストリアは、女性ながら類稀なる豪気の持ち主であった。市民革命時には、領地を守るために自ら兵を率いて戦線に立った一幕もある。
 ミザルには子供がいた。双子の姉弟、ポラリスとレグルスである。
 当時双子は悪魔的なものであると忌み嫌われていたが、先進的な考えを好むミザルはその意見に耳を貸さず、双子を溺愛した。
 天真爛漫な、そのうえ美しい双子の存在は、アストリア家の領地に逃れついた民達を癒した。貴族への憎しみで心を塗り固められた民たちでも、アストリア家と双子の未来が明るいことを願わずにはおれなかった。
 だがそうはならなかった。
 双子はあまりに美しかったがゆえ、お互いを愛したのだ。

 13.友達がほしかった。

 レグルスとポラリスの肖像は、このうち捨てられた城に今もある。それは一階東奥、城主の執務室へいたる長い廊下に飾られている。
 凛々しい目をした女傑ミザル。温厚で柔和な顔立ちの城主シェダル。城主が座る椅子の後ろには、彼の母エウヘミアと姉のエリダヌスが控えている。
 まだ幼い正装のレグルスとポラリスも、華やかな笑顔で立っていた。
『かわいそうだね』
 白い歯を見せて笑う絵の中のレグルスが、隣に立つ、金色の髪を結い上げたポラリスに話しかけた。
『あの人たちは、閉じこめられてしまったのだね』
『ええ、おかわいそう』
『地下通路を見つけるところまでは、いけたのに』
『引き返して正解だったのよ』
 と、ポラリス。
『あの道は途中で二手に分かれている。左に行けば、外に逃げられるのだけれど、右に進んだら罠が待っている。戻るしかなかったのよ』
『……かわいそうだね』
 絵の中で凍りつき、二度と動かぬ双子の目が、廊下に立つ女を見つけた。
 褐色の肌、黒い髪、大きな黒い双眸。異国の衣装を身にまとい、異国の竪琴を抱いている。
『こっちにおいでよ、マオカティヤ』
 異国の楽士は静かな微笑みで、呼びかけを拒んだ。
 そのマオカティヤの姿に気付かず、リジル、エルナート、ディルケの三人が歩いてきて、絵の前に立った。マオカティヤと呼ばれた楽士の体をすり抜けて。
 リジルが肖像画を見つめる。
 城主と奥方、その子供のレグルスとポラリス。エリダヌスもいる。上品な老婦人は双子の祖母エウヘミアだ。
「その絵がどうした」
「何でもないわ。ただやっぱり、キャリーは市民革命より後の時代の人間だって思っただけよ。衣服の様式が違うもの」
 リジルは苛立っていた。
 開かなくなった窓。開かなくなった玄関。物理的に外に出る手段を、朝になった時には全て封じられていた。自分達が逃げることは愚か、外から人が入ることも出来ぬであろう。
 リジルは絵の前でうなだれた。早く城から逃げなければ、飢えて死ぬ。その前に渇いて死ぬ。
 怖かった。人を殺しておきながら、殺されることだけは御免だった。
「キャリーはどうして私たちを閉じこめるの?」
 この状況が本当にキャリーによってもたらされたという確証はない。しかしキャリーのせいにできるなら、キャリーのせいにしたかった。返事は期待していなかったが、ディルケが答えた。
「事情が分からないから何とも言えないけど……あの年の子供の考えなら、単純なことじゃないかな。寂しいとか。友達が欲しいとか」
「そうか。あり得るわね」
 それはリジルにもすんなりと納得がいった。
「あのガキは、俺らと友達になりたいからここに閉じこめてるってのか? 死ねばオバケの仲間入りってか。ハッ」
「だとしたら、私たちを外に出せるのはキャリーだけよ」
「気にくわねえ。幽霊かよ! 幽霊の殺し方は知らねえな。あのガキが人間だったら――」
「人間だったら、何だというの? 撃ち殺すとでも言うの?」
 エルナートが殺気に満ちた目を、双子に、ついでリジルに向けた。
「俺が初めて人を撃ち殺したのは八歳の時だ」
 光のない目を向けられて、リジルは体を硬くした。
「子供も大人も関係ねえ。必要なら、殺すんだ。殺されそうになったり欲しいものを奪われそうになったら、力尽くで勝つしかねぇんだよ!」
「八歳?」
 ディルケが呟く。
「誰を撃ち殺したんだ? エルナート、院長は絞め殺したよな?」
 一瞬、エルナートの顔面に動揺がよぎるのを、リジルは見逃さなかった。
「なあ――」
 リジルをはさんで、エルナートとディルケが見つめあう。
 何故二人がそうしているのか、リジルには分からなかった。ただ、昨夜ディルケと話した内容が、遠い思い出のように渦巻いた。
 院長がひどい奴でさ。護身用に持ってた自分の拳銃に撃たれてね。あれさえなければ、今頃は。何故同じことをするの。とても嫌なことをされるようになったんだ。エルナートは友達になってくれた。
 友達。
 友達。
 友達。
「ディルケ」
 エルナートが沈黙を破った。
「……だったら、何だ?」
 ディルケは顔面蒼白だった。二つの目がチラチラ揺れ、唇は戦慄(わなな)き、何か言おうとするたびに、左右の頬が交互に引き攣れた。
 とうに折り合いをつけたはずの過去から、輝かしい未来が芽生えて大樹に育つ。有り得なかった現実。それだけに尚更輝かしい、有り得たはずの未来。人に脅されず、人を殺さず、生きていたはずの未来。
 そんな大樹の芽を摘み取った、この世でただ一人の友が、目の前に立っている。
 その葛藤がリジルからも言葉を奪った。
「エルナート、僕は――」
 いつものお追従笑いが、強張った顔面に走った。
「奪われたくなかったんだね、僕と居たかったんだ。ねえ、そんなに僕を大事に思ってくれてたんだね、ねえ、僕は、分かるよ。エルナート、僕は――」
 そして何かに――何もかもに?――耐えられなくなって、背中を見せて逃げた。ディルケの後ろ姿が廊下を曲がる。その先の扉を乱暴に閉ざす音。
 やがて遠くから、獣の咆哮のような慟哭が響いてきた。
「……信じられないわ」
 リジルも逃げたかった。このまま言葉を失ってしまえたら、どんなにいいだろう。
「考えろ」
 けれどエルナートは命じる。
「今のことは気にするな。お前は、城から出る方法を考えるんだ」
『哀しいね』
 レグルスがしゃべる。
『僕らは見ていることしか出来ないんだ』
 ポラリスも、感情を押し殺した声で囁いた。
『私たちは何なのかしら』
『分からないよ』
『大人になった私たちは、どこへ行ったというの?』
『分からないね。大人の僕たちの心が遺ればよかったのに。そうすればこんなに辛くなかった。本当に――大人になった僕たちの心はどこに行ったのだろうね? 僕たちは何だろうか?』
 油絵の具の中にいて、二人は透明の涙を流す。
『僕たちという存在があるのだろうか。それとも、僕たちという現象があるのだろうか』
 リジルとエルナートの後ろで、マオカティヤが両手で顔を覆った。その姿が火に包まれて燃え上がるが、二人の罪人は気付かない。
 爽やかな朝の光が、幸せそうな家族の肖像に降り注いでいた。

 14.拳銃は二挺ある

 市民革命が起こる一年前、ある交易商より一人の異国の楽士が城に献上された。東方の、濃い色の肌と黒い髪、輝く大きな瞳を持つ、美しい楽士だった。名をマオカティヤという。
 城は、それまでも多くの命を飲みこんできた。
 マオカティヤも死んだ。城主とマオカティヤが懇ろになることをミザルは許さなかった。それだけでなく、マオカティヤはエリダヌスと仲がよかった。三人が結託することを、ミザルは何より恐れたのだ。
 さる夜会の席で、不幸な事故を装って、マオカティヤの衣装の裾に蝋燭台を落とすよう、ミザルは側仕えの下女に言いつけた。双子は知っていた。別の下女が、その衣装に油をこぼしておくよう命じられていたのを。
 冷たい夏の、雨降る夜だったという。

 その一件により、当時十歳だった双子の心は完全にミザルから離れたのではないか、とさる近代史家は指摘する。
「市民革命が収まったとき、双子はその時代の結婚適齢期を迎えていた。けれど二人は様々な理由をつけて結婚を引き伸ばし、十六歳で城を出たのよ。二人で生きるために」
 エルナートは冷たい目でリジルを見た。
「それとキャリーがどう繋がる?」
「ここからは私の憶測も入るけど、最も考えられそうなことを話すわ。ミザルは双子を失った後、どうにかして城の後継者を作る必要があった。けれど自分自身はもう、子を作るには無理のある年齢だった。市民革命後、城はミザルの独裁状態だった。精神が衰弱した城主は、事実上の幽閉状態にあったのよ」
 リジルは頭と精神力を駆使し、何年も前に読んだ歴史書の内容を細部まで思い出す。
「ミザルは自分の遠い血縁の十三歳の少女をシェダルに与え、その少女に子供を産ませたの……正式に残っている歴史はそこまで。キャリーの名前は正史には一切出てこないわ」
 探るような目でエルナートが凝視するのを感じながら、リジルは目を壁際のほうへやった。
「城主とその少女との間の子はジョセットという名だった。ミザルの言によればあまりにも凡庸な、とても自分や双子の代わりが勤まる人間ではなかったと――普通の人間だったというわけね。ジョセットは失意のミザルとシェダルの死後、城に住む大多数の者をクビにした。記録がここまでしかないのはその為よ。市民革命が、この城のハイライトだった。後は歴史の中に消えてゆくばかりだった」
「……それで?」
「城に残された数少ない人間の中に、たしか庭師がいたのよ」
 リジルはまっすぐにエルナートを見た。
「城の栄華と衰退を見続けていた人物よ。彼は城を維持するために残された。それを雇っておくだけの財産は残っていたし、彼もこの城を捨てることは出来なかった」
 と、古い手帳をエルナートに見せた。
「読めたのか?」
「あいかわらず拾い読み程度だけど。けれどここにはジョセットとキャリーの名が記されている。キャリーはジョセットの娘なのよ! そしてキャリーの身をめぐって何か――」
 手帳をめくり、あるページをリジルはエルナートに見せた。文字が乱暴に書き殴られている。叩きつけるような激しい怒りが、時を超えて目の前にあった。
「――読めないけど、何か、庭師を激怒させるようなことがあったんだわ。そして、この後彼も城を追い出されてしまう」
「何かとは何だと考えられる?」
「キャリーに訊けばいいわ。そんなことまでは想像ではどうにもならない」
 エルナートから離れたい一心で、リジルは手帳を閉じた。
「……キャリーを探してくる」
 馬鹿なことを言うな、と言われるかと思ったが、止められなかった。エルナートはどこか上の空で、リジルの話は理解しているようだが、他のことが気がかりで仕方がない様子だった。
 当たり前だ。
 リジルは部屋を出る。
 キャリーよりもディルケをどうにかしなければならない。どうすればよいのか分からないまま城主の執務室を出て、肖像画に背を向ける。
 長い廊下を渡る。
 その先の小さな広間にディルケが立っていた。
 硬直するリジルにやつれた顔で微笑みかけると、歩み寄ってきて、突然問いかけた。
「なあ、拳銃は二挺あっただろう?」
 戸惑いながら数回頷くと、ディルケも満足そうに頷く。看守二人から奪ったのだから、それは間違いないはずだ。
「それがさ、二挺ともエルナートが持ってるんだよね。ね、リジル、面倒をかけて悪いけど、一挺持って来てくれないかな」
 リジルは答えられなかった。
 ディルケが何をするつもりか、分からないはずがなかった。それだけに、そんなことを自分に頼むのが不気味だった。
 理由は分かる。
 彼はもう思考の均衡を欠いているのだ。
「ごめんなさい」
 狂いゆくディルケには、もう謝るしか出来なかった。
「私にはできない」
 ディルケは子供返りしたような不貞腐れた目つきでリジルを見た。
「じゃあ、いいよ。君には頼まない」
 そして、リジルとすれ違って廊下を歩いていく。
 足音は執務室の手前で止まった。
 声が聞こえてきた。
「エルナート、少し話があるんだ」
 逃げたかった。しかし、逃げ場がないことは、よく承知していた。立ち尽くすリジルの足が震え、身を抱き、しかし顔は赤く、涙で目を濡らしていた。
 何故この世には、こんなことがあるのだろう。このように惨い出来事が起こるのだろう。エルナートや――いいや! この自分のような、惨く醜いありようの心が、何故存在するのだろう。
 やがて銃声が、執務室から響いた。リジルは二の腕に爪を立てて恐怖を凌いだ。どちらが生き残っていても、自分には耐えられない。
 けれどどちらかは生き残っている。
 その証拠に、拳銃を乱射する音が、まだ続いている。
 震える足を廊下に踏み出した。
「ディルケ!!」
 立っているのはエルナートだった。
「何故俺を裏切った!」
 エルナートは、扉を細く開けて覗きこむリジルにも気付かず、拳銃を床に捨てると、銃弾に裂かれた無惨なディルケの遺体の胸倉を掴んだ。
「ディルケ、てめぇ――俺のために何でもするって言ったよな?」
 そして遺体を揺さぶる。
「どうなんだよ!」
 廊下の床板が鳴った。
 エルナートは初めてリジルに気がついた。目が合うと、リジルは怯えた声で悲鳴をあげ、走り去って行った。
「……リジル」
 ディルケから手を離す。
「リジル!」
 そして、唐突に予期せぬ苦痛を感じ、左の肩口を押さえた。
 右手を血が濡らした。
 エルナートも撃たれていた。

 15.血の日

『エルナート、お友達っていうのはね、お互いに好きでなるものなのよ。物のように奪ったり、手に入れたりするものじゃないのよ』
 院長殺しの罪で、警察署に連行される日の出来事だった。若い女の職員が、エルナートの両肩を掴んで言った。その顔はもう思い出せないが、肩に食いこむ指の力は覚えている。
 彼女は何故エルナートが院長を殺したか、何故ディルケを共犯に選んだか、理由を知っていたのだ。だから、エルナートは腹が立った。
『うるせぇな、離せよ。お前は何もしなかったじゃねえか。偉そうに説教垂れやがって』
 その職員の足もとに唾を吐いた。ディルケは隣で目に涙をためていた。
『……泣くしかできねぇのかよ、大人のくせに。バカみてぇ』
 二人は車に乗せられる。孤児院との別れの時だった。警護車両のミラーには、孤児院の入り口で泣き崩れる彼女の姿が映っていた。
 泣くだけ。泣くことしかできない。そんな大人になりたくない、だから必要なものは奪っていいんだ。不愉快な目にあわされたなら、殺してもいいんだ。
 神様などいないから、人は自分を許さないから、自分で自分を許すのだ。そういうふうに生きるのだ。

 エルナートはテーブルに肘をついて呆然としていた。肩口の傷はきつく縛ってあるが、血はまだ少しずつ流れ続けている。足もとではディルケが死んでいた。
 ディルケですら、俺を許せねぇのか。
 問いかけるように心の中で呟き、笑った。
 そりゃ許せねぇよな。
 ふと気がつけば、ディルケの囚人服のポケットから銀紙が覗いている。取り出してみるとチョコレートだった。幸いにも、弾丸や流血の被害は受けていない。
 看守から奪ったのだろう。抜け目のない奴だ。
 昔からこうだった。ぼんやりしているようで頭の回転が速く、控えめながら的確な意見を言う。そういう人間だと見抜いたから、エルナートはディルケを欲しがった。こいつは役に立つ。もし自分と出会わずに、別のまともな人物に見出されていたら、ひとかどの人物になっていたかもしれない。
 銀紙をむいた。
 チョコを口に入れようとしたら、ドアが軋んだ。
 泥土に塗れた素足が、ドアの向こうに立っていた。
 キャリーがいた。
 物言いだげな大きな目が、上目遣いに窺ってくる。二人は見つめあった。
 人間の子供。それ以外の何にも、エルナートには見えなかった。その視線がエルナートの手に落ちた。
「……それ、ちょうだい」
 そして首をすくめた。今の発言で怒鳴られたり殴られたりするのを恐れているのだ。身近な大人からそういう扱いを受けてきた子供は、こんな仕種をする。孤児院の子供達もこうだった。
 エルナートは興味が湧き、尋ねた。
「必要か?」
「うん」
 キャリーは頷く。
「ちょっとだけちょうだい。ね、ちょっとだけでいいの」
「ちょっとだけで、いいのか?」
「うん。ちょっとだけで、いいの」
 エルナートは本当にちょっとだけ――親指の爪の半分ほどの大きさにチョコレートを割り、キャリーの足もとに投げとばした。キャリーは困ったような目でエルナートを見つめたが、しゃがみこみ、その小さなチョコレートの欠片を両手に持つと、嬉しそうに笑った。
「ありがとう!」
 チョコレートを胸に当てる仕種をし、長い髪を振り回すように背を向ける。そして足取り軽く廊下を遠ざかって行った。
 残されたエルナートは、しばらく身動きもならなかった。
 今のは幻か。
 いいや、床に土が残り、チョコレートは欠けている。その僅かな欠けをじっくりと見つめた。子供の口でも、一口もない。
 ありがとう、だと?
 エルナートは笑った。これで足るものか。
 何故「たくさん欲しい」と言えないのだ。「必要なだけ寄越せ」と。
 チョコレートを、叩きつけるようにテーブルに置いた。
「クソガキが!」
 廊下に叫んだ。
「お前、馬鹿にされてるんだぞ」
 返事はない。黙しておられずエルナートは立ち上がる。この怒りがどこから来るのか、考えてはいられなかった。眩暈がした。
「キャリー!」
 遠くで、子供の足音が走る。
 廊下の先の扉の前に、肖像画から抜け出たような、太った老婦人が立っていた。銀髪をシニョンに詰めてドレスをまとった上品ないでたちで、穏やかに微笑みかけると、エルナートの為に扉を押し開けた。
 その先の小広間の奥の暗がりで、キャリーの白い衣服が翻る。
「待て、おい!」
 まるで遊んでもらっているかのような、嬉しげな笑い声が響いた。キャリーがさらに一つの扉を開けて進む。
 明るい光が射す廊下だった。
 側塔へとまっすぐに延びる廊下をエルナートは駆け抜ける。
「キャリー!!」
 側塔と廊下を隔てる扉の前に、エリダヌスが立っていた。
「お前は何がしたいんだ? 何が欲しいんだ!?」
 光の中で、エリダヌスの華奢な白い手が、扉を押し開ける。
「言ってみろ!」
 石造りの階段が、しずかに光を載せている。三階まで上ったところで、唐突に視界から光が消えた。
 締め付けられるような痛みが頭全体を覆った。動悸がとまらない。息が苦しく、どれだけ呼吸をしても楽にならなかった。
 肩から血が溢れている。ああこれは、助からないかもしれないと、エルナートは思った。両目を強くこすり、瞳に光を集める。気付けば階段に膝をついていた。
 怒りは消えなかった。キャリーに対する怒りではなく、もうすぐ死ななければならない事実への怒りだった。
 ――俺は生まれついての弱者だった。経済の面で、教育の面で。あの日、母親と一緒に殺されているべき人間だった。
 けれど生き延びた。銃を取り、父を脅かすことで、生き延びることが出来た――俺は、自分の力で生き延びた! 生きる能力のある人間だ! 生きる資格がある! 俺は自ら強者になった。それが何故こんな所で死ななければならない?
「ふざけるな!」
 視界に光が戻った。まだ立てる。
「俺をここから出せ!」
 階段の上の角からキャリーが顔を出し、ニコリと笑うと身を隠す。エルナートは階段を駆け上った。
 扉の開閉音。
 回廊へ続く廊下の前に、双子のレグルスとポラリスが立ってた。双子は両開きの扉をそれぞれ片手で押し開けた。進め、と。
 中庭を見下ろすその廊下には、誰も立っていなかった。
 廊下の角を曲がろうとした時、壁に埋めこまれた鏡を見てしまった。
 エルナートはそこに映る自分の姿に愕然とした。
 左半身が、自分の血でずぶ濡れの状態だった。何故気付かなかったのか――極度の興奮のためだろう、撃たれたのは肩だけではなかったのだ。銃弾が直撃したのは肩だけだが、脇腹と太腿の服が裂け、そこを銃弾が掠めたことがわかる。
 顔面が白い。流れた血が靴に溜まり、そこから滲み出て、廊下に筋道を残している。
 これは、助からないどころではない。むしろよく立っていられるものだ、と思ったら、膝から力が抜けた。次に目を開けた時見えたのは、鏡の中で、床に倒れてこちらを睨みつける自分の顔だった。
 死ぬのだ、と分かった。
「……つまんねぇな」
 エルナートは目を閉じる。

『逃げられると思ったか!』

 有り得ざる声が意識をつなぎとめた。殺した看守の声だ。

『……ああ。逃げられると思ったさ』

 どこへ逃げようとしていたのだろう?
 具体的な目的地などなかった。どこか安全な所。そうだ。いつだって求めていたのは安全で、自ら壊していたのも安全だった。そして安息も。
 そもそもはただ、死にたくないだけだった。殺されたくないだけだったはずだ。
 逃げたい! 死の淵を滑り落ちながら、まだ彼は足掻いた。死にたくない!
『逃げられるさ』
 目を開けると、そこにディルケがいた。
 銃弾に額を砕かれ、血まみれでなお笑っている。
「逃げられるよ。だってエルナートは強いんだ」
「……ああ。そうだな」
 差し伸べられた手に助けられ、立ち上がる。鏡を見れば、二人とも、酷く血まみれだった。どちらともなく笑いあい、二人は城の玄関に歩いてゆく。
「逃げられんぞ!」
 後ろをついてきた看守が叫ぶ。
「自分からは逃げられんぞ!」
 城を出れば、そこはただ血で染めたように赤い平野と赤い空。無限の彼方で天地がふれあい、立ちはだかるものは何もない。
 逃げるんだ。歩いていけばいい。いいや、もはや俺を追ってこられる者があるだろうか?
 振り向けば、城壁に並ぶ人々が自分たちを見送っている。
 顔立ちの良い双子の子供は、レグルスとポラリス。
 失意のうちに死んだ女傑、ミザルがいる。
 隣のやつれた男は、幽閉された城主か。
 共に肖像画に描かれていた、城主の母親たる老婦人もいる。
 もはや全てを諦めきったような目のエリダヌスも。
 焼き殺された異国の楽士も。
 城で働いていた多くの者ら。
 兵士。
 目を凝らせば、森には、青白い炎に包まれたみすぼらしい身なりの人々が、無表情で立っている。
 全てが自分の歩く早さによって遠ざかり、赤い闇に溶けてゆく。
 いつしか自分の後ろをついてくる人たちがいた。
 孤児院の院長がいた。ディルケを引き取るはずだった夫婦の姿もある。銀行で撃ち殺した親子もいれば、一味の仲間を売った裏切り者もいる。運悪く、殺しの現場を目撃してしまった罪なき市民がいる。かつて撃ちあいをした警察官がいる。二人の看守も。
 皆、自分の手で殺してきた人間たちだった。
 ただついてくる。
「サーカスがくるんだ」
 額の砕けたディルケが隣で笑う。
「サーカスがエルナート、来るんだ。森の向こうの街にサーカスが海の向こうからね、サーカスがね、ね、サーカスが、サーカスが、サーカスが、サーカスが、サー、カスね、サーカスが、サーカスがサー、カスがサー、カスがね、サーカスがね、サーカスが――」

 黒い色彩が下りてきて、天も地も人も、全てを塗り潰す。




(三章へ続く)



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