お話の、あるところ。

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竹の子書房用 とよね

竹の子書房用【絵が先 古城の怪異】参加作品 古城の怪異〈6〉 著者:とよね

古城の怪異〈6〉 三章 晩夏――2/2

 8.果てしなき……

 百人の兵士が夜を燃やす。松明の炎が森にわけ入り、村になだれ込み、百万の生物の眠りと闇を赤く薙ぎ払う様子を、馬上の若く美しき双子が見ている。
 レグルスは背後から腕を回すポラリスの平静を感じている。怯えてはいない。そのこと自体に彼は不意に怯える。おれの後ろに居るのは誰かとレグルスは考える。
 おれは城を捨てる。幽閉された父と、野心家の母親、未来に統べるべきであった民と、豊かな生活と名誉を。罪深きことである。すべてを捨てて越える山の向こうに、何も知っているものがなかったら? 何もかもが違う――人間の世界ではなかったら。地獄、異形の者どもの、永劫の罰の世界であったら。
 そして彼は、ただ一つ選び取ったものを見ようとする。見て、それが、自分が知っているまま変わっていない事を確かめようとする。
「行きましょう、レグルス」
 振り向くのを禁じるよう、後ろのポラリスが言う。
「行きましょうよ」
 レグルスは馬の腹を蹴る。背後に張り付く存在が美しき姉であり、恋人であることを信じて。
 夜陰に紛れる二人に、二人の記憶だけが視線を注ぐ。
「今日だったね」
 と、城壁にはまだ子供のレグルス。
「今日でしたわね」
 と、ポラリス。
 手を繋ぐ二人に気付く術もなく、兵士たちは怒鳴り、行き交う。
「私たちが城を出たのは」
「そして帰ってくるはずだった日は」
 そして城の裏庭でエリシが叫ぶ。
「エルナート! エルナート!」
 彼女は手探りでヘッドライトを見つけ出し、点灯すると、それに浮かびだされたエルナートを見て短い悲鳴を上げる。
「いるよ」
 うるさそうにエルナートが答える。
 エリシはエルナートを連れて城を走る。彼女には兵士たちが見えない。城の明かりが見えない。彼女に見えるものは、彼女が持ち込んだライトの光だけだ。
 兵士たちの声に耳を貸さず、召使たちの声も聞こえぬまま、その姿をすり抜け彼女は家族の肖像画の前に立つ。
「レグルス、ポラリス」
 彼女の夜、彼女の時間に立って、彼女は彼女の闇に尋ねる。
「何故あなた方は帰ってこなかったの?」
『違うんだ』
 レグルスは答える。
『帰ってくるはずだった。僕たちはキャリーの為に』
「何故、あなた達はキャリーを迎えに来なかったの!?」
 そんなエリシの足許にも、記述する者の有無に関わりなく、歴史の黒い水が流れて果てしなき滝壺に落ちてゆく。

 9.怖いものを見るよ

 そしてエリシは、居心地悪そうなエルナートの身じろぎで冷静になる。ヘッドライトの黄色い輪の中で、幼い双子が笑っている。エリシは自分の感傷から目をそらし、エルナートに光をやる。
「そのキャリーって人、死んだの?」
「ええ」
 答えてやる。「あなたと同じようにね」、と、心の中で。
「だけど居なくなったんじゃないの。私はここで会った。キャリーはまだ居る」
「居るなら、出て来ればいいのにね」
「……えぇ」
「エリシに言いたいことがあるなら、出て来て言えばいいのに」
 エリシはうなだれる。
 あるいは、キャリーにとっては、自分なんかに言うべき事などないのではないか?
 エリシは考えを否定するために言った。
「きっともう出てくるだけの力がないんだわ……だってもう百年以上、ここに留まっていたんだもの。力がなくなったのよ。きっとそうよ」
 そもそもキャリーはなぜ、自分の前に姿を見せたのだろう? 何を言いたかったのだろう? エリシは記憶に問う。
 キャリーが、何かを言いたかった?
 キャリーは遊びたかっただけだ。と、エリシは答えを出す。いいや、それが答えだと、以前から分かっていた。寂しかったのだ。年の近い女の子が――エリシが――来て、嬉しかったのだ。
「キャリーはこの城で死んだの」
「どこで?」
「……どこかにキャリーの遺体があるはず」
 それを探しに来たのだ。
 いいや、そうではないけれど、それが帰る理由になる。キャリーの死体を見つけ出せば、そういう一仕事を成しえたなら、私は私に、この城から立ち去る理由を与えることができる。
「探しましょう。手伝って」
 朝になれば迎えが来る。その前に。
「探すの?」
「ええ」
「どこから探す? エリシが城のこっち側探すなら、僕向こう側探すけど」
 エリシはエルナートを凝視し、回廊で二分された城を手分けして探そう、と提案されているのだと理解した。
「……ライトは一つしかないわ」
「いいよ、エリシが使えば」
「そんなワケにいかないでしょう、あなた、こんな真っ暗じゃない」
「僕、怖くないから」
 エルナートは冷めた目でエリシを見上げ、闇に戻ろうとする。
「待って」
「たぶん……ここはいつでも暗かった。エリシが来る前から。どうやら僕は真っ暗なのに慣れてるみたいなんだ」
「キャリーがどんな風に死んでいるか、分からないわ」
 エリシは、自分が怯えていることを自覚しないわけにいかなかった。
「怖いものを見るよ」
 エルナートは答えなかった。半身を闇に浸し、首だけ捻ってエリシを見ている。
 怯えを見抜かれ、自分より大きいくせにと軽蔑されているのでは、と思ったが、そういう事とは関わりなしに、彼は自分の考えに浸っていたようだ。エルナートが口を開いたとき、エリシはそう理解した。
「僕も誰かを探してたんだ」
 そして彼は、その外見の幼さに釣り合わぬ苦渋の表情を浮かべ、苛立たしげに舌打ちし、頭を振る。
「キャリーを探せば、誰を探していたか思い出せるかもしれない」
 エリシは唾を飲む。
 この子はただの少年じゃない。彼は凶悪殺人犯だった。その意識がどれほど残っているのかは、想像のしようもないが。
「分かった、お願い。それじゃあ一緒にキャリーを探して」

 10.夜と窓

 エリシは一人で城をひっくり返す。部屋という部屋を探す。クローゼットの中。ベッドや机の下。
 ふと恐怖が見える。
 死してなお光る眼球と視線が合う。子供の骸を抱いた古い服の切れ端を見る。白い骸骨の指が伸びてきて、自分の顔や手に触れようとする。
 エリシは時に短い悲鳴を上げる。そして、それらすべてが幻覚だったと気づいてから、今さら自分の言葉に怯える、『怖いものを見るよ』。
「キャリー」
 声に出して、何部屋めかのベッドの下を覗きこむ
「キャリー、いるの?」
 広間の、階段の陰を覗きこむ。
 そして、キャリーを探しているはずなのに、キャリーがいなかったことに安堵しつつ二階にあがる。キャリー探しをまだ続けなければいけないことに、暗澹たる思いを抱きながら。
 その廊下の一番端の部屋を開け放ち、扉の真正面にある窓に声をぶつける
「キャリー、どこ」
 そしてその部屋でも、子供が隠れられそうな隙間には、片っ端からヘッドライトの光をねじ込む。
 次の部屋で思う。ひょっとして、キャリーが見つかるまで、夜は明けないのではないか。
 次の部屋で思う。誰からも顧みられなかったキャリーは、時間だけにひっそりと愛されて、連れ去られてしまったのではないか。今この時間の上で、キャリーを見つけるなど出来っこないんじゃないか。
 十年前、この窓からは何が見えたのだろう。
 二十年前、それかまだ生きていた頃、キャリーは窓から何を見ていただろう。
『今は森しか見えず、今は夜しか見えない』
 窓が答える。
『五十年前、ここからは平原が見えた』
 次の部屋へ。
『六十年前、ここからは村が見えた』
 次の窓へ。
『百年前、ここからは村と町が見えた』
 次の部屋、次の窓へ。
『我らには風しか触れない。我らの内から、やがて外で、栄華と魂が消えた。我らには風しか触れない。ここからは森しか見えず、ここからは夜しか見えない』
「キャリー!」
 今こうして幻聴が聞こえるように、私の声が、かつてこの城にいた人に聞こえているのではないか。あともう少し耳を澄ませば、もう少し感覚が鋭ければ、互いに分かるのではないか。
 かつてこの城に煌々と明かりが灯されていた頃、一人の召使いが、部屋の扉が開く気配に振り返る。
 扉は閉まっている。しかし何かの気配が入ってきて、それはとても聞き取ることができない声で喚きながら、部屋をひっくり返し、荒らし、次の部屋へと出ていく。
 召使はモップを握りしめて立ち竦んでいる。
 部屋は整然としたまま、何一つ荒らされていない。ただ荒らされた気配だけは拭えない。
 お互いに怯えている、お互いを見ることを。
 そしてエリシは見る。
 ある部屋の扉を開けると、そこは明るく、若い男女が立ったまま口づけを交わしている。
 二人が罰への恐れを色濃く宿す目で、慌ててエリシを振り向く。
 エリシは扉を閉めた。
 今見たものは何だろう、と自問しながら。もう一度扉を押す。そこにあるのは夜の闇と、森しか見えない窓。
 しかし確かに誰かの気配が、扉をすり抜けていく。
 繊細な女の気配。
 薔薇の香りが残る。見えない気配を追い、廊下に視線をやる。光を浴びせたら気配が消えてしまう気がして、エリシは足元だけを照らし、気配の後を追う。
「誰なの」
 夜が窓を鏡に変える。かつてミザルの目の前で、マオカティヤを映したように。
 廊下の窓が映す。寄り添い歩く幼い双子を。
 次の窓が見せる。寄り添い歩く若き双子を。
 二人は互いに手を取る。視界の端で見える。焦点を合わせると消えてしまう。
「あなたはポラリスなの?」
 闇の向こうで、一瞬、白いドレスの端が見える。
 階段の窓から、荒れ狂い、乗馬用の鞭で老いた召使を打つ赤い髪の女が見える。
 階段の踊り場の窓では、その女が、別の召使いの耳元でささやく。召使は蝋燭を持っている。
 エリシは目をつぶりたくなるが、耐える。
 一階の窓では、異国の女が燃えている。楽器を取り落し、黒髪の女は燃える衣をまとったまま何処かへ走って行く。赤い髪の女がそれを見ている。大きな口を開けて笑っている。
「あなたは、ポラリスなの?」
 あの恐ろしい女の娘。町に出て、ただの女になった女。
「待って! あなたはキャリーを知っているの?」
 回廊へ続く廊下の窓の中で、白いドレスの女が振り向く。
『馬鹿にしている』
 窓の中で、一人の初老の男が怒っている。
『あなたは自分の子供をなんだと思ってるんだ』
『生みたくて生んだんじゃないわ』
 と、女。誰かの母と名乗るには、あまりにも若い声。
『そもそもは、あなた達のせいよ。あなた達が城から出ていかなければ私の母が城に行く必要はなかったの。あの見すぼらしい、狂った、気持ちの悪い老いぼれなんかとの間に、私を作らされることはなかったのよ。キャリーだって! 寂れていくばかりの城の為に生まれさせられる必要はなかったんだわ。かわいそうなキャリー』
 男は黙る。老いたレグルス、その横のポラリスも、返す言葉がない。
 二人は同じように老いた。
 二人は子を作らぬよう誓い合った。そしてそれを守ってきた。
 回廊に出る。ポラリスの姿は見えないが、言葉が回廊の先で待ち構えている。
『私は行きます、あなたがキャリーを見捨てようと引き取ろうと。私は私が本当に好きになった人の子を産みます』
「ポラリス、キャリーの事を知ってたのね」
『いいえ』
 と、回廊の向こうの石の廊下から。
『ジョセットは行く気だわ、私たちがキャリーを迎えに行こうと、行くまいと』
『なんて勝手なんだ』
 老いたレグルスとポラリスの質素な家が、窓の向こうに見える。しかしレグルスは頭を抱えたきり、何も言おうとしなくなる。
 勝手で、しかもとびきり背徳的なことを、かつて自分たちはした。その事実から二人は逃げない。
『キャリーを引き取りましょう』
「じゃあどうして――」
 窓に意識を合わせると、窓が映すレグルスとポラリスは消えてしまう。
 しかし別のものが見えた。
 この先で直角に曲がる廊下の、庭を挟んだ向こうの窓の向こうに、白いドレスの女が背を見せて立っている。
 すなわち、道なりにこの廊下を曲がった先に、立っているということだ。
 エリシは口を開け、夢の土地を歩くような足取りで、廊下を進んでいく。
『キャリーが待っているわ』
 突き進む馬車の車輪の音を、窓が闇の向こうから連れてくる。
『怖い思いをしているはずよ……キャリー、かわいそうな子』
「ポラリス――」
 廊下を曲がる。
 女が立っている。
 若く、高貴な血筋の、そしてまだその血筋がもたらす地位を投げ捨てていない頃の。
「――なの?」
 女、いや――エリシの時代の感覚では、まだ少女と呼ぶべき歳のポラリスが、大人の女の気品に満ちた笑みを唇に乗せる。
 窓は何も映さなかった。
 ポラリスが近くの扉を開ける。
 扉の向こうから黒い風が吹き、太い腕となり、ポラリスの華奢な腰を掴んで部屋に引きずりこむ。
 甲高い馬のいななき声。
 御者の悲鳴。
 廊下を駆けてみれば、その部屋は、崩れた崖であった。
 夜の崖のさなかに恐ろしい音を立てながら馬車が転がり落ちてゆく。壊れながら、中にいる人間をばらまいて、死体に変えながら落ちてゆく。
 その崖の先にはキャリーが待つ家の明かりがある筈だった。

 11.再会

「ああっ」
 エリシは叫んだ。
「――ああああっ!」
 崖はなかった。あの時代はなかった。部屋はただの部屋であった。部屋にエルナートが立っている。自分がポラリスに連れて来られたように、彼もレグルスに連れて来られたのかもしれない。
「二人は、二人は」
 エリシは混乱したまま、叫ぶように喚いた。そうすることで混乱を鎮められる気がした。
「来るはずだったんだわ! キャリーを見捨てたんじゃなかった!」
 口を閉じることは出来ないが、もう声も言葉も出てこない。代わりに目から涙があふれた。エリシは立ったまま、廊下で泣き続けた。熱い涙をぬぐうこともせず、流れるに任せていた。
 エルナートは呆然と立っている。
「エリシ、この部屋はね――」
 やがて放たれた声に、涙が目の端から途切れる。
 エルナートが意を決したように、暖炉に歩み寄る。暖炉の前に跪き、中に敷き詰められた物をどかしている。
「エルナート、どうしたの?」
 エリシは手で顔を拭き、部屋に入って行った。エルナートは無心に暖炉の中の布や紙をかき分けている。
「何があるの――」
 答えを待つまでもなく、それを見つけた。
 金属の蓋。
 把手がある。
 自分でも持ち上げられそうだと、その質感を見て思う。
 その気になれば子供だって、この下に身を潜り込ませるぐらいなら。
「僕には僕の友達がいて、それを探していた」
 エルナートが呟いた。
「もし僕の友達が――まだこの城に居るんなら――城から出られてないなら――それは僕のせいだ」
 蓋の把手をつかめば、金属の粉が掌に付く。思った通り、それは簡単に開いた。かび臭い風が顔に吹いた。風はすぐ止まった。蓋を開けた勢いで吹いた風であり、この穴の向こうから絶えず風が吹いているわけではない様子だ。
 石の階段が延びている。
 エリシはヘッドライトを向けた。
「私は、私の友達を探してくる」
 一人で行くつもりだった。エルナートはあっさりと頷き、ついて行きたげな素振りは見せなかった。
「気を付けて。罠があるよ」
 その一言で、踏み出した足を部屋の床に戻す。
「……誰かから聞いたの?」
「分からない。分からないけど知ってる」
「予想できることだわ。もとは戦争で使われていた城だもの。ええ――気を付けて行く」
 振り返らずに、エルナートの孤独な視線を背に受けて、エリシは階段を下りて行った。彼の視線と自分の背中を、闇が隔ててしまうまで、立ち止まらなかった。
 やがて投げかける光の先で、階段が終わる。
 石床の凹凸を靴越しに感じながらエリシは歩き続ける。石の壁、石の天井、そんなものは実はなくて、自分の後ろや横手では闇が人間と同じように肉を持ち始めている。
 闇の皮膚はしっとり湿っていて、脂肪は静かに厚みを増し、さまよいこんだ人間などなんら頓着せず取り込んで消化してしまう。
 肉を泳ぐように進む。
 キャリーがこんな場所に来たの? エリシは、自分が間抜けな間違いを犯したために無駄な恐怖と危険を味わっているのだという気がしてならない。
 こんな闇の中を、六歳だか七歳だかの少女がカンテラ一つで歩けたというの?
 分かれ道に出た。
 闇が染みた石壁が、廊下を左右に隔てている。エリシはそれぞれに光を向け、見比べた。左は下方に傾斜しているようだ。
 左を選ぶ。
 キャリーは怖かっただろうか。
 本当にここに来たのなら、何を思ってこの通路に入ったのだろう。どうやってこの通路を見つけたのだろう。
 あの子は、この先に迎えがいると本当に思ったのだろうか?
 それとも遊びたかったのか。
 こんな通路を見つけて、自分はすごいと思ったのか。
 キャリーは遊びたがっていた。十一年前に、初めて出会った時も。
 足元が途切れた。不意に空間が広がるのを、神経過敏になった肌が感じ取る。
 直感が鋭く警鐘を鳴らし、エリシは硬直する。
 ここは闇で、夜さえ見えない。
 漠然と前に向けていた光を、ゆっくり下におろす。
 何物にも照らしえぬものが、つま先に広がっていた。
 断崖である。
 かつて老いたレグルスとポラリスを飲みこんだのと同じ、帰り得ぬ淵がある。
 その底に光を反射する物があった。
 跪き、落とし穴の底を覗きこむ。
 目を凝らせば、光る物はすべて上を向く槍の穂先だった。
 この落とし穴を隠していたであろう薄い板が散乱している。
 そして――槍の間にうす茶色く浮かび上がるものは、人間の骨だった。
 同じ位置に、薄黒くなった、もとは服だったであろう布が槍にかぶさっている。

 これを――
 これをこそ探しに来たのだと、エリシは頭で考えている。
 見つけようと思っていた。しかし、見つかるとは思っていなかった。

 エリシは動かない。
 動かず、瞬きもせぬまま、かつてこの廊下で、あの板が罠を隠していた時代があったことを思った。
 そして、罠の上に板をかぶせた人間がいたこと。
 その人間はとうに死んでしまい、名前すら残っていない。しかし罠は生きていた。今も生きている。この半歩もない距離が、生と死を隔てている。
 私も、落ちたら死ぬ。エリシは考える。即死だろうか、いいや暫くの間は、意識が残るだろうか。
 その瞬間、その直後、その後、どれほど痛いだろう。どれだけの時間、痛いだろう。
 キャリーが味わった痛みは――落ちてみれば分かる、と考えた。
 いいや、分からないだろう。
 彼女の死は、彼女の死だ。自分の死とは別だ。たとえ同じ要因で死んだとしても、それぞれが全く別のもので、置き換えも、追体験も不能なのだ。
 キャリーは死んだ。自分は生きている。
 それだけが真実だ
 一体何に導かれて、それを思い知らされているのだろう。
 私は何をしに来たのだろう? この局面で何をすればいいのだろう? と考えている。
 キャリー、来たよ。
 しかし声に出せない。
 エリシは動かなかった。
 長いこと動かなかった。
『サーカスに行きたかったね』
 ここには魂を映す鏡も、夜の窓もない。

 12.少女

 エリシは膝をついたまま漫然と穴を見つめている。
 落とし穴の底にある物は人骨に違いない。何度もそれを確かめている。小さい。小さくて、布をまとい、バラバラになっている、
 頭の中で繰り返す。小さくて/布をまとい/バラバラになっている。その属性のどこにキャリーの本質があるだろう?
「キャリー!」
 振り向いてみたくなった。その衝動を上回る恐怖が、動きを押さえつけた。
 振り向いた背後に、キャリーが居たらどうしよう。いや、居なかったらどうしよう。
 どうしようもないし、まして出来ることなどない。
 長い息をついた。肩から、腰から、力が抜けていく。
 感情が湧いてこない。こんな時は何をどう思い、どう反応すればいいのだろう。
『かわいそう』
 そう、きっと、多くの人ならそう表現するだろう。そんな言葉で足るだろうか。そんな言葉に収まるだろうか。
 何故、かわいそうなのだろう? かわいそうな要素をあげつらえば、キャリーはかわいそうな子になるのだろうか?
 親に捨てられたからかわいそう?
 惨い死に方をしたからかわいそう?
 誰にも気付かれなかったかわいそう?
 誰もが言うだろう、「かわいそうな子だ」と。そしてそれは正しいのだろう。
「違う」
 白く渦巻く疑問符の中で、一瞬、強烈な違和感が閃光を放つ。
「キャリー!」
 その違和感をつかむため、エリシは穴に叫んだ。
「キャリー!」
 光をつかむ。頭の中で。光は白く弾け飛び、その広がりに城の昼の姿を見せる。
 回廊を駆けまわるキャリーとかつての自分がいた。
 城壁から森を見下ろすキャリーがいた。
 日暮れていく城の中で、空腹を抱えておしゃべりする自分たちがいた。
 同じベッドに潜り込み、太陽のねじを巻く人がいることについて話をした。
「キャリー」
 今まで失われていた感情がなだれてくる。
 鳩尾を痛みが襲う。
 目が、戻ってきたものの重さと痛みに耐えかね涙を流す。
 キャリーはかわいそうなんかじゃない!
 かわいそうなんかじゃない。
 私はあの子と遊んだ。あの子は笑っていた。あの子は自分の境遇をかわいそうだなんて言わなかった。あの子は優しかった。あの子は楽しむということを知っていた。
 置き去りにされたから、こんな死に方をしたから不幸で、かわいそうなのか。
 そんな誰の頭でも考えつくような物差しで人を測って何になる。
 キャリーはこういう死に方をし、私はそれを知った。ただそれだけの事だ。
「キャリー、キャリー! 私、大人になるよ」
 エリシは穴の縁に手をかけ、中を覗き込んで叫んだ。涙がライトに照らされながら、槍の谷間に落ちていった。
「私、サーカス見たことないよ。同じだね。だけど大人になるんだよ」
 会いに来てよかった。
「会いに来てよかった」
 後ろめたさが鳩尾のうずくような痛みを強くした。しかし、後ろめたく思う必要はないのだと、エリシは理解していた
 エリシは立ち上がり、膝を払う。
 帰るために。

 13.夜明け

 通路から戻れば、部屋は薄墨色に明るんでいた。エルナートは夜明けの光に溶けも消えもせず、椅子に座っていた。
 瞼が激しく痛んだ。薄目を開けて暖炉から這い出れば、暗闇に慣れた目に光が刺さる。エリシはうずくまり、無言で涙を流した。
「どうだった」
 エルナートが動かずに訊く。エリシは瞼を抑え、目を開けたり閉じたりしながら光に慣れていった。
「もういいのよ――キャリーは救われるわ、必ず」
 匿名で投書をしてみようか。
 この隠し通路の事を。罠の事を。そこに落ちた少女の事を。
 きっとそれがいい。
 目から手を離し、立ち上がった。
「……帰るの?」
「ええ」
 仏頂面をした、死んだようなエルナートの両目に焦りと動揺が走るのを、エリシは見逃さない。
 二人は黙って見つめあった。窓の外で、生い茂る木々の葉だけが音を立てている。
 エルナートがこの後どうなるのか、想像すらつかない。
 やがてある種の覚悟を決め、エリシは尋ねてみた。
「一緒に行く?」
 同じ好奇心と覚悟が、エルナートの目に満ちる。恐怖をたたえた唇を結び、彼は頷いた。
「うん」
 隠し通路から出てきた直後はあんなに眩しく感じられたのに、実際は、今はまだ暗い。無言で荷物をまとめ、城の玄関に歩いてゆく。

 暗い石の廊下を抜け、木の廊下を抜ける。玄関ホールの高い窓の向こうには、今この時代の、朝の光が見える。
 玄関を開け放った。
 頭上は薄紫。東の方角は桃色。涼しい風がエリシを通り抜けて城の中に入る。
 エリシはリュックを担ぎ直し、目でエルナートを催促する。
 エルナートは少し後ろに立っていた。棒のように突っ立って俯き、エリシの顔を見ない。エリシは口を挟まない。
 彼の葛藤が何なのか、聞き出そうとは思わない。助けてあげたいとも。
 ましてや、かわいそうだとも。
「……僕は駄目だ、やっぱり僕は行けない」
「何故?」
「僕は――」
 さっと顔に朝日が差した。顔面は蒼白だ。目が濡れている。両手をぐっと体の両脇で握りしめた。
「僕は――たくさん人を傷つけたり、ひどいことをしたから――救われちゃいけないんだ」
「何故、そう思うの? 自分の事が、何か分かったの?」
「分からないよ! でも、分かるんだ」
 両目から涙がこぼれる。唇をわななかせ、それでも決然と、彼はエリシに告げる。
「僕は行かない」
「――そう」
 エリシはまっすぐに、エルナートと向き合った。
 彼は許されないかもしれない。
 彼は救われないかもしれない。
 けれどそれは永遠じゃない。
 時間が彼を洗い流す。すべてを。自分も。
「分かった」
 エルナートが真っ赤に充血した目で視線を合わせてくる。
「さよなら」
 エリシは微笑みかける。
「お元気で」
 足を一歩踏み出す。振り返らぬよう、後ろ手でドアを閉める。
 今、自分とエルナートは隔てられた。
 もう求めることはないし、求めるようなものでもない
 エリシは土を蹴って駆け出す。
 柔らかな草が、ちぎれて舞う。
 帰るのだ。もうここに来る必要はない。覚えている必要もない。もう二度と、私はこの城を気にしない。
 城は観光地になる。
 押し寄せる人間たちが、城にくる新しい時代が、この城を洗い、あるいは汚すだろう。
 一枚目の城壁を抜けた。庭師の小屋が立つ丘を、力の限りの速さで駆け降りる。息が切れ、顔を上げれば、空は一面の桃色。
 森の彼方から、太陽が、天地を金色に裂く。
 見えるはずがない背後の光景を、エリシは、その輝きの中に見た。
 キャリーがいる。
 城壁に立っている。
 同じ輝きを身に浴び、笑顔で、ちぎれんばかりに腕を振っている。
 キャリー。エリシは歯を食いしばり、心の中で呼ぶ。キャリー、キャリー、私は大人になる。
 ついに外側の城壁をくぐり抜け、エリシは城から出た。

 もうキャリーの視線はない。




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